「猫之妙術」

たぶん、武術をやっているかたは誰でも知っている江戸時代の武術の教科書。私はNHKの人間講座「古の武術」に学ぶ(甲野善紀)で知った。人が何らかの道を志そうとする場合、その道に限らず様々な道に対しても役立つ教えであるような気がする。
以下、その原文。(現代文などはNHKのテキストをみるとよい。)


 勝軒といふ剣術者あり。其家に大なる鼠出て、白昼にかけまはりける。亭主其間をたてきり、手飼の猫に執らしめんとす。彼鼠進て、猫のつらへ飛びかかり、喰付ければ、猫声を立て逃去りぬ。此分にては叶まじとて、それより近辺にて、逸物の名を得たる猫ども、あまたかりよせ、彼一間へ追入ければ、鼠は床のすみにすまゐ居て、猫来れば飛びかかり喰付、其けしきすさまじく見へければ、猫どもみなしりごみして進まず。亭主腹をたて、みづから木刀を提打殺さんと追まはしけれ共、手もとよりぬけ出て、木刀にあたらず、そこら戸障子からかみなどたたきやぶれ共、鼠は中を飛びて、其はやき事電光のうつるがごとし。ややもすれば亭主のつらへ飛かかり喰付べき勢ひあり。勝軒大あせをながし、僕を呼て云、「是より六七町わきに、無類逸物の猫有と聞く。かりて来れ。」とて、則人をつかはし、彼猫をつれよせてみるに、其形利口げにもなく、さのみはきはきとも見へず。「それ共に先追入て見よ。」とて、少戸をあけ、彼猫を入ければ、鼠すくみて、動かず。猫何の事もなく、のろのろとゆき、引くわへて来りけり。

 其夜件の猫ども、彼家にあつまり、彼古猫を、座上に請じ、何れも前に跪づき、「我々逸物の名を呼ばれ、其道に修練し、鼠とだにいはば、鼬獺なり、とも、とりひしがむと、爪を研罷在候処に、いまだ、かかる強鼠ある事をしらず。御身何の術を以か、容易く是をしたがへ給ふ。願わくは、惜しむことなく、公の妙術を伝へ給へ。」と謹面申ける。古猫笑て云、「何れも若き猫達、随分達者に働き給へども、いまだ正道の手筋をきき給はざる故に、思ひの外の事にあふて、不覚をとり給ふ。しかしながら、先各の修行の程をうけ給はらん。」と云。其中にすすどき黒猫一疋すすみ出、「我鼠をとるの家に生れ、其道に心がけ、七尺の屏風を飛び越、ちいさき穴をくぐり、猫子の時より、早わざ軽わざ至らずと云所なし。或は、眠て表裏をくれ、或は不意におこつて、桁梁を走る鼠といへども、捕損じたる事なし。然るに今日思ひの外成強鼠に出合、一生のおくれをとり、心外の至りに侍る。」

古猫の云、「吁汝の修する所は、所作のみ。故にいまだ、ねらう心あることをまぬかれず。古人の所作を教るは、其道筋をしらしめんため也。故に其所作、易簡にして、其中に至理を含めり。後世所作を専として、兎すれば角すると、色々の事をこしらへ、巧を極め、古人を不足とし、才覚を用ひ、はては所作くらべといふものになり、巧尽て、いかむともすることなし。小人の巧を極め、才覚を専とする者、みなかくのごとし。才は心の用なりといへども、道にもとづかず、只巧を専とする時は、偽の端となり、向の才覚却而害に成事おほし。是を以かへりみ、よくよく工夫すべし。」

又虎毛の大猫一疋まかり出、「我おもふに、武術は気然を貴ぶ。故に気を練る事久し。今其気豁達至剛にして、天地に充るがごとし。敵を脚下に蹈み、先勝て然して後進む。声に随ひ、響に応じて、鼠を左右につけ、変に応ぜずといふことなし。所作を用るに心なくして、所作をのづから沸出づ。桁梁を走る鼠は、にらみおとして、是をとる。然るに彼強鼠、来るに形なく、往に迹なし。是いかなるものぞや。」

古猫の云、「汝の修練する所は、是気の勢に乗じて働くもの也。我に恃むこと有て然り。善の善なるものにあらず。我やぶつて往むとすれば、敵も亦やぶつて来る。又やぶるに、やぶれざるものある時はいかん。我覆つて、挫がんとすれば、敵もまた覆つて来る。覆ふに、覆はれざるものある時はいかむ。豈我のみ剛にして、敵みな弱ならんや。豁達至剛にして、天地にみつるがごとく覚ゆるものは、皆気の象なり。孟子の浩然の気に似て、実は異也。彼は明を載せて、剛健也。此は勢に乗じて、剛健なり。故に其用も亦同じからず。江河の常流と、一夜洪水の勢のごとし。且気勢に屈せざるもの、ある時はいかん。窮鼠却て猫を噛むといふことあり。彼は、必死に迫て恃む所なし。生を忘れ、欲を忘れ、勝負を必とせず、身を全するの心なし。故に其志金鉄のごとし。かくのごとき者は豈気勢を以服すべけんや。」

又はい毛の少年闌たる猫、しづかに進て云、「仰ごとき気は旺なりといへども、象あり。象あるものは微也といへども見つべし。我心を練ること久し。勢をなさず、物と争ず。相和して戻ず。彼つよむ時は、和して彼に添。我が術は帷幕を以、礫を受るがごとし。強鼠有といへども、我に敵せんとしてよるべき所なし。然るに今日の鼠、勢にも屈せず、和にも応ぜず、来往、神のごとし。我いまだかくのごときものを見ず。」

古猫の云、「汝の和といふものは、自然の和にあらず。思て和をなすもの也。敵の鋭気を、はづれむとすれども、わづかに念にわたれば、敵其機を知る。心を容て和すれば、気濁て惰にちかし。思ひてなす時は、自然の感をふさぐ。自然の感をふさぐ時は、妙用何れの所より生ぜんや。只思ふこともなく、することもなく、感に随て動く時は、我に象なし。象なき時は、天下我に敵すべきものなし。然りといへ共、各の修する所、悉く無用の事なりといふにはあらず。道器一貫の義なれば、所作の中に、至理を含めり。気は一身の用をなすものなり。其気豁達なる時は、物に応ずること、窮りなく、和する時は、力を闘はしめず、金石にあたりても、よく折ることなし。然といへども、わづかに念慮にいたれば、皆作意とす。道体の自然にあらず。故にむかふもの、心服せずして、我に敵するの心あり。我何の術をか用んや。無心にして、自然に応ずるのみ。然といへども、道極りなし。我がいふ所を以至極とおもふべからず。むかし、我隣郷に猫あり。終日眠り居て、気勢なし。木にて作りたる猫のごとし。人其鼠をとりたるを見ず。然共彼猫の至る所、近辺に鼠なし。所をかへても然り。我往て其故を問。彼猫こたへず。四度問へども、四度こたえず。こたえざるにはあらず、答る所をしらざる也。是を以知ぬ、知るものはいはず、いふものはしらざることを。彼猫は、をのれを忘れて、無物に帰す。神武にして、不殺といふものなり。我また彼に、及ばざる事遠し。」

勝軒夢のごとく、此言を聞て、出て古猫を揖して曰、「我剣術を修する事久し。いまだ其道を極めず。今宵各の論を聞て、吾が道の極所を得たり。願はくは猶其奥儀をしめし給へ。」

猫云、「否。吾は獣なり。鼠は吾が食也。吾何ぞ人のする所をしらんや。然れ共われ窃に聞し事あり。夫剣術は専人に勝事を務るにあらず。大変に臨て、生死を明らかにする術也。士たる者、常に此心を養ひ、其術を修せずむばあるべからず。故に先、生死の理に徹し、此心偏曲なく、不疑不惑、才覚思慮を用ゆる事なく、心気和平にして、物なく、潭然として、常ならば、変に応ること自在なるべし。此心わづかに物ある時は状あり。状ある時は、敵あり、我あり。相対して角ふ。かくのごときは変化の妙用自在ならず。我が心先死地におち入て、霊明を失ふ。何ぞ快立て明らかに勝負を決せむ。たとひ勝たりとも、めくら勝といふものなり。剣術の本旨にはあらず。無物とて、頑空をいふにはあらず。心もと形なし。物を蓄べからず。僅に蓄る時は、気も亦其所に倚る。此気僅に倚る時は、融通豁達なること能はず。向ふ所は過にしてむかはざる所は不及なり。過なる時は勢溢れてとどむべからず。不及なる時は餒て用をなさず。共に変に応ずべからず。我が所謂無物といふは、不蓄不倚、敵もなく我もなく、物来るに随て応じて迹なきのみ。易曰、無レ思無レ為、寂然不動、感而遂通二於天下之故一。此理を知て剣術を学ぶ者は道にちかし。」

勝軒云、「何をか敵なく我なしといふ。」

猫云、「我あるが故に敵あり。我なければ敵なし。敵といふは、もと対待の名也。陰陽水火の類のごとく、凡形象あるものは、かならず対するものあり。我心に象なければ、対するものなし。対するものなき時は、角ものなし。是を敵もなく、我もなしと云。物と我と共に忘れて、潭然として無事なる時は、和して一也。敵の形をやぶるといへども、我もしらず。しらざるにはあらず、此に念なく、感のままに動くのみ。此心潭然として、無事なる時は、世界は我が世界なり。是非好悪、執滞なきの謂也。皆我が心より、苦楽得失の境界をなす。天地広しといへども、我が心より外に求むべきものなし。古人曰、眼裏有レ塵三界窄心頭無事一生寛。眼中わづかに塵沙の入時は、眼ひらく事能はず。元来ものなくして、明らかなる所へ、物を入るが故にかくのごとし。

此心のたとへなり。又曰、千万人の敵の中に在て、此形は微塵になる共、此心は我が物なり。大敵といへども、是をいかむともすること能はず。孔子曰、匹夫不レ可レ奪レ志と。若迷ふ時は、此心却て敵の助となる。我がいふ所此に止る。只自得と云。以心伝心ともいふべし。教外別伝ともいふべし。教をそむくといふにはあらず。師も伝こと能はざるをいふなり。只禅学のみにあらず、聖人の心法より、芸術の末に至るまで、自得の所はみな以心伝心なり。教外別伝也。教といふは、そのをのれに有て、みづから見ること能はざる所を、指して知らしむるのみ。師より是を授るにはあらず。教ることもやすく、教を聞こともやすし。只をのれにある物を、慥に見付て、我がものにすること難し。これを見性といふ。悟とは、妄想の夢の悟たるなり。覚といふもおなじ。かわりたる事にはあらず。」

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