日記
1月3日
まずは切符を買わなきゃ帰れないので切符を買う。往復にするか周遊券にするか迷ったけれど、確認のため値段を聞いてみたらなんと80円差。なめてるわ・・・。80円差ってことはこっちで1回でも電車に乗れば周遊券の方が得って事でしょ。周遊券を買う。赤羽で京浜東北に乗り換えて東京駅に行こうかと思ったが、赤羽での乗り換えはホームのはじからはじまでが遠いのでやめた。新宿で中央線に乗り換えていくことにする。と、思っていたらハッテンメイトが板橋で乗ってきた。あたしも当然のようにハッテン車両に乗ってたんだけど、それは乗り換えに便利だからよ。さすがに荷物抱えてハッテンするのもちょっとねえ。いやん、新年のご挨拶でもするべきかしら?と、思っても声もかけられないほど混んでたので声をかけられないまま新宿駅。ご挨拶しておきましょ、と思ったけど、彼の方はさっさと降りていってしまった。急いでるのかしら?と思ったら、彼は隣のホームへ。いやん、今乗ってきたルートを引き返すつもりね。つまりそれはハッテン目的往復って事ね、気持ちはわかるわ、でも正月早々アンタも頑張るわねえ。
東京駅で弁当を買った。柳川めしにしようかと思ったんだけど、豚カツ弁当にゴボウサラダがついているのを発見。そっちにする。あたしはなぜかゴボウサラダに目がないのよねえ。飲み物も買おうと思ったら他のものはみんな110円なのにお茶とウーロン茶だけが150円。玉露とか鉄観音とか書いてるけど結局それって売れ筋商品は高めに設定って事でしょ、せこいわ〜。でもいいの、あたしはJAVA TEAを買ったから。でも全然ご飯に合わなかったわ。田中律子のウソツキ。わかってないのはアンタよ。
夜の新幹線は好きだ。窓が鏡になって、そこに映る私は細かい欠点が消えた淡い輪郭だけ。ナルシシズムに酩酊するには最もいい鏡だ。地味だと思っていた自分の顔も改めて見ると造作は意外と大きい。目も大きいしまつげも長い。眉もくっきりと濃い。輪郭だけの鏡で5歳は若く見える。ジュモーが日本の男の子をモデルに人形を作ったらこんな感じかというような横顔を見せている。<旅情妄想モード。
新幹線の窓から上弦の月が動いて見える。月や太陽って遠くにあるから歩いてると自分についてきてるように見えるでしょ。子供の頃に姉と「おひさんは僕についてきてるの!」「アタシよ」とくだらない喧嘩をしたことを思い出す。そうだ、あのころは世界は狭くて自分を中心に回ってるんだと思ってたんだ。あれはいつ頃までそう思ってたんだろう。両親が周りの大人たちと同じ、人間だという事が理解できたのが12歳の時だったから、それよりは早かったはず。ふとノスタルジックな気分になる。帰省というのは旅情と故郷への想いが重なって余計に変な気分になるらしい。
家についた。いろいろ話をする。2年ぶりに帰ったら家具がごちゃごちゃ増えていた。テレビデオを買っていた。4台目のテレビ。しかし、アンテナにつながっていない。配線が面倒なので(うちはケーブルテレビ。電波の入りが悪いから)やらずにビデオ再生専用にしているらしい。配達にきた店員はテレビを買ったのにアンテナをつなげようとしない家族が腑に落ちない様子だったそうだ。確かにキテレツなことをしていると思う。母がだいぶ飲むようになったらしい。うちの父は下戸なので父の手前決まり悪がって昔はあまり飲まなかった母だが、最近は夜になって、洗い物をしてたりするときに体力がなくなってきて動けなくなるので気付け薬代わりに飲んでいるらしい(と、いういいわけかもしれんが)。棚を見ると、ヤマモモ酒、梅酒、かりん酒、さくらんぼ酒、ぶどう酒、といろいろつけこんであった。果実酒と言えばそれもかわいらしいがアルコール度数は35度。あまり飲み過ぎるな母。私の部屋はあるが、今の家は私が埼玉で暮らしだしてから建てたものなので私はここで暮らしたことがない。だから懐かしいとかそんな感情はあまり、ない。この部屋は五分の一ほど物置扱いになっていて、つけ込んでいる途中の酒やら人形やらが置いてある。なぜかテレビとビデオ、父のパソコンなどが置いてあるのはなんとなく家族ここを使っていることもあるのだろう。みんなそれぞれの部屋があるのにね。3年ほど前から自宅で木彫を教えている母の作業室は散らかり具合がプロっぽくなっていた。いろいろやっている人なので皮の縫製用のミシンやら、普通のミシンやら作業台やら、布の切れ端やらが散らかっている。遠い将来私がやりたかったことを今の母がやっているのは奇妙な気分だ。
父のパソコンでこれを書いているが98ノートなので使いにくい。しかもネットにつながっていないのでなにもできない。
友達と連絡をとって明日のランチを奢らせることにする。風呂に入って寝よう。晩御飯はすき焼きだった。
1月4日
昨日は久しぶりに読んだ本がおもしろくて結局寝たのは朝方だった。12時に起きておせちとぜんざいでブランチ(とは言えんメニュー)。友達に会いに出かける。友達は模型屋で働いてるので、この時期なかなか休みがとれん。昼食だけ一緒にする。妙に世帯を持ちたいというか結婚したがってておかしかった。セクシャリティの違いはあるにせよ、私はまだ落ち着きたいとかそういう思いはあんまりないからね。24階の料理屋から見る神戸の街は壮観である。海と山に挟まれて、山を浸食していくように一面建物が並んでいる。下を歩いていると緑も意外と多いのだが、上からは全く見えない。それは人間の英知の象徴のようで美しい。街には美しい街と、汚い街と、つまらない街がある。つまらない街というのは新興住宅地のように平面で、安っぽい同じような建物が続いていて、広い道路の脇にファミレスがあるようなところだ。それならいっそ田舎の方がいいと思う。神戸は最高に美しい街のひとつだろう。山の傾斜を生かした建物の群は散歩する人を飽きさせず、疲れさせない。延々平たく似たような建物が続く道は消耗するから嫌だ。料理屋の窓からトンビが飛んでいるのが間近に見えた。キスの天ぷらと茶碗蒸しの中の鶏肉がうまかった。友達と別れたら3時半。中途半端な時間だ。夕食は7時からで鉄板焼きだと母が言っていたので、きちんと時間に帰らねばならぬ。と、いうか、晩御飯を外で食べてくるなどと言うと、誰と会うか、どこへ行くのかいちいち聞かれてうざいので、それなら夜は出かけるのをやめようと思ってしまうのだ。一人暮らしでよかった。まあ、たまになら団欒もいいもんだが。
三宮のほうに出ようかとも思ったが時間に余裕がないのでやめて、垂水へ行くことにした。ここは昔、私が住んでいた町である。うちは道路拡張の際の立ち退きで須磨区に移ったのだ。それは私が一人暮らしを始めた後のことだから、どうも須磨区は実家といってもなじみがない。いいところだが。宅配にくる牛乳屋の「白薔薇牛乳」ってネーミングがしびれるわ。
垂水の海を見に行った。けして美しくはない。しかも埋め立て工事をしていて面変わりしていた。でもここが私の育った街で、潮風も同じだった。自分のアイデンティティを確立したのはここでだと再確認する。釣りをしている人がいて、アイナメが釣れていた。パチンコに行って、ゲーセンにも寄った。駅前はずいぶん変わっていた。もともと大型ビルを建てる予定だったのが、震災で立ち退いた人が多くて予定が早まったのか、大型ビルばかりになっていた。究極にうまくて通い詰めたお好み焼き屋がなくなっていてショック。昔の家に行ってみる。家のあった土地は少し道路になっていて、残りはマンションが建って、1階は和菓子屋になっていた。全てがなくなったことが悲しい。今更だけど。どんなに他のものを得てもダメなこともあるらしい。あの家がなくなったことで故郷を無くしたような気がする。好きだったキンモクセイもすっぱかったビワの木も小学生の時に父親と作った池も、もう全てがない。帰りにレイブドゥシェフでケーキとチョコレートと生チョコを買う。私の最もおいしいと思うケーキ屋のひとつである。
家の門の横の垣の上に鉄の柵ができていたので、母に「あれ前にはなかったよね?」と聞いたら、「アンタが乗り越えて入るから近所の人目が悪いと思って作った」と言われた。確かに門を開けるのがめんどくさいので、よく乗り越えて入ってたが(低い垣というか高い花壇みたいなもんなのよ)そこまですることはないだろう。いったいいくら使ったんだ、そんなことに。その金をくれるならこれから生涯きちんと門から出入りすることを誓ってもいいわよ。トンチンカンなことをする人だ。
昨日書き忘れたことを思い出した。外国に手紙を出したかったので(英語)姉に住所の書き方とかを聞いた(姉は外国語学部卒)。そしたら周りにいた親戚やら母が、その相手が男か女かとかどんな関係かとかどうやって知り合ったのかとか聞き出した。なんでそんなに熱心に聞くのかと思ったら、ひょっとしてつきあってて結婚する気じゃないかと思ったらしい。・・・馬鹿らしい。ゲイの男だぞ、相手は。一応焦点をぼかして、男であることだけを説明。しかし伯母(還暦過ぎ)が、「外人の女は絶対ダメよ」、と言う。この伯母は旦那が翻訳家で、10年ほどノルウェイで暮らした人なのでこういったことに何か一家言あるのかと思って皆が話を聞く態勢に入った。しかし、そこで伯母が言ったことは「N(アタシの名字)に外人の血を入れるなんて絶対にダメ」だった。ほぇ〜。今時そんなことを言う人がいるなんて想像外だったので驚き。そんなもんかしらねえ。まあ、アタシは本家の長男だし、Nの家にはもう未婚の男子がいない(それに、アタシ以外はみんな50の坂を越えてるのでもういまさら子供はできんだろう)てのはあるにしたってねえ。だって別に普通のサラリーマンの家だし、なにか家業があるわけでもないのよ。ま、ここで「アタシはゲイだから結婚もしないし子供はできないわ〜ん」なんて言う訳にもいかんので聞き流しておいた。それにしても姉はやはり私がゲイなことをわかっているようだ。私が結婚しないことがわかっている口振りだった。
夜になって家族会議(笑)が開かれた。アタシがバイトでフラフラしているからね。まあ、しょうがないか。でもこれがあるからあんまり帰りたくないのも事実。しかし3年近くこうやって生活してきたという既成事実が両親をあきらめモードに突入させかけてると見た。もう神戸に帰ってきて住めとは言わないだろう。
1月5日
今日で神戸滞在も最後だ。せっかくなので少しピアノを弾いてみた。誰も弾いていないらしく、調律が狂っている。昼から出かけてやたら買い物。ベッドカバーとか食器とか時計とか指輪とかキーホルダーとかパンツとか本とか。やたらめったら買い込む。指輪なんてしないんだけど、欲しかったから買った。安かったし。しかし、埼玉に移り住んでもうすぐ7年になるというのに、未だに東京も含めて埼玉よりも神戸の店の方がよっぽど買い物がしやすい。まあ、店舗数と店の質(どっちが上、というのではなく)の差もあるだろうが、慣れである。昼は友達と会って食事。そのまま喫茶店に入ってお茶。珍しくブルマンなど飲んでみた。確かにうまいが、ちょっと私には濃い味。やっぱりサントスが一番好きだ。友達はカモミールティーを初めて飲んでみたがまずそうだった。
友達に会って、昨日無くなったことを嘆いていたお好み焼き屋が仮設住宅で営業していることが判明。地図を書いてもらった。後で行ってみることにする。引き続き買い物。6時過ぎに例のお好み屋に行ってみたら、営業時間が終わっていた。がーん。明日帰る前にもう一度寄ってみよう。執念。悔しかったので近所の店でたこ焼きを食べる。神戸の西側以西ではダシ汁につけて食べる明石焼きのことをたこ焼きと言うことが多い。だから私にはソースで食べるたこ焼きの方はあまり馴染みがない。私が食べたのは俗に言う明石焼きのほう。私はソースで食べるやつより、こっちの方が好き。当たり前かもしれんが関西の方が食べ物が安い。
たこ焼きは路肩で売っているのではなくて店で食べるのだが、370円だった。イカ焼きは230円。この店は特に安い。明日はお好み焼き屋でスジ玉、気に入りの喫茶店でシフォンケーキを食べてから帰ることにしよう。この2つは食べないと気がおさまらない。そう予定をたてた以上、早めに家を出なくては。明後日は仕事だし。
駅から歩いて帰ると、ちょっとした登山である。振り返るとすばらしい夜景が広がる。大阪と淡路島、四国の明かりに囲まれた神戸の海は光のリースのようだ。神戸の夜景を見るなら山に登ることをおすすめする。香港の夜景に絶対負けてない。向こうの方が明かりは多いかもしれないけど、こっちのほうが品があってきれいだわ。
家で「NINETEEN」を読む。これはきたがわ翔の漫画。高校生の時に買って実家に置いてあったもの。「アンタのはホモじゃなくてファザコンよ」というセリフに一瞬考えさせられた。目をそらさないように自分の心を見た。父親と寝ることを考えられるか?いいえ。だっこされることを臨むか?はい。幼年期の父親との接触は十分あったか?はい。母親だったら抱き合いたいと思うか?いいえ。それはファザコンだからか?いいえ。母親と抱き合いたいと思わないのは、それが子離れできていない母親との閉鎖的な関係の象徴のような気がして、怖いから。それに最近女性の肉体に対する嫌悪感がましていることもあるからかもしれない。父親ならそれらがなく、安心してだっこされることができるから。変形した胎内回帰願望のようなものだろう。ゲイであることとは別なところから派生した願望のようだ。少なくともセクシャルな願望ではない。それにしても別にファザコンだって悪いことじゃないのにどうしてそんなふうに考えちゃったんだろう。
荷造りをした。寝ることにする。このフロッピーは忘れずに持ち帰らねば。