今回の話題 | 失敗しない彼氏選び |
タイトル | 優しい時間(00/12/31) |
会社で先にお昼に行っていた左隣の女性、Yさんが戻ってきた時のことよ。アタクシ、席に着いたYさんの起こした風の流れにふと感じて「なんか、ハンバーグ臭(しゅう)がする」と言ったの。 Yさん「お昼ファミレスでハンバーグ食べたよ」 アタシ「あ、そうなんだ」 ごく普通に会話をしていたんだけど、Yさんは「実はすごく怖かった」と後で述懐したの。Yさんはアタシが鼻がいいのを知ってるし、匂いでわかったんだと頭ではわかっているらしいんだけど、「N君(アタシ)が言うと、『呪いか何かで見てるの?』と思って怖い」だそうです。ええっ…。せめて千里眼とか魔法の鏡とか…なんか言いようがあるでしょうに。ノロイって。 怖いオネエさん(花のない薔薇)に混じると可憐なかすみ草のアタクシでも、一般人相手だと恐ろしいところがなきにしもあらずなイメージなのかしら?まあ、このページを読まれているようなステキな方はそんなふうには思っていらっしゃらないとは思いますけど、年度末&世紀末、歳末助け合い運動の季節ですし、いつもより優しさアップでお送りする今回のひとことだけはなんと「失敗しない彼氏選び」をお送りいたしますわ。ま、珍しくお役立ち企画ね。 まあ、ゲイが彼氏を作るのなんてやる気さえあれば簡単と言えば簡単なのよ。寝るまでの敷居はノンケに比べて確実に低いだろうし、知り合う場所も豊富だし。問題は安易に彼氏ができるもんだから傷つく経験ばかりが増えてやる気をなくしたり、つきあうということを軽いものにしか考えられなくなることだと思うわ。そんなアナタもこの企画を実践すれば大丈夫、チャレンジよ。 まずはアタクシの過去の話を聞いてちょうだい。アタクシの20代、連続して3人の彼氏が国公立大を卒業・在学・中退だったの。 ピンと来ないかもしれないけど、これは異様よ。アタクシと同世代の男子の大学進学率は30%台後半、その中で国公立大学進学者は7人に1人くらいだったもの。 数字はウロ覚えなんで大体の見当だけど、大雑把に4割の大学進学率だとしても、街を歩いている同世代の男を1人捕まえたとしたら、その人が国公立大卒な可能性は約6%。それが3回連続となると、5千分の1以下の確率になるのよ。 参考:(4/10×1/7)3×100≒0.018% この頃のアタシは、別に彼氏に学歴は求めてなかったけど、この3人の前の専門学校卒の年上の彼氏の学歴コンプレックスに嫌気がさしたり、都心の私立大学生のチャラいのをどうも好ましくなく感じていたのは確かよ。田舎の国立大を出たアタシは「学歴に過剰に反応しない人」「自分に近いノリと感性」を求めていたのね。アタシの通っていた大学では、その当時かなり普及していたはずのポケットベルを持っている人もいなかったし、髪を茶色にすら染めている男もほとんどいなかったもの。アタシ自身、今でもだけど、昔はもっと保守的だったわ。振り返ってみれば、自分と違いすぎるものを受け入れる余裕がなかっただけだと思えるけど。 アタクシ、その過去の男たちと知り合ったのって銭湯とか電車とかだし、学歴を聞くのってどうも恥ずかしくて聞けないのね。人の学歴って気にはなるんだけど、知りたいと思っていることを知られるのが恥ずかしいの。そんなことを知りたがるのは卑しいことだと思われそうで。だから3人とも、つきあうようになってから話の流れで自然に相手から話してもらえるまでに随分時間がかかったわ。 つまり、知らなかったのに、こうも見事に国公立大の人ばかりが揃ったのよ。偶然ではほとんど有り得ない確率よ。 「国立大卒の人」という無意識のフィルタは、おつきあいの上では、役に立ったとは思えないの。当たり前だけど、仮に同じ学校を出たからと言っても、性格が一緒なわけではないし。ただ、共通点はあるのよ。 国立大に行く人って極端なお金持ちはいないし、受験教科数が多いせいか、コツコツ高校の授業に出てて基礎学力があるような真面目な人が多いの。それに高校の段階で「国立コース」を選んでいる人は、元々勉強ができる人が多いように思うわ。私立の3教科なら対策をして詰め込めばできなくはないけど、5教科7科目とかになると、受験のための特訓をしても難しいし。それに加えて、「国立に行かせたがる親」というのが、保守的で、しつけが古風なような気がするの。その結果、少なくとも知識としては、常識のある子供が育つように思うわ。 学歴で人の価値は決まらないけど、その人の過去もその人自身をも知るすべのひとつではあるのよ。それに何より、アタシが多くの男たちの中からこの3人を選び出したのが、帰納的に、学歴が人間に反映していることを証明してるわよ。これは学歴差別がどうたらという話ではなくて、学歴からその人の背後にあるものと、それが反映している現在が読み取れるということよ。 3人目の学歴を知った時、アタクシ、上記の数字を出してみたの。そして、その時に思ったわ。人間って無意識に相当量のデータを読み取って、計算をしているのね。意識的に「この人国立っぽい」とつきあう前に思ったのは1人だけだったもの。 さあ、ここまで言えばもうアタシの言いたいことがおわかりになったのじゃないかしら?そう、「失敗しない彼氏選び」はまず、自分の求める彼氏像を明確に描くこと。そして、それを無意識に叩き込むこと。そうすれば、意識しなくてもアナタは上辺にとらわれずに理想の男を見つけ出し、うまくつきあえればきっと幸せになれるはず。その時には、本当にそれが自分の求める条件かどうかをよく考えてね。それと、たくさんの人に触れ合うことね。そうするうちにフィルタの精度が上がってくるわ。 今日は大晦日です。今年の年越しは彼氏と迎える予定です。実は今の彼氏には不満がいっぱいなのよ。とろくてイラつくとか、変なこだわりがいっぱいあるとか、カジュアルな格好をした時の服のセンスが悪いとか、質問にテキパキ答えられないとか、自分に自信がないとか、すぐすねるとか、アマエタだとか。アタシ、今までのどんな相手よりも、面と向かって怒ったり我儘言ったりしてるわよ。 でも。チョコンと正座してテレビゲームをしているのがかわいいし、マメに立って用事をするし、話をちゃんと聞いてくれるし、アタシのことを好きでいてくれるし、我慢強いし、いいところもいっぱいあるの。昔の恋の相手のように胸を焦がすことはないけど、彼のことを考えると胸が暖かくなるの。 アタシの無意識は多分、電車で彼と出会って手を握っただけで、その表情と手の力の入れ方だけで、彼のいいところのほとんどを感じ取っていたわ。 人は誰も美点があるものだけど、どんな美点を持つ人を選ぶかは自分次第ね。アタシは2ヶ月前の自分が欲しかった美点を持つ人とおつきあいすることになったけど、それが「一生の選択」だとしたら正解だったのかどうかは、今はまだわからないわ。いずれ別れる時が来るかもしれないし、アタシから切り出すことだってないとは言えないわ。 でも今は、おにーさんのくれる優しい時間が好きなの。 なんのかんの言っても、今年はノロケで締めのご挨拶でございます。ホホ。 |
今回の話題 | クリスマス準備 | |
タイトル | 僕はサンタさんの巻(00/12/23) | |
今年のクリスマス商戦、一番強烈なコピーは西武デパートだと思うわ。
思わずブチ★殺してあげたくなりますわね。ホホホ。 「そりゃアンタ違うでしょ、本末転倒よ!」 「こんなのに乗せられるのは真性のバカだけよ!」 「とか言いつつ、世の中夢見がちな人が多いのよね…」 「西武って未婚の若者向けなのかしら…??」 など、色々な思いが錯綜したのはアタシだけではないはずだわ。 「クリスマスのために恋人を作る」なんて言ったら、勘違いするなバカ、焦るなブス、なんて思われてもしょうがないと思うの。それを肯定したコピーを大手デパートがこうも堂々と出してくるなんて、好き嫌いは別にして、こりゃーインパクトあるわ。しっかり覚えちゃったしねえ。 それにしてもこのポスター、通勤路にあるので毎日毎日毎日毎日見ちゃって、どうもおもしろくないわけよ。でもよく考えたらアタシ、彼氏いるのよねえ…。おかげであんまり腹は立たないわ。でもねえ…えー、彼氏がいても恋をしているとは限らないわけでございまして…。ホホホ…。えー、幸せになるコツは物事を深く考えないことでございます。 じゃっ、せめてイベントごとの時くらいは盛り上げてもらいましょ。と、いうわけでアタクシ彼へのプレゼント探しに出かけたのです。 先週の土曜日はおにーさん(注:彼氏)は仕事だったので、コンタクトの受け取りと散髪に出かけた大宮(注:埼玉県の繁華街)でプレゼント探しよ。さて、どうしましょ。マフラーか手袋にしようかと思ったのよ。うーん、丸井かLOFTがいいかしら。ダイエーはちょっとねえ…。ウロウロしていて思ったの。アタシ、デパートの紳士服売り場に一人で来るのものっすごく久しぶりだわ…。 デパートには割とよく行くのよ。勤務地が池袋だから「東が西武で西東武〜♪」だし。お昼をデパートの地下で買ったり、会社帰りに会社の人と食事となったら面倒くさい時はデパートのレストラン街で選んじゃうし。でも服は買わないからそのへんの階にあんまり行ったことがなかったの。 んまあ…改めて見るとデパートってゲイチックな店員さんが多いのね。っていうか、あからさまに「アンタ絶対そうでしょ!」って方が方々に。やだ、もうちょっとマシな格好してくれば良かったわ(←なぜ?)。まあ、それはともかく、アタクシ、大宮丸井をウロウロしておりました。そういやプレゼント買うのもなんだか久しぶり。それにアタシ、どうも冬のイベントに弱いのよ。その時期になると独り身な時が多いのよねえ…。あんまりクリスマスプレゼントって買ったことないような。 で、色々見て回ったんだけど、結局決まらず。は〜。プレゼント選びって難しいわね。 そして夜に「今日は実はおにーさんにクリスマスプレゼント選んでたんだけど、決まらなかったよ」って携帯でメールをしたわけよ。そしたら、「そんなに気合の入ったものはいらないよ。っていうかプレゼント自体いらない」って返って来たの。ムキーッ。アタシの足を棒にした数時間は無駄?「っていうかクリスチャンじゃないし…」って、それはモーニング娘。のDVDとかプレステ2買ってるような俗世間にまみれた人がクリスマスを祝うのを拒む理由にはならないわよ!これはイベントよ! これでかーなーり、カチンと来たアタクシ、もうプレゼント費用がかなり下がることは確実よ。まあ、アタシが勝手に気合入れて探しただけと言えばそうなんだけど、一生懸命クリスマスプレゼントを選んでたのに「クリスチャンじゃないからプレゼントなんていらない」って言われたらがっくりよ。そのくらい察して欲しいと思うのは贅沢かしら? それに、アタシもイベントをそう重視するほうじゃないけど、今時こんなこと素で言う人っているのかしら?だったらアタクシ、「未婚の娘は年越しは家族で迎えるのがうちの風習だから」ってことで初詣も一緒に行かないし、「うちは数え年で新年に年を取ることになってるから」で誕生日も祝わないわよ。 と、なんだかクリスマスを迎える前からかなりテンションの下がったアタクシでございます。 |
今回の話題 | 克也子位置情報 | ||||||||||||
タイトル | 2日目分(00/12/23) | ||||||||||||
今回は「ひとことだけ」をまとめて載せます。今月あんまり更新してなかったし、ほら、土日はアタクシ彼んちにお泊りだから当日は更新できないし。うーん、これでラブラブだったら「っていうか〜アタシィ〜今年は彼んちお泊りだからぁ〜」とか自慢げに言うんだけど、ラブラブと言うにはローテンション(←アタシは)なので、そういうのではないのよ。 ひとことだけ、2個めは克也子クリスマスプレゼント候補たちを紹介いたしましょう。 16日土曜日 大宮丸井/マフラー探し マフラーの値段の差は単に生地の差と思い出す。大宮丸井冬の小物売り場では、大体2000円刻みで4000円→6000円→8000円、と三段階に値段が違ったんだけど、値札見なくても触れば値段が100%わかるの。うーん、そうなったら8000円のを選ぶしかないわよね。だって良さが段違いだし、いいものを見てるのにチャチいものは買えないわよ。プレゼントだし。 でも8000円のマフラーを買っても、多分そんなにいいものが返って来ない予感がしたの。前におにーさんに「クリスマスはあんまり祝う気がしない」って言われたことがあったし。うーん、そうなると年下としてはちょっと悲しい。それに価値がわかってもらえなかったらそれも悲しいしなあ。よって却下。 16日土曜日 大宮丸井/手袋探し で、手袋。おにーさんの年になって毛糸はアレだし、織りのものは割とすぐに痛みそうだわ…それにおにーさんのカジュアルには似合わないわ。だったら革ね。うーん、このタケオ・キクチのがいいかしら…。と思って見てたら、なんか変な線(←そういうデザインよ)が入ってる…。この線は生理的にアタシが受け付けないデザインだわ。ああ、唯一いいと思ったやつだったのに、この線が…。よって手袋も却下。 16日土曜日 大宮丸井/小物売り場 おにーさんとは関係なく、すごくかわいい黄緑色の犬のキーホルダーを見つける。ポールスミスので、3800円。う〜ん、欲しいが、私の金銭感覚ではキーホルダーに3800円出すのはバカじゃないのレベルである。却下。 19日火曜日 池袋丸井/池袋東武HOPE めぼしいもの見つからず。 黄緑犬キーホルダーが気になったが、池袋丸井では見つからず。 なぜか年末ジャンボ買う。 21日木曜日 池袋西武/サンシャインシティアルパ/東急ハンズ すごい移動量ながらめぼしいものみつからず。 東急ハンズに猫と遊べる施設があるのを知る。いつの間にできたんだろう。 ハンズを見ているうちに贈り物禁じ手と思っていた置物の類もいいかなあと思い始める。危険。 彫金がやりたくなる。 22日金曜日 池袋東武 明日はおにーさんに会うので後がない。 ぐるりと回ってピックアップ。
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今回の話題 | 会わない理由 |
タイトル | おとりおき(00/12/23) |
今回の3個同時更新は「イブイブ用/イブ用/クリスマス当日用」ってことで1つずつ読んでいくとクリスマスに淋しい思いをしてる子も大丈夫だゾ☆ って3つめに書いたら意味がないような。 閑話休題。 アタクシ、文章ってかなり人柄が出るものだと思うの。もちろん装うことはできるけど、そういう意図がなければかなりの事柄がわかるわ。って平安時代の人みたいなこと言ってるわね。でもまあ、アタクシ、メール頂いた方とかオフ会とか、何人かの人に会ってますけど、大きく予想が外れたことってあんまりないのよ。外見も、身長体重どんな感じかを大体聞いてれば文章から想像するのとそう変わらないの。こんなこと言ったらなんだけど、外見のレベル(って言葉は好きじゃないけど)って文章の中にある程度にじみ出ちゃうものよ。 だからアタクシ、写真の添付とかはなくても、「この人には彼氏候補として会ってみたい」と、メールの文面だけで思うことがたまにあるのね。 ネットで気になる人と会うよりも、電車でよく会う人とか稀に行くハッテンバから探すほうが手っ取り早い気がするから、実際にそうすることがほとんどないけどね。それに、運命なんてものは信じないけど、タイミングってのはあると思うの。 タイミングって大事よ。お互いに彼氏がいる時に会うのと、いない時に会うのでは全然違うもの。今つきあっている人を捨ててまでつきあうとか、奪ってでもつきあいたいとか、友達との仲をこじらせてでもとか、そこまでの情熱って滅多に発生しないものすごいエネルギーが必要だと思うの。それでもうまくいくとも限らないんだから、アタシはそんなのには腰が引けちゃうわ。 そして、初めて会うなら、髪は切った後くらいでさっぱりしてる時にしたいし、クマができるほど忙しい時期は避けたいし、その日お泊りになっても困らない日にしたいの。できればジムに行く日程も崩したくないわ。そうやって考えすぎると、なかなか会えないのね。 そんなふうに思うから「彼氏候補」ってアタシが下心ムンムンの相手には、彼氏がいる時には会わないアタクシでございます。だってこっちが独りに戻って、向こうにも気に入ってもらえれば、ス・テ・キな彼氏になるかもしれない人が、タイミングが悪いばっかりにただのお友達で終わっちゃうなんてもったいなくってできないわよ。惜しいのよ。将来のために取って置きたいわよ。 実はアタクシ、電車で気になる男の子がいるのです。 帰りの電車で会うと、一緒に降りよう、という意味なのだと思うけど、いつも袖を引かれるのです。そして先に降りるその子はいつもアタクシを見送っているのです。 ごめんね、そういうわけだから。タイミングを計ってるんだよ。私がおにーさんと別れた時か、おにーさんとの関係が安定して君と友達にしかなれないことがはっきりしたら、降りて、話をするよ。 「おとりおきとかって結局キープじゃん!大人って汚い!」って、ううん違うの、今日はクリスマス用ひとことだけ、みんなに夢を与える克也子サンタなの。だから、「今は独りでも、きっとあなたを思ってる人はいるよ、きっとタイミングを計ってるだけ」って言いたかったの。 そう、あなたを思ってる人はきっといるわ…(次点として)。 |
今回の話題 | 涙のわけ |
タイトル | 死(00/12/04) |
どこかで書いたかもしれないけど、私はほとんど泣いたことがない。大人になってからは一度だけだ。それも、友達と喧嘩した後、当時の恋人とも電話で喧嘩して、その時に「今なら泣けるなあ」とちょっと「涙を武器にしてみる」ということに興味を惹かれて泣いてみただけだ。不純な涙。 映画やドラマなんかを見てでもよく泣ける人というのが私には不可解である。どうしてそんなに感情が昂ぶるのだろう。私にも感情はもちろんあるし、無理に理性で涙を抑えているわけでもない。涙液の量が少ないと眼科では言われたが、ソフトコンタクトが使えるくらいだから、それでも人並みの範疇だろう。 そんな私が泣きそうになったのだ。涙というのは目頭から出るもので、泣く前兆としてそこが熱を持つということを、知識としてすら忘れかけていたくらいなのに、泣きそうになったのだ。 会社で仲良くしている女性のお父さんが亡くなった。胃癌である。会ったことはない。それなのに、本人も目の前にいなくて、ただの事実として人づてに聞いたのに、胃癌になって余命幾許もないことも聞いていたのに、聞いた瞬間に目頭が熱くなった。自分のモニターを力を入れて凝視していなければ涙がこぼれただろう。 自分でもなぜ顔も知らない人の死に泣くのかはわからなかった。娘であるその女性に同情しているのとは違う。可哀想には思うが、泣くほどではない。 死というものを身近に感じたことはない。昨年祖母が死んだが、それは1年の植物状態を経てのことであったし、もう十分に老人であったから、それを当然のことと受け止められたのだ。そして、喪の儀式は悲しみの中にも大勢の人の集まる陽気さと、非日常の感覚があって、私自身は悲しみに暮れることはなかったのだ。 老衰以外で人が死ぬのは悲しい。単純にそういうことなのだろうか。 その女性は、普段は割とケチで、無駄な金を遣わない。そんなに生活に余裕があるわけでもない。それなのに、癌になった父親に効くかもしれないと、月当たり9万円もかけてキトサンという蟹の甲羅の抽出物を買っていたのだ。無責任に「うちのは本物だからガンに効く」と言った営業嬢を、人の弱みにつけ込む汚いやり方だと憎むし、そんな民間療法効くわけないと、少なくとも私は、思う。それでも「何もしないで後悔するよりいい」と買いこんだ彼女を、愚かとは思っても、嗤うことはできない。それに心の底では、彼女も自分がおそらく無駄になる努力をしているとわかっていたはずだ。それは、彼女にとって、悲しみと、できることをしなかったという後悔を消すための、喪の準備の儀式だったのだろう。 死はいずれ訪れる。そして、死後の世界も転生も信じることのない私には、それは永遠の喪失である。彼女の努力が報われなかったように、いずれ、どんなに引き止めようとしても、大切な人も死んでいくだろう。私の涙はその予感に流されたものだ。 若いということはいい、と思う。例え恋人を死によって失っても、いずれ新しい恋人を見つけるだろう。数十年を共にした恋人を失った老人は何をすれば癒されるのだろう? 友人たちは櫛の歯が欠けるように他界し、恋人を失い、人は何を支えに生きていくのだろう。まだわからない。恐らく他の経験と同じで「なってみなければわからない」類のことであろうが。 『めぞん一刻』という漫画を御存知だろうか?若い未亡人が紆余曲折を経て、年下の男のプロポーズを受けるのだが、その時の言葉は「お願い…1日でいいから、私より長く生きて」だった。うろ覚えだが。高校生くらいの時に初めて読んだと思うが、その意味がその時はわからなかった。今なら少しはわかる。傷ついた経験を持つ女の、究極の我儘で贅沢だ。愛されつづけることよりも、永遠の喪失の痛みを自分に味わわせないことと、その負担を相手に強いることを条件に結婚を受けるのだ。しかしそれは立場が逆転することが有り得ることと想定した覚悟の上での条件なのだろう。 大切な人を永遠に失うことを味わうなら、いっそ自分が死んでしまったほうが楽なのだ。しかし、その苦痛にあの人は耐えられないかもしれない。それなら私が少しだけ長生きしてやるのが優しさなのだろう。だったら、最後まで守ってやるよ。だから安心して生きろ。 過去の恋人に対しても、寝た男に対してもそう思う。辛かったことも全部忘れられるし、許せるから、他に人がいないなら看取ってやるから、勝手に死ぬな。老衰以外の死因は禁止。偏食すんな。ちゃんと寝ろ。危ないことすんな。健康に気を使え。私を泣かせるな。バカ。 |