よたよたと、山登り


    No.37 飯豊・石転び雪渓を登る

     

     7月2日 飯豊山荘(8:00)〜石転びの出合(10:30)〜梅花皮木小屋(14:00) 
     7月3日 梅花皮木小屋(7:00)〜北俣岳(7:20)〜門内岳(8:30)〜梶川峰(9:30)〜飯豊山荘(12:45)

     5時少し過ぎに家を出たが、既に雨模様だった。
    8時には歩き始めたいと思い、逆算すると、どうしても5時には家を出なければならなかった。
    早朝なので白鷹町経由でも赤湯経由変わりはないと思ったが、なんとなく、より空いていそうな白鷹まわりを選んで長井市経由で小国町へ入った。
    家を出たのが早かったのでおにぎりなんかも準備していない。
    コンビにでは何でも売っているので実質は困らないのだが、梅干し入りおにぎりを持たないと、何だか重大な忘れ物が有るようでならなかった。
    8時に出発したいと言う根拠は、泊まりの山行では、どんなに遅くても午後3時までには宿泊地に付き、午後4時の気象通報を聞き天気図を作り、晩飯前に翌日の予定を立て、晩飯時に発表すると言う習慣が今でも頭の芯に残っているからだと思う。
    午後3時を逆算すると、今回の場合は遅くても8時には歩き始めたかった。

     飯豊山荘の脇の駐車場に7時45分着・・・予定通りだった。
    雨脚は強く無いが合羽無しで行ける雰囲気では無く、気持ちが少し重かった。
    GPSの電源を入れ、標高を確認すると410メートルと出た。
    梅花皮木小屋は1850メートルだから標高差は約1500メートル・・・小さなピークの乗り越しなどを入れれば正味はもっとだ。

    歩く事2時間半で撮ったのはこれ一枚・・・雨が似合う。

     イッテQと言うテレビ番組が有る・・・これに出演する「イモト」が好きで、先日はキリマンジャロに登る映像を我が事とだぶらせて観ていた。
    番組の中で、山道を淡々と歩くイモトの姿を画面に映し続けても仕方が無いので「歩く事2時間」で一括省略の場面だな、と言う説明があった。
    飯豊山荘から石転びの出会いまでの行程は正にこれで、歩く事2時間、でほとんど書く事は無かった。
    まあ、そう言ってしまったら普通の山道などどこも、歩く事2時間や3時間で済んでしまうのだが・・・。
    本当は、未だ見ぬ石転びの雪渓への不安が途中の行程を記憶から飛ばしていたのかも知れない。
    登山道から垣間見える石転び沢の、もの凄い水量と轟音は、嫌でも緊張を煽るのだった。
    激流は、一目見て渡れる気が一ミリもしない沢であり、もしも徒渉点などがあったらさっさと撤退だな、と思って怯えていた。
    あの沢の徒渉に挑んだなら、どんなベテランでも、間違いなく三途の川を渡る事になるだろうと断言する。
    しかも、事前情報でも登山地図でも、ルートは石転び沢と交差しているのだ。

    登山道から見える石転び沢

     さて、歩く事2時間半、石転びの出合いに到着した。
    沢を高く巻いている登山道から石転び沢の全容が見えた、が、正直に言うと拍子抜けした。
    轟音を轟かせていた沢は雪に埋まり、静かに眠る白龍のようで、起こさないように歩けば大丈夫だと確信した。
    事前にインターネットで仕入れた情報では、結構な水量の沢を渡る写真が掲載されており、だから、激流の沢におののいていたのだったが。
    そう言えば、ここへ出る少し前に小さな枝沢をひょいと越えたが、あれがそうだったのだろうか?。

      
    登山道から見た石転び雪渓を望遠気味に。

     大して苦もなく辿り着いた雪渓には、安全な入渓地点に黄色い旗が立っていた。
    雪渓は入り口と出口が難しいと思うのだが、これは何よりも嬉しい道標だった。
    たった2日間の山行で言い切るのは的外れかも知れないが、飯豊の登山道の標識は、必要最小限で煩く無いのが良い。
    必要最小限の標識は、地図は読めて当たり前、ガスに巻かれたらコンパスを見ろ、と言う事だと私は解釈した。
    しかし、雪渓への降り口の旗は、この山の道を手入れしている人達が、登山者が困る場所のツボを心得ていると言う事だと思った。

    歩き始めの傾斜は緩くアイゼンは不要だった。

     石転び沢の案内を読んで真っ先に書かれているのは落石への注意だ。
    私の石転びへの不安も落石だけで、雪渓を歩く事に関しては何の不安も感じては居なかった・・・まっ、一寸はヒビッたけど。
    滑落などは注意力でなんとかなるが、しかし、落石は何所から来るのか分らないから怖い。
    枝沢の雪解けで浮いた岩石が転がり落ちて来るのだろうから、始まりは左右の枝沢かと思って観察してみた・・・しかし、明確な規則性は見られなかった。
    確かに、右岸寄りに落石が集まる所、左岸寄りの所と、集中している箇所はあって、流石にそこは避けて反対側を行く程度の知恵は持っている。
    しかし、ガスで見通しが悪い上流から音も無い落石が私を目掛けて来たとしたら、それに気が付く確率は低い。
    傾斜地を登る時に人は、ほとんど自分の足元を見ながら歩く。
    最大限に注意を払って上を見るようにしては居ても、それでも、基本的には下を向いて歩いている・・・だから来れば当たると思う。

     歩く事1時間。
    風雨が強くなり寒さを感じ、温度計を見ると10度に下がっていた。
    ここまで、一度も休憩を入れずに来た事を後悔していた・・・迂闊にも風雨を遮る物が無い所へ出てしまったのだ。
    雪渓が見えた時点で、まだ樹木がある場所でザックを降ろし、腹ごしらえをするべきだった。
    ここまでの道程が楽だったので先を急ぎすぎ、タイミングを逸してしまった・・・得てして、失敗は好調がもたらす。
    スパッツを付けていない足元は合羽の裾から雨が舞い込みズボンを濡らしていた。
    下を見ると視界が有るのだが上はガスって良く見えない・・・200〜300メートルも見えていたろうか?
    上に行けば傾斜がきつくなるだろうから適当な所でアイゼンを履かなければならない・・・そこで嫌でもザックを降ろすから休憩になる。
    雪面はスプーンカットなどと呼ばれる夏の雪渓の様相では無く、土砂降りの雨で解けた所が窪み、凍って硬い部分は残って斗出し、歩き難かった。

     上下左右、前後も無く叩き付けるように降る雨が幾分弱まった時を見計らってザックを降ろした。
    ピッケルを突き刺してザックを止め、急いでアイゼンとおにぎりを取り出した。
    行動食としてウエストバックに入れていたパンはビニール袋が浸水して喰えなくなっていた。
    ザックを閉めて防水カバーを掛け、アイゼンを着けた。
    合羽の下は既にびしょ濡れだったから吹き付ける風で体感温度はかなり下がって寒かった。
    これ以上止まっていては危ないと思い、おにぎりは歩きながら齧る事にしてザックを背負った。
    ザックで背中が防御されるとかなり温かく感じるもので、取りあえずの危機は脱してホッとした。
    この時、軍手に変えて、某アウトドアショップのオリジナルだと言う撥水グローブを着用した。
    私は防水性を期待し、梅雨時対策として買って置いたのだが、これは手の甲には撥水性があるが、手の平の生地からは普通に水が沁みて来る。
    これならば今まで使っていた水産用ビニール手袋と軍手の組み合わせの方が遥かに優秀だ・・・3000円も出したのに。

     更に歩く事1時間、雪渓が狭まり落石が集中する所に出た。
    ああ、これが噂の黒滝ポイントか・・・流石に落石だらけで、右岸も左岸も、安全地帯は探しても無駄だった。
    ガイドブックが言うように、休まず一気に草付きまで行くのが良いと自分も思うが、肝心の草付きが何処らか分らない。
    何よりも、急げと言われてハイそうですかと、歩みを早くできる余裕はもう無いが、ここだけは上を凝視し、聞き耳を立てて歩いた。
    しかし、仮に自分を目掛けて来る石を発見したとして、この急斜面で、バテ気味のおやじが石を回避できるだろうか?
    雨で状態が悪くなった雪面では、時折、10本爪のアイゼンが滑っていた。

     更に、更に歩く事30分、何だか雪渓から露出している小さな島が見えた・・・あれが草付きか?小さいな?わざわざ乗らなくても良さそうだが?
    草付きに出たが、しかし、見た目はとても小さく、わざわざアイゼンを脱いで乗るメリットを感じられなかった・・・何よりも上がり口が私には見えなかった。
    私は草付きから離れないで雪渓を登り続ける事にして歩いたが、傾斜はかなり酷くなって来た。
    これで滑落したら何所まで行くんだろうか?アイゼンを雪面に引っ掛けずに下まで行くかなぁ?いや、アイゼン引っ掛けてすっ飛んで何処かにブチ当たるだろうな、などとあまり気持ちの良く無い事が頭を過る。
    滑落停止の練習は嫌と言う程やった・・・38年も前だが・・・大丈夫、出来るさ、とは言ってみても恐怖は背中にしがみついたままだった。
    これで視界が有って目標が取れるのならまだ歩きやすいのだが・・・。

     草付きと平行に歩き始めてすぐ、なんとなく人が歩いた跡のような場所を見つけた。
    あっ、あそこから誰かが上がっている、と、確信してそこへ向かった。
    はたして、そこには明確な踏み跡があり夏道がついていた。
    雨と風が弱まったのが幸いで、アイゼンを外し、序でにウエストバックからクリームパンを取り出し口に放り込んだ。
    何度も写真を撮りたい箇所に出会しているのだが、防水では無いカメラを取り出すには雨が強すぎて、雪渓のハイライトは撮れずに居た。
    雨が弱まり、一息入れたのをチャンスとカメラを取り出したが、水滴でひっ付いたレンズカバーが開かなくなっていた。

    枝沢の残雪と転々と残る落石・・・たぶん草付き辺りで撮ったもの

     霧の中で見える草付きは小さく、アイゼンを脱ぐのは面倒だと思ったが、歩いてみると意外に大きかった。
    滑り落ちる恐怖から開放されはしたが、しかし、岩と小石が混ざった泥の道は決して歩きやすくは無かった。
    吹雪の山でもあてに出来たGPSが今回はとても調子が悪い・・・岩の谷間では電波が反射するとか 不都合が有るのだろうか?。 GPSが示す自分の位置は夏道から随分離れた所に居る事になっているが、地図を見ると草付きで間違いは無かった。
    アイゼンを手に持っているので両手が塞がっていて歩き難い。
    草付きが終わって、再度アイゼンを履いた。
    標高は1750と出ている・・・当たっているとすれば稜線まであと僅か100メートル、直線距離で200か?250メートルか、だ。
    何も見えない上に向かって歩き始めるが、今までに無い急傾斜にアキレス腱が伸び切ってしまいそうだった。
    あれっと思ったら、左手の方を大きな黒いウサギが転がるように走って行った・・・なんだ、落石かと分ったが恐怖感は無かった。
    今は目の前の傾斜に集中するのに精一杯で他の事はどうでも良かった。
    案内図ではやや左方向へトラバース気味に行くと梅花皮木小屋の真下に出ると書かれていたが、この雪面でトラバースする勇気はなかった。
    いや、少しでも上が見えていれば目標がとれるのだが、何も見えない雪面は真っ直ぐ行く事さえ難しい。
    今回は最大限に軽量化を図った荷物だが、それでも、このような斜面では背中の重みが一歩を慎重にさせる。
    ピッケルを両手で握り雪面に突き刺し、右足、左足と一歩づつ上がる・・・ピッケルが刺さっていない時には足は出さない、38年前に覚えた通りに登る。
    左足のふくらはぎが限界を訴えようとする・・・まだほんのちょっと余裕のある右足が、俺が踏ん張るから少し休めと言う。

     あっ、雪渓が終わった・・・黒々とした土と緑の草が見えた。
    しかし、最後に取り付いた草付きが曲者だった・・・本日最大の難所は間違いなくここだった。
    ズルズルに滑る泥の斜面に、手がかりは、掴んで引っ張ればすっぽ抜ける軟弱な草ばかりだ。
    アイゼンを脱がなければ良かったと思ったが後の祭りだし、おまけにそれを手に持ったままだった。
    合羽を泥だらけにし、なんとか登り切って稜線に出たが小屋は見えなかった。
    ほんの少し東方向へ下って小屋に当たった・・・80メートル程西側へずれていたようだ。
    14時、最後の詰めで泥との格闘に20分を費やし、完全に参った状態で梅花皮木小屋へへたり込んだ。
    靴の中までぐしょぐしょで寒かった・・・まずは着替え、餅入りラーメンを喰い、感激のビールで一人乾杯して寝袋に入った。

    梅花皮木小屋は快適です・・・室内にコンクリートを張りコンロを使える場所を作ってあります。

     餅入りラーメンの威力は凄い・・・いや、一眠りしたからか?
    かなり回復した・・・水汲みに行かなければならないが、正確な場所を知らない。
    登山地図にはあたかも小屋に水場が付随しているように書いてあるが、そうでは無かった。
    雨が強くなり、ガスで10メートル先も見えなくなっている・・・水が無い・・・手持ちは、750ccの真水と、500ccの番茶だ。
    まあ、これだけ有ればなんとかなるか・・・と、言う事で水汲みは止めて、焼酎タイムを決め込んだ。

    これが晩飯です・・・レトルト食品は水が使い回せるので重いけど有用。

     まだ6時前だったが他にする事も無いのでさっさと晩飯を喰って寝てしまう事にする・・・新潟のFMしか入らないので野球が聞けない。
    チーズと柿の種を喰いながらカレーを温めつつ、焼酎を飲む・・・室温は12度、夏なのに、ダウンのパンツとジャケットが快適だ。
    この小屋のトイレは画期的な事に水洗なのだが、冬期用の汲み取りトイレも一つ有り、そこからの芳香が、そこはかと無く漂うのがちょっと気になる。
    梅花皮木小屋の利用協力金は1500円なのだが、私は千円札を2枚しか持っていず、太っ腹を決め込み、全財産を置いて来た。

    晩飯を喰った後の全食料・・・うーん、豪華だ



     7月3日 木曜日・・・北俣岳〜梶川尾根を経て飯豊山荘へ

     3時半に一度起きたが、あまりの土砂降りと強風で(小屋が唸る)とても出発できる状況では無い事を知り、再度寝る・・・ナンボでも寝られる。
    再び目を覚ましラジオのスイッチを入れたが、FMはニュースや天気予報が少なく役に立たない。
    外に出てみたが風雨は弱まる気配がなく、下手をすると本日停滞・・・缶詰か?
    5時半には出られる準備は整ったが、まだダメだった・・・寝袋を仕舞うのが早すぎた。

    梅花皮木小屋全貌

     7時・・・頭の帽子がなんとか飛ば無い程度に風が収まった。
    これなら行けるだろうと梅花皮木小屋を出発・・・行く手には何も見えないが、道は北俣岳へ向かって登って行く。

    あっという間に北俣岳山頂

    今日も元気だ・・・標高差150メートル距離にして500メートル程度は朝飯前だ・・・いや、ラーメンを腹いっぱい喰ったんだが。
    東北では貴重な存在の2000メートル峰なのだが、北俣岳2024メートルの頂上は実に呆気なかった。
    それもそうだ・・・ガスって展望も何も無いのだから、頂上の標識が無ければ黙って通り過ぎる。

    北俣岳の山頂付近のミヤマウスユキソウ(ヒナウスユキソウ)

       北俣岳の山頂は風が弱かった・・・梅花皮木小屋は鞍部になっていて風の通り道なのかも知れない。
    雨が小振りになり合羽の前のファスナーを幾分開けられるようになった。

    ギルダの池・・・水面に青空が映ったらどれほど素晴らしいのか

     北俣岳からは緩く下りながら門内岳を目指す。
    途中にはギルダ原のお花畑など見所が有るのだが、雨と霧に包まれ冴えない・・・ところで、ギルダってナニ?
    もとより、本来見えるはずの飯豊本山などの山並みは全く見えていない・・・と、言うよりも、自分が山頂を踏んだ山の姿も分っていない。

    門内岳山頂・・・飯豊は信仰の山だから頂きには必ず祠があるようだ。

     歩く事1時間足らず、門内岳の山頂から少し下ったら門内小屋に当たった。
    ここで水が汲めると思って来たのだが、水道の蛇口は金具が取り外されておりダメだった・・・管理人が居ない時には出無い事になっているのか?
    他に水場が有るのだろうが、私には分らない・・・地図には詳しい記載が無い。
    余談だが、朝日連峰の登山地図では、小屋まわりの水場をかなり詳しく書いているが、飯豊版では水場マークが記載されるのみだ。
    これだと知っている人は分るが、知らない人には見当がつかない。
    私の場合濃霧で、本来見れば分るものが見えていなかったのかも知れないが、これにはチョット難儀した。

    門内小屋は商売も上手なようです。

     大声でコンチワァーと言いながらドアを開けたが、誰も居なかった。
    しかし、床が濡れている事から、誰かが訪れて出て行った後であるのは間違いなかった。
    休憩を取るほど歩いては居なかったが雨風が当たらない小屋は嬉しく、つい長居をしてしまう。
    トイレに行ったり、小屋周りを歩いて古い石室を見るなどして思わぬ時間を費やしてしまった。
    トイレは今流行のバイオトイレなのだが、おがくずの撹拌を自転車のペダルを漕いで行う所がオシャレだった。

    自転車漕ぎでの撹拌は、ベルトが滑って上手く廻りませんで、実用は手回しに利が有った。

     昔の石室が取り壊されずに残っていた・・・物置かなんかに使われているのだろう。
    私が高校生の頃の避難小屋と言えば、標高が高く積雪の多い山では間違いなく石室だった。
    吹雪の時などはこの上なく心強いのだが、窓の無い石の穴蔵は暗く、湿気も多く、暑い夏場はとても使えなかった。
    門内岳の石室を見て、懐かしい思いで写真を撮った・・・まあ、蔵王でもまだ残ってましたけど。

    石室です・・・核シェルターにはならないか?

     さて、思わず長居をしてしまった門内小屋から出て先へ向かおうとしたが、どっちへ行くべきなのか、迷った。
    小屋のまわりと言うのは踏み跡も四方に伸び、視界が無いと意外に苦労する。
    適当に向かった道にはなんか見覚えが有った・・・先ほど自分が通って来た道だもの、当たり前だった。
    当然地図を出し、コンパス当てたのだが、雨水が溜まっているウエストバックから地図を取り出してみるのは結構億劫で、出来ればすんなりと行きたい。

    扇の地紙・分岐点の標識・・・黒い影はレンズキャップで、ボケているのは水滴が原因でした。

     9時30分に最後の分岐点、扇の地紙に着いた・・・ここからは一本道で、後は下るだけだ。
    水が少ないのが気になるが、上手い事に小雨と曇天で、しかも気温も低く喉は乾かなかった。
    ここから梶川尾根を下って行き、地図では、途中わずかに登り返すピークが二つ有るようだが、基本的には下り一方だ。
    キツイ登りが無いと言うのは気持ちが楽になり開放される・・・しかし、それは大いなる錯覚、単なる勘違いであり、凄まじい下りに泣くのだが。

    薄いピンクがヒメサユリ・黄色はニッコウキスゲ・・・だと思うけど?花の名前は自信無い。

     扇の地紙(1889)から梶川峰(1692)まで緩く下る道はさながら花街道だった・・・今の時期はヒメサユリに人気がある。
    雨が降ったり止んだりで思うような写真も撮れなかったが、しかし、仮に好天だったとしても私ごときの腕ではあの風景には歯が立たない。
    半端な写真を撮って悔やむなら自分の気持ちの中に咲かせておく方がなんぼか良い、などと言い聞かせるが、それでも見事な花畑は私の足を度々止めた。

    地図によれば、 梶川峰から下って滝見場の展望台へ至る途中に五郎清水と言うのが有るらしい・・・最後の水場でやっと冷たい水が飲めるかと思った。
    しかし、水場の標識には出合ったが、距離も方向も記されては居なかった・・・まあ、踏み跡が有って行くべき筋は分ったが。
    本気で水が欲しかったなら迷わず踏み跡を辿ったが、稜線上の水場は得てして随分降りる事が多く私は躊躇した。
    手持ちの番茶は残り150cc・・・地図では残り4時間程掛かる事になっていたが、私は2時間強で行くと踏んで先へ向かった。
    雨が霧雨程度まで収まったのを見て、合羽の上着を脱いで身軽になった・・・高度が下がって暑くなり合羽が鬱陶しかった。

     湯沢峰(1021)で少し登り返したが、ここまでの道筋は、下り一辺倒で、相当足に来た。
    しかも、雨で地面はズルズルに緩み、石は浮き、濡れた岩に不用意に足を置くとこれも良く滑った。
    ピッケルの石突きを土の地面に刺すと登山道が荒れるので忍びないとは思ったが、しかし、転ぶのも嫌だ。
    登山道にゴメンゴメンと謝りながらピッケルを杖にしてズルズルの道を下って来た。

     しかし、下りの本番は湯沢峰からだった。
    いや、文字や言葉ではとても伝えきれないので、もの凄い下りだった、とだけ書く事にするが、私の中では過去一番多のきつい下りだった。
    岩・木の根・浮き石・泥・落ち葉・砂・小砂利・・・ありとあらゆる滑る元が有る上に、傾斜は、転がり落ちるようなものだから、推して知るべしだ。

    登山者カウンターです・・・往復して人数を増やすなどと言うバカな事はしてません。

     歯を食いしばりながらグイグイと高度を下げて来たら、石転び沢が見えた・・・姿の見える前に激流の轟音が先に聞こえたが。
    へえ・・・まだこんなに有るのか、と高度感に驚きつつも下り続けると、直ぐに、飯豊山荘の赤い屋根が見えた。
    しかし、近そうに見えるが、ここからがまた一段と凄い下りになり、中々思うように進まない。
    赤い屋根が見えた時には、もうすぐゴールと思い、時計を見て12時少し過ぎには終わるな、と読んだが、それは大間違いだった。
    結局読みは大きく外れ、12時45分に駐車場到着で、今回の山行は終了した。


     石転び雪渓の登りや、梶川尾根の下りは、私なりの感想であり、それほどキツイと思わない人も多い事でしょう。
    大雨に祟られたので辛かったと言う事もありますが、ほとんど参考にはならないと思いますので、これはフィクションだと思って読んで頂ければ幸いです。

     この話 完


    まあ、適当に書いてますんで、間違いが有っても見逃してやって下さい・・・


    ご意見ご感想は 承っておりませんが・・・


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