過去の日記(2004年)

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2004年
12月20日
 昨日の後遺症で足を引きずりながら会社へ行くと、ライバルの同僚が言いました。「ガマヨさん。昨日の結果はどうでした?私は1時間○○分でしたよ。」負けた。「歳の差ですね。ハハ。」同僚が笑った。悔しい。来年は絶対に勝ってやる!
2004年
12月19日
 ついにその時がやってきました。ハーフマラソン。結局、左足の痛みは治らないまま、足を引きずりながら会場に向いました。棄権すべきか走るべきか?本来だったら当然棄権すべきだとは思いましたが、どうしても走りたい。で無理して走ることにしました。足の痛みに耐えながら走るのでスピードが上がりません。スピードが上がらないので、息もあまり切れません。兎に角、痛みに耐えて1時間55分57秒。目標の2時間は切りました。途中、応援してくださった皆様。ありがとうございました。とても勇気付けられました。
2004年
12月15日
 4日前に走った直後、そのまま動かないと筋肉痛がひどくなると思い、直ぐにプールで歩いたり泳いだりしたのですが、水に入った瞬間、両胸にピリピリと痛みが走ったのです。その時は気づかなかったけれど今日になってよく見ると、乳首の先の皮が剥けているではありませんか。痛かった訳だ。整理運動がうまくいったからか、日頃の水泳の特訓が良かったからか、結局、筋肉痛にはならなかったけれど、足の裏付近の軟骨がイカレタようで、痛くてうまく歩けなくなりました。恐るべし、ハーフマラソン。本番まであと4日。たったの4日で回復できるのだろうか?
2004年
12月12日
 ハーフマラソンまであと1週間。試走せずに出る訳にはいかないと思ったので、土曜日に走ってみました。実際の出発点とは違い、最高地点からスタートしたので、始めのうちは下り一方。重力に任せて下りたのでオーバースピード。時速19km、女子オリンピック選手のスピードではありませんか。こんなスピードで平地を走るなんて!人間技ではありません。坂を下り、水平になると既に疲労が。8km程走るともう足が棒になりました。一番自信のあった太腿とふくらはぎが筋肉痛になり、超スローペースになりました。息絶え絶えになるかとの予想に反して、足が動かないので、全く息は切れませんでした。いくら過激に走っても、心臓が止まる前に足が止まってしまうようなので命を落とすことは無さそうです。タイムはちょうど2時間10分。優秀な人のフルマラソンのタイムに同じです。私の倍のスピードで走るなんて!マラソン選手って大したものです。しかし、21kmは予想以上に長かった。もう2度と走る気がしません。来週はどうしようかな?
 日曜日は毎年恒例の餅つき大会。薪をガンガン燃やし、もち米を蒸し、杵で力いっぱい搗きました(本来は重力を利用して効率的に搗くのですが、私は思いっきり搗いてパ〜ンという音が出ることに快感を感じるので、わざと全力で搗くのです)。それで両手はマメだらけ。水泳をしてみると平泳ぎが痛くて出来ません。バタフライやクロールは痛くないのですが。平泳ぎは手のひらを流れる流水速度が速過ぎて、これだけでもかなり痛むのです。歳のため、まだ今日は筋肉痛になっていませんが、明日はきっと仕事にならないのでしょうね。筋肉は寝ている間に補修される(らしい)ので、今日は早く寝なければ。それではおやすみなさい。
2004年
12月5日
 我が娘に電話をかけてみると、もう走ることができるようになったとのこと。水泳も今週から再開したとのこと。「でもこの冬休みのスキーは無理だよね?」と聞いてみるともう治っているから大丈夫だとのこと。若いだけあって治りも早いこと...。とは言え、母親が反対するのは目に見えている。「お父さん、スキーしなくっても雪だるま作ったり、雪玉投げて遊んだり、やりたいことはいっぱいあるよ。スキー場行こうよ。」という訳で、うまくいけば冬休み父娘雪国旅行であります。(僕と彼女と彼女の生きる道でもこんなシーンがありましたっけ。)電話口の向こうで娘が必死で母親に許しを請う声が聞こえたけれど、母親の態度は分かりませんでした。許してくれるといいんだけれど。話し変わって、再来週はついに恐怖のハーフマラソンであります。生まれてこの方一回もしたことがないハーフマラソン。私は生きて完走することができるのでしょうか?今週末に試走する予定だったけれど、あまりの強風に諦めてしまいました。その代わりに水泳3000m。うち1950mはコーチに檄を飛ばされながら必死で泳いだものの、泳ぎ友達にはどんどん周回遅れにされ、他の人達は2250m泳いだのに、私だけ300mも引き離されて時間切れ。情けない。こんなに持久力が無いとは。再来週は悲劇になりそうな雰囲気が...。どうか天国には移住せず済みますように!
2004年
11月28日
 白い鳥にも逢いたかったけれど、気圧配置は冬型強く、今週末は諦め。○山○部○ペンルートは11月30日までです。と言う訳で、今年の私にはもうチャンスなし。また来年です。(自分の足で登れば白い鳥にはまだまだチャンスあります。)昨日本日は泳ぎまくり、足の筋肉痛も消え去りました。(ただ泳ぎすぎて、今度は腕が筋肉痛です。)山の風景写真ばかり3本現像に出し、仕上がりが楽しみです。
2004年
11月23日
 白い世界から戻って参りました。白い鳥には結局逢えず。逢いたくて歩き回ったので、足にはマメ四つ。逢えなくても紺碧の空に白銀の山々、標高2800mからの新雪スキーは生涯忘れない素晴らしい経験になりました。しかし、やっぱり白い鳥見たい。来週こそは!
2004年
11月20日
本日もケーキを持って元自宅へ。上の娘のギプスが取れたので、そのお祝いです。まだ走ることや跳ねることはできないけれど、歩くことはできるようになったのだと。兎に角元気になった娘に会えて、私は嬉しい。ところで、私は月曜休みにしたので、本日から4連休なのです。(とは言ってもそうするために、昨晩は殆ど徹夜になり、本日は明け休状態だったので、実質的には3連休なのですが...。)こうしたのには勿論目的があります。冬だけ白くなる鳥に無性に会いたくなったのです。明日からはしばらく銀世界。生きて帰って来られますように。
2004年
11月6日
 ケーキを持って元自宅へ。ドアを開けると、玄関には車椅子。ギプスというから石膏で固めた大きなものを予想していたが、娘がつけているものはFRPで出来ている軽いものだった。月曜日からは車椅子で小学校まで通うのだと。介護するのは非力な妻かじいちゃんばあちゃん。我家から小学校までは数十メートルの標高差がある。車椅子を下手に放したりすると、この急坂を暴走することになる。別れていなければ、毎朝私が車で送れば済むことだったのだが、今となってはそうも行かず。二次災害だけは起こりませんように!ただただ祈るのみ。
2004年
11月4日
 上の娘から電話があった。「お父さん、ごめんね。今度の日曜日はどこへも行けなくなっちゃったんだよ。」「え、どうしたの?」「今ね、足にギプスしてるんだよ。だからね、歩き回れなくなっちゃったんだよ。」「え〜、一体どうしっちゃったの?」「階段から落ちてね、足以外は大丈夫だったんだけれど、足は怪我しちゃったの。」「骨折れちゃったの?」「ううん、骨は折れていないって、だけれどギプス付けられちゃった。」「捻挫?」「そうだって。本当にごめんね。」「別に謝らなくっていいんだよ。悪いことした訳じゃないんだし...。」という訳で、今週末はどこへも行けず。美味しいケーキでも持ってお見舞いに行くから、娘よ待っておれ。
2004年
11月3日
 今日は水泳大会。先月のリベンジをするべく、気合を入れて臨んだものの、力を入れすぎたのか、途中で力尽きてしまった。まさかの敗退。平もバタもだめだった。あまりに気落ちしたので、記録も確認しないで帰ってきてしまった。たったの50mでバテてしまうのは歳のせい?そうかもしれないけれど、そうとだけは思いたくない。絶対思いたくない!この2週間ほど忙しすぎて、寝てなかったからか?泳いでなかったからか?別に誰から責められている訳でもないのにいろいろと言い訳を考えてしまう自分が情けない。次の練習からは100mバタをメニューに入れるんだから。夕方、上の娘から電話。今週末はどこかに連れていけとのデートの誘い。下の娘もいっしょにいかないかと誘うと、お母さんといっしょにいるのだと。「Bもいっしょに行っちゃうと、おかあさんが一人ぼっちになって可哀想でしょ。」最近娘からデートの誘いがあるときは必ず姉妹が別行動をすることは気づいていたのだけれど、やっぱりそういう理由で行動していたんだ。なんて親思いの娘たちなのでしょう。
2004年
10月24日
 昨夕起きた新潟中越地震、絶えない余震。阪神大震災を経験した私としては、あの悪夢を思い出します。地の底から来るゴーという恐怖の地鳴り、食べ物がなくひもじかったあの時。どうか早く人らしい生活ができますように、お祈り申し上げます。
2004年
10月17日
先週末行きたくって行けなかった山。今週末は天気が良いというので、行って参りました。3000m級の山に登りたかったのだけれど、信州は麓でも雪が積もったとのことだったので、3000m級の山を見ながら低山トレッキングに変更。それでもオオシラビソとハイマツの中を歩き、これらの木々の匂いを嗅いで元気100倍です。見た鳥はカヤクグリ、ヒガラ、ビンズイ(?)、アオジ等、撮れた鳥や動物はゼロ。しかし新雪をかぶった山々の写真は山ほど撮ってしまいました。オコジョに会えなかったのは残念。
2004年
10月10日
 台風の影響で3連休初日は山登りは諦めた。2日目、3日目は天気予報を見ると、自宅周辺は良いものの、高山帯があるところはどこも悪そうだった。台風一過の晴天にならないものか?黄葉のブナ林を超え、オオシラビソ帯を超え、ハイ松を歩きたい。山の匂いが脳裏をよぎる。森林限界を超えたいとの想いが断ち切れない...。例え、雨が降っても、霧の中でも...、と書いていたら、突然、ドドドドドドド......強烈な雨が降り始めた。「やっぱりやめとこ。」私の高山への想いは簡単に断ち切れてしまった。プッツン。
2004年
10月3日
 待ちに待った水泳大会。吉岡道場で負けてリベンジに燃える武蔵の気分。このままでは終わらせられぬ。ちょうど目標としていた人が隣のレーン。スタート台に立った。「用意。パーン。」飛び込みは成功し、水中に気持ちよく突入した。ドルフィンキックを思いっきり早くしながら少しずつ浮上する。目論見どおりだ。水面は近い。「今だ。」腕をかいた。かき終えた腕が水面上を気持ちよくリカバリーする筈だった。が、現実はそんなに甘くはなかった。深度をあやまり、腕は水中を前に戻ろうとした。急減速。今までに一回もやったことのない大失敗。隣の人がどんどん前に進んでゆくのに、自分は水中に静止したかのように思えた。まさかの大失敗。終わったと思った。けれどもこのままでは終わらせられぬ。気を取り直してここから必死に追い上げた。コーチに言われていたとおり、力を抜き、早いピッチでかいた。リターンでは力を抜いて伸びをするように心がけた。すると横の人に近づいて行くではないか。いままではいつも離されて行くだけで追いついて行くことなど一回もなかったのに追いついて行く。もう少し、もう少しで並ぶ。そこでゴール。結局、その人には0.2秒及ばず。自分の目標としていたタイムには100分の2秒届かず。また負けた。けれども次回こそは行けそうな気がした。希望の光は見えた。記録:25mバタ17”02、25m平18”47、100m平1’29”69、50mバタ42”24。
今日からは気合を入れて、毎晩腕立て伏せ100回!
2004年
10月1日
 明け方からひどい腹痛と下痢。昼になっても、夜になっても、まだ痛み取れず、今日は終日休暇で寝ておりました。空は青くて気持ち良さそうのに!
2004年
9月30日
 今週末の水泳の試合に備えて、今日は最終の飛込み練習。25m平泳ぎ17.85秒、クロール16.18秒。我ながら、遅〜い。
2004年
9月29日
 台風21号の豪雨の中、先程帰宅しました。雨は強かったけれど、風はそれほど強くなかったので、ズブ濡れは避けられると思えば、心無い車に水をぶっ掛けられてやっぱり全身ズブ濡れでした。腹が立つ!歩行者を避けて遠くを徐行してくれる人、全然無視して平気で近くをぶっ飛ばして行く人。人様々です。
2004年
9月27日
 昨日も我が娘達と遊ぼうと声をかけると、「友達が家に遊びに来るからお父さんとはまた今度ね。」と、見事に振られてしまいました。子供達は自分達の社会を形成しつつあります。それで私は例によって水泳訓練。平泳ぎにバタフライ。最近バタフライのスピードが増したものの、距離がでなくなってしまいました。50mが遠く遠く感じます。50mを完泳するのは至難の業。来週は試合。このままでは3連敗は確実なようで。春のうらら状態は続きそうです。(他人と比べれば例えビリでも、自己ベストを出し続けるのが目標なので、別に悲観している訳でもありませんが。)
2004年
9月25日
 今日は娘達の小学校の運動会。天気もよく、痛いほどの日光を浴びながら我が子の応援をしていました。途中、日光にさらされた首筋に痛みを感じて、持っていた日焼け止めを首の後ろ側に塗って、日焼けは防いだのですが、前側に塗るのを忘れていました。それで、首の前に赤いネックレスが...。痛いよ〜。
2004年
9月23日
 今日は下の娘とのデートの約束の日。「雨が降りそうだから屋根のあるところに連れて行ってね。」そう言われるといつもアウトドアのことしか頭にない私は思案に暮れてしまうのです。一体どこに連れて行けば良いものか?
そう考えていると3日前の荒島岳登山の時に近くに恐竜博物館があったことを思い出しました。「恐竜を見に行こう。」下の娘は歓喜の声を上げて同意しましたが、上の娘はお母さんと買い物に行くと主張しました。父親とも母親とも等距離で仲良くしたいのか?近頃は一方が私と行くと言えば、他方は母親と行くと言うことが多くなりました。
本人がそう言うのだからしようが無く、下の娘と二人で福井県立恐竜博物館へ。大きな銀色のドームの中には予想以上に大型恐竜の骨格のレプリカが所狭しと林立し、模型も本物のように瞬きまでし、まるでジュラシックパークにいるようで、本当に面白かったです。昼飯は付属のレストランでジュラシックパークのテーマを聴きながら「プテラノ丼」なるもの(¥800)を食し、恐竜グッズを土産に帰ってきました。
2004年
9月20日
 山支度が終わったのが深夜0時20分。これだけ遅くなるとひと寝入りしてから行った方が居眠り運転の心配もないし...という訳で朝4時に目覚ましを合わせて寝ました。ふと目を覚まして時計を見ると何故かもう朝6時。多分4時の目覚ましで起きたものの、音を止めた後また熟睡してしまったに違いありません。行くべきか?諦めるべきか?と思案しましたが、一度行きたくなったイモーションはもう止まりません。F5に300mmを付けて出発です。目的地は深田久弥の日本百名山の一つ、荒島岳。標高350mの登山口に着いたのが9時40分。そこから急坂を歩いて登り、標高1523.5mの山頂を目指しました。今日は気温が高く、汗は湯水のように垂れ流し状態。山頂に着くまでに時々Tシャツを脱いで絞るのだけれど、その度にジャブジャブ汗が搾り出されました。出るものは入れなければ。2リットルのアク○○○○を持って登ったのに山頂に着いた時にはそれは殆ど空になっていました(教訓:気温の高いときは半日の登りでも水3リットルは要る)。登っている途中でホシガラスがブナに止まっていました。まだ黄葉には早く、葉は緑だったけれど、3日前に見た夢は正夢のようでした。(台風の塩害を心配していたけれどそれは全く無いようで、今年の紅葉は期待できる(?)。ホシガラスはバックが良くなかったので写真は撮らず)下山後、九頭竜温泉で汗を流し、肌はスベスベになり、隣のレストランで荒島岳を見ながら舞茸の天婦羅と焼肉を食べ...本日は極楽、極楽。日帰りでもこれだけのことができるのならば、土日あればもっと本格的な週末高地人になれるはず。来週はどこへ行こう?
2004年
9月19日
 連休中日、昨日も今日も天気予報とは違って天気が良い。行きたかった登山は天気予報を信じてキャンセルしてしまったので本日も水泳訓練。コーチに泳ぎ方をかなり矯正されると...水から受ける力が違います。平泳ぎで腕を前に出す時に水面の上に腕が出ています。スピードが今までと全然違います。これは速い。革命的に進化しました。(だから水泳は止められません)「ウォー」つい北島選手のように雄叫びが出てしまいました。次のマスターズ水泳大会は燃えます...と思ったのですが、この泳ぎ方は予想以上に体力の消耗も大きく、上腕と胸がひどい筋肉痛になりました。この泳ぎ方で100m持つのだろうか?
 天気予報は完全に外れ、もう前線は通過してしまい、明日(20日)は全国的に晴れだとか。早速娘達に電話すると、「明日はお母さんと遊びに行くから、お父さんとはまた今度のお休みにね。」とデートは断られてしまいました。
 たったの一日でも登山に行こう。今から急いで山支度です。
2004年
9月17日
 最近がんばっていること=寝る前に腕立て伏せ100回(連続100回はできないので、50回×2セット)やって牛乳のんで寝んねする。これを何ヶ月も続けたので、筋肉量アップしたに違いない...で、本日は筋肉量・体脂肪の測定日。結果=筋肉量は半年前よりも減っていました。なんでやねん?ガックリ。
 この筋トレの目的は勿論、山の中で500mmを軽々と振り回せるようにすること。さて、この3連休、どの山に登ろうか?白馬?火打?白山?ダケカンバの黄やナナカマドの赤をバックにしたホシガラスが脳裏に浮かぶ。いざ、どこへ行かん...と思えば、明日からは天気が悪いそうじゃありませんか?ガックリ。
2004年
9月16日
 最近やたらと多くなった迷惑メールの例「最近会っていないね。また会いたいね。○○美」 そう、○○美さんとは最近会っていない。最近どころか生まれてこのかた、あなたとはまだ一度も会ったことがない。
こんなメールが妻帯者のところに来て、奥さんに見られたりしたら誤解を生むかも。全く知らない人からのメールだったから直ぐに迷惑メールリストに追加しただけだけれども、もし、知っている人の名前だったら勘違いして口説きに行ったかも。一体彼女(?)たちの目的は何なんでしょう。私には検討が付きません。兎に角、返答したら何だか鴨られるような気がしてならないのですが...。
2004年
9月12日
今日は1週間の寝不足が溜まったのか?疲れが溜まったのか?眠く、腕は筋肉痛。それでも2100m泳いで、腕はもっとだるくなりました。あと3週間後に水泳の試合です。それまでに体調を取り戻さないと...。プールからの帰り道、黄金色の田圃の中にダイサギ他のシラサギの群れがいてきれいでした。
 部屋を掃除していると買っただけで読んでいない写真雑誌が。特集は星野道夫。その中での星野さんの助言。「人生と言うのは自分が思っている以上に短いもの。だから、いま思っていることを精一杯やってみるのがいい。」「本当に好きなことだったら絶対に大丈夫だよ。」
2004年
9月11日
 今日は我が娘達のソロコンサート。仕事は午前中に切上げ、音楽ホールへ。娘達は人の前でも堂々と演奏しました。他の子供達も上がっている子なんていませんでした。人によっては本当に楽しそうに、生き生きと演奏していました。あれが僕だったら上がってコチコチになっていたに違いありません。大したものです。音楽会が終わると、前回同様、娘二人と、僕の面会タイムです。さて、今日はどこに行こう?「街中はお母さんでも行けるから、お父さんと行くんなら山か海。」という訳で、淡路島西岸へ。例によって、ビーチコーミングであります。名前は分からないけれど、アサリに相似した形の貝がやたらと多かったです。その帰りに北淡町の阪神大震災の時の野島断層を保存している記念館に立ち寄りました。1.2mも移動してしまった断層。灘区で倒れた国道43号線の高架を再現した大きな模型。黒煙を上げる街や瓦礫の中で必死の作業を行う救助隊の写真。あの時、僕は生後3ヶ月の娘を連れて、ただ逃げることしか考えず、他人は一人も助けませんでした。自己嫌悪を感じながら生き証人として当時のことを子供達に解説しました。
2004年
9月7日
 台風がやってきたために、午後から会社が休みに、この会社で働き始めてから初めての経験です。うちの会社もちょっとは社員のことを考えているんだ。強風の中を帰っているとスズメが一羽。あまりの強風に飛べなくなって地面でうずくまっていました。風上へ向ってヨタヨタと歩くスズメ。生き延びろよ。
2004年
9月6日
 昨日は8才の我が娘から電話があり、海遊館でデートしてきました。開館前から行列に並び、長い時間をかけて、一種類ずつ丁寧に観察していると夕方になりました。子供の家へ送り、独りにする訳にはいかないので、元妻が帰ってくるまで待っているとグラグラきました。長〜い地震。こんな大きな地震は下の娘には初めてで、すごく怖がって私にしがみついていました。
独りにしなくて良かった。しかし、母子家庭にしてしまうと、こんな時に不安なんだろうな、やはり子供達には悪いことをしているなとつくづく思いますね。
2004年
9月4日
 車のドアを開けると、運転席の足元に巨大な蛾がカラカラに干からびて死んでいました。何でこんなところに???と思えば、先週、窓を開けっぴろげにして寝ていた時に迷い込んでいたに違いありません。可哀想に、無駄死にです。取り敢えず窓から外に放り出し、買い物に。帰ってきて見ると、もうそこに蛾の死体はありませんでした。周りを見ると、2m程離れたところに羽が、小さな蟻の隊列の上をゆっくりと動いていました。そして、その先をさらに見ると、...ばらばらになった蛾の胴体その他が...。恐るべし、蟻の能力。自然は何も無駄にしていません。
2004年
8月31日
 昨日は台風のおかげでいつもよりも少し早く帰られたせいか今日はすっきり清清しい気分です。結局テレビのアンテナはやられてしまい、今日からは堂々と某国営放送に受信料を払う必要がなくなりました。
2004年
8月30日
 一昨日の車中泊でヘロヘロになったにもかかわらず、昨日泳いでしまったのがたたったのか?水泳直後から頭痛が始まり、昨夜は最悪。今朝もひどかったので休暇のお願いを会社へ電話。本日は大事な来客があったため、休暇は却下。頭痛を我慢しながら仕事を何とか9時に切り上げて帰ろうとすると、外から今まで聞いたことが無いほどの強烈な風の音。風に吹き飛ばされないかとハラハラしながらずぶ濡れになって帰宅しました。家に着いた後も怒涛の風雨。アンテナがやられたのか?テレビも11頃から見えなくなりました。こんな嵐は久しぶりと言うよりは生まれて初めてなのではないかと思います。あと情報源としては電話回線のインターネットとラジオのみ。ラジオはどこだっけ?まだ解いていない引越し荷物のどこかです。停電になる前に見つけないと...!と思っていたら字幕スーバーでお詫びの文字が...もしかしたら我家のアンテナはまだ壊れていないかも知れません。それにしても恐ろしい嵐です。雨戸閉めておけば良かった。今からではもう雨戸を閉めることは出来ません...なんて書いているとドンガラガッシャ〜ン。二階から雨戸と網戸が落ちてきました。我家の窓に当たらなくて良かった。
2004年
8月29日
 北の某国へ出張しておりました。某国は既に秋模様。ナナカマドは真っ赤に熟し、気温は最高でも20℃未満。寒いくらいでした。ここではK夫妻にたいへんお世話になりました。本当に有難うございました。
 帰る時までは全く問題なかったのですが、今までで最悪のドジを踏みました。いつもだったら必ず所持する自宅の鍵がないのです。「預ける荷物に間違えて入れてしまったに違いない。空港で引き取ったら確認しよう。」と思っていたのですが、空港でいつまで待っても私の荷物は出てきませんでした。係員に問い合わせると、その荷物は乗り継ぎに間に合わず、翌日の便で来るとのこと。機中泊でいい加減疲れていたのですが、私は着のみ着たままで車の中で寝ることになりました。環境対策上、エンジンをかけ続ける訳にはいかないので、窓を開けましたが、暑苦しく、明け方、汗びっしょりになってコンビニへスポーツドリンクを買いに走ったのです。
そして、荷物が空港より届き、中に鍵があることを確認した時のうれしかったこと。しかしながら、これで悲劇は終わりませんでした。送り返された荷物と、その時着ていた汗臭い着物を直ぐに洗濯したのですが、
洗い終わって何かがズボンのポケットに入っていることに気が付きました。
出て来たのはボロボロになったパスポート。次回出張までにパスポートを再発給してもらわなければなりません。トホホ。ところで、帰りの飛行機から浅間山の噴煙を見ました。かなり大きな噴煙だったけれど、ニュースでは全く報道されていない(?)みたいなのが不思議です。
2004年
8月15日
 久々に楽しかった盆休みも今日でおしまい。明日朝までにやらねばならない宿題が山ほど。子供の頃の夏休み最後の日を思い出しつつ、あぁどうしよう!
2004年
8月13日
 連休7日目、元自宅へ帰り、子供の宿題を見て、昼飯を作り、子供達といっしょにそれを食べ(最近は子供達といっしょに食べるだけで幸せな気持ちがします。こんな平凡な日常生活に幸せはあったんだと今さら青い鳥に気づきました)、いっしょに昼寝をし、プールで水泳の特訓をして、公園でフリスビーを投げ、1日が終わりました。妻がいない時に来て、妻が帰ってくる前に去るのが、子供に会う条件だったけれど、帰りにバッタリ妻に遭ってしまいました。睨み付けてきた顔の怖かったこと。何で私はこんなに憎まれなければならないのか?半年以上経った今でもまだ分かりません。
2004年
8月12日
 連休6日目、昨日の嘘(プールへ行くと言って川へ行ったことと、5時には帰ると言って、実際に帰ったのは6時30分だったこと)が、妻の激怒を買い、本日は娘達へは面会拒絶されてしまいました。明日は会えることにはなったのですが...。それでふて寝している間に1日が過ぎてしまいました。あ〜ぁもったいない。
2004年
8月11日
 連休5日目、昨日の娘達との約束どおり、嫁要らずで遊びました。早起きして鮭を焼き、おにぎりを作り、玉子焼きを作り(引越し後に買ったフッ素加工していない玉子焼き器は卵が張り付いてうまく巻けず、結局何回も失敗した挙句、失敗作は晩飯に回し、ゆで卵にしたのでした)、肉を焼き、ピーマンを焼き、ブロッコリを茹でて...弁当を作るのに2時間以上もかかってしまいました。この苦労作の弁当を持って元自宅へ急ぎ、娘達をピックアップしました。子供達には「プールに連れてゆく。」と言っておきながら、川へ連れて行きました。プールよりも自然の川の方が喜ぶと思って連れて行ったのですが、子供達の反応は以外にも「川原や車の中で着替えるのは嫌だからね。」「川の水はお口に入れたらだめだっておばあちゃんが言ってたよ。」「川よりプールの方が良いよ。」「お父さん、川じゃなくてプールに連れて行ってくれるって言ってたじゃない。川なんてやだよ。」...。兎に角、様子を見て、嫌だったら直ぐにプールに向うという約束をさせられてやっと川辺に降りました。水は透明で、岩には苔が生し、沢山の鮎やヨシノボリがそれを食んでいました。これを見た上の娘が「泳ぐ!」下の娘もそれにつられて「泳ぐ!」。それからは時間を忘れて夕方まで遊んでおりました。
2004年
8月10日
 連休4日目、今日も昨日に引き続き、娘達と水入らず、嫁要らずで遊ぼうとしたのですが、「宿題が沢山溜まっちゃったの。昨日も今日も遊んじゃったらきっとお母さん怒るよ。」「じゃあお父さん宿題見に行ってやるよ。」「お父さんに見てもらわなくたってちゃんとできるよ。簡単だもの。」と、本日は断られてしまいました。「その代わり明日は水泳教えてね。」という訳で明日こそは我が娘達とデートです。
 明日の弁当の食材を買い込んできました。今日は早めに寝なければ。それではおやすみなさい。
2004年
8月9日
 我が娘達との約束どおり、今日は鱒釣りへ。子供用に養殖鱒を管理釣り場に放流して、それを釣らせるだけなので、入れ食い状態。子供が釣り、私は飲み込まれた針を外し、木に引っ掛かった糸を外し、餌をつけてやることに徹しました。
昼飯は釣った魚を塩焼きにして、それに美味そうにかじりつく我が子を見ているだけで幸福な気分になりました。子供を写そうと買ったVR70-200mmレンズ、ついに初めて本来の目的に使いました。最後に子供から一言。「今日は楽しかったけれど、本当は、お父さんと、お母さんと、Aちゃんと、Bと、4人で来たかったなぁ。」この言葉を聴くと涙が出ます。子供には本当に悪いことをしているなぁ。
2004年
8月8日
 盆休みは全部潰して出稼ぎに行くと思いきや、出張は延期になって、昨日から久々の連休です。となると行きたい所は山ほどあってどこに行くべきか?今年はいやな事が山ほど在って心身ともにくたびれました...となると癒し系...癒しはイルカ。と言う訳で、ドルフィンウォッチング、ホエールウォッチングに決定。さてどこに...と思ったんだけれど、GoichiさんのHPに池の浦と出ていたのを思い出して行ってきました、池の浦。昨夜出て、車中泊し、出航待ちの間、頭上に鳥が...トビかと思えば翼が全然長い、尾はスワローテール。お〜ぉ、オオグンカンドリではありませんか。流石に南国、土佐。生まれて初めて逢いました。それも3羽。ゆったりとトビのように回りながら帆翔しておりました。ホエールウォッチングの方は8時出航、約4時間の航海でありました。天気晴朗、波殆どなし。乗客は英語を話す外国の人2人、私と若い美人の女性4人。鯨には会えなかったけれど、ゆったりしたハナゴンドウに会い、元気なマイルカの群れに囲まれ、もっと元気な若い女の子に囲まれて...、ハイ、私は心が癒されました。この後、本当はまだ四国に居たかったけれど、兵庫へ直帰。明日は我が娘達と妻抜きで釣りとバーベキューに行くことになったのです。写真は銀塩なのでまた後日。
2004年
8月1日
 夕方、アポなしで自分の娘達に会いに元自宅へ。留守だったので、家の前で待っていると、久しぶりの巨大イノシシが(この場合は他人の振りして知らんぷりを決め込む)。でもこのイノシシ、いつもと何か違う...とよく見ると全身泥を塗りたくっていた。近頃暑いからきっとどこかのヌタ場でゴロゴロとしてたんでしょうね。娘達は母子で昨日まで遠出していたから今日は在宅か早めに帰宅するかと踏んでいたのだが、2時間以上待っても帰って来ず、結局会えないまま独り寂しく現アジトに帰りました。
2004年
7月19日
 娘達を海に連れて行って良いと言う妻の許しを得て、約束どおり、磯遊びとビーチコーミングをしてきました。(勿論、仲の悪い妻は来る訳もなく、初めての父娘旅行でした。)「海水浴場は日中混むから朝早く行こう。」と言っておくと、、娘は4:30から起きて5:30から海に連れて行かされました。その甲斐あって、ナデシコガイ、ミノガイ、イタヤガイ、ベニガイ、その他きれいな貝殻を沢山拾い、娘達は大喜び。昼の干潮を待って行った磯でもオヤビッチャ、カゴカキダイ、チョウチョウウオの稚魚が沢山いて、ここでも上の娘は大喜び(下の娘はまだ顔を水の中に浸けられずちょっとがっかり)。約束のアメフラシを見せようと思ったのだがこれがなかなか見つからない。いったいどこに???...と思いながら歩いていると突然水の中が紫に...。アメフラシを踏んづけたのは間違いない。なのに奴は見つからない。「何故だぁ?」と思って歩いているとまたもや海が紫に...。二度も踏んでしまった。それでも何故か見つからない。「何故だぁ?何故なんだぁ?」とその辺りを行ったりきたりしているとやはり海の中が紫に...そしてやっとお目当てのアメフラシが見つかりました。3度も踏まれて瀕死のアメフラシは縮こまってまん丸になっていました。これを手で掴んで娘達に差し出すと...「気色悪い〜。」と予想した答えが返ってきたものの、私はその後の紫の汁が出て、パニックになることを期待していたのです。ところが、いつまで待っても紫汁は出て来ませんでした。流石に3度も踏まれて、瀕死の出涸らしのアメフラシ君、ただ只丸くなっておりました。
2004年
7月13日
 今日も過酷な16時間労働を終え、午前様で家路についた。暗い夜道を誰も待っていない家に帰る時が最も辛い。何でこんな生活をしなければならないのか?私は何のために生きているのか?どんどん落ち込みながら、鬱病になりそうになりながら、トボトボと歩いた。そんな時、ホホー、ホホーとアオバズクの声が...、グァッグァッとゴイサギの声が..。頭上を見上げるとちょうどデネブの下をゴイサギが飛んで行くところだった。鳥や星を見ると何故か心が癒される。
2004年
7月11日
 昨日も本日も天候が不安定で晴れ時々豪雨、学童保育の田圃仕事も豪雨でキャンセル...と言う訳で昨日も今日もプールで4000Mずつ泳ぎ、少々筋肉痛。子供達から磯に連れて行けと言われていたのだけれど、来週はもう海の日三連休になることに気づいて、誘いに元自宅へ。子供達は喜んだけれど、妻は無言、無返答。長女に行っても良いかお母さんに聞いておくように頼んでおきました。来週、私は子供達と海に行けるのでしょうか?
2004年
7月6日
 僕カノのDVDが売られていた。最終回を見てとても勇気付けられたので初回から見てみたかった。それで、5枚組だからものすごく高かったけれど買ってしまった。これからどう自分の娘達と付き合えば良いのか?見てみるといろいろ参考になることがあった。自分の子供との付き合い方だけではなく、他にも感じることが沢山あった。「子供達の心の奥にあるキラキラしたものに触れたような気がするんだよね。」僕が学童保育の子供達にはまってしまった理由と同じだった。
2004年
6月28日
 先週末は娘のエレクトーンコンクール。押し付けた訳でもないのに私の好きな曲、葉加瀬太郎の「エトピリカ」を演奏してくれました。なんてすばらしいのでしょう。片手で「カッコウ」を弾いていたのはついこの前だと思っていたのに、今は両手と足でプロの音楽家のように軽やかに弾いていました。コンサート後は娘2人と3人でデートです。須磨の砂浜を歩いてみると、波打ち際は貝殻でいっぱいでした。アサリにナデシコ貝、ツメタ貝、タイラギ、カシパン、...水も少し青く澄んでいました。20年程昔、海掃除に潜った時は、水はこげ茶色に濁り、水中のゴミが見えないどころか、新人のダイバーは底が判らずに海底に頭突きしていました。そんな昔とは大違い。いつの間にかこんなにきれいになっていたなんて!
2004年
6月21日
 先週末は親のお供をして東北へ。一日に1000kmも走って戻ってきました。
山形県でオナガに逢うとは思ってもいなかったのでびっくり。ウグイス、センダイムシクイ、エゾムシクイ、マミジロ、トラツグミ、ヨタカ、コルリ、ヒバリ、ビンズイ、アカゲラ、モズ、カヤクグリ、等々。バードウォッチングするつもりでない時に限っていろいろと出会います。おまけに新緑のバックできれいなこと。勿論写真など全く撮らず。
2004年
6月12日
 本日は子供達と田植え前の田圃へ。水を張った田圃での泥んこ遊びです。自分からスライディングする子、泥の玉を投げてくる子、泥んこレース、皆着てる服も手足も泥一色。ワイルドで超元気な子供達と接していると、こちらまで元気が沸いてきます。しかし、白いTシャツで行ってしまったのが敗因です。帰ってから直ぐに洗濯したけれど、泥の汚れは全然取れませ〜ん。今日もサンコウチョウが鳴いていたけれど、姿は見えず。
2004年
5月30日
 本日の宇宙船地球号、谷津干潟のゴミを拾い続けた「どろんこサブウ」の森田さん、すごい執念に見ていて涙が溢れるほど感動しました。約10年ほど前、まだ私が千葉に住んでいたころ、谷津干潟を見て、あまりきれいなところではないとがっかりしましたが、そこまでに回復するまでにあんなにすごい努力をされている人がいたなんて思っても見ませんでした。それに比べて...小さな2DKの棲家でさえゴミだらけの情けない私。
2004年
5月29日
 火曜日は快晴だったので、仕事を放り出してスターウォッチング。ニート彗星見ましたが、尾は殆ど見えませんでした。という訳で、子供達との星見会は中止しました。今日は子供達とのアウトドアクッキング。直ぐ横の溜池にブルーギルの魚影が見えたので、一人の男の子がどうしても釣りたいと...。彼は針金で釣り針を作り、荷造り紐を裂いて釣り糸を作り、竹さおにくくりつけ、釣り道具を作ったのです。餌に蛇イチゴをつけ、水面に入れた瞬間、入れ食いでした。この子が天才なのか、ブルーギルが相当アホなのか?兎に角大漁でありました。
ここではサンコウチョウがかなり近くで囀っていましたが姿が見えず。今度は望遠レンズを持っていってみます。
2004年
5月22日
 昼間は子供達と竹林へ。鍬一振りで竹の子をきれいに採る子もいて、完全に脱帽です。実は私、今回が生まれて初めて竹の子採りだったのです。夜は彗星観察の予定だったのだけれど、曇りのため延期です。来週こそは晴れますように!
2004年
5月16日
 来週辺りは2大彗星の見頃でしょうか?ということで、子供達をスターウォッチングに誘っているので、今日はその下見です。雨が降り続いたけれど、久しぶりに山の中へ。雨の中で会った子ウサギは可愛かったです。 
2004年
5月9日
 別居後初めて、突然上の娘が我が新居にやってきました。駅から家までの案内をして、そして建物を見て初めての感想=「仮設住宅みたい。」別れた後、どの程度の出費があるか分からないので出来る限り家賃の安いところを選んだのですから。奇襲だったので、部屋は散らかり放題だったのですが、娘は、この部屋に入るや、テーブルの上にあった海苔やサランラップ等を食器棚に片付け、牛乳パックに鋏を入れて再利用できるようにし、ゴミ箱に入れていたバナナの皮を見て、「こんなところに生ゴミ入れておいたらゴキブリ来るよ。」...と、分かれた妻を思い出すような態度を取っておりました。帰りに、子供ではまたげない大きさの水溜りがあったので、おんぶして渡ると、「このまましばらくおんぶしておいて!」と、背中に張り付いたまま離れませんでした。この文を書きながら、涙が出ます。やはり、離婚の最大の被害者は子供です。
2004年
5月8日
 早朝起きて雨乞鳥を探しに行きたかったけれど、昨晩仕事をし過ぎて、寝たのが4時半。したがって起きたのは既に昼近く。したがって鳥見にも仕事にも行かず。プールへ行ってしまいました。5月5日に無理をしたおかげで、肩がおかしくなってしまいました。腕を水平以上に上げようとすると肩に痛みが...。「そんな急に泳ぎ過ぎですよ。少しずつ伸ばして行かないと...。」それで本日は腕を動かすのはお休みにして、ビート板で足ばかり動かして2425m。もはや泳がないと気がすみません。水泳中毒であります。
2004年
5月5日
 本日は皆既月食があるというので、朝早く起きてみると予想通り、どんより曇っておりました。フテ寝したので、鳥見に行くタイミングを見逃しました。(今週末こそは鳥見に行きましょう。)それで水泳に行ったのですが、自分は何メートル泳げるのか?試しました。速い人に後ろから追い上げられ、遅い人にブロックされ、時々レーンを変えながら泳ぎ続けました。計6150m、スタートとターンを合わせて245回。全身クタクタになりましたが、特に両肩と太腿前側が痛く、ハイエルボー(肘を出来るだけ高く上げる)とキック(ボールを蹴る時のように脛を蹴り下ろす)に力を入れていたことが良く解りました。この疲れ、明日まで尾を引きそうで、明日の会社で仕事になるか?明日の出社が怖いです。
2004年
5月3日
 「この前の大会、良かったですね。42秒、すばらしいじゃないですか。」プールで泳いでいると、水泳仲間のSさんが声をかけてくれました。(なんでこの人、僕のタイムを知っているのだろう?)「でもビリだったから...。」「順位なんて関係ありませんよ。自己最高記録だったでしょ。自分の記録が伸びるってすばらしいことじゃありませんか。」(そうだ、他人なんて関係ない。自分が向上すればそれで良いんだ。ところで、なんでこの人、僕の記録を知っているのだろう?)兎に角励まされて、やる気がでました。本日は自己最長記録更新です。4150m泳ぎました。このところ私の通うプールでは長距離を泳ぐ人がやたらと増えています。サッチャン効果です。「サッチャンは1日に3万メートル泳ぐんだって!」100mを1分で泳いでも300分=5時間。これはデマだよね。
2004年
5月2日
 日本のGWを横目に、今回も北の国へ出稼ぎに行っておりました。シベリア平原はまだ雪で真っ白、オランダ上空からみるチューリップ畑はきれいでした。
大山上空を通って本日帰国しました。大山にはもう雪はわずかにしか残っていませんでした。

関空にて早速i-modeにて天気予報を見ると、連休後半は悪天ではないですか。このGWは雪山登山して雷鳥に会う予定だったのに!例え3日しかなくても行こうと決心していたのに!雪山での雨は危ないので登山は諦めました。連休後半は家の掃除で終わりそうです。それとも雨乞い鳥でも探しに行きましょうか?
2004年
4月25日
 本日はマスターズ水泳大会。昨年のビリ+ブービーメーカーの雪辱戦だったのだけれど、結局ビリ×2連発。100m平1'31"76、50mバタ42"40。特にバタは昨年同様途中で失速し、腕が最後までかききれなくなりました。去年の失敗からこんなことがないように特に後半で腕を振り切る練習を積んで自信はあったのですが...。試合に弱い私であります。あ〜ぁ。
2004年
4月21日
 足の断面の画像を沢山並べ、私の脚のコブと見比べながら、お医者さんは言いました。「ウ〜ン。何も写っていない。何も写っていないから大丈夫でしょう。これは癌ではありません。何らかの理由でスジが分厚くなったものですね。」筋力トレーニングをやり過ぎた結果でしょうか?兎に角、無罪判決でよかった。
2004年
4月19日
 足に変なシコリが出来ていたので、休暇を取って某大病院へ。MRIという白い巨大なドーナツの中で大騒音を聞きながら30分寝てました。ただ寝るだけなら良いのだけれど、全く動かないようにと言われると緊張し、疲れました。
判決が出るのは明後日。運が悪けりゃ「僕と彼女と彼女の生きる道」から「僕の生きる道」の主人公に変身です。死刑を求刑された被告の気分。どうか無罪判決が出ますように!
2004年
4月17日
 先週、「金魚が病気だから助けて!」との娘からの緊急呼び出しで金魚の薬浴をしてきた。「良くなってきたけれどまだ完全には治っていないからまた診に来て。」とのことだったので、今日また薬を換えに昔の家へ。小学2年生の下の娘が抱きついてきて、長いこと離れようとしませんでした。やはり娘達には悪いことしちゃっているなぁ。
今度の休みには娘達と山登りに行く約束をして、独り寂しく暗い新居に帰りました。
2004年
4月3日
 今日こそはアウトドアに出て、久々にまともなことをアップしようと思ったのだけれど、本日は雨。マスターズの試合も出張のため棄権となってしまいましたが、他にすることが無かったので、やはり朝から晩まで泳ぎ続けました。さすがに疲れた。先週とは違って、筋肉痛というよりも、ただ「疲労」という言葉そのもの。グッタリ感に頭痛までしてきて...やり過ぎはいけません。
2004年
3月28日
 青く澄みきった青空、風は殆ど無く、時々頬を撫でるそよ風。アウトドアに行きたかったけれど、もう直ぐあるマスターズの水泳大会に向けて、本日は朝から夕方まで泳いでおりました。全身の筋肉に心地の良い疲れを感じます。栄養いっぱい摂って、良く寝て体を改造します。(「筋肉痛になった状態で、体を修復するアミノ酸等の栄養を良く摂って寝ると、寝ている間に壊れた筋肉を修復するついでにさらに筋肉が増強される」との説を私は信じているのです。)それではおやすみなさい。
2004年
3月27日
久しぶりに娘達と豪華ランチを食べに有名ホテルへ。二人とも明るくて、僕の腕にぶる下がりながら跳ぼうとしたりして、先週のドラマの凛ちゃんそっくり。これからもこんな風に時々会って...親子の絆が保てますように!
2004年
3月23日
 今夜の「僕と彼女と彼女の生きる道」最終話、とても参考になりました。放送関係者の皆様、この番組を放映してくれて本当に有難う。生きる勇気が沸きました。離れていたって、親権が無くたって、僕は父親だ。娘達と文通して、僕がいつも彼女達を愛していることを伝えて、たまには夕食に招待してご馳走を振舞って、話をして...。これが僕の生きる道。それにしてもやっぱり、ゆらさんに相当する人がいないと寂しい。これがTVドラマと現実の大きなちがいか。
2004年
3月16日
同僚から「ガマヨさんのとこと同じような離婚を話題にしたドラマやってますよ。参考までに見てみたら?」と勧められて見た関西テレビ「僕と彼女と彼女の生きる道」、見てみると私の経験してきたことがほぼそのままトレースされているではありませんか。私の場合は裁判には至っていないものの、子供は何故か聞き分けが良く、明るい性格で...、子供を取られて落ち込む姿、私と全く同じではないですか。ただ決定的に違ったのは、こんなに落ち込んでいるときに肩を抱いてくれるような女性は私にはいないことだけだったと思います。このドラマ見てさらに落ち込みました。また涙が出ます。来週が最終回。せめてドラマの中だけでもハッピーエンドにしてくれぃ。でないとさらに、さらに私は落ち込みそうです。(;;)
2004年
3月14日
 バレンタインデーに娘からチョコをもらっていたので、今日はお返しにマシュマロもって久々に娘達と再会。子供達の笑顔を見ると元気が出ます。どうかこの明るい性格がいつまでも続きますように! 昨日は春スキーに行ってきたけれど、スキー場は喧騒が激しすぎるのか、鳥等には全く会えずでした。ただ、そこから見えた白山その他の山々、きれいでした。
2004年
3月7日
金曜日は夕方から日本海へ。久しぶりに車中泊で海岸線を北上しました。免許を取って今までで最も強烈な横風をくらいました。トンネルを出る時は全力でハンドルを握りました。車を止めて寝ている時には車がひっくり返りそうに揺れました。走っている時にこんな強烈な奴をくらったらひとたまりもなかったに違いありません。後で街灯が倒されて車に当たったニュースを見ました。事故しなくて良かった。旅行先では動物や鳥には全く出逢いませんでした。本格的なブリザード。寒かった。
2004年
2月28日
 スキー場では普通動物に会うことはめったにないのだけれど、今日ゴンドラに乗っていると下に見たことの無い足跡が...。狐より大きいが人より小さい。なんだろうと回りを見回すと...、カモシカのような?木の根っこのような...?ゴンドラはあっという間に通り過ぎてしまって未確認。
急いで滑り降り、また同じゴンドラで登ってみると...やはりカモシカでした。こっちを見ています。同乗している子供に教えてやると大喜びでした。私はその後、このゴンドラに乗るたびに同乗する人々に教えてやるカモシカ紹介おじさんになったのでした。
2004年
2月26日
 久しぶりに前の家に帰りました。最後に残していた荷物を運ぶためです。
「ただいま!」と声をかけながら家に入ると、娘達が「お帰り!」「お帰りじゃないよ。こんにちは!」「こんにちはじゃないよ。こんばんは!」重い荷物を車に詰め込み、最後に挨拶。「お休み。」「お休みじゃないよ。さようなら。」「さようなら、またいつか逢う日まで!さようなら。お父さん、さようなら。」娘達は結構明るい口調で最後の挨拶をしてくれましたが、この声を聞いた瞬間、私の目には涙が浮かびました。そして誰もいない寒い家に戻り、この文を書いている今、涙が頬を伝います。今夜は眠れそうもありません。(T_T)
2004年
2月25日
 やっと膝の痛みが無くなりました。今日は怪我後初めて足を動かして泳いで見ました。普通に歩けて、普通に泳げることってどんなにすばらしいことなんでしょうか?
 今週末は親戚の子供達を連れてスキーの予定です。
年が明けてからの週末は自分のことで精一杯で会社で働いている場合ではなかったので、1回も休日出勤していません。上長からはいい加減に週末も働けと...。休日出勤手当てなど全く無いのに。この圧力を無視して絶対にスキー行くんだから。子供達を裏切ることはできません。この子供達が自分の娘達だったらどんなにかいいのにと思いながら...。
2004年
2月18日
 週末にカレー、ハンバーグ、魚等々ある程度料理して冷凍保存。平日の夕飯の準備時間短縮にも結構慣れてきました。今週は、月、火、水と3日連続してカレーの予定でした。保温なべを使って、毎晩、毎朝煮込めば味もグーンと良くなります。だから3日連続しても全く嫌になりません。一人暮らしで深夜残業の私には持って来いです。と言う訳で、今晩の飯は帰宅後直ぐにあり付ける予定でした。それで帰宅し、玄関のドアを開けると、プーンとカレーの匂いがしました。おお、いい匂いだ。早速食べようと台所を見ると、保温ジャーの中に入っているはずの内なべがガスコンロの上にかかったままではありませんか!「しまった。」と思ったときは既に遅く、黒焦げになったカレーの焼死体がなべの中を埋めていたのです。そう、私は朝、カレーを火にかけたまま、火がついたままで出社していたのです。なんと恐ろしいことをしてしまったのでしょう。ガスコンロに安全装置が付いていたので火事にならずに済んだのです。本当に危なかった。
2004年
2月16日
 鼻がムズムズ。今年も花粉症を発症しました。憂鬱な季節の到来です。
2004年
2月15日
 今日は家にいて、今まで運び込んだ荷物の整理。午後からはプールへ行って、足を動かさない水泳です。足が動かせないのならば、その間に腕のフォームの改良をしておきましょう。ピンチはチャンス、チャンスはピンチです。悪い時にも必ず良いことがあり、またその逆もあります。
 久々のマスターズの水泳仲間に会うと、皆さん心配して声をかけてくださいました。なんて心の優しい人達なのでしょう。
2004年
2月14日
竹取物語
 久々の畑仕事だと思って現地に子供達を連れ、行ってみると...、「今日はみんなから希望の多かった『山登り』にしましょう。」とリーダーが子供達に話しました。(エエ゛〜そんな話聞いていなかったよぅ。)私は昨日まで松葉杖を突いていた身。松葉杖など持っていたらみんな大騒ぎになると思いこれは家に置いてきたのです。本来ならばここで留守番を申し出るのが唯一取るべき手段でしょう。しかし、ここまで来て留守番なんて...、私はちょうどいい長さの竹の棒をつい握り締めてしまいました。するとそれを見ていた女の子が真似て竹の棒を持ちました。それを見た別の子がやはり竹の棒を持ち、...あっと言う間に連鎖反応が起こり、子供達ほぼ全員が竹の棒を持ってしまいました。そして、竹の棒がなくなり、最後に持ちそびれた子が私のところにやって来て私の棒をもぎ取っていったのです。
 子供達との里山歩き、別に珍しいものがあった訳でも何でもなかったけれど、楽しい一日でした。無理がたたって私の膝はまた少し悪くなってしまいましたが...。
2004年
2月13日
 全然直らなかった膝、昨日から急激に良くなり始めました。今日は事故後初めて、痛みを感じずに、普通の人のように階段を両足を交互に動かして降りることができました。普通に歩けることってなんてすばらしいのでしょう!
こうなると気持ちも晴れ晴れ、昨日までの落ち込んでいた気持ちも吹っ飛び、明日は元近所の子供達と久々の畑仕事であります。
2004年
2月12日
昨日の話、例によって仕事が晩まで続いたが、この日はいつもよりは早く終わった。まだスポーツクラブが閉店するまでに時間があった。運動しなければ自殺してしまいそうに落ち込んでしまう。兎に角運動しなければ...。スポーツクラブに急いだ。そこに着くと...真っ暗だった。いつも満車になる駐車場には車は数台しかとまっていなかった。何故なんだ?臨時休業か?よく考えてみたら、その日、世間は休日だった。休日、そのクラブは午後6時に閉店してしまうのであった。さらに落ち込む私であった。
2004年
2月10日
最近の自分は暗い。多分今までの生涯の中で最も落ち込んでいると自覚している。暗い夜道を帰宅するとさらに落ち込む。このままでは鬱病になるのも時間の問題。思いっきり運動でもしてくたばらないと大変なことになりそうな...。で、膝は一向によくならないけれど水泳を再開。
足は使わず手だけで泳いだ。兎に角、泳ぎまくってヘトヘトになろう。アウトドアに出かけるのはまだまだ先になりそう。
2004年
2月8日
子供達にこれだけは残しておこうと思い、わざと元の家に残した星野さんや岩合さん、増田さん達の絵本的写真集。「こんなもんいらん。全部持ってけ!」と元妻から罵声を浴びた。腹が立つ。こんな女とは別れて良かった。とは言え、こんな女に大事な娘達を預けて本当に大丈夫なのだろうか?先行きが暗い。
2004年
2月7日
最近、朝起きてまず最初にすることは膝に消炎剤を塗り、シップを貼ってサポーターをすること。夜になると膝に水がパンパンに溜まっていてサポーターをすると、とんでもなく痛い。朝一番ならば膝に水が溜まっていないのでサポーターをしても痛くは無い。ところが、今朝起きてサポーターをしようとすると既に膝に水が溜まっていてサポーターはできなかった。どうせ休日なのだから1日中寝ているか...。脚を高くして寝ていると、夕方には腫れが引き、やっとサポーターをつけることができた。いつになったら健常者に戻れることか?
2004年
2月4日
生まれてこの方40幾年、初めて松葉杖なる道具を使っております。これは魔法の杖か?怪我後初めて激痛なしに家まで辿り着きました。松葉杖を使って驚いたこと(1)周りの人が親切に荷物を持ってくれたり、ドアを開けたり、銀行では近くの窓口に行員さんの方から移動してきてくれたりしました。感謝。(2)歩道が歩きにくいこと。@車の出入りのために歩道にスロープがあるところは無意識に歩くと杖で肩が押し上げられ、車道に倒れこみそうになります。これは危ない。A歩道の舗装が悪い。小さなひび割れもそこに杖が簡単にひっかかってしまいます。車道は頻繁に舗装し直すのに、歩道は何故ほったらかしなんでしょう。Bドブ板に開いている穴がこれも危ない。ここに杖を差込そうになりました。人々はとっても親切なのに日本のインフラはまだまだ障害者に優しくありません。
2004年
2月2日
膝の具合を診てもらいに病院へ。「これは長く掛かりますよ...。」2月にアウトドアへ出かけるのは絶望的...という訳で今月の休みは家でおとなしくしているしかない。久々に過去の話でもアップしましょうか。次に外に出られる頃はスギ花粉がプンプン舞っているんでしょうね。
2004年
2月1日
今日も残った引越し荷物を引き取りに旧自宅へ。あと、1往復すればすべての荷物の輸送が完了するところまで来ました。今までに何往復したことか。6畳一部屋に詰め込んでいた荷物だけなのに新しい家の3部屋が荷物で溢れ返っております。膝が痛いのも一向に治らないし...、まだしばらくはアウトドアにも行けません。
2004年
1月30日
会社から暗い夜道をビッコを引きながら誰も待っていない家へ...。膝の激痛を我慢しながら歩くため、気が遠くなるほど時間がかかりました。家のドアを開け、外気と何も変わらない寒い部屋の中へ...。さらに気が滅入ります。今までの人生の中で、最悪の虚無感に包まれています。子供と別れるのはこんなに辛いことだったとは...。将来のビジョンが見えません。鬱病にかかりそうです。自他共に認める超楽観主義者の私がこんなに落ち込むなんて...。爽やかなサイトを目指しているのに暗い話で御免なさい。
2004年
1月24日
雪国の山に行ってきました。結構吹雪いていました。そこに辿り着く前に市内で積雪による交通マヒに遭い、現地についたのは昼過ぎ。鳥とか生き物には殆ど会えず。印象に残ったのは凍った柿の実を啄ばむツグミ位かな。
2004年
1月22日
昨夜の「私はあきらめない」の長谷川理恵さんの話、感動しました。私も挑戦するぞ。マラソン。で、私も朝、会社まで走って行こうと駆け出してみると...膝に激痛が走りました。そう、18日に負傷したのは表面だけではなく、中までやられていたのに今頃気が付いたのです。イタタタタ...。
夜、帰宅する時に狐に会いました。外気温マイナス4℃。家に帰ると、室温プラス2℃、冷蔵庫の中プラス3℃。何て寒い部屋なんでしょう。
2004年
1月18日
本日は引越し作業中に椅子から転落。机のエッジで両膝を擦りむいて薄皮剥げただけで大した傷ではないのだけれど痛いのなんの。両膝共左右対称に4cm×10cm剥けています。子供の頃はこんなことは日常茶判事だったけれど、大人になってからはこんなこと記憶にないほどやっていませんでしたが...。これも子供を捨てて別れた罰か(最近各方面から非難を受けているのです)。早いとここんな作業終わらせてバードウォッチング行きたい。
2004年
1月17日
まだ引越しが完了しておらず、今日はNTTの人に配線の修理に来てもらい、やっとinternetに接続しました。午後からは元の家に荷物を引き取りに行ったついでに娘達に夕飯を作ってやり...、まだ去年とあまり違わない生活が続きます。
2004年
1月5日
別居した娘(7歳)から初めての便り(年賀状)をもらいました。「ボサボサしてるのなおるといいね。」
2004年
1月3日
昨年末、このHPを終了すると書きましたが、実は改名しただけです。「元週末高地人の庭」から「元」の文字が消えました。今年より、週末に主夫をする必要がなくなりました。これからは、平日はサラリーマンを続けながら、週末はできる限り自然の中に身を置き、すばらしい風景や野生生物を写真に残してゆくつもりです。上に向って歩く(登る)のが好きなので、高山を目指すことが多くなると思います。「週末高地人」の復活です。