「参議院選と農業政策」

 今回の参議院選(2007/7/29)では、年金問題などの影に隠れたが、農業問題も選挙の争点のひとつであった。ここでは、特に象徴的な、米農家に関する問題を考えてみよう。

 自民党案は、「補助金の対象を、個人は4ha以上、集団では20ha以上の米作りのみに限定し、大規模集約化を進め、競争力をアップさせる」というもの。 民主党案は、「農家に対し一律に所得補償をする」というものだ。 まず、自民党案の矛盾は、大規模化したものをさらに保護するという点だ。 むしろ、山間地などの集約しづらいものを保護するべきではないのか。 一方、民主党案では、安易なバラマキによって、より、米作りをダメにしてしまう可能性が否めない。(これは、食管法の時代に既に経験している。)

 今は、「米作りとは何か」を様々な観点から考え直さなければならない時期に来ていると思う。単なる「産業」であれば、競争力をつけて完全自由化をしてもいいのかもしれない。もちろん、平地において大規模に機械化した米作りはアメリカ的米作りであり、保護というよりは、競争力を付けて世界の市場で争う方向にもなる。 また、百姓自らが都会のサラリーマンのような暮らしを求めるとすれば、大規模化の方向を目指すということになる。

 しかし、米作りは日本の伝統的「民族文化」のひとつでもある。ここでは、日本の伝統とも言うべき、中小規模農家(兼業であり、農家の9割を占める)のあり方として、都会のサラリーマンとは収入や生活や価値観において全く異なる生活の場と捉えよう。 例えば、田畑を「自然環境を維持し、災害を防いでいるもの」と見なすことをはじめ、田んぼは「美しい公園や景観の一部」と考え、食料自給率の上昇による「国防の一部を担うもの」と見なすことも可能だ。さらに少し極端な見方として、百姓は「準公務員」として位置づけることもありえる。医者の所得の7割は税金でまかなわれている(「七割公務員」といえる)ことを考えれば、それほど突飛なことでもないだろう。

 これでは、「名目」を変えただけで中味が変わらず、結局はただの保護行政やバラマキであるという指摘を、避けられないかもしれない。もちろん、農民自身や今後の担い手の意識が変化しなければいけないと思う。例えば、環境を管理する米作りであれば、「体験学習や自然観察会を開くこと」、「生態観察とリポート」「環境教育活動」、「食農教育の場」などを米作りに組み込んで、学校教育、社会教育の場にしていくことを提案したい。

 そのためには、百姓こそ教養人でなければいけない。昔から、新潟では「男と杉は育たない」といわれたが、実際、「長男はどうせ後を継いで田んぼに入るんだから」といって、様々な努力を怠った面がある。これは、食管法に胡坐をかいてきた百姓側の責任である。また、収量の拡大という一元的価値観のもとに、機械化や農薬使用による効率化を目指してきたが、それがいったい誰のためだったのかを見直すべきだ。我々が政党や立場を超え、教養とwisdom(智恵)を総動員して、考えていかなければならない問題は多い。  

 こういった問題は、どれくらい良い解が存在するかもわからず、向き合っていくのが非常に困難だと思う。 それに比べたら、科学の問題は全く気楽だ。科学の問題を人生の問題として真剣に取り組んだ、ボルツマンなんて例外もあるが。
(2007/7/31)

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