浅利純子(あさりじゅんこ・1969.9.22生)

 自己ベスト 2時間26分10秒(94年・大阪)

 過去の戦績(13戦4勝)

日付 大会 タイム 順位 1位(2位)の選手 タイム差
91.01.27 大阪 2:37:01 12 ドーレ(独) 09:18
92.01.26 大阪 2:28:57 小鴨由水 02:31
92.08.30 北海道 2:32:14 オルガ・アベル(メキシコ) 01:52
93.01.31 大阪 2:26:26 安部友恵 00:01
93.08.15 世界選手権 2:30:03 マシャド(ポルトガル) 00:51
94.01.30 大阪 2:26:10 安部友恵 00:01
95.11.19 東京 2:28:46 エゴロワ(ロシア) 00:02
96.07.28 オリンピック 2:34:31 17 ロバ(エチオピア) 08:26
97.04.21 ボストン 2:31:12 ロバ(エチオピア) 04:49
98.04.19 ロッテルダム 2:26:11 ロルーペ(ケニア) 05:24
98.11.15 東京 2:28:29 市橋有里 00:00
99.08.29 世界選手権 2:31:39 16 チョン・ソンオク(北朝鮮) 04:40
00.01.30 大阪 途中棄権 棄権 シモン(ルーマニア)

 過去のレース模様

(93年:大阪)中間点を過ぎて日本勢5人に絞られたこのレース、33k手前で安部友恵(旭化成)との一騎討ちに。安部が競技場へのコースを間違えかけるなどの事件もあったが、勝負はトラック勝負に持ちこまれ最後の直線で安部を突き放し優勝。

(93年:世界選手権)マヌエラ・マシャド(ポルトガル)、安部、浅利の先頭集団だったが、33kでマシャドがスパート。浅利は一旦マシャドに5〜6秒の差を付けられるがその差をキープ。マシャドのスタミナに陰りが見られ始めた36kで一気に浅利がかわしそのまま独走で日本女子初の金メダリストとなった。

(94年:大阪)40k手前で藤村信子(ダイハツ)、安部、浅利の3人に絞られた先頭集団はそのまま競技場へ。余力が殆ど同じだったようで殆ど同じ隊列のままゴール。浅利は1秒差の3位に甘んじた。

(95年:東京)アトランタ五輪の選考会だったこのレース、5人の先頭集団が38k手前で交錯、浅利を含む3人が転倒したところからドラマは始まる。浅利が起き上がった時、先頭の原万里子(富士銀行)との差は約4秒。さらに原がロングスパートをかけたためみるみるうちに差は10秒以上になってしまう。しかし浅利はワレンティナ・エゴロワ(ロシア)と共に原を追走、浅利は遂に競技場入り口で原を捕らえトラック勝負に持ちこむ一旦バックストレートで仕掛けた原を最終コーナーで逆転、悲願の五輪切符を掴んだのだった。

(96年:アトランタ五輪)日本中の期待を背負って出場したオリンピックは、シューズトラブルのため12kで先頭ランナーを追走する2位集団のペースアップから取り残され17位と惨敗に終わった。

(98年:東京)30k位から市橋、宮崎安澄(積水化学)、浅利のオーダーで推移していたが、37.5kで珍しく浅利は先頭に。結局市橋とのトラック勝負に縺れ込み最終コーナーでの市橋のスパートを逆に差し返して壮絶なデッドヒートを制した。

(99年:セビリア世界陸上)実は故障を抱えていたということで、スローペースに何とかついて行くも27.5k以降のペースアップには置いて行かれがちになり、31kでついに力尽きた。

 寸評

…と見ていただければわかるように、浅利の4勝は全て「差し」が決まったパターンなのです。つまりは相手より余力があったために引き離されてもじわじわと追い付き、トラック勝負に持ちこんで体一つ分かわす。これほど展開がはまらないと勝てないパターンはないでしょう。現にボストン、ロッテルダムと世界の一線級相手には軽くひねられて1k以上の大差を付けられている点を見逃してはいけません。泥試合(原文ママ)にもちこむことが唯一の勝利への道。