「大学院・奨学金・評価」

「大学生の学力低下」のデータは様々な本や記事が出ている。ここではまず、「大学院生のレベル」「修士・博士」のレベルを考える。特に、私が所属していた地方国立大学の工学部を念頭に置いている。実際の観察に基づく議論にしたいと言うことと、偏差値でいえば丁度50くらいで、日本の標準的な典型例といえるからだ。 偏差値がどうであろうと、学生の学力がいくら低下しようとも、入学した学生の6−7割は4年後に学部を卒業する。卒業した学生の6−7割は大学院に入学し殆どが2年後修士の学位を得る。修士課程の入試の合格率はほぼ100%に近い、希望すれば受け入れる側はwelcomeというわけだ。このことは実験系(工学部は殆どそうだが)をみると理由は簡単にわかる。どんなレベルの学生でも一人あたり数十万という研究費とともに、タダで使える人員を同時に確保できるからだ。学生も、能力・技術とは直接関係無いレベルで、修士を出たほうが就職に有利というだけで入学を希望することが多い。

 同じことは、博士課程に入学する学生にもあてまる。ただ、博士を出た学生の就職状況はあまりよくないので、入学定員を埋めるのに苦労するわけだ。そこで、2次募集、3次募集も行うがなかなか博士課程の学生は集まらず、希望すれば誰でも入学できるのが現状だ。このことは、修士の入試のレベルや、博士課程に入学した学生の学力試験をすれば明確になると思う。実際、博士課程の学生で学部の1,2年生のレベルの数学、物理などを理解できていないことは珍しくない。 何故それで成り立っているかといえば、受け入れている教員のレベルも低いのでそれで丁度いいといったところだろう。お上のやる愚民化政策に似ている。また、「学力低下」などと言っても、学生は毎年ほぼ々割合で進級、進学するということは、本気で問題に向き合う大学教授が、国立大学では殆どいないということとみえる。自分の収入や安定な生活には影響を与えないからであろうか。

ここで大きな問題は、学生も受け入れる教師も当事者同士がいいならそれでいい、とはいかないことだ。法人化されてもそうだが、国立大学は700兆も借金のある国の血税で運営されている。実際、多くの納税者は国立大学とあまり関係ないであろうが、その血税は、国立大学の公務員や学生のために使われている。おおいに注意を払うべきである。法人化問題で、それに反対する公務員(教員)が必ず主張することが、「学問の自由」「大学の自治」である。しかし、学問は大学であろうが民間であろうが、自由に決まっている、国立大学でなければできないわけではない。実際、私立大学や個人で行われた独創的な研究はいくらでもある。つまり、国立で税金を多く供給されないと研究ができない人が国立大学に多いだけである。また、国から独立し、経済的に自立することにより、完全に自治を育てることもできる。従って、「学問の自由」「大学の自治」を国立大学の楯にする人は、ただ既得権益を主張しているのみであり、道路公団以下である。

 学生の日本育英会の奨学金の問題に触れておこう。(現在、日本育英会の財政的問題やシステムの問題により廃止がきまり、異なる形で奨学金制度がうまれる予定だ。育英会も多くの税金が使われて成り立っている。)これは、貸与という形なので、借りたものは返すのが当たり前であるが、学生にとっては貴重な生活資金だある。しかし、これを返さなくて良い道がある、公務員、大学教員などの免除職に就職することだ。免除職で15年勤務すれば返さなくていいのだ。この制度は矛盾している。大学教員の所得は地方の平均的所得と比べるとはるかに高額だ。年をとれば、能力に関わらず大学教授になり1000−2000万円?の年収になり、公務員のため職も安定し、莫大な退職金や(一般のサラリーマンよりも多い)年金をもらうのである。にもかかわらず、借りた奨学金は返済しなくてよいのだ。もし、大学教員が自分のもらった分くらい自主的に日本育英会に寄付をしていたら育英会もより良い形で存続していたかもしれない。これらも、既得権益を最大限に主張する、おそらく役人以下の体質を表している。

国家予算の切迫した状況にも関わらず、既得権益をのみを主張するような体質は、その評価制度にも問題がある。是非変えるべき点のひとつだ。最近まで全く評価システムは存在しなかったが、現在は外部評価と称し、学外者に学科や学部の目標達成度を評価してもらうようになった。しかし、これの実態はただのアリバイ作りにすぎない。知り合いに頼んで、金を出し評価委員になり評価してもらっている。厳しい評価ができないのは、医者同士がかばい合うため立証困難な医療過誤裁判をみても想像できるであろう。評価は、多角的になされなければならない。もちろん、学生による評価、学外有識者による評価もそのうちのひとつであり、否定する気は無い。ただ、まだまだ評価はある。例えば、私が研究の評価として有力な評価方法だと思うことは、同じ研究分野の30代の研究者による評価、40代の研究者による評価、また、ポスドクの研究者による評価だ。むしろ、高齢な研究者に多額の金を与えておざなりな評価をしてもらうよりも、若い、経済的に困難な点も多いポスドクや研究生などに、その金で十分時間をかけて厳しく評価してもらうのは悪いことでは無いと思う。外部評価委員を懇親間会と称して多額な経費を使い料亭などで接待しながら評価してもらうことに比べたら、はるかに得るところがあるのではなかろうか。
(2003/12/26)

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