書き手 | 克也 |
タイトル | 考えたこと(99/09/23) |
私はカラオケは好きじゃないけど、1人でいる時はやたら歌ってます。歩いてる時とか。 歌い出すとわかるけど、その選曲は気分次第。テレビ見ないし、ラジオも聞かないから、偶然前日聞いた、とかそういう影響を受けないのです。 最近、口をついて出ていたのは、ユーミンの「5cmの向こう岸」と「ガールフレンド」。この2つの歌には共通点があります。「5cmの向こう岸」は、背が高い女の子が背が低い男の子とつきあって、結局身長差が原因で別れてしまう、という歌で、 最初からわかってたのはパンプスははけないってこと <中略> 僕も前からおかしかったのさ やっぱりふたり合わないよ 背が違う 並んだら5cmも 「ガールフレンド」はふられた女の子が主人公でその出だしは、 そうみんなが言ったとおり 先は見えてたの あの恋はついに壊れたわ おわかりでしょうか。このふたつの歌は「不幸になる未来が初めからわかっていた」ということを言っています。歌は、その後、明るい未来、友情、優しさ、そういったものを描いて前向きに展開しているのですが、ここだけ抜き出すとただ運命的に不幸になってしまったかのように聴けます。 私自身は、「運命」「しょうがない」なんてことで物事を諦めるのは嫌いです。本当に「しょうがない」としか思えないことがあるのを経験的に知っていても、それでも嫌です。 言葉があるからこそ人間は複雑な思考ができますが、言葉故に縛られることもあると思うのです。「しょうがない」「運命」なんて言葉が安易に遣えるからこそ、そう考えて諦めてしまう。まして、「歌」なんて陶酔しやすい、入り込みやすい形で思考の道筋を誘導されると、気が弱っている時や、頭が十分に働いていない時はそこで思考停止してしまう。その思考のラインに乗ってしまう。きっと催眠術や宗教と同じで、誘導されたいと心のどこかで思っているとかかりやすくなってしまう。 その危険性をわかった上で「最初からわかってた…」と繰り返し繰り返しくちずさんでいた。運命論が自分の思想に反すると思っていても歌っていた。 不幸になることを、運命のせいにしてしまえばきっと楽になれる。全ての努力と責任を放棄できる。でも、私は歌詞の一部分にだけ陶酔するほど馬鹿にはなれない。そして「最初からわかってた」なんて言うには意思が強すぎて、プライドが高すぎる。自分の生きてきた過程を否定できない。現実に、100%自分の意思通りに物事を進めることは無理でも、そうなるように努力はしたい。「運命」の一言で片づけられるほど弱い意志じゃない。そんな安い恋なんてしない。 人に接する時、「相手に対して真摯である」というのは私の基幹になっている。それは、苦い経験を繰り返して、後悔から生まれたものだ。だから、人の思考を誘導したり、操ったりはしたくない。青臭いと思われても、簡単にできると思う場合でも、しない。好きな人に対してなら余計にしない。それは卑怯だと思う。どんなに辛くてもいつも相手に正対しようとする意思が、逃げないことが私が私であり、胸を張っていられる根拠だ。他人にそれを求めてすぎてはいけないと思ってはいるが、恋人には求めたい。せめて付き合っている相手に対してだけでも、それができるだけの勇気を持って欲しい。中途半端な優しい態度なんていらない。 彼から携帯でメールがありました。 「克也のホームページみつけたよ」 私は彼にはホームページを作っていることは言っていたけれど、アドレスは教えなかった。それは、お互い知り合っていく過程で一方の情報が多く伝わると、うまくいかないことがあるのを知っていたからだ。直接私が話したことと、自然に自分で私から感じたことだけで私を知って欲しかった。それとは別に、見られていると思うと好き勝手なことが書けなくなるというのもあったし、昔の彼氏に対するその時の思いを知ったらあまりいい気はしないだろうと思ったのもある。 彼と連絡が取れなくなって、とにかくきちんと話がしたいと思った。もし、捨てられるにせよ、きちんと説明を、彼の気持ちを聞きたかったからだ。せめて私の気持ちを伝えたいと思った。だから、このページのアドレスを教えようかとも思った。結局教えなかったのは、今後も付き合い続けるなら、私が色々と考えていることそのものが重荷になるのではないかと思ったからだ。今、彼には余裕がない。そんな時に知ってしまっては時期尚早で受け止めるだけのキャパシティがないだろうと判断した。 だからメールをすることにした。内容はHPに書いてあるようなことをまとめて、マイルドにして。 まあ、それと、もし別れるなら、ケンカ別れした後もずっとHPを見られるのは嫌だという思いもありました。ここまで不愉快な思いをさせられた上に別れるなら、もう何も与えない、私の思考の断片すら教えたくない、と思ったのです。 |