=============================================================================
コメント:
前年度、今年度と教養教育科目(主に1年生対象で、ほぼ全ての学部に渡る学生が聴講)で「複雑系科学の諸相」という分野横断的講義の一部を担当した。私の専門は理論物理学だが、カオスや複雑系の入門的内容を生命と結びつけて紹介した。最近では、多くの物理学者も脳、心、生命にかかわる研究領域に入り込んでおり、ここではそれらに関わる本で、今日現在amazon.co.jpでもまだレビューのない2冊を紹介する。
 ところで、「こういう研究は何の役に立つのか」という質問を受けることがある。少しまじめに答えれば、「分野に関わらず、ものを観る視点を学ぶようなもので、既存の学問分野が縦糸ならば、横糸の役目をなすという価値がある」、とでもなろう。また、誤解を恐れず大胆にいえば、ある意味勉強や学問など全て無駄であり、無くても、しなくても生活はできる。大学での勉強を役に立てようとしてもほとんど無駄である。しかし、無駄は大切であり、人が勉強する、学問することは本能である。経済的効率と関係なく、人は考えたり、感じたりしないではいられないのだ。Simple Living, High Thinking などという価値観も今後ますます見直されてくると思う。脳だって過剰なニューロンとシナプスが作られ、その後アポトーシスなどにより消去され整理されることで、神経回路網がより効率的な形に作り変えられるという。ある意味、圧倒的無駄のなかから生まれているのだ。
=============================================================================



==============================================================================
書名:「ニューロンから心をさぐる」
出版社: 岩波書店 1998
著者:桜井芳雄   
区分:一般書 \1100

 専門的内容も一部含むが、ニューロンと心に関する著者の理解を平易に解説してある。著者は最初、心を研究しようと心理学を専攻したが、ラットの脳内のニューロン活動の実験を見て以来、ニューロン研究をはじめた。脳という超複雑な器官と心という超複雑な機能を結びつけるということは難しいが、実際にそれらは結びついている。また、全ての情報はDNAに記述されていて、DNA解析さえできれば何でも分かるかのような誤解をする人もいるが、ニューロンの接続個所は10の14乗のオーダーであり、DNAに蓄えられる情報量よりも5桁くらい多いことを考えれば、それが間違いであることは明らかだ。著者は、セルアセンブリというニューロン集団による情報表現とハードとソフトが一体化した脳独特な柔軟な情報処理方式を生み、それが心の柔軟性と多様性と変動性を生み出すのではないか?と考えている。自分の信じるセルアセンブリ仮説に基づく心の現象の理解を音や光刺激実験により示している。 少し難しい言葉も並んだが、全体を通して著者の強調していることのひとつは、単純化したモデルを扱うことも重要であるが、実際の複雑さを実感しておくことが働きを考える上でとても重要である、ということだ。つまり、そのおもしろさを十分感じたうえで、ボトムアップ的ではない自由なトップダウン的発想が必要なこともあるということだ。「人は探しているものをみつけ、探していないものは見えない」という諺を引用している。生きている以上、脳や心に何かの折に興味を感じる人は多いと思う。薄い本なので自分の専門分野に関わらず、一読してみてはどうであろうか。


=============================================================================
書名:「生命とは何か それからの50年 未来の生命科学への指針」
出版社:培風館 2001
著者: M.P.マーフィー, L.A.J.オニール(堀 裕和, 吉岡 亨 訳)
区分: 一般書 \2200

1943年に出版された、理論物理学者エルヴィン・シュレーディンガーの著作「生命とは何か」は、分子生物学の発展に大変大きな影響を与えた。これは、シュレーディンガーがナチスから逃れ、亡命者としてダブリンに移り住んだときにトリニティカレッジで行った、一般市民向けの講義である。その50年後を記念し1993年に同じ場所で開かれた会議の報告集が本書であり、原書は1995年に出版されている。多岐にわたる分野の第一級の科学者たちが、それぞれの視点から生物学の中心的な問題や生命科学の今後の発展について講演したものをまとめている。例えば、自然淘汰の失敗例で有名なアイゲン、言語と生命の研究で有名な生物学者スミス、自己組織化と進化の理論で有名な複雑系研究者カウフマン、量子力学による意識の説明で有名な物理学者ペンローズ、協力現象で知られる物理学者ハーケン、その他、著名な執筆者も多い。シュレーディンガーの偉大さを高く評しながらも、新たな視点からの批判や、確信的物理嫌いの古生物学者グールドの意見などもあり面白い。全12章の内容を全て理解するのは困難であるが、興味を持てそうな章のみ読めばよいと思う。最後の第13章は、科学者ではなくシュレーディンガーの息女ルース・ブラウニツァーによる父の回想である。
 「生と死とは」や「生命って何」と漠然とは誰でも時折考えることであろう。量子力学の創始者の一人であるシュレーディンガーが遺伝や生命の研究の進歩に大きな影響を与えたことは興味深い。専門分野において天才的なだけでなく、高い教養も持っていたのであろう。また、シュレーディンガーの公開講義に集まったダブリン市民も教養があったに違いない。シュレーディンガーの著作『生命とは何か』(遺伝の本質と生命系の熱力学について語られている)は、現在絶版になっているが、新潟大学の図書館に3−4冊所蔵されているので、50年前の視点(今からだと60年前)と現状を比較しながらあわせて読むと、面白いかもしれない。

戻る