「道州制と自立」

現在、大都市部と地方との人口密度差や所得差はずいぶんあると思う。それでも、私は道州制に賛成である。もちろん、道州制に移ってもすぐには楽観的に事が進むとは限らないということも、確かであろう。それは、民族性によるものかもしれない。ただ、豊かな生活とは何か、と言うことを素朴に考えると地方生活のいいところがいろいろ浮かび上がってくる。例えば、ここ越後や北陸、信州などの地区は、日本でも持ち家率の高いところだし、また食料の自給率だって高いだろう。現段階の公共事業によるばらまきや国からの交付金、さらに利益誘導の構造を断ち切ることによって、その土地固有の独特なものを模索すること無しでは、生活をしていけなくなり、最終的には良い方向に向かうと期待できる。もちろん、過渡的段階は苦しいだろうが、どうだろう、戦争直後とも違いそんなに食うに困るようなことはないはずだ。これらのことの実行で大事なものは、人々が独特で多様な価値観をもてることだろうし、それは生活や教育とも密接に関わって生まれてくることが多いだろう。また、その土地に暮らしていることに誇りをもって生きている人々をみて成長した子供たちは、その土地のその生活に誇りがもて、東京中心の一元的価値観など無くなっていくと、期待する。 そこに住んだこともないのに、引き合いに出すのは恐縮だが、沖縄などは独立しても、やっていけるのではないかと思う。基地がらみでいろんな金が流れ、それが大きな収入源になっていることも確かでしょう。しかし、独立すれば(国としてでなくとも確固たる自治権をもち経済的に自立するという意味だが)、そこはいろんな可能性と自由な選択があり、魅力的なことではないだろうか。もちろん、うまく実行するためには、「したたかさ」も必要だ。弱い態度で国に独立させてもらうようなことではだめで、自分の都合だけで今まで散々やりたいようにやってきた国に対して、独立するだけでなく、向こう何年か楽にやっていくだけの金を独立資金として要求し奪い取るくらいのことができないといけないかもしれない。悲劇的な歴史などを考えてもそれくらいは可能だと思う。(ここまでいうと、お分かりのように、国と国立大学の問題もほとんど同じ構造だ。)

例えば、スコットランドは人口で北海道とほぼ同じ、面積は新潟の約2倍だが、独立に関する意識は高い。実際、独自の議会や通貨を持っているしイングランドとは文化が全く異なる。そう思うと、日本で6,7つの州を作れば十分独自の豊かな文化を形成できるはずだ。しかし、現状でそんなことはできそうもないと思う人が多いのは、小学校から大学、社会まで国ぐるみで洗脳し、もともとは備わっていた(であろう?)国民の自律性を奪うという体制づくりを、見事に成功させているせいとしか思えない。(日本全国横並び教育、平均場近似が良く成立する社会、、、、、)

 同じような、事例を農業にも見る事ができる。食管法で守られていたせいで新潟の米作り農家がそのプライドをなくし、米作りに対する努力を怠ったとみるデータがあった。(詳しくは覚えていないが、全国の農産品の仲買人に対するアンケートで、農家の努力の度合いをその土地ごとに、ランク分けしたもの。) つまり、保護したり、援助したりが必要な時期は、どんな物事にもあるのだろうが、適当な時期にそれを断ち切らないと、いつまでたっても自立できないのではないだろうか。

 国立大学についても同じように考えられる。本来、自立した考え方ができ健全であれば、官僚などが考える前に、独立して民営化を目指す国立大学が、(全部でなくても)1つや二つあってもよかったのではないだろうか。もちろん、今からでも遅くはないと思う。魚に水が必要なように、学問に自由は必要だ。民営化によって自立することで、その自由に近づく可能性はあると思っている。その際、それにより近い私立大学の蓄えた知恵や米国の大学等を大いに参考にし、利用していくべきではないか。最近、国から金をもらわず完全に独立に運営されている私立大学もある。また、一時期流行した米国OO大学日本校もある。それは、日本では大学卒の資格にならないため、多くは消えていったが、地域に溶け込んで生き残っているものもある。もちろん、規模も質も違うものだが、自らの規模を縮小してでも見習うところがあるなら、見習うべきだと思う。
(2000/6 or 7)

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