ひとことだけ log

(さらに過去log)

今回の話題 引っ越しましょうパート2
タイトル 問題点(00/04/28)
 最近になって、ある60代の女性のホームページを読み始めたの。巧まざるユーモアがあって面白いんだけど、時々「貧乏」って言葉が出てくるのよね。

 いや、アタシだってバイトだし、この年にしては、低収入だとは思うのよ。でも60代で無職の人が言う「貧乏」とアタシの「金がない」のは全然意味が違うのよ。アタシだったら「今月赤字だから来月は頑張ろう」と思えるし、もっと稼げる職種に就くことだって不可能ではないわ。

 遊びに行く数百円の電車賃を気にするような老後。収入を増やすあてのない生活。

 想像して怖くなってしまいました。年金は月に7万円も貰えないのよ!暮らせるかハゲ!って感じよね。それすら今の状況では貰えるかどうか怪しいわ…。しかもなんかムカつくことに、年金受給金額を調べるために見た某県の年金についてのホームページには「確かにこの金額はこころもとないかもしれませんが、夫婦でなら…」なんて書いてんのよ!んまあ。誰もが結婚するわけじゃないし、一緒に暮らすとも限らないのよ!

 ふう…なんか熱くなってしまったけど、まあ、それはいいわ。いいんだけど、今更ながらこれは結構深刻な問題ね。えーっと、年間200万で生活するとしても、60歳で仕事をやめて、80歳まで生きるとしたらそれまでに4000万は貯金しなきゃいけのね…うわ〜。どう考えても今のペースじゃ無理。子供に頼るってことはできないわけだし。正直なところ、アタシが60になった時にはもう両親が死んで遺産が入ってるだろうなんて考えも浮かんだけど、人の死を期待するなんて絶対にしてはいけないことだわ。

 あ、そうそう、今回は引越しの話なのよ。そう、それで考えたのが老後のことなのよ。アタシももう20代後半、家やマンションくらい買ってもおかしくない年なのよね。老後、家賃を払わないで済むように、引っ越すならいっそのこと不動産を買ってしまおうかとアタシが思っても不思議じゃないでしょう?賃貸だと、アタシなんて今のアパートにここ9年でざっと700万くらい払ってることになるけど、何も残らないんだものねえ。

 でもねえ…やっぱり不動産を買うなんて相当覚悟がないとできないわ。だってよっぽど収入のある人じゃなきゃ一生その土地に住むって決めなきゃ買えないわよ。それに、アタシだっていずれはス・テ・キなダーリンと一緒に暮らしたいって願望はあるのよ。そんな時に1DKだの2DKの小さなマンションのローンが残ってたら、引っ越せないし、困るわ。売り払うにしたって、あまり長い年月住んでなければ借金ばかり残って大損だしねえ。

結論:とりあえずは次も賃貸よ。

 とりあえずの結論を出したアタシだったんだけど、今度は別の問題が発生よ。会社でSさん(これまでのひとことだけに何度か登場。多分ゲイ。)がアタクシを自分の配下にしたいとアタシの上司にもちかけたのよ。引き抜きね。

 ありがたいことですわ。システム部門のSさんのところで技術を身につけて将来の転職に備えましょう…それはいい。それはいいんだけど、現実問題として、異動になったら時給は下がらないけど、今の職種だからついてる手当てがなくなるから給料は3、4万下がるのよ。ああ、引越し貯金計画が厳しくなっちゃうわ。でも将来のためにこの引き抜きは受けた方がいいのは確実。

結論2:異動して給料下げます。うう…。節約生活突入。

 さ、気を取り直して、次の部屋を探しましょう。アタシの希望はなにはさておき、駅から今みたいに30分歩かなくていいところ。バスを使わなくていいところ。できれば10分以内。沿線は勤務地の池袋からJR(がいいの)で1本で行けるところ…となったらあんまり選択肢はないわね。今のと同じでいいわ。

 これで1Kなら駅から近くても今のところより安い物件はいくらでもあるのよ。でも嫌。アタシだってもういい加減年だし、物も多いんですもの。アタシ、物を捨てられないタチなのよ。

 快適な部屋って、ある程度の掃除は前提条件だけど、要は部屋の面積に物の量が釣り合ってるかどうかってことだと思うの。だから物を溜め込むアタシに1Kで「シンプルに暮らす」っていう生活様式はダメなのよ。そうよそうよ、広い部屋に住みましょう。スペースの有効利用なんてしなくても広いところに住めば解決よ。

 幸いと言うべきか、今の家賃が不便な場所のくせに割高なので、同じ6万円台でも近所に2K、2DKの部屋はあるわ。ボロいんだろうけど、4万円台で一戸建てがある田舎地域ですもの。決まりね、この条件で話を詰めましょう。できれば快速の止まる駅にしたかったけど、それは高くなっちゃうから我慢しましょう。

 後は、実家が阪神大震災のあった神戸のアタシとしては、木造は避けるわ。これはあんまり言ってはいけないことかもしれないけど、阪神大震災で被害が大きかったのって、木造の、それも割と低所得層な地域な気がするの。もちろん他の条件もあるだろうけど、実は高級住宅地の方だと家もあんまり崩れなかったし、その日のうちに電気ガス水道も復旧してたのよ。やっぱり家の造りって大事よ。

 さて、前回に引き続きここまで長い間お読みくださりありがとうございました。条件と時期は決まったので、後は地道に貯金して参ります…、と思ったアタシにまた難題が!

 …皆様、埼玉県の浦和市・与野市・大宮市が合併する話はご存知ですか?アタシは浦和市に住んでるんですが、これが、来年の5月に合併するのです。そしてその合併後の名前が、今週発表されました。

さいたま市
さいたま市
さいたま市
さいたま市
さいたま市
さいたま市
さいたま市


 どうなの!どうなのよ!この名前!「埼」という字が市名に使えない漢字だとか、平仮名にすることで覚えられやすく経済効果もだとか、そんなこたあどうでもいいのよ。どうなの、このダサさ。ダサいっていうか、んもう、ああもう、名前の漢字が難しい選挙候補者じゃあるまいし、もう、もう。もういいわ、はっきり言うわ、一言で言って
田舎者センス丸出し
なのよっ。なんでもかんでも平仮名にすればいいってもんじゃないでしょ!何?これって埼玉県ではオシャレなの?それが埼玉県人の共通見解なの?誰も「それはダサすぎ」って言わないの?ちなみに公募の候補の第一位は二位のさいたま市に倍近い差をつけて埼玉市よ!ああ、もう、こんな名前のところに住みたくないわ…。アタシなんて所詮外様なのね、きっとこの名前は埼玉地元民にとっては愛すべき名前なのね(←皮肉よっ)。

 アタシ、今までと同じ駅で次の部屋探そうかと思ってたけど、やめます。出ます。ああ、でもさいたま市にいればテレホーダイも変えなくていいし、適度に田舎な環境自体は気に入ってるし、都心に近いわりに家賃は安いし…ああ、もう…。いいわ、もし仮にさいたま市に住むことになったら、区名からしか住所書きません。

 それと、東京の私立小学校に通っているさいたま市の小学生は、間違いなく「さいたま市のくせに」といじめられると思います。かわいそう。でもいっそのことそれで死人でも出れば新市名を決めた有識者とやらを後悔させられるのに…と物騒なことを考える浦和美女(ウソ)・克也子でした。


 
今回の話題 引っ越しましょうパート1
タイトル 貯金計画中(00/04/24)
 会社の女の子Tちゃん(25)は良くない風邪をひいたのか、声がガラガラになってしまったの。それを聞いたアタクシの右隣の席の女性、Yさん(29)は「いやらしい声の出し過ぎ!」ですって!

 んまあ、冗談にしてもストレートよねえ…。アタクシなんて、「Tちゃんはきっと人魚姫なのよ」と言っただけですわ。声と引き換えに足を手に入れて王子様に会いに行くのよね…ロマンティックね。フフ。でも結末は、男に捨てられて海の泡になっちゃうんだけどね。ウフフ。

 そんな、時には童話の世界に遊んじゃうような純情乙女克也子も27歳。今年でなんと28歳。んまあ、年くったもんよねえ…。HPを作り出した時はなんと23歳だったんですもの。

 そして、春、もうひとつ年を感じる出来事と言えば、アタシの出身大学に当然ながら新入生が入ったのよね。まあ、みんな初々しいというか田舎臭さが残る感じがまたかわいいわ。…って、アタシ、なんで入学してから丸9年も経ってるのに、まだ新入生を見てるのかしら!?そうよ、なんと、アタクシ大学入学から9年もこの部屋に住んでるのよ。

 んもう、我ながらびっくり。入学当時は9年後もここに住んでるなんて思いもしなかったわよ。もうヌシよ、ババアよ。

 まあ、この部屋は、条件は悪くないのよ。建物自体はそれなりにきれいだし。アタシの部屋が汚いのは単に掃除をしないから。でも、6畳+キッチン、鉄骨、新築(当時)、バス・トイレ別、室内洗濯機置場有、エアコン有、ベランダ有、洋室、と、一人暮らしの部屋としては不足はないと思うのね。

 そんな中、唯一の欠点が、「駅が遠い」ってことなのよ。なんと駅から徒歩30分。大学に近いってだけで、そんなアタシにはな〜んのメリットもない条件だけが売りよ。駅徒歩30分なんて、学生以外誰も借りないと思うわ。車乗る人は別だろうけど。

 ではなぜアタクシが未だにそんな不便なところに住んでいるかというと、ひとえに貧乏だったからなのよね。引越ししようと思ったら50万くらいはお金がないと不安でしょ?それがなかったのよねえ…。いや、あったんだけど、それはちょっと色々事情があって遣えないお金だったわけよ。

 でもまあ、慣れてしまうと徒歩30分だって結構平気になっちゃうのよね。電車に乗ってる時間はそんなに長くないから通勤時間は1時間以内ですもの。そんな感じでぼんやりと5年が経ってしまったの。

 で、ぼんやりしてたアタシなんですが、先月給与明細を見てた時に愕然としたの。アタシ、学校を出てからは、ずっと同じ所でアルバイトして口に糊してるんだけど、初めの頃に比べて待遇が上がってるから、月収は10万くらい多くなってるの。それなのにどうして?ほとんど毎月使い切ってるわ。今より10万少なくても暮らせてたのに!?

 こんな時は家計簿(ちゃんとつけてるのよ。いいお嫁さん候補っぷりをさりげなくアピールね☆)で支出チェック。パチンコなんて無駄遣いもいいとこだわ…でもこれもそんなに遣ってないわよね。あ、交際費は増えてるわね…。でもそんなところだわ。高い買い物もしてないし。後は保険に入ってるくらいね。きっと、細々と生活が贅沢になってるのね。基礎化粧品だって昔の倍じゃきかない値段になってるし。ああ、年増は金がかかって嫌ね。金と男で磨いたこの肌、そう易々とは見せられないわ(ウソ。バーゲン中。)。

 まあ、今更10万減らした金額で生活できるわけはないけど、5万くらいなら減らせるはず!そうだわそうだわ、貯金しましょう。そして引っ越しましょう。

 なぜ唐突に引越しなんてことが出てきたのか自分でもちょっと不思議なんだけど、来年3月でなんと今のアパートに10年も住んでることになってしまうの。これを機会にここから脱出よ!5万×10ヶ月で50万貯金大作戦よ!

 卒業当時は「がんばっておかねためてもっとえきからちかいところにひっこそう」なんて志を抱いてたのに、当時は稼ぎが少なすぎて「50万も払って駅から近くなるだけじゃ他の物買いたい…」って思っちゃってたのよね。ああ、あの情熱をもう一度よ。 …と、いうわけでオチもなく長くなったが次回に続く。夢見る乙女克也子は新居にどんな夢を託すのか?次回乞うご期待。



前回(2000/04/14)のひとことだけに誤りがありました。

やんねえ→やねこい

で、意味は気難しいとかそういうことらしいです。
純粋に私の記憶違いです。広島周辺の方、本当にすみませんでした。
今回の話題 やんねえ人
タイトル 波打ち際の休日(00/04/14)
 数週間前に、あるモニター募集に応募した。1時間ばかりで数千円になる、効率のいいアルバイトだ。ただし、場所は神奈川県某所で、うちからは片道2時間以上、交通費は出ない。これならいつも通り時給1250円の仕事をしていた方が効率はずっといい。

 頭ではそう思っていたのに、心が「そこへ行くこと」を決めた。

 あっさりとモニターの仕事を済ませて、そこからほど近い目的地、鎌倉を目指した。「観光しよう」そんなふうに自分に嘘を吐いた。本当の目的は違う。

 ただ、海が見たかったのだ。

 鎌倉駅のホームを出て、観光掲示板を見る。どこを見学しようか考える。考える必要なんてないのに。心が求めているのは「ただ海に行くこと」なのだから。

 数瞬の逡巡の後、自分に吐いた嘘を振り切って、鼻に神経を集中する。駅から海までは歩くと遠い。でもわかる。あっちだ。地図も見ずに歩く。知らない街でも道に迷う不安はない。海育ちの人間には海風と潮の香りが行き先を教えてくれる。


 「克也さんってやんねえ」とK君に言われた。「やんねえ」は広島弁でめんどくさいとか、ゴチャゴチャ余計なことを考える、という意味らしい。そうさ、やんねえさ。ただ海が見たかっただけなのに、わざわざそう条件の良くない仕事を入れたり、「観光目的だ」なんて自分を誤魔化したりしないと海に行けないほどゴチャゴチャ考えるさ。

 ただ、海が見たかったのだ。ここしばらくの理由のわからない鬱屈した気分は、海を見れば晴れると心ではわかっていたのだ。何かに、誰かに、癒しを求めることを恥じたり、そういった人間に見られたりすることを頭が拒んでいただけなのだ。

 友達の女の子で、ストレスが溜まったからと言うだけで会社を休んでふらりと遠くへ行ってしまう人がいる。「やんねく」ない、はっきりした女の子だ。羨ましいと思う反面、それが自分にはできない行動であると思う。「女だからそんな無責任なことができるんだよ」というのは、そのへんによくいる男の発言だ。男の方が縛られている。縛られるのがくだらないと思いつつ、好き勝手に行動はできない。

 「自由に生きる」って言葉は素晴らしいかもしれない。でも、それができない人間がいて、心よりも頭が優先してしまう人間がいて、自分のためだけに生きられない人間がいて、それは大半は被害妄想だけど「自由な人間」からは「つまらない生き方」と思われていて、そのつまらない人間は「自由な人間」を軽蔑しながらどこか羨ましく思う。そんな構造を初めて言語化して考える。

 私には思春期に反抗期がなかった。家庭環境には恵まれていた。今になって、反抗期というものは必要だったのかもしれないと思う。尊敬できる両親、その両親から遺伝した知能だけで、勉強しなくてもそれなりの成績を取ってしまえること。そのせいで、親子喧嘩をすることも、大学に進学しないことも、何もそれに見合う理由がなかった。親との相克がないということは、ずっと親の希望通りに生きているかもしれないということなのだ。

 大学に進学する時に、両親は家から出ることを望まなかった。それでも「金のかからない国立ならいい」という約束をとりつけた。確実に家を出るために模擬試験A判定の、落ちないだろう大学を選んだ。大学を卒業する直前に決まっていた就職を蹴った。それぞれ理由は長くなるので略すが、やっと「両親の希望の道を進まない息子」を出すことができた。両親の桎梏はこれでも少しずつ外しているのだ。ゲイだと言うことは打ち明けてはいないが、結婚しないということは伝えた。

 人を悲しませたり迷惑をかけても、何が何でも自由を希求する気はない。今の状態で十分だ。でも、もう少しだけ、自由に生きよう。気が向いた時に2時間かけて海を見に行けるくらいには。何を好きにするかは、ゆっくり考えよう。どんくさいし元々マジメ人間なんだからゆっくりでいいさ。セミナーや宗教で一発で解放されて喜ぶほどバカじゃないし。そんなの別の枷を選んでるだけだ。自分で考えよう。ゆっくりでいいさ。誰にも迷惑かけてないんだから、それこそ「自由に」考えよう。今は、今の自分にかかっている枷が全て自分で選んでつけたままである、という解放感がある。


 4月のサーファーを見た。寒くないのかとか、これからどんな人生を送るのかとか、楽しいのかな、とか、考えた。4月にサーフィンをしようと思うにはどんな環境で育って、何を好きになって、どんな人と遊べばそうなるのか考えた。珍しそうに見てしまった僕に大きな笑顔を見せてくれた、準備運動をしていた高校生くらいの男の子。君であるとはどういうことなのか?ほとんど生まれて初めて、他人になってみたいと思った。

 君であることがどういうことなのか、僕には理解できないけど、岡サーファーというものは格好悪いのだ、ということが、君を見たらわかったよ。

 波と遊んで、貝殻を拾っていたら日が暮れた。魚屋で刺身を買って帰って、K君と食べた。うまかった。明日からはいつもの日々。多分、昨日より楽しい日にできる。