自然保護とエネルギー問題

 雑誌「自然保護」の、エネルギー問題に関する記事を読み、思うことの一部を短いコメントとして投稿した。 (締め切を1ヶ月も過ぎていたが。) 以下の内容である。

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「エネルギー問題に関する視点」

新潟・山田弘明(自然観察指導員)

日本自然保護協会の掲げる「日本における電力エネルギーの展望についての考え(見解)」には基本手的に賛成である。 そのうえで、エネルギー問題に関するいくつかの点をコメントしたいと思います。

原発に代わるエネルギーというと、早急に原発相当分を、何か新たな技術開発や新たなエネルギー源を探し代替えしなければならない、という議論が展開される傾向があります。

一番単純で賢い方法は、無駄に電気を使わず、早寝早起き、晴耕雨読などで、全消費量を減らすことに違いないのですが、都市部に人口が集中する現在のような生活形態では限界もあるでしょう。 そこで、有限の地上で、適度に自然環境を 維持して長らく生活していくための全人口問題、人口の偏在問題を真剣に考えることも必要かと思います。
 自然保護9/10月号の特集記事において、大熊氏が冒頭で人口減少に言及していたが、 (幸い)日本の総人口は減少していきます。 少し大きな視点でみれば、これは、山に住むタヌキが増えると食糧難や伝染病などで自動的に個体数が調整されることと同様な現象、生態学的には環境による個体数変動と同じ自然現象でもあります。

エネルギーも基本的には食料(これも典型的なエネルギー源である)と同じく地産地消、自産自消、またはなるべくそれに近い形態が望ましいでしょう。 そのために、日本の国土に、また自分の住む都道府県、市町村に、どれくらいの人口や世帯が適当であるか、という検討もエネルギー問題を考えていくうえで必要でしょう。 私には異常とも思える現在の人口偏在や現状のエネルギーの過剰消費を其のままに維持するための技術は重要なことでしょうか? 

技術や効率の問題も重要だが、「この効率を考えることの効率は何か」というメタレベルの思考を持っていなければならないのではないでしょうか。 自然保護9/10月号のお便り欄の片山さんの声からもそのような見方が伺える気がします。

また、エネルギー問題から次の疑問も浮かんできました。 自然保護協会の本部が大都会東京にあることは、様々な効率や便利さを重視したこと以外に、どういう意味が あるのでしょうか? 自然をより保護するために東京になければいけないのでしょうか?人口を分散するという視点などからは、より田舎にあっても良いのではと思うのです。
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これに対し、広報の方から、以下のような返信がきました。

   『次号11・12月号の誌面は既に作成してしまったのですが、ご意見、スタッフ 内でも回覧し参考にさせていただきます。

   人口の分散は真剣に考える時期にきているのだろうと、私も今回のエネルギ ー問題を機に、さらに思うようになりました。
NACS-Jの事務所が東京にあることの理由についてですが、政府への提言・意見などを直接、頻繁に届けるために、現在、国の中央官庁のある東京に事務所を置いています。中央官庁だけでなく、全国的なNGOとのコミュニケーションもとりやすいとい うこともあります。インターネットの普及で遠く離れていても会議ができたりと コミュニケーションは取れるようになってはきましたが、まだまだ実際に会うこ  とが必要かと思います。今後の社会の流れによっては、東京に置く必要がなくなるかもしれません。』


私はこの内容に多少違和感を感じた。
私がコメントし、問題提起したかったのは、哲学の問題であり、倫理の問題である。(サンデル教授が問うような問題といえるかも。)つまり、広報の方が挙げられたことは、私の言った「(比較的目先の)効率のよさ」「技術的なこと」 という範疇に入ります。その意味ではよく理解できる。 ただ、私が問いとして思ったことは、「そのことの正しさは何か」「あるべき本質なのか」という点である。(また、もちろん、時に会って徹底的に議論することを否定しているわけではない。)

このことは、ひいては、自然保護の哲学は何か、倫理は何かの問題になる。またこの哲学が徹底的に議論されていないと、単に技術的問題になり、流行や雰囲気に左右され、足元からすぐに崩れる可能性がある。 

後で気づいたことだが、私の意をある程度表現した指標に、「環境容量」という見方がある。その自然環境の中でどれくらいの人間が居住・生活し社会活動を行うことが適当だろうかという点を、CO2固定容量、クーリング容量、生活容量、水資源容量、木材資源容量、をもとに見積もるものである。大西氏はこれらをもとに現在の都市部の人口の多さは異常で、関東から、北海道、東北への人口移住を推奨している。 今後は、区分の仕方として、人工的に境界を作成した都道府県などではなく、河川の流域という単位や山塊という自然境界に基づく環境容量が重要な見方になっていくことであろう。

日本の人口は減少しても、(おそらく理想的な)6000万人まではいかなだろう。そして、世界人口が70億人を超えた現在、「環境容量」という見方は益々重要にあるであろう。 [文献:大西文秀, 「環境容量からみた日本の未来可能性」 (大阪公立大学共同出版会 2011)]

これを書き終えてから、NACS-J広報編集部方からメールを頂いた。


 『最終的には山田さまのご指摘のとおり効率をクリアできずに東京を選択してきましたが、これからも解決する方法を一つずつ探っていきたいと思います。

NACS-Jも、///が在籍している20数年間だけでも、3回の移転があり、その際には、そのたびに東京以外の選択も議論してきました。会員の皆様からも、なぜ東京なのか?一極集中に荷担しなくてもいいので は?というご意見をいただくことがありましたが、効率(費用対効果)のほかにも、東京は特定の地域に属さないような状況が、NACS-Jとして使いやすかったこともあり、今に至っています。(たとえば尾瀬に移転すると、尾瀬の活動のウエイトが増えてしまうのではというような危惧です。それも意志次第だとは思いますが、目の前に気になることがあれば後回しはしにくいだろうという心配が払拭できませんでした。)

山田さまがご指摘くださっているような本質の議論にまで至っているかわ
 かりませんが、今後も本質を忘れず、多くの方の知恵とお力をお借りしなが ら解決の道を探 りたいと思っています。』


(2011/10/20)

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