南風のたよりNo35


    南の島の話し・・・あれこれ 


      クリスマス島・・・?

     12月半ばから、とても寒い日が続いていた。台風なのか、ただの低気圧なのか、そんな事はどうでも良くって、とにかく寒い雨降りの日が続いていた。もうすぐクリスマス。何処の家も何がしかの飾りを付けて、フィリピン特有の長いながいクリスマスウィークを楽しんでいる。
     このシーズンの土曜、日曜はあちらこちらでパーティーが開かれている。大きな会社や商店では、社員やその家族、日頃のお客などを呼んでパーティーをするのだが、その会場は屋外である事も多く、雨降りは良く無い。それでもガソリンスタンドを早終いして、スタンドの屋根の下でパーティーをしていたりする光景が見られる。さすがにスタンドのパーティーに爆竹やロケット花火は見られなかった。
     12月20日の土曜日はドゥマゲッティーの街のクリスマスパーティーのピークだったようで、ハードウエァーショップの広い敷地にテントを張ってパーティーをしていたり、ビール会社のトラックの駐車場でも大規模なパーティーが開かれていた。
    私は家を建てるのに大量のセメントを買っているので、大きな顔でハードウェア−ショップのパーティーに顔を出して、フィリピン人を押し退けてものすごいスピードで飲み食いして20分で退散した。逃げ出した理由はパーティーの会場で交わされる挨拶に辟易していたからだった。ろくに理解できないビサヤ語と酔っ払いの英語の挨拶と質問攻めに参ったからだった。
     この日は殊の外寒い一日だった。吐く息が白くなる、などと言う事が有るはずは無いが、私の気持ち的にはそんな雰囲気だった。雨で濡れると余計に寒く、ほとんどの人が長そでの衣類を着ていた。私は、Tシャツの上に長そでのフリースを着て、しかも、日が暮れてからはその上にダイビング用のコートまで羽織っていた。  

      夜、眠る木

     MAngnaoの新しい家の脇に、ジャクフルーツの木がある。今ちょうど実を付けていて、もうすぐ食べごろである。
    このジャクフルーツは夜になると葉を閉じて眠る。夕日が当らなくなった場所から少しづつ閉じていくのを見ると、温度ではなく、光りを感じる事ができるのだと思う。朝はしかし、どこか一部の葉に光が当り出すと、木全体が起き出すのか、やがてそわそわした感じが木全体に伺え、そろそろと葉が開き出す。
    朝から無風で天気の良い日などは、ほんの少し光が当っただけで開き出すが、曇りや雨の日には、ジャクフルーツも寝坊をする。日が昇りきってから葉が開く。

     ドラッグテスト

    免許の申請や更新時にはドラッグテストを受けなければならない。これがけっこう面倒と言うか、恥ずかしいと言うか、とにかく大変なのである。
    日本の公安委員会にあたるLT0の窓口で書類をもらい金を払ってから身体検査とドラッグテストを受ける。ドラッグテストは別料金で400ペソだったと思うが、定かでは無い。受ける場所は市内に3箇所ほど有り、どこで受けてもかまわない。
    私は昼休みに行った為に、LTOの前に有る試験場が閉まっていたので市内の窓口へ行った。そこには可愛い女性検査官が二人いて、親切に応対してくれた。
    まず箱の中の10本ほどのボトルの中から1本を選べと言われる。検査官が手渡したものだと後で問題が有った時に困るので、被験者に選ばせるのだとの事だった。そのボトルは150ccほどの容量で、それに一杯の小便を入れて来いと言われる。場所はトイレで行なわれるのだが、扉は開けたまましなければならない。そして、その間、検査官の女性はその行為を監視している。まあ、正面向いてしろとは言われなかったが、背中に視線を感じるとなかなか出にくいものである。冒頭に可愛い女性検査官と書いたのは冗談でも何でも無く、本当に小便をしている間抜けな姿を見られるのは恥ずかしくなるキュートな女性だったのである。
    なかなか出無い小便に冷や汗を流しながらもなんとかボトルを一杯にして手渡すと、まず温度を計る。35度〜37度程度の間で無ければならないらしい。そしてその後別室で何やら検査しているらしいのだが、そこは見せて貰えなかった。
    15分程で検査結果は出て、もちろん陽性だった・・・うそです。
    待ち時間の間に別の検査官に聞いたところ、シャブを使っても1週間後なら出ないと言う事なのでほとんど意味が無いようにも思うが、常習者にはその1週間がきついのかも知れない、などと独りで納得していた。
    私がドラッグテストで一番難しかったのは書類の記入である。いくつかの質問にYESかNOで答え、その上書き込みの欄まであって、私には手も足も出なかったので、全部検査官の女性に書いてもらった。
    帰りがけに検査官に、今度の休みにビーチに遊びに行かないか、と誘ったのだが、休みの日は子供と遊ぶ日なのだと断られた。残念だった。

     中国・韓国製品

    少し前のフィリピンの電化製品は日本製がメインだった。扇風機、テレビ、冷蔵庫、CDプレーヤー、炊飯器、なんでも日本製だった。一流メーカーや無名のメーカー様々が入り乱れていたが、日本ブランドが信頼されていた。
    例えば扇風機などでは以前から安い中国製が売られてはいたが、品質の面で受け入れられていなかったと思う。すぐに壊れるから日本の一流ブランド品を買うと言う人が多かった。日本の一流ブランド、パナソニックやソニーは高いが丈夫で長く使えて得だ、で通っていた。製造国をみると大半がマレーシアなどの他のアジアの国で、決してメイドインジャパンでは無いのだが、ジャパンはブランドだった。
    コピー物が出回って、そのネーミングに笑ってしまった物も多かった。ソミ−やナイワなどは、ウォークマンタイプのテーププレイヤーでは良く売られていた。
    今、安売り専門店や郊外のスーパーに限って言えば、日本製の家電品は皆無になった。ほとんどが中国製か韓国製である。エアコン、冷蔵庫、電球や蛍光灯は韓国製が多く、テレビとCDとDVDプレーヤーはほとんどが中国製だった。
    この家電売り場には日本製は無かった。
    市内の電気店では安い中国製よりも日本ブランドが勢力を保っているが、それでも価格競争が厳しい為か、テレビなどは旧型の球面ブラウン管の安物が主流だった。
    液晶テレビやワイドフラット画面はまだまだ高嶺の花と言ったところで、今のフィリピンには中国製品が一番浸透しやすいのだと実感する。
    今テレビで一番売れているのはPENSONICである。21インチ、ステレオで9800ペソである。9800ペソは公務員の一月の給料位の金額である。
    ちなみに文房具や紙類も韓国と中国に席巻されてしまっている。もう日本製のボールペンを有り難がって使う時代は終わったようだ。

     COKARION・フェリー

    急に日本に帰らなければならない用事が出来て、夜のフェリーでセブに向かう事になった。
    夜の11時30分にドゥマゲッティーを出航して翌朝6時30分にセブの港に入るコカリオンと言うフェリーに乗った。同じ名前の船で一度、ミンダナオのダピタンまで行った事が有ったが、その船とは違うコカリオンのようだった。あの時よりもひと回り小さく感じた。
    セブまで420ペソのエアコンの部屋のチケットを買って乗り込んだ。デッキの2段ベットもエアコンの部屋の2段ベットも、ベットのスペース的には変わらないどころか、足下のスペースはエアコンの部屋の方が狭く、私の身長では足は伸ばせなかった。
    しかし、エアコン部屋の2段ベットには、シーツと枕と枕カバーの清潔な物が配られるので気分は良かった。この船ではここが一番良い部屋のようだが、走り出してからはエンジンオンが部屋にこもってけっこううるさくて、慣れない人や気になる人は眠れないだろうと思う。
    昔むかし、仙台発、苫小牧行きフェリーや、青函連絡船や新潟から佐渡までのフェリーなどに良く乗っていた。フェリーの旅が大好きだったのである。日本のフェリーは入港してから次の出航までにけっこう長い時間停泊している。ドゥマゲッティー発のコカリオンは車の積みおろしも素早く、入港してから次の出航まで1時間半程度である。車、野菜、ブタ、ニワトリ、人間、建築資材、大量の段ボール箱などが手際良く積み込まれる。日本のフェリーとコカリオンの最大の違いは、安全に対する基準なのだろうと思う。多分、コカリオンが沈めば大量の遭難者が出るだろうと思う。非常用通路も荷物で塞がっているし、誘導灯なども有ったり無かったりである。救命胴衣も見かけはするが、数量や状態は?である。
    私にはフィリピンスタイル、日本スタイル、どちらでも良いと思える。安全面で信用ならないと思うなら乗らなければ良いのだ。もっと快適で安全なフェリーにするのは金をかければ良いだけの事だから簡単である。しかし、その分のコストが運賃に跳ね返るくらいなら、フィリピン人は、安全は運に任せて笑いながら乗り続けるだろうと思う。
    つい先日もパラワンでフェリーが沈んで150人だかが亡くなったが、年間にすれば、フエリ−が沈んで亡くなる人の数は日本の交通事故の死者よりはずっと少ないはずだ。
    フェリーや車の安全基準、建築もしかりだ。どれをとっても日本の方が数段優れているように感じる。しかし、そのコストは誰が負担しているのだろうと思うと、責任は自分で持つから、もっとローコストで金のかからない社会が住みやすいと思うのは、私の考え方がおかしいのだろうか?
    フェリーは6時30分ぴったりに接岸した。サイドスラスターは無いと思える船で、その操船は見事だった。
    接岸する前にタラップは降ろし始められ、タラップの先端が地面に着くのと同時にゲートが開けられ下船できた。私は7時50分の成田行きのフィリピン航空に乗りたかったので急いでいた。港から空港までは混んでいなければタクシーで20〜25分だ。搭乗便の変更をチェックインカウンターで受け付けて貰えなければ乗れないのであるが、幸い今日に限っては、持っているチケットが格安チケットでは無くて、普通のチケットなので座席に空きさえ有れば問題は無いはずだった。
    7時ちょうどに空港に着いたが、国際線の搭乗カウンターには誰もいなかった。黙ってチケットを出して、便の変更を言おうとしたら、荷物はそれだけかと聞いて来た。何の問題も無く乗れたのだった。

    では、また。

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