「百姓感」

江戸時代は国民の8割が生活に不自由な百姓であったという説がある。米作りをする立場から、つまり内側からの発想で百姓や日本人を見る。

実際に農業(米作り)をしようと思うと、否応無しに生物、土木、経営、環境問題また、気象など様々な物事を学ぶ機会が多々存在する。土木作業に必要な木材の加工や農機具の作成のための金属加工、など様々な技術も学ぶことになる。さらに、作業や肥料などのため牛や馬を使ったり、豚や鶏を飼えばその生態なども学ぶことになる。つまり、百姓は多種の作業をするのが当たり前であり、そもそも田を耕すだけなどの単純作業を延々と続けると飽きてしまう。いろいろな作業を自由に好きなように組み合わせて行い、楽しめるように工夫するものだと思う。その過程で、木材加工、金属加工、人付き合いなど個々に得意な部分がでてきて作業にも飽きなくなる。もちろん、収穫後の作物を裁くのが得意な人付き合いのうまい流通に長けたものもいただろう。そして、土地を持たないで、(兼業)農業をするものも出てくる。また、畑や藪の脇にある花を楽しみ、野草で作った茶を楽しみ、金はかけずとも自由に暮らしていたのかもしれない。そこには、「節約・勤勉さ」と「暇・自由」という一見、相反するように見えるものが共存できていたのではないか。それゆえ江戸期は300年間を植民地も持たず、世界経済にも頼らず、安定を維持していたのかもしれない。そうでないと、規則や統制による単純労働だけ行うなどということが、300年も続くわけがないだろう。

繰り返しになるが、農民には士農工商といった身分制度などなく、また受身ではなかったのであろうことを、昔ながらの単純労働をすることにより実感するのである。よく言われる、明治以前は身分制度の存在と、人口の8割を占める百姓は移動の自由もなく不自由な暮らしぶりで、維新によって素晴らしい法律ができ開放された、などという考え方は、まったくの間違いかもしれない。 ましてや、これにより江戸から明治以降の天皇制を中心とした日本国という概念が出現するなどというのはまっかな嘘なのではないだろうか。 これは、明治以降の富国強兵政策で、過去の事実まで変えられていったのであろうと推測する。実際の江戸の文化の豊かさを無視している。 さらに、現代は「暇」「何もしない」という価値を剥ぎ取られ、全ての価値を「勤勉さ」「従順」というもので埋め尽くされた価値観の人間を増産しているのかもしれない。


そこで、本をみると、
「農民は国土の隅々まで、細心の注意を払い利用してきた民族の知恵をもっていた。実際、広い土地に庭を造り、茶・書・華をたしなみ俳句を読んで旅をした。貧しい資源を大切にして、浪費を抑え、元気よく働いた。」とも書いてある。これも、実感することだが、日本国内で様々なお国自慢やその土地土地の産物や独特な祭りなど、地に根ざした多様な文化が残っている。法的に縛ったからではなく、自由な庶民生活あったからこそ、独特な文化は長続きしたのであろう。もちろん、江戸後期には天候の関係で飢饉などもあり、大変な生活はあったのであろうが。

ちなみに、江戸時代は土地の価値も「何万石」などというように「米本位制」であった。 米は熱帯・亜熱帯原産であるが、品種改良を重ね、江戸前期の100年間で、全国の水田面積ともに収量が3倍に増えたという。この間、人口も約1千万人から三千万人と約3倍になったという。さらに、アダムスミスの「国富論」にもあるように、一定面積から得る収量で一番多くの人を養えるものは、おそらく「米」で、米ほど完成された作物はほかにないだろう。また、江戸時代から培われた日本の建築技術も素晴らしい。日本の木造建築は、美観といいその耐久性(約二百年から三百年もつ)といい、世界トップクラスに立つ。

こんな中で日本人の民族意識はどうやって生まれてくるであろうか。これはまだ
よくわからない。しかし、この問いは、「言語の生まれ方」や
「貨幣の生まれ方」と類似している問題のような気がする。
(2004/08/05)

参考書:
加藤 典洋「日本人の自画像 日本の50年・日本の200年」(岩波書店 2000)
田中圭一「百姓の江戸時代」(ちくま書房 2001)
網野善彦対談集「『日本』をめぐって」(講談社 2002)


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