昔の更新情報とできごと

2003年8月1日〜2003年12月31日

[ホーム]

2003年
12月31日
約4年続いたこのHP「元週末高地人の庭」は本日をもちまして終了します。もう妻への悪口は書きません。長いこと私の愚痴に付き合ってくださいましてありがとうございました。私は2004年元日から神戸を去り、また新たな気持ちで人生をやり直します。それでは皆さん、良いお年を!
2003年
12月29日
金曜日は御用収め、After 5は職場の仲間でちょっとした食べ物と飲み物を用意して打上げの忘年会です。宴もたけなわとなった頃、力自慢の同僚達が腕相撲を始めました。ランボーそっくり、自称「日本のスタローン」氏が次々に同僚達の腕を一瞬のうちに机上にねじ伏せてゆきました。彼は日頃の鬱憤を晴らせたのか、大満足で雄叫びを上げています。彼は無敵か...と思われた時、若者のY君が名乗りを上げました。試合が始まってもしばらく腕は止まったまま。力が均衡しているのかと思っていると、Y君が突然、「こんなのチョロイチョロイ。」と言い放った次の瞬間、和製スタローン氏の腕は机に叩きつけられたのであります。(上には上が居るものだ。凄い。)悔しいスタローン氏、この鬱憤は弱い者をやっつけて気晴らしにしたかった様で、私を指名してきました。私の腕は人一番細く、手首周りは15cm程しかありません。今まで腕相撲をして、人に勝った記憶はありません。(まぁ、あんな風に馬鹿にされて可哀想だから受けてやるか)と、対戦してみました。ところが...いざ試合が始まっても彼の力は大したことがありませんでした。(あれ?何でこんなに弱いんだろう?)簡単に私が勝ってしまいました。スタローン氏は落胆しています。これを見ていたY君から宣戦布告です。「ガマヨさん、やりましょう。」(どうせ私には勝ち目が全くないんだけどまあいいか)試合が始まっても何故か私が押していました。あと1cmで私が勝つんだが...と思ったところで腕が止まりました。Y君はまたわざと焦らしておいて、かっこつけて一瞬のうちに私を倒すつもりでしょうか?あと1cmで私の勝ちです...だけれど何故かあと1cmが押し切れません。思いっきり力を入れているのだけれど全く腕は動きません。力んで息を止めている自分に気が付きました。(そうだ、息を止めてはならない...)水泳の練習で、コーチから最も大事なこととして教わったことを思い出しました。ゆっくり息を吐き、深呼吸。ゆっくり息を吐きながら...こうしていると腕が疲れないような気がしてきました。エネルギーが腕に溜まって行きます。ゆっくり息を吐きながら、満身の力を込めます。オリャ〜。彼の手は机につきました。私の勝ちです。
 その後...、翌日、胸から腕にかけて、強烈な筋肉痛になっていました。たった2回しか腕相撲していなかったのに...。翌々日、筋肉痛はさらにひどくなっていました。とほほ。
2003年
12月21日
金曜日は会社を休んで、役所へ。住民票の写しと離○届の用紙をもらい、不動産屋に行き、新居の賃貸契約を結びました。(終にその時が来てしまったんだなと溜息が...。)
土曜日は電気・ガスを通し、エアコンの取り付け。エアコン起動まえの室温は+2℃。エアコンが動かなければ凍え死にそうでした。
今日も引越しの荷造りと新居の家具の買出しで終わりました。ちんたら片付けをしていると、「今年中には出て行ってよね。」と妻から催促が...。
2003年
12月6日
引越し先の部屋の寸法を測定し、購入しなければならないものを物色。掃除機、冷蔵庫、ガスレンジ、電子レンジ、炊飯器、ジャーポット、洗濯機、ビデオ、電話、エアコン、コタツにテーブル、電灯、物干し竿、カーテン、自転車...独り暮らしを始めようとすると買わなきゃならないものが山ほど。(; ;)
2003年
11月30日
眺望悪く、日も射さない安アパートに決めてきました。週末専業主夫を廃業するのも秒読み態勢に入りました。来週からは少しずつ引越しが始まります。娘達を残して出て行くのは気が重いです。最近良かったことと言えば、今日も2km泳いだけれど、あまりバテなくなったこと位かな。
2003年
11月29日
 最近休みになるとすることは離婚後の新居探しと気晴らしの水泳ばっかり。今日も2km泳ぎ、丹波での家探し。安アパートを借りるか?いっそのこと田舎暮らしの家を買ってしまおうか?迷って両方物色していたのだけれど、養育費をはらいながらの新生活での出費がどの程度になるか検討付かず、結局、まずは安アパートを借りて様子を見るのが賢明か?安アパートは眺望悪く、日も射さず、ますます気が落ち込みそうな予感が...。
2003年
11月23日
 娘が突然、我が妻に謝った。「ごめんなさい。」別に謝る理由などどこにも無かった。妻は初めキョトンとしたが、猛然と怒り始めた。「今なんて言った。何で謝る理由もないのに謝る!それはいつも謝る時本当は謝る気持ちもないのに言葉だけで謝っているからだ!」娘はいつもちょっとした失敗をするだけで妻からひどく怒られるので直ぐに「御免なさい。御免なさい。御免なさい。」と3回以上謝るのが口癖となっていた。「わぁ〜ん。御免なさい。御免なさい。御免なさい。」妻はなかなか許さず、クドクドと怒った。何で何も悪いことはしていない娘に対してそんなに執拗に怒るのか私には全く理解できない。こんな妻に娘達を残して私は出て行っても本当に良いのだろうか???????
2003年
11月21日
 家に帰ると、娘達がまだ起きていて、話しかけてきた。「お父さん、もう新しいお家見つかった?」
「まだだよ。」「お父さんはね、うんと安いお家にしないとだめだよ。お父さんはね、大借金があるんだからね。このお家のローンも払わないといけないんだからね。だから、う〜んと安いところ探さないとだめだよ。」近頃、家に帰ると娘達との会話はいつもこれである。
2003年
11月15日
 家に帰ってみると、玄関においてある金魚の水槽がひどく濁っていた。大飯食らいの金魚に山盛りの餌を与えているおかげで、直ぐに富栄養化してしまう。「水槽きれいに掃除しといてよね。」妻子は私に掃除を押し付け、いつものように夕方まで街ブラを決め込むつもりだった。掃除用のホースがなかった。私が出張中に私の部屋に散乱していた他の物と共に妻が捨ててしまったのである。(したがって、ほんの少しだけ部屋はきれいになっていた)「「捨てたんだったら買ってきてよね。」妻に文句を言うと妻は大噴火した。「汚しているアンタが悪いのよ!そんな安い物自分で買ってきなさいよ。だいたいアンタは光熱費位しか払っていないくせに!」そんなことはない。この家の支払いの殆どは私が払っている。家のローン、共益費、駐車場代、子供の授業代、塾代、スポーツクラブ費、土日の食費、光熱費,、水道代、NHK、...逆に妻が払っているのは平日の食費、妻子の衣服費と土日に私を残して外遊する時の費用位しかない。「だいたい、もう家は見つかったの?アンタが出て行かないなら私が子供達を連れてでていくからね!」妻と私の間にいた我が娘は泣いてしまった。
 本日も自分の衣服の洗濯をし、プールで1500m泳ぎ、水槽を掃除し、夕飯を作って妻子が帰ってくるのを待ち、風呂と皿を洗い、いつもと変わらない一日が過ぎた。
2003年
11月14日
某北の国から無事帰国しました。夜はいつも曇ってしまい、オーロラは拝めず。
行きの飛行機からの景色はいつものとおり雄大でした。凍てつく大地。地球は丸かった。(本当はレンズのディストーションで画像が樽型に歪んでいるだけなんだけど)
2003年
11月2日
 本日の水泳大会の記録。@100m平記録1'37”19(19”38+23”54+25”29+28”98)遅い。年齢別記録でもブービーメーカーでした。いきなり初めから飛ばしすぎたのと、最後にバテたのと、帽子が脱げてしまい放っておけばいいものを一瞬止まってしまったのが極端に記録が落ちた原因か?エントリーが4名しかなかったので、これでも3位。本大会で本当に最低レベルの入賞であります。子供には「お父さん、銅メダル取ったからね。」と言っておきました。子供達は「お父さん、すごい〜。」と目を丸くして驚いておりました。Aメドレーリレーのバタフライ25m17"13これはまあまあか。B50mバタフライ44"4(18”99+25”41)。ビリ2に4秒以上の差をつけられダントツでビリ。これでも自己最高記録なんですが...。40mで失速し、腕が最後までかき切れなかったが悔しい。
ちなみに我がコーチは50mバタ26”で年齢無差別で堂々1位。かっこ良かった。早かった。彼の泳ぎを見ただけでも今回エントリーした意義がありました。この大会に参加しての感想としては吉岡道場でコテンパンにやられた武蔵の気分。このままでは放って置けぬ!来年こそはリベンジを。もう一つの感想としてはクラブメイトの人たちがよく応援してくれたこと。泳いだ後、自分の席に帰る途中、皆が声をかけてくれたことには感激しました「がんがったね。」「ご苦労様。」「初めのターンまでは3位だったのに、残念だったね。」「途中でバテちゃったのかな。急にスピードがおちっちゃって残念だったね。」「あら、最後まで腕は上がっていたわよ。」...
皆さん、自分のことではないのに、よく見ていてくれたんです。初めのうちは私に声をかけていてくれたことに気づかず、大変失礼いたしました。暖かい心のクラブメイトの皆様、本当にありがとう。
 これで思い残すことなく、明日から北の国へ出張です。今だったらオーロラが見えるに違いない。三脚、1眼レフ用意して...。
2003年
11月1日
 ついに決戦の時がやってきます。そう、水泳大会まであと1日。それはさて置き、今日も元気に休日無給出勤であります...で会社に出てみると不穏なメールが...。某北の国からヒステリックな怒りの呼び出しであります。「すぐ来い!」直ぐに上長の自宅に電話し、緊急会議。私は明日から北の国へ出張だと...念願の水泳大会が水の泡に...。しかし神様は私を見捨てませんでした。日本から某国への航空機はすべて満席。アジアを経由しようが、どんなに遠回りしようが、明日の便はすべての飛行機会社満員御礼でした。と言う訳で明日は待ちに待った競泳のデビュー戦であります。
2003年
10月25日
 今日は近所の子供達を連れて田んぼへ。既に稲刈りはすんでしまっており、今日は脱穀。
コンバイン等の近代機械でやっても面白くないので、昔の人の知恵を子供達に伝えるべく、Iさんが古い農家を探し回って見つけた、足踏み回転式脱穀機を使い、風の力でゴミや中身のない籾殻を飛ばしてモミを集める「トーミ」なる道具を用いての脱穀作業でした。
ダッシュ村のようなことを生まれて初めて体験し、気持ちの良い一日でありました。

皆で稲運び

左:足踏み式脱穀機                 右:とうみ
2003年
10月22日
帰宅すると7歳の娘が聞いてきました。「お父さん、この前のお休み、いいお家見つかった?」「見つかったよ。」その時に見たログハウスとよく似たカタログを見せた。「わぁ、可愛いお家。Bも遊びに行くからね。もう買ったの?」「まだだよ。」「早く買わないと売れちゃうかもよ。」「お父さんにはね、まだ今のお家を買った時の借金があるんだよ。次のお家を買うと借金がいっぱいになっちゃって大変だからよく考えないといけないんだよ。」「ふ〜ん。大変だね。もっと大変なことなんだけどね、お父さんね、離婚するときには男の人が女の人に慰謝料っていうお金をね、払わないといけないんだよ。知ってた?」「そんなことは無いと思うよ。お父さんとお母さんの場合は慰謝料なんていらないと思うけど。」すかさず娘は妻のところに走って行った。「ねえ、お母さん。お父さん、慰謝料払わなくていいの?」「さぁ、どうかな?」
2003年
10月20日
 昨日は新居を探して田舎を駆け巡りました。どうせ追い出されるのならば、昔から憧れていた田舎暮らし。結構良い物件がちらほらと...。意外と未来は明るいかもしれない。帰宅すると金魚を見ていた娘がボソッと言いました。「金魚はいいなぁ。ご飯はいつもいっぱい食べられるし、学校にも歯医者にも行かなくていいし、お母さんには怒られないし...。」こんな娘達を残して私は出て行って本当に大丈夫なんだろうか?暗く落ち込む私でありました。
2003年
10月18日
今朝起きると空は抜けるような青空、休日出勤しようと思っていたのだけれど、この青さを見たら居ても立っても居られず、氷ノ山へ向いました。三の丸まで登って例の冬芽の正体を明かそうと思っていたのだけれど、この高さの紅葉は終わってしまい、もう次の冬芽の準備が終わっておりました。
 帰ってきて夕食の準備をしていると、妻が中古マンションの広告をじっくり見ていました。それを娘が見て、「880円もするの?高いねぇ。Bちゃんこんなに高くちゃ買えないよ。」「そんなに安かったらいいんだけどね。」晩飯を食べ終えると、また妻がその広告を見ておりました。尋ねると本気で子供達を連れて出て行こうと思っていたのだと...。そんなことしなくても、仕事場が遠い私一人が出て行けば良いこととなりまして...明日は新居を探して、不動産屋巡りであります。我が独裁帝国も年内いっぱいで崩壊の模様であります。
2003年
10月16日

遅くなりましたが、某南の王国の写真をアップします。サル(Pig-tailed Macaque)と鹿(Sambar)
猿はちょっと怖かった。
本日は夜、水泳の練習。競争に負けて罰ゲームの100mバタフライがバテて息も絶え絶えに、第二ラウンドの25mバタまでに体力回復せず。最後に推力ダウン、腕が上がりきらなかった。帰りの車でクラッチを踏み込む度に足が攣って運転に苦労しました。二十歳を過ぎたらずっとハタチと思っていた私(実際に去年の体力測定で、体力年齢は二十歳だったんだけれど)もヤッパリ歳なんだろうか?溜息。大会まであと、17日。
2003年
10月7日
 土曜日の休日出勤後、水泳大会への申し込みのため、スイミングクラブへ。エントリータイムを計るため、全力で泳いでみると、100m平1'37"、50mバタ47"。遅すぎる...このままではビリ×2種目確定、こんな筈では!2回ずつ計ってみたけれど、結果は全く同じでありました。落胆しつつも今後の向上に期待して申し込みしてしまいました。帰宅すると、頭痛、腹痛、下痢、発熱。泳ぎ過ぎて疲れたのかとも思ったのだけれど、翌日はさらに病状悪化。翌々日(昨日)も熱下がらず。熱帯から変な病気をもらってきたのかと心配しながら病院へ。血液検査と検便をし(結果は10日にならないと判らないそう)、本日も会社を休んで自宅療養です。慢性的な腹痛が続き、お粥だけの食事が3日も続いています。水泳の練習もしばらくできません。大会まであと、26日。
2003年
10月2日
 某南の王国から無事帰国しました。今回はラッキーなことがありました。今までとは違って週末を初めてここで過ごしました。某国で大騒ぎした球団のマスコットの動物、野生のト○を探しに行く機会を得たのです。流石に希少動物になってしまったト○には会えませんでしたが、サル(ピッグテイルド・マッカク)多数と鹿2頭に会いました。鳥はヘルメットを被ったようなHornbill(和名はサイチョウだったと思う(?))に会いました。残念だったのは無数の気持ちの悪い生物にキスされてしまったことであります。熱帯のジャングルを侮ってはいけません。ふと足元を見ると無数の蛭が登ってくるところでした。大は4cmから小は1mm位しかないものまで、赤茶色の気持ちの悪い生物が沢山登ってくるのです。まるでもののけ姫の1シーンのようでした。兎に角、必死で取ってはビニル袋へ入れ、取っては袋へ入れ、ズボンも脱いで裏返し、パンツの中も確認し、相手は1mm位しかないので、目を皿にして徹底的に捜しました。ズボンの裏や脚にも蛭はウジャウジャ付いていたので、ズボンは脱いで正解でした。それでも車に乗った後、随分時間が経ってから、車内で残党を発見したりして...。まるでエイリアン2の映画を実演しているような気分でありました...とは言っても私は被害ゼロだったのです。こんなに沢山取り付かれて、被害が無かったなんて...奇跡であります。不思議なことに、蛭にまとわり付かれたのは私一人だけ。しかしながら、一匹も登ってくるのを見なかった私の上司からはいつの間にか血が一筋...。もう二度と来ないと言われております。私は毎週来たいのだけれど。今回の画像等はまた週末にでもアップします。
2003年
9月23日
 明日からの某、南の王国への出張準備で今日は休日返上で人気の少ない会社で朝から深夜まで仕事でありました。通勤途中、狐が一頭、車に轢かれて死んでいました。合掌。
 明日から1週間、昼はお仕事、夜はホテルの16mプールで徹底的に訓練であります。打倒若者、決戦の日まで、あと、40日。
2003年
9月21日
 平泳ぎ25m20.6秒、(飛び込み無し)、自己記録更新(1週間で1.1秒短縮)。大会まであと42日。そう、私はこの歳になって、ある水泳大会に出場する決心をしたのです。
 しかし、近頃、私は泳ぐいだ後、よく人から声をかけられるようになりました。特にバタフライを100m以上泳いだり、全力で泳いだりすると必ず声をかけられるのです。どの人も皆同じことを言うのです。「パワフルですね。」(私は抵抗の無い、波ができるだけ立たない泳ぎ方を目標にしているので、私にとってこの言葉は褒め言葉の反対なのです。)「今バタフライ何メートル泳がれたのですか?」「300m程。」「ところで、歳はおいくつなんですか?」なんで皆さんは私の歳を聞いてくるのでしょうか?...見た目より随分若い泳ぎ方をしているように見えるからだそうです...と言うことは、私の外見はかなり歳をとっているようにみえるということです。ショックだなぁ。
2003年
9月20日
午前中必死で仕事をして午後からスイミング。夜、オーロラの話を見ているとアビスコから中継が...。
懐かしい湖、懐かしい山の形。このHPの表紙に今使っているトナカイの撮影地です。あの時は8月で白夜に近くてオーロラが見えるほど暗くはならなかったけれど、いつかは9月に是非行こう。
2003年
9月15日
平泳ぎ25m21.7秒、同50m 45.2秒(飛び込み無し)、自己記録更新。
2003年
9月13日
 F80の修理見積の電話があった。壱万九千円なり。保証期間が切れて1ヶ月あまりしかたっていないのに!泣く泣く了承した。娘がエレクトーンを買えと言う。六十万円なり。歯を矯正すると言う。五十万円なり。妻が上の娘を連れて外出、夕食は外食するとのことだった。こういう場合、対抗上、下の娘を連れて外食したい気分だったが、金を使う気になれない。「今日はお家で晩御飯食べようね。」「お父さん、料理上手だから、お家でいいよ。」聞き分けの良い娘で良かった。
 これじゃ離婚の資金もままならない。
2003年9月9日  今日はウォーターボーイズ最終回を見たくて、残業を切り上げ、逃げるようにして帰宅した。帰る途中、月がきれいだった。こんなに月がきれいならば、火星が見えないはずはない...のに見えない。何故だぁ〜と思って月を見ていると月の直ぐ近くに火星があった。こんなに近くにあるなんて!!!
 ウォーターボーイズが終わった後、再び夜空を見てみると、月と火星はもうずいぶん離れていた。月がこんなに速く動いていたなんて、今になって初めて気づいた。さて、会社を逃げるようにして帰った分、宿題をがんばらないと...。
2003年9月7日  キャッチ、プル、プーッシュ。キャッチ、プル、プーッシュ。腕を水に突っ込んだ後、手のひらを回転させて僅かに推力を発生させ(キャッチ)、肘を90°に曲げながら立てて肩の高さまで手のひらを持って来て(プル)、そこから徐々にスピードを上げながら思いっきり後ろまで水を押しやる(プッシュ)。これをできるだけ大きく行うと速く泳げる。今日もストレス発散はこれに明け暮れた。32人で3チームに分かれてリレーした。競泳になると独りで泳ぐ時と違って、つい思いっきり水をかく。すると水が思いの他速く流れ、顔を洗い、気持ちが良い。
 その後F80を修理に出し、夕食の食材を買って帰宅、夕食の準備が終わった頃妻達が帰宅、いつもと変わらない一日だった。娘といっしょに風呂に入ると、「お父さん、胸が随分膨らんだね。」(触って)「おっ。カチカチだね。オッパイじゃなくて筋肉だね。」「Bちゃんもプールに通ったらこんな風になれるかもね。」「やだよ。そんな風にはなりたくないよ。」
2003年9月6日  今日は娘のピアノ演奏会が夕方あった。娘は人前でも動揺することなく、立派に演奏した。いつの間にかこんなに成長していたんだ。ストロボで娘の演奏を邪魔してはならない。暗い室内、初めてのVRレンズの威力の程は...。左手はビデオの録画を続けながら右手でF80を持ち、シャッターを押した。
カシャッ。ファインダーは真っ黒。クイックリターンミラーは戻らなかった。液晶にはError表示。電源を入れなおしてもError表示は消えなかった。カメラは壊れた。この大事な時に。「なんてこった。」私の絶句はビデオに録音されてしまった。
今日の水泳はバタフライ連続で300m達成。自己最長記録更新。
2003年8月31日  子供に一輪車を買い与えた。今日は早速その練習だとのことで、あのVRレンズの絶好のテストチャンスだったのだけれど、自分の水泳の練習時間に間に合いそうもなかったので、子供の練習は妻に任せて、水泳に行ってしまった。50mクロール39.4秒なり。ただし、連続3回泳がされたのだが、最初の1回で、飛ばしすぎ、体力・気力使い果たし、その後は失速、沈没寸前。スタミナが足りない。
 しかし、このHP、8月はついに水泳の話題だけになってしまった。もうそろそろ題名を変えた方がいいのかも?
2003年8月30日  金曜日は学童保育の子供達を集めて、火星を見せました。保育所にあった小さな天体望遠鏡で見せたのだけれど、殆ど全員の子供が感動してくれたようです。純粋に感動の声を上げ、嬉しそうな笑顔を見せる子供達を見ていると、こちらの方が逆に感動させられます。この子供達の中から、将来立派な科学者が生まれますように!
2003年8月25日 明後日、27日は待ちに待った火星の大接近です。近所の学童保育所からお誘いがあり、子供達ににわか解説者をします。去年の接近の時は、500mmレンズにx1.4とx2のテレコンをつけて、x6のテレスコープアダプタをつけると、500/50x1.4x2x6=168倍になり、火星ははっきりと丸く見えたのだけど、明るすぎてギンギラギンに輝き、表面の模様が見えませんでした。今年の視直径は25"1なので、見かけの大きさは25.1x168=4216秒=70分=1.17°となり、肉眼で見た月の約2倍の大きさになります。これだけ大きければ、表面の模様は見えない訳は無いと思うのだけれど、まだ今年は1回も覗いていないのでどう見えることやら。減光させるため、絞りを絞ると解像度が落ち、見えにくくなるので、NDフィルターを使うべきでしょうか?子供達を集める日の前にリハーサルをせねば...と思うのだけれど、今晩は雷雨で全くだめです。兎に角、当日は晴れますように!
 近頃の大きな火星を見ていると何か吸い込まれて飛んでいくような気持ちになります。子供の頃、「火星のジョン・カーター」という児童向け物語を読んだのを思い出すなぁ。
2003年8月24日 8月の日記は水泳訓練に明け暮れています。本日はついに3000m泳ぎました。12.5mのスプリント(飛び込み無し)はクロール7.59秒、バタフライ8.84秒。この値からの25mの予測値はX2+1〜2秒とのことなので、バタフライ25mの予測値は8.84X2+2=17.68+1〜2=18.68〜19.68秒、クロールは17.18〜18.18秒。平泳ぎは50m46秒。
バタは7月17日は21秒、6月15日は25秒だったので、自己記録更新はまだ続いています。
 この3日間、妻子は私抜きの旅行のため、夜はとっても静かです。さびしいなあ。
2003年8月17日  本日も予定通り、妻子達は父さん抜きで街へ行っちゃいました。例によって、2000m泳ぎました。今のストレス解消法はバタフライを全力で腕を振り回して行い、水に突入する時の開放感を味わうことだけです。妻子達は夕食は外食にすると言うので、久しぶりに晩飯作りからは開放されたものの、一人ぼっちでの夕食は寂しいものがありました。結婚して以来、最もつまらない盆休みが今日終わりました。
2003年8月16日  部屋を掃除しろとの妻の命令を無視して本日もプールへ。1500m泳いできました。例によって、帰りにスーパーへ寄り、食材を買出し、帰宅後すぐにクッキング開始。完璧に夕食の準備が整っても妻子が帰ってこないので(妻子は例によって街へウィンドウショッピング)、独りで飯を食べ始めようとしたところで妻子が帰ってきました。
 槍ヶ岳とウェストンの話をテレビで放映していたのを見るにつけ、登山への欲望が再燃してきました。来週は登山かホエールウォッチングか迷うところです(来週末はまたもや私の同行禁止で母子だけで東京旅行に行くのだと)。娘が4歳の時に行った上高地がTVに出ていたので、覚えているか娘に聞いてみたが全然覚えていないそうです。また娘達を連れて登山したいところなのだけれど、将来行くことができるのでしょうか?
2003年8月15日 14日は大雨のため外出せず、家の掃除(とは言っても例によって殆ど片付かず)。15日は妻が娘に「お父さんの部屋の片づけが済まなかったら絶対にどこへもいっちゃだめだからね。行ったら怒るからね。」と言っていた為に、娘はプールへ行きたかったようだったが、どこへも行けず、ただ掃除するのみ(とは言っても例によって殆ど片付かず、情けない)。明後日の盆休み最終日は例によって母子だけで行楽に行くとのこと。妻は私と行くと精神病になりそうだと娘に言っております(私には絶交状態のため、この休みに入ってまだ一度も会話しておりません)。結婚以来最もつまらない盆休みもあと2日で終了します。
2003年8月13日 10日の日記どおり、11、12、13日すべて水泳に明け暮れました。圧巻だったのは12日の午前中。妻子は亭主抜きの旅行のため、独りで、あるプールに行くと、完全なる閑古鳥。私以外には誰も居らず、客の私一人に対して、4人ものライフセイバーがエスコートしてくれたのであります。午後になると、いつもボランティアしている学童保育の子供達がやってきたので、にわかコーチとなり、今まで自分が教えてもらったことを受け売りで子供達に教え、また子供達から尊敬の眼差しを受けたのでありました。13日は晴天となり、暑くなったので、12日とはうって変わってイモ洗い...とは行かないまでも結構混んでいました。今年初めての我が娘達への水泳指導。上の娘は25m完泳を目指していたのだけれど、どうしても12mで立ってしまって...かなり悔しいようで、何度も何度もトライしていました。すごい根性。
2003年8月10日  「掃除しなけりゃ100個手当たり次第に捨てるぞ!」妻の怒鳴り声を無視して今日も水泳であります。(最近全然フィールドに出ず、もっぱら水泳訓練ばかりです。)
 昨日は1600m、今日は2000m泳ぎました。
 一昨日の奥様に対抗して今日はバタフライばっかりで泳ごうとしたところ、脚で浮き具を挟んで手だけで泳げとの命題。例の奥様は軽く泳いで行ってしまったが、私はこうすると泳ぐことができなくなりました。浮き具が外れないようにそこに神経を集中させるとリズムが狂い、25mも泳げなくなりました。しようが無いので、途中で平泳ぎに切り替えました(情けない)。汚名返上のため、明日からも水泳の特訓です。
 こういう場合、有言実行間違いない妻の仕業が心配だったけれど、またもや他の部屋のごみが私の部屋に押し込まれていた以外は被害はないようで...。
 明日は「アンタは嫌いだから来ないで。」との妻の命により。私は留守番。妻子は泊り込みで花火見物とのこと。「お父さんが行かなくてつまらなくない?」娘に聞くと、「全然、お母さんがいっしょだったら楽しいよ。」
2003年8月8日  昨晩は1500m泳ぎました。「片道はゆっくり流して、帰りは全力で...。」とすごい勢いで泳がされて、約1000m泳いだところでタイム計測。クロール25m20秒、平泳ぎ22秒。
 疲れているのだからこんなものか?と思っていたら、そんなに力強そうもないスレンダーな若奥様がバタフライ25m21.5秒。彼女はスクールに入ってからまだ7ヶ月しか経っていないのに!この前、疲れていない時に私が全力で泳いだバタフライは25m21秒。もう私は追い越されています。大ショック。「こういうものは他人と比べてはならない。自分自身で向上していればいいのさ...。」と自分に言い聞かせるのだけれどやっぱりショック。おかげで今日は全身が筋肉痛であります。
2003年8月3日 用事があって、標高0m近くまで降りると、鳴いておりました、クマゼミ。本当にすごい騒音だったので、上を見上げると、街路樹に無数のセミが...青空にもセミだらけ。
これを見た瞬間、鳥肌が立ち、背筋が凍りつきました。N氏がウルサイ、ウルサイと苦情を言っていた訳を実感しました。今でも思い出すたびに背中がゾゾッと...納涼は怪談話よりもセミの方が効果的なようで...。本当に思い出した瞬間に鳥肌が立ち、約20秒で元に戻るのに今気がつきました。人の体って面白いですね。
2003年8月1日 私の通うスイミングスクールはビギナー、初級、中級、上級と4段階に別れています。
今の若者に対抗するためには完璧に近いフォームにして、水の抵抗を極限まで減らすしかないと考えていたので、できる限り、初級、中級に留まるようにしてきたのだけれど。ついに今日、初中級への出入り禁止となり、上級に押し上げれました。「手のかきはこのようにしてください。」コーチの一言を言われた通りにするとそれだけで強力な推進力を感じ、すごいスピードが...。水泳は奥が深いです。体型もかなり変化しました。只今バスト90cmウエスト78cm。いい歳した中年男が...。