「学生のmotivation」(2000/06/19,2000/06/20,2000/06/28に書いた文である。)

最近は、学生のmotivationが低いといわれる。しかし、それを厳しく要請しない大学や社会システムの方により問題があると思う。もっと言えば、大学や社会(もしくはその中枢にいる人)は、学生にmotivationなど持ってほしくないという発想の結果が現れているのではないか。ましてや、独創的なmotivationなどを。学生に限らず多くの若者が独創的なmotivation、多様な価値観をもち行動したら、現システムは音を立てて崩れることだろう。 しかしながら、権力があったり、現社会の中枢にいる人たちが、保守的であり今の自分の立場を守ろうとして、急激な改変を望まずそれに最大限抵抗することは、どんな世界でもよく見られることだ。実際、大学、警察、医者などの世界では あたりまえのことだ。
 
社会の中枢にいる50,60代の人が保守的なのはわかるのですが、30,40代の人よりも20代の若者が保守的だと感じる。実際、データの出所は忘れましたが(最近の選挙の情報だっかな?)、30,40代の人よりも20代の現状支持派が多かった気がする。以前は、若いほど革新的であると思っていた。もちろん、いろんな人がいるので、あくまで統計的にだが、 学生と接していても感じることは彼らが、(政治的なことだけでなく)、教育や職業選択など様々なことについて自分から選択範囲や考え方を規制しているということだ。これはまさに、小学校、中学校、高等学校と、日本の一元的価値観に基づいた(官僚主義に基づいた)教育(洗脳)の賜といえるのではないか。


単純だが、これらを改善し学生の意識を高める効果的方法のひとつは、授業料を上げることだ。そもそも親が授業料を払っているので、現在自分の授業料がいくらであるかに関して、全く知らない学生も珍しくない。親は親で国立だから私立に行くより安いため、子供かわいさだけで何のためらいもなく払っているのではないか。これは、学生に自覚や責任が備わりにくい環境をつくっているだけだ。 これだけだと、ただただ大学に人をあつめればいいと思う人は、「学生が集まらなくなるのみだ」というだろう。しかし、それらを回避する方法も簡単だ。例えば、成績に対し絶対評価をし、優秀な人には学費を免除する。また、レベルに応じて免除の割合を決める。(もちろん、出来が良かろうが悪かろうが、7割、8割あるいはもっと多くの聴講者に単位を出す、というタイプの、相対評価ではだめです。)

さらに、学生がローンを組めるように、銀行に働きかける。あるいは、政府系の金融機関をつくってもいい。学生は銀行と個人で卒業後の返済計画も含めて契約するのだ。もちろん銀行も成績ややる気を見て、意味のない金は貸さないだろう。これをやるだけでも、学生は一人前になるのではないか。さらに、政府はそういう優秀な学生と契約している金融機関にたいしては、税金を免除するなりしたらいいのではないだろうか。現在の奨学金制度では、これらのことをやることは無理だ。 もちろん、生活費も含めてローンを組んで一人で生活するわけだから、日々をなんとなく無駄に過ごすということも減ってきて、少なくともその時間を金に見合った分、有意義に使うようになることが期待できる。
 

学生のmotivationと保守化について、考えていたことがある。この現象(学生も含め20代の保守化。30,40代より保守的)が団塊の世代の存在と関わっているのではなかろうか、ということだ。ちょうど大学生の親の世代。(図らずも、多くの大学教授の世代でもあるか?)その親たちは、学生運動も行い、厳しい競争のなかでがんばって生きてきたのであろう。しかし、その学生運動も実らず、運動の結果大学を中退させられた人たちなどは、昇進や給与の面で不遇な目にあったりもしたであろう。また、多感のときに高度経済成長時代を迎え、学歴偏重をいやというほど経験させれれたのではないか。 だとすると、当然、自分の子供には大学を出て有利な状況を作ってほしいと思い、大学に入れば喜んで、当たり前のように入学金や授業料を払うことになる。それがひどい場合は、子供の資質や希望など考えずに国立大学の授業料(現在、年間約50万円)くらい払っていることだろう。 だから、授業料の値上げも、学生の親が安易な仕送りや授業料の支払いなどしなければ、必要なくなるのだ。実際、一切の仕送りをもらわず自立して生活している学生(学部学生も大学院生)も、何人か知っている。彼らは、しっかりした目的、motivationをもっておりよく勉強し、また大人である。本当に少数ではあってもそのような学生と接することは、大学で教官をやっていることの救いになる。彼らがのびのびと成長できる環境に現在の大学がなることを希望する。

 しかし、現状は逆である。ただ大学生、院生の数を増やし、インフレを起こし大学卒の価値や大学院卒の価値を下げており、本当に優秀で独創的な学生がプライドを持ちにくい状況を作り出しているのが現状です。 わたしの所属していた工学部では、父兄参観のようなもの(ここでもとことん、学生を子ども扱いしている)をやっているが、そこに来る親を見ていると学生の教育よりもその親を教育し直すほうが、改善への近道のように感じてならない。団塊の世代との関係は社会学的にいろいろ調べられているのではないだろうか。

「弱いものいじめ」「少年の犯罪問題」「motivationの無さ」「保守化」「無気力化」など、何においても通用することがある。子供は大人の真似をするということだ。 つまり、単純に子供は大人をみて、それをまねているだけだと思う。(もちろん、いろいろな例外もあるだろうが。) 子供の世界に陰湿な「いじめ」が横行しても何の不思議もない。何故なら、大人の世界や社会にも(大学にも会社にも)、それに相当することが横行しているから、将来その社会に出て生きていく子供が、知らず知らずのうちに、適応能力をつけるためにまねしていることが自然だ。 もちろん、肯定しているわけではない。 大人のやっていることの実態(結局自分のことしか考えない政治家や、官僚、大学人も入る)がマスコミなどを通して、どんどん明らかになり、それを知る機会は以前よりはるかに多い。 また、少し飛躍するが、よくいう「理科離れ」の問題もこのことと大いに関係あるのではないかと思う。十分なデータに基づくわけでないので私の気のせいかもしれないが、80年代半ばくらいから、科学者や研究者が研究費ほしさに、金を得やすい研究テーマを選んだり、採択されやすくなるために、欧米ですでにある程度出来上がっているものを選んだりする傾向が強くなってきたのではないかということだ。子供は大人のやることに敏感に反応して、「結局、科学や学問といっても最後は金ではないか」そういう雰囲気を感じ取り、理科離れが始まってきたということはできないだろうか。ちょうど、「理科離れ」と言われ始めたのも 同じ80年代半ばくらいからでは?
(2000/06/19,2000/06/20,2000/06/28,2003/12/24)

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