補習教育の専門家の必要性

 「学力低下」「レベルの多様化」が大学内や教育雑誌でよく取り上げられる。これらの 問題を根本的に解決するのは難しいし、時間もかかる。しかし現場には毎年大勢の 学生が入学してくる。そこで、「補習授業」や「入学年次の研修」「リメディアル教育」など のアフターケアを行う方向にあり、 既に私立大学や新潟大学工学部などでも専門高校からの入学者のための補習が 行われている。大学が open-access になるのは悪いことではないと思うし、入学定員確保の ため「補習教育」をひとつの売りとして宣伝することも否定しない。大学2,3年次までかけて、 高校物理の内容をきちんと理解することができれば、それは大いに 評価できる成果といえよう。 しかし、場当たり的議論やその場凌ぎのごまかし的対応が多いと感じるのはなぜだろうか。 高校レベルの物理が理解できていない大学2,3年生が多くて困るからと補習教育の必 要性を議論するその同じ人たちが、4年生を修士課程に、また修士2年生を博士課程に入学させるために、 大学院を充実させて研究大学を目指そうという方向への議論を進めている。 結局、「官の一挙一動への過剰反応」「研究推進のための院生確保」が主な理由と 思えてくるせいであろうか。 補習教育が研究者の片手間程度でうまく機能するとは到底思えない。そんなに簡単なら、 あらゆる教育問題は容易に解決するだろう。 本当に教育を大切に考えるなら、高校及び大学初年級の高等教育全体の位置付けを 考えた補習教育の専門家を養成することが必要である。当然そのためには、研究中心であった 教官定員を補習教育専門家養成のために割り当てる程度の覚悟はいるだろう。 米国には「補習教育」の歴史がある。特にコミュニティーカレッジで盛んに行われており、 同時に問題点もクローズアップされているようだ。 この点でも我々は欧米に学ぶことが多いのではないだろうか。

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