ILOGまで
メモも無く、記憶を頼りに書くのはほとんど限界であります。かくなる上は写真の順番にもっともらしい講釈を垂れるしか手立ては無いのでありますが、その写真の前後関係さえも?となれば、書かれている事の信憑性はとってもとっても怪しいのであります。しかしその辺は、まあ、馬鹿やろうが本当にもう・・・と言う感じでお許し御勘弁下さい。
バコロドから郊外に抜けて走ると、海沿いの景色がしばらく続きます。その景色はネグロスオリエンタルとそれほど違うものでは無く、どこにでも有るフィリピンの景色です。時折、バランガイの集落を抜ける時に見かける市場で売っている物にも違いは無く、「タラバ」と呼ばれる岩牡蠣がとても安く売られていました。しかしここからドゥマゲッティーまで持って帰る事は出来ないので買うのは諦めました。
バコロド近辺は闘鶏用の鶏の産地でも有ります。闘鶏はフィリピン全土で盛んですが、ここバコロドでは鶏を育てるのが盛んです。鶏の飼い方にもそれぞれの工夫が有って、有名な人が育てた鶏は高く取り引きされています。多い人では200羽〜300羽と飼いますが、飼料は完全に配合飼料を与え、ビタミン剤などの栄養剤も与え無ければならない為相当なお金が掛かります。
1羽にひと屋根、鶏の日除け・雨よけです
夜明け前から鳴き始める鶏の合唱は物凄い騒音です
ILOGからはまた山道に入ります。しかしカンラオンに向かった時のように急速に高度を上げるのでは無く、少しづづ高原に登って行く感じで上がって行きます。途中の景色はほとんどがサトウキビ畑でした。山に向かってのサトウキビ畑では大型のトラクターに混じって水牛が活躍していました。
刈り取り後のサトウキビ畑を焼いています
遠くに水牛が2頭歩いています
山に向かってからしばらく高原を走りました。その景色がまるで、岩手県の平庭高原に似ていて(分からない人がほとんどでしたか?)とても懐かしい感じがしました。途中凄い雨に会い、一瞬で前が見えなくなり、数分で晴れる、日本の夏の夕立ちを思わせる雨に出会いました。
降リ始めのフロントガラス 右端の黄色い看板で路肩を確認しました
一瞬で前が見えなくなりその場に停車しました
素朴な農村・山村風景は数十年前の東北地方と良く似ていて、水牛に引かれる荷馬車などは昔の日本の風景とそっくりでした。もっとも日本では水牛では有りませんでしたが。
水牛の事をビサヤ地方ではカラバオと言います。主に使役用の牛で農作業から荷車引きまで、石油のいらない動力としてフィリピンの山間部では今も大切にされているようです。
一家で水汲みに行くところだそうです
荷車の車輪に御注目・・・木製の手作りです
山間部は経済的には貧しいのでしようか。今はこんな場所でも電気が通っていて、電気を使うには現金が必要になります。現金収入を得る為に、自分達が食べる物のばかりを作ってはいられなくなり、売れる作物を作らなければならなくなったそうです。わずかに得られる現金は便利な生活の為の費用に消えて行くのですが、私の目にはけっして便利にも豊かに映らない暮らしでした。
廃屋ではありません
洗濯物が干されていました。
晴海汽船と書かれていました
総数では100個以上有りました
アヨロ大統領のポスターです
ここはバイスとバヤワンへの分かれ道
水浴びと洗濯の情景
一家総出で一日遊んでいるようです
水は結構冷たいのですが
シャンプーする人、泳ぐ人それぞれです
板で叩いて洗っていました
お喋りが主か、洗濯が主か
邪魔なトラック
これも18トン積んでいます
バイスの看板が出ました
バイスの工場行きのトラック
私が駆け足で回ったネグロス島の紹介はほとんどインチキかも知れません。
たまたまその時だけの事を捉えて書いていたりするかも知れません。
でも、見た事以外は写したり書いたりしてていないので、写真の絵と景色は本当の事です。
こんなホームページや写真でも、見た人が、ネグロスに行ってみたいと思ってくれたらしめたものです。
行ってみようか?と思った時には是非御一報下さい。
情報を提供などと言う大それた事は出来ませんが、少しはお役に立てると思います。
お役に立つ?・・・いえいえ、誘ってくれたらまた軽トラで御一緒しますよ・・・是非。
たった1泊2日を針小棒大に引っ張って、やっとお終いです。
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