花嵐 ーー謡曲『熊野』より |
爛漫の都の春。 花々が艶妖に咲き誇っている。 桜の薄紅の花の小枝がさざなみのように揺れる。 その花陰に仄甘い蜜のような風が吹いていく。なのに、わたしの心はいっこうに晴れない。 ああ、なんて悲しくつらいことだろう。 今朝早く、故郷である遠江国(とおとおみのくに)の宿(しゅく)から、身内の侍女の朝顔が京の六波羅の宗盛館に着き、老いた母の病状の思わしくないことをわたしは改めて知らされた。 「どうぞ、一刻も早くお帰りください」 朝顔は砂埃に汚れた旅衣もそのままに言う。 疲れた眼差しが、熱く訴えている。 その手紙には、わけてもこの春、お前の帰りを待っている。 老いの身はひたすら娘に会えることを心の支えに、涙にむせぶばかり。 どうか、おいとまを得て、帰ってきておくれ。 親子は一世の仲。 いま一度、お前の顔が見たい。 病む老母の命は旦夕(たんせき)に迫っていた。 「お願いでございます。上様。どうか、一度、故郷へ帰らせてください」 とわたしは声を詰めた。 これまで幾度となく懇願してきていることだった。 栄華を誇る平家一門の棟梁である平宗盛は、かつて遠江守(とおとおみのかみ)であった頃、その地で評判だった白拍子のわたしと親しみ、侍妾にした。 その後、任が解かれて京の都に戻る宗盛にともなわれ、わたしはひとときも傍から離れることなく、ずっと召し使えてきていた。 主上の宗盛の愛情はあつく注がれ、どうしてもいとまをとることができない。 「分かっておる。だがな、熊野(ゆや)。そんなに悲しむな。心弱くなるな。都の春、花が盛りよ」 と平家の権勢を誇るいつもの泰然たる口調。老母の病悩をそれほど重いものと思っていない。 「花ならば春はまた巡ってきますわ。母との永久(とわ)の別れに、おいとまがほしいんです」 「いや、この春ばかりの花盛り。お前との花見を楽しみにしていた。さあ、行くぞ。いつまでも憂い沈むな。牛飼、車寄せい」 権門平氏を継ぐ貴公子の言葉だった。従者、侍女たちがただちに出発の用意をする。 しばらくして網代廂(あじろひさし)の花見車がととのえられ、それに乗るとわたしたちは宗盛館から街に出て行った。豪壮な邸宅は並ぶ六波羅から四条、五条の橋、鴨堤、鳥辺山を過ぎ、清水寺へ向かう道中は、老若男女の人々で賑わっている。街は花に浮かれ、京洛の春の風光がこのうえなく眩しい。 愛妾との観桜の宴は、この春の宗盛館の歓楽の極まりそのものであるのだろう。 「熊野。酔狂よ。もっと花に心を開け」 いつもの情愛に満ちたお言葉。ひときわ愛(いと)しく凛々しい眼差しに、わたしは目を伏せた。 まもなく、花の雲におおわれた東山に着くと、その清水寺の裏手の地主権現の花の下で、酒宴が始まる。 侍臣一同は、陽気に盃を重ねた。 「さらば、熊野。ひとさし舞ってくれ」 花の宴は京の春の贅を蒐(あつ)めつくしていた。 わたしは背筋を真っ直ぐに伸ばして扇をかざし、長袴に包んだ足を踏み出すと、静かに舞い始めた。 舞うことが、憂いに閉ざされたわたしの花であり、わたしの心であるかのように、花の紅色が透け、白く光り、冴え冴えと揺れる。 春は、 清水の、 ただ頼め、 頼もしき、 大悲(だいひ)擁護(ようご)の初霞。 春も千々の花盛り。 山の名の、 音花嵐の花の雪。 深き情けを、 人や知る・・・・。 その時、一陣の風が花を揺らした。 花吹雪だった。 それぞれの盃に花ビラが浮かんだ。 「おお。哀れやの。あいわかった。いとま取らす。東(あずま)に下っていいぞ」 花嵐に殿の声は朗々としている。 やっと、いとまのゆるしが出たのだった。 あら嬉しやな、 とおとやな。 これ観音の御利生(ごりしょう)なり。 これまでなりや。 嬉しやな。 名残の春に、名残の花に向かって、わたしは叫ぶ。 わたしは御意の変わらぬうちにお暇(いとま)と、席を立った。 東路(あづまじ)さして行く道に花が舞っている。 春の憂いは、また、わたし自身の憂いでもある。繚乱と咲き匂う花も、やがて散りゆくあえかな運命(さだめ)の美しさに息づいているのだ。 そう思うと、綾の薄色の小袖にわたしはそっと涙を拭っていた。 (『YAKUSHIN』2003年4月号) ■題名および1部改訂■ |