自己紹介

あだ名

 ガマグチヨタカ略してガマヨ...私がガマグチヨタカと呼ばれるようになった理由

本名

 諸般の事情により秘密。

既往症

 重度の慢性高山依存症。青い鳥症候群も併発しているがその症状は軽い。

職業

 さすらいの会社員(出張・転勤が多いのである)。

国内(家庭)事情?

驕れる者は久しからず、我家の事情は下記のように変化していった。

1999年9月記〜
 総人口4名たらずの独裁国家の住人である。この国では女帝が君臨しており、その圧政下に私は細々と生き長らえている。かわいい子供達はスパイとして教育されており、私の行動を逐一彼女に報告する。
我が国においては職業は厳格に初めから定められており、女帝が平日の晩飯を作ってくれる代わりに毎日の皿洗いと風呂洗い、ごみ捨て、外交(町内会)及び土日の育児と料理、はすべて私の義務である。
 休日に育児をほったらかしての山登りやバードウォッチングはまったく許されていないのである。
 山登りやバードウォッチングは結婚前は雨天を除いて毎週行っていたものが、一昨年は0回、昨年と今年はそれぞれ1回(妻が同類の奥様連中と亭主抜き旅行にいってしまったのでその間に登った。)になってしまった。高山依存症の禁断症状は非常にきつく、近頃はいつも高山の風景を夢に見るようになった。
 2000年4月、妻には出勤したことにして平日に年休を取り、バードウォッチングに行ったところ、(このような嘘をついてのは生まれて初めてであったのだが)女帝にバレてしまい(同僚に密告者がいたのである)、弾圧はいっそう強化され、制裁措置として、食料援助の停止(具体的には晩飯抜き)及び、衛生関連の支援停止(具体的には洗濯のセルフサービス化)が即時行われた。この制裁措置に対して、私は非暴力・不服従の皿洗いボイコット運動で対抗した。そのためか、約1ヶ月で食料援助は再開されたが、8月の現在に至っても洗濯はセルフサービスのままであり、うっかりしていると私の衣服は洗濯機の中で遠心脱水によってドーナッツのような形のまま乾燥し、皺くちゃミイラになっているのである。
   いつの日にか亡命(=失踪)または独立開放(=離婚)したいと思うが、次の世代に禍根を残すのだけは避けなければならないので我慢、我慢...。

2003年4月追記〜
 衛生関連の支援停止はその後2年間継続した。2002年3月、私はコレステロール減少を目指し、卵・肉の食事制限等を行っていたのだが成果が出ず、最も効果があると言われていた運動療法を行うことを決意し、スポーツセンターに通うことにした。当時、私の平均的な残業は4時間を超えており、仕事からあがるのは早くても21時過ぎ、そこから帰っても自宅に着くのは22時を過ぎていたため、子供を風呂に入れる等の家事を手伝うことはもはや不可能だった。したがって、帰宅途中に30分間ジムに通ったとしても妻にとっての負担は何も変わらなかった。妻もきっと快く了承してくれるものとばかり思っていた。しかしながら、妻の反応は...「何でアンタだけ遊ぶのよ。私は何にも遊ばないで仕事が終わったらすぐに帰って家事してんだからね。アンタそうやって自分だけ遊んでいいと思ってんの!」激怒した妻はそれからは私の洗濯物は全て、靴下1枚に至るまで、厳重に洗濯機の中を捜索し、すべて外に放り出してから洗濯機のスイッチを押す卑劣極まりない隔離政策を施行したのである。したがって、私の洗濯物は皺くちゃミイラになる被害を被ることはなくなったのだが、私には毎週末、自分の洗濯物だけをまとめて洗濯する職務がひとつ追加されたのである。この制裁措置はそれから1年以上経過した今でもまだ続いているのである。この非人道的政策に対し、私の採った策はカッコウの託卵にヒントを得た「カッコウ託卵式洗濯法」である。妻が洗濯機のスイッチを入れた直後に妻の目を盗んで私の服を洗濯機に放り込むのである。この戦術はまだ妻が洗濯を開始していない早い時間帯に私が帰宅したときのみ有効であったが、通常私の帰宅時刻ははるかに遅く、有効な対処方法がないのが実情である。
 離婚だけは避けなければ...子供達にだけは寂しい思いをさせてはならない...我慢を続けていたが我慢にも程がある。私はここに宣言する。私は必ずや独立する。2017年12月28日(下の娘が二十歳になった後の初めの年末=年末休みを利用して引越しするのさ)が私のD-Day (= Divorce Day=離婚日=目標独立記念日)である。独裁者マダム・フセインめ、今に見ておれ!

2004年1月追記〜
 前述のように我慢を重ねてきた私であったが、ある日、妻が子供を連れて出て行くと言い出した。妻の執拗な嫌がらせにも全く動じず、私はサービス残業と水泳を続け、自分の部屋の片付けも怠っていたからである。
 妻は私と会話するのも私の顔を見るのも嫌なんだそうである。妻子がいないこの家に独りで住んでも意味が無い。妻の職場が近いから私の職場から遠いこの家にすんでいたのだから...、それで私がこの家から出てゆくこととなった。子供達には本当に申し訳ないが、2017年どころか、あの決意をしてからわずか8ヶ月で我々は別れることとなった。

趣味

1999年9月記〜
 ネイチャーフォトとトレッキング。いままでに結構多くの写真を撮っているので、写真展の開催とか写真集の出版が私の夢である。しかしながら、出版する程の才能も勇気も自費出版する財力もなく、諦めていたところ、InternetでHome Pageを作るとあたかも著者になったような快感を味わえそうであったのでこれを始めてみたのがこのHome Pageである。
但し、近頃は写真を撮る機会が皆無に近いので、今持っているネタが切れたところでこのHome Pageの更新はなくなると思われる。
 運の良いことに、我が国の女帝はパソコン音痴のようであり、このページを作成中に査察されることさえなければ出版の自由は保障されている。(但し、これがバレルと不敬罪による極刑はたぶん免れない。)
2004年1月追記〜
私はまた自由に戻った。毎週末のネイチャーフォトとトレッキングがとっても楽しみ!

写真機材

 このホームページで公開した写真は下記のもので撮影した。
・Nikon FEまたはFE2(使い始めて22年(FE2は21年)未だに健在)
・Nikon F5(2000年から登場)
・Nikkor 300mm/f4.5S (IF)、Sigma 300mmF4ApoTeleMacro
・Nikon純正防音ケース(ナキウサギの撮影時必須。FE/FE2はメカニカルな音が大きく、この効果は結構あったように思う。)
(2003年4月記)