「私的愚考、新潟気質と新潟大学」

先日、友人と話をしていて新潟県人の気質が話題になった。「どうして新潟の物理の教師は新潟大学のことを、生徒に対して良く言わないのか」という趣旨のことだ。この問題と、私が以前から考えている「新潟大学の学生に一番足りないものは何か」ということを合わせて、考えてみる。最もここでの論が全く当てはまらないケースや私の偏見も積極的に取り入れたものであることを断っておく。

まず、新潟県人が自虐的であり、自らに自信を持ちにくい傾向があるとすれば、個人の特性よりもその環境に要因があるわけだ。新潟は明らかに農業県であり、米の生産高が北海道を抜いて日本一である。しかし、北海道や秋田の八郎潟と違う点は、圧倒的に零細農業で、第二種兼業農家が圧倒的数になる。つまり、家計が農業だけで成り立たないどころか、農業収入は100-200万円という農家が多い。それでは先祖から伝わる田んぼをどうにか維持しているだけで、米作り誇りが持てなくなっても仕方ないと思う。さらに、現在廃止された旧食管法による逆ザヤ現象や、税金で保護されている状況を長きに渡り形成された、ことも要因になっている。

また、農協の存在もそれに加担している。つまり、農協は農業機械などの企業や農薬会社との経済的結びつきを強くし、農家のためというより農協自体の経営を重視した存在となったのである。本来、小中規模の農家は中古の農業機械を購入し、それを修理しながら使用すれば十分であるが、農協は新製品を購入する事を薦め、農家はその借金を返済するために農業を続ける。これでは、数少ない大規模農家以外は、農業の良さを実感する事が少なすぎて、なかなか誇りを持てないであろう。 このことには、農協の理事でもある私の親戚や友人も同意してくれるのだが、その状況を打破して新たなものを作り上げることは至難な道のりであるようだ。(この農協の問題点に関しては機会を改めて書くことにする。)

このような状況で、米作りの限界に自虐的な考え方を持ったり、自らの価値に疑問を抱き、都市のサラリーマンの生活に憧れたとしても不思議ではない。また、これらは、常に物事を一元化し、序列化して比べてしまう最近の日本人体質にも通ずるものがある。しかし、ここでは論を日本人論に広めることは止め、むしろ自己の問題、新潟の問題、新潟大学の問題として捉えよう。物理教師も新潟県出身者が多く、その実家が農家であることも珍しくない。教師自身も田舎での生活手段として、「デモシカ先生」となり、都市部の生活に憧れ、自分自身に自信や誇りを持たずサラリーマン化しているかもしれない。

先述の物理の教師の問題には、新潟の米作りの自虐性に加えて、「教員採用試験の問題」も絡むと思う。周辺の県と異なり、新潟県では高校の理科(物理)の教師になる採用試験で、化学、生物、地学などのいわゆる理科の知識が問われずに、物理の専門的な知識のみを問う試験が行われていた。こういう採用試験が何を生み出すか、県側はもっと考えるべきだ。これは、自らの専攻に対応する科目しか満足に教えられない高校理科の教師を生み出すことになる。したがって、物理を選択する学生がいなくなれば教えられる科目がなくなり、存在意義が失われることを恐れ、保身のための縄張り争いに必死になる。科学や理科の自然現象を学ぶことが学生には重要であり、物理、化学、生物などの人工的区分どうでもいいことだ。

さて、この新潟気質の問題、今始まった事ではなく、以前から存在した問題である。したがって、少子化、理科離れ、物理人気の低下に絡み理学部、物理学科の人気の低下などに対する物理研究者の保身のためでなく、個々の多様性の重要さという本質的問題に取り組んでいくべきだと思う。(文部科学省のいう表面的な個性の尊重などと混同してはならない。)

新潟大学の教員もできれば旧帝大やより研究環境の良い場所に移れるならば移りたいと思っていないか? そうだとすれば、物事を一元的に序列化してして見れない見識の乏しさを改善すべきだ。また、新潟大学教員が、自分の子供に関して、新潟大学の素晴らしさを主張しているか。例えば、子供が、東大や京大、東北大学に入学できる場合でも、自信を持って新潟大学への入学を強く勧めているか? 良く言われる、子供の意思に任せるなどというのは、言い訳であろう。経済的支援をするのは親であり、子供が自活してでも親離れのため地元を離れる場合以外、威厳を持って強く薦めれば、新潟大学に入学するはずだ。 その地に生まれ、その地で生活していることを誇りに思うような教育が重要である。子供や学生は親や教師を見て育ち、真似をするわけだから、自らがそこに存在していることをどのように捕らえているか、自問自答すべきである。

すぐに可能な、地元を大切にするための対策として、次のことを勧める。医学部を始め全ての学部において、新潟県出身者の授業料を半分位にするなどの措置を早く採るといいのではにか。さらに、卒業し新潟県内に就職する場合は奨励金を与えてもいいと思う。財源は教職員の給与からある程度調達できる。新潟県の平均年収くらいまでなら、現在の年収を下げても問題ないと思う。 また、企業も研究費などよりも多くの金を大学に寄付するであろうし、個人からの献金も集まりであろう。
(2006/1)

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