山陰中央新報社連載  

自然に学ぶ「森里海連環学」のすすめ


No.1

高津川   〜もっと美しい日本一に〜


 「高津川が“水質日本一”なんて信じられない。ほかの川はどんなに汚いのだろう。だって川のそばへ行くとくさいし、川の中は真っ黒。泡もいっぱい浮いているのに・・・」

島根県吉賀町の女性ばかりのパーティーでこんな話を聞いたのは昨年五月でした。私のことを「川にうるさい女」とご存じでない方々の会話です。「やっぱり、女性は分かっているなぁー」と思いました。

ところがこのあと、高津川は国土交通省の一級河川水質調査で、再び“水質日本一”に選ばれたのでした。

私は、自著「日本の名河川を歩く」(2003年講談社刊)で、高津川を「日本一」と評価しました。

十項目五点ずつの私的“ミシュラン”で日本の四十河川を採点してみると、「アユが天然遡上(そじょう)している」「ダムがない」「川魚を食べる文化がある」「カヌーが通して下れる」「川の正しい風景がある」などで五点満点を取り、総合得点で一番となったからでした。しかし、「水質が良い」では三点しか取れませんでした。これは私の中では「水質が良くない」という意味なのです。

女性たちの言葉が気になり、昨夏の盆休みは高津川のアユ釣りと決めると、高津川漁協の田中誠二さんから「来ないほうが良い」と電話をいただきました。そうなるとよけいに気になり、来てみると、吉賀町柿木から同県津和野町日原までの本流に釣り人がいません。アユが釣れないからです。

猛暑、渇水、冷水病・・・。さまざまな要因から高津川のアユをはぐくむ深緑色の珪藻(けいそう)が腐り、前出の女性たちの「川がくさく、真っ黒」という言葉につながるのです。ただ、それだけでは説明できない、“病”に高津川がかかっていると私には見えました。

それでも、この川が“水質日本一”だというのなら、日本中のほかの河川の現状はよほど悪いということです。「高津川を、もっと美しい“日本一”にしたい」と、私は次第に考えるようになりました。

カナダでは、川に産卵のため溯(さかのぼ)るサケが森を育てていることが科学的に証明されたため、サケが川に溯りやすいよう工夫した土木事業がなされるようになりました。“近自然工法”といって、自然物を利用して川を自然の状態に戻す公共事業です。

日本でも、03年に京都大学に、「森里海連環学」が誕生して、二十世紀に人間が分断してしまった森と川と海の“つながり”や“つらなり”を取り戻すことが提案されています。

私も今年、高津川流域の皆さんと、「清流高津川をはぐくむ“木の家づくり”協議会」を結成しました。また、山陰中央新報社での高津川特別講座の開講も、流域の皆さんとともに考え、高津川を本当の清流日本一にしたいという思いからです。

高津川には、近年まで鵜飼(うか)いの文化がありました。縄文以来の「木の家づくり」文化がありました。縄文以来の「木の家づくり」文化や、古来の日本農業・有機農業の里・柿木集落も健在です。

この流域で、美しい川をよみがえらせ、林業を再生させてゆくことが、「日本再生のモデル」となると私は考えています。


No.2

サケは森をつくる    〜アユも何かを?〜


2003年に京都大学フィールド科学教育研究センターが提唱した“森里海連環学”にわたしが賛同し、普及を今お手伝いしているのは、02年秋にカナダの森で体験したことが強烈だったからです。

ビクトリア大学のトム・ライムヘン教授が、森への調査に同行させてくれました。この人は、サケとクマと森の関係を調べている研究者です。

クラッセ川は、河口から最初の滝までが1キロメートルで、そこへシロザケ、カラフトマス、ベニザケがおよそ3万匹、40日間のサケの産卵シーズンに押し寄せてきます。

わたしたちは@滝までの、川岸から50メートル以内の森の木A50メートル以遠の木B滝の上流の木、の3パターンから、同年齢の年輪をサンプリングしました。すると、@の年輪の幅だけが広く、そこにだけ「N15(窒素15)」が大量に含まれていたのです。「N15」は通常、海域には多いが、川域にはほとんどないものです。それがなぜに川のそばの木に大量に含まれているのか。

ライムヘン教授は、この「N15」が、サケ自身の身体によって川域へ運ばれ、それを冬眠前のクマが大量に収穫し、森に持って行って食べることにより木の根元まで運び、1本1本の木の中に入っているのだと証明した世界で最初の研究者です。

「サケが森をつくっていた」ことが、彼によって証明されたのです。

日本では、サケのほかにアユも、川に遡上(そじょう)して産卵します。

カナダで「サケが森をつくっている」ことを体験したとき、一番に考えたのはアユのことでした。「アユは何を森へ運ぶ使命を神様から与えられているのだろうか?」と。

アユは、ベトナムから中国にかけてのベルト地帯に生息していますが、日本だけに3種類もいるので、日本がアユの生息の中心地と考えられています。日本ではまだ「サケが森をつくっている」ことも証明されていませんが、サケよりも多くの日本中の河川で遡上していたアユが「何を森に運んでいたのか」は、研究する価値があるのではないでしょうか。

ですからわたしは、森と川と海の「つながり」や「つらなり」の復活を提唱する、里に住む人間が21世紀に自然を再生してゆく基礎となる“森里海連環学”を、日本中に普及してゆきたいと考えたのでした。

高津川は、その絶好の舞台となるはずなのです。



No.3

漁師の言葉は教える  〜「海も森の恋人」だった〜


 「森は海の恋人」というキャッチフレーズで、海の漁師さんたちが森へ向かい植樹活動を始めたのは、1989年、宮城県気仙沼のカキ養殖業の畠山重篤さんたちでした。

北海道ではその前年にすでに、北海道漁連婦人部の母(か)さんたちが、「百年かけて百年前の自然の浜を」というスローガンの下に「木を植えてお魚殖やす」植樹活動を始めていました。

双方とも、北海道大学の松永勝彦先生の研究をよりどころにしていました。「森から洪水の度に川に出てくる“フラボ酸鉄”などが海の栄養になっている」という研究です。

だから気仙沼では詩人が、「森は海の恋人」というすてきな言葉を紡ぎ出したのです。

先月のこのエッセーに書いた、カナダで「サケが森をつくっていた」という事業、ビクトリア大学のトム・ライムヘン教授の調査で明らかになったことは、北海道大学の松永先生の研究で分かったことと“対”の事実ですね。

「森は海の恋人」だったが、森に恋をされている「海」も、「森の恋人」だったということでしょう。森と海は相思相愛の仲で、それをつなぐキューピッドは、「川」であるとわたしは考えています。読者の皆さんも、そう思われませんか?

カナダでライムヘン教授の調査に同行し「サケが森をつくっている」ことを同位体元素「N15(窒素15)」で確認した後わたしは、カナダの少数民族が今も詠(うた)い続けている抒情詩を聞かせてもらいました。なんとそこには、「サケが森をつくっている」と昔から書かれていたのです。

日本の大井川でも、同じような体験をわたしはしています。大井川の河口の、4代続いた海の漁師さんから、こんなことを聞かされたのです。「ひいじいさんが、洪水になると小さなわたしを川のそばに連れていって、『この洪水が“魚の卵”を上流の森から運んでくるんじゃ』といつも言っていた。長じて、“魚の卵”とひいじいさんが言っていたのは、森から海の魚の養分となるものが運ばれているという意味だったんだと知ったね。大井川は34ものダムと発電所で川が途切れ途切れにされてしまって、海の魚が産卵のために集まってくる砂浜が300メートルも消え、漁獲量はダムができる前の4分の1になってしまった。森から砂や栄養が運ばれないと海はやってゆけないんだなあー」、と。

「森里海連環学」は、こんなことを考えさせてくれる学問です。


No.4

高津川水質浄化作戦   〜流域全体で取り組もう〜


“高津川水質浄化作戦”を始めます。島根県吉賀町の中谷勝町長と、村上幸子婦人会長、吉賀町の前産業課長で柿木村に有機農業を広めた福原庄司さん、わたしの連名で、益田市長、同県津和野町長、高津川漁協組合長、高津川森林組合長、JFしまね益田支所運営委員会へも呼び掛けて、8月2日に、「EMダンゴ」3千個作りを、吉賀町柿木庁舎で行いました。

「EM」とは、琉球大学名誉教授の比嘉照夫さんがつくり出した有用な微生物群で、既に吉賀町や津和野町では、婦人を中心に水質浄化や農業にも使われていたそうです。

わたしは、日経新聞社が出版している「日経エコロジー」で、EMの事例報告を1年以上続けていた経験があり、“水質日本一”を2年も連続して取った高津川を、名実共に美しい“日本一”にしたいと、吉賀町の中谷町長に、この作戦の実行を提案したのです。

高津川は、旧六日市町から柿木村水域の間にいくつもの農業用水堰(ぜき)を持っています。その水域はちょうど高津川が大きく蛇行を繰り返しているところで、水がためやすいからではないでしょうか。六日市、柿木の両集落の農業に役立ってきたと思います。

しかし、それが高津川にとっては致命的な悪影響を与えているように思えます。その水域の水質が一番悪いことが、六日市集落に住み、行政マンとして生きてこられた中谷勝氏の長年の心痛だったと、5月23日の養老孟司先生らとの“林業再生”のための委員会で、ご本人がわたしに打ち明けられたのです。

「EM」を水質浄化や農業に使う指導は、出雲市の元環境保全課長を務めておられた錦織文子さんが柿木村婦人会への指導を2003(平成15)年から続けてこられてきたので、この方に今後は高津川流域全体での水質浄化作戦の指導もお願いすることといたしました。出雲市のロータリークラブは、錦織さんの提案で、20校の小中学校で今年、EMをプールの浄化に使われるそうです。

EMによる水質浄化の成功例を全国で取材して、わたしにはこんなことが分かっています。「大量に」「集中的に」「継続して」「子ども、主婦、大人、老人、行政が一致して」取り組んだところには良い結果が生まれている、と。

高津川81キロの全域で取り組み、早く「本当の日本一」にしてあげたい。

22日には、2日に作ったEMダンゴ3千個を、投入の予定です。午後1時、吉賀町柿木庁舎ふれあい会館集合、まず作戦会議。同3時、大野原運動公園前河川敷に子どもたちも集合し、行動します。


No.5

“森里海”の思想とアユ   〜神様が与えた仕事〜


カナダでは、森と川と海をつなぐ使者はサケで、そのサケが「森をつくる」役目を神様から与えられていることが科学的にも証明されていることをこの連載で書きました。

日本には、サケのほかにアユも、“森と川と海を行き来する”ことが知られています。「カナダにはいないアユが、どんな仕事を神様から与えられているのか知りたい」。これが、わたしが「サケと森の関係」をカナダで初めて知った日に考えたことでした。

アユは、ベトナムから中国にかけて分布し、日本だけに“海産アユ”、“湖産(琵琶湖だけにいる)アユ”、“琉球(琉球地方だけにいる)アユ”の3種類がいるために、「分布の中心は日本一」といわれている魚です。

日本では、カナダのようにサケがクマの主食となっている(年間の食料の3分の2を、40日の産卵シーズンのサケで摂る)とは研究されていないので、森域まで遡上(そじょう)するアユなのに、そんな研究はありません。

しかし、分かっていることの一つは、アユは石に付いたコケを主食とするので、アユがいる夏は川がピカピカに見える、すなわち石に付いた古いコケも新しいコケもアユが食べてしまい、川が掃除されるということです。

高津川で始めた「EMダンゴ投入作戦」は、高津川を内科的処置で美しくする仕事。EMという微生物の集合体で川を浄化するものですが、アユにも、「内科的仕事」を手伝ってもらおうと考えています。

そのためには、高津川に「外科手術」をしなくてはいけません。この川に造られている堰(せき)や魚道を改良して、アユやウナギなど魚類や、ツガニも溯(のぼ)り下りをしやすくするのです。アユが最上流まで溯れると、川がピカピカになるはずです。

 そして堰の構造を改良すると、たまってヘドロのようになってしまう水が、少しはきれいになると思います。

そんなことができる法律が、今は国民新党の代表である亀井静香さんが自民党政調会長であられたときにつくられています。「自然再生推進法」です。まだこの法律には欠点があり、資金の創出先が国3、県3、地元自治体3となっていて、県や地元行政に資金がなければその利用ができない仕組みです。「協議会」をみんなでつくり、地元の要望が強く、県も賛成して資金を出してくれるならば、中央省庁が“くふう”をしてくれるといううわさもあります(笑)。

わたしたちも努力してみましょうか?アユと一緒に。


No.6

ツガニの全国デビュー   〜漁協組合員の英知〜


 9月8日のNHKTV昼の「ふるさと一番」では、前日に続き島根県の高津川が紹介され、この日の主人公は「ツガニ」。全国デビューだった。

 島根県でツガニと呼ぶ本名「モクズガニ」は、写真のように水中で藻のように広がる毛が特徴。上海ガニもこの一族だが、モクズガニはあんなに高くなくて同じようにおいしい。

 近年までは寿命は4、5年といわれていたが、10年以上生きるらしいと知られだした。

 海の波打ち際に生まれ、幼生期は海で過ごし、5、6月には稚ガニになって川の上流を目指す。何度も脱皮し、一生に1回、産卵のために川を下る。

 雌の卵が美味で、秋にはこのカニを楽しみにする人が多いが、去年から高津川では10月11日から11月30日までの間、51日間は獲(と)れないことに決められた。

 『高津川の天然アユを増やす』プロジェクトが高津川漁協の英断で始まり、ツガニ漁もこの時期、同時に禁漁にすることになったからだ。

 カナダでは「森を育てている」ことがわかったサケよりも、日本列島ではアユの方が広く分布していて、「森と川と海のつながり」を象徴している“指標魚”と思われる。

 そのアユに「冷水病」などの病いが近年発生しているが解決策がない。「それならば病気に抵抗力のある天然アユを増やそう」と考えた高津川漁協は、「数年は“落ちアユ漁”も“モクズガニ漁”も我慢し、高津川を51日間“全川全面禁漁”にして、アユが産卵のために海へ降りやすくする」と決めたのだ。

河口に住んでいる漁協の組合員は、春は上流を目指すアユの稚魚をただ眺めているだけ。だから秋に産卵のために下ってきた落ちアユをとても楽しみにしていて、それを我慢するのは本当はいやだろう。

「アユのためといって、カニまでなんで禁漁にするんじゃ」とハラを立てた御仁もいるだろう。

それでも2年前に「51日間全川全面禁漁」と自分たちで決めたのは、高津川を愛する男たちの“英知”だ。いかにこの流域の男たちが、川を愛し、アユを愛し、魚類を愛しているかがわかる。

この川では、かつて中流域にあった「ダム計画」も、この男たちが止めてきている。

雌のカニは、1個体から平均35万個の子を生むという。アユの仔魚(しぎょ)の貴重なエサの一つに、カニの幼生がなっていることを考えると、カニの禁漁も有意義であることを知ってほしい。



No.7

「川が生きている」のは   〜大ハマグリの復活〜


 高津川との出逢(あ)いは、2003年に『日本の名河川を歩く』(講談社)という本を書くために初めて訪れた時だ。

全国40本くらいの川を、『日本釣振興会』と『つり人社』の選んだ“天然アユの溯(のぼ)る川”から抜き出して、ミシュランガイドのように成績をつけてみた。10項目で5点ずつ。「ダムがなくてカヌーが通して下れる」「川らしい風景がある」「川魚を食べさせる文化がある」「子どもが川で遊んでいる」など。50点満点で43点を取ったのが、高津川だったのだ。

この川には、川の漁協と海の漁協の両方に、大学で水産学を学んだ男(ひと)が就職している。川の田中誠二さんと、海の佐々木隆志さんだ。

私は、「これだ」と思った。81キロのこの小河川が、19歳より全国や海外の川や湖や海辺を年間100日以上釣り歩いた私に「日本一」をつけさせたわけは、この男たちが行動している何かが、川によい影響を与えているからに違いないと思ったのだ。

先回紹介した「アユのためのツガニの禁漁」は、多分、川の田中さんの仕業に違いないと思っている。

海の佐々木さんも、負けていない。高津川の河口の益田に昔はたくさんいた“大ハマグリ”を近年復活させているのだ。

プロジェクト名は『益田大ハマグリ復活プロジェクト』。殻長13センチの、和名「チョウセンハマグリ」の稚貝が2000(平成12)年から再びわいてきたのを、人間が応援して復活させようと、海の漁協が始めたものだ。

今年からは流域の環境保護団体「アンダンテ21」も、“ハマグリのささやきプロジェクト”を始め、高津川と益田川の間の1.5キロの海岸の水際でハマグリの稚貝を数えるなどを、益田市民に呼び掛けて実行している。同日、同時刻に浜全体のデータを取らなければ正確な調査はできないため、150人を募っての調査が8月23日に行われた。「アンダンテ21」は、佐々木さんや川の田中さんがやっている大人の団体だが、調査を夏休みに設定して、子どもたちが夏休みの自主研究にできる工夫をしているのがニクい。

「川が生きているのは、このようにどこかの誰かが、そして流域のいろんな人がいろんな所で、「川よ、生きろ」と運動しているからである。

幸せモンだね。高津川君。



No.8

柿木村「有機」の30年   〜「水質日本一」となった理由〜


高津川の中流域に、柿木村はある。正式には吉賀町柿木村となって、六日市町と合併後も村名を残している。

なぜ村名を残したのか。行政のコメントを尋ねたことはないが、有機農業を30年間も“村ぐるみ”で続けてきた誇りがそうさせたのだと、私は勝手に納得している。

柿木村役場に勤めていた福原庄史さんは、1974年10月14日より朝日新聞で有吉佐和子さんが開始した連載「複合汚染」を読み、周りの若者にも読むことを勧めた。

その6年後に、柿木村に「柿木村有機農業研究会」が立ち上がっている。その前年のオイルショックまで、96%を山林が占める柿木村では、田畑は自給用に使われ、主産物は椎茸(しいたけ)で、重油を焚(た)いて乾燥していた。その重油が値上がりしたので、福原さんを囲んで、「農業後継者の会」を続けていた20代のメンバーが、「これからは自給ができることをまず考え、それには安全な作物を作ることから始めよう」と、決めたのだ。

すると、瀬戸内海がPCB(ポリ塩化ビフェニール)で汚染され心配していた山口県岩国市の消費者たちが「自給用の作物を分けてください。皆さんの無農薬野菜作りを応援します」と申し入れてくれた。「後継者の会」は十数人では都会の消費者のニーズに対応できないので、農協婦人部に趣意書を送り、協力を取りつけた。

以来30年来、柿木村では“村ぐるみ”無農薬が続けられてきているのだ。

高津川が2006年、07年(発表はそれぞれ翌年)と連続して“水質日本一”を取れた秘密は、二つあると私は考えている。一つは、ダムがないこと。もう一つは、流域の中心部柿木村の大地から、30年間も農薬が流れず、小さな微生物が生きられる環境が、大地ででも、高津川の水中でも保たれてきたからではないか。

来年は、「生物多様性条約締結国会議」がわが国で行われ、“生物多様性年”となるだろう。

高津川では夏から、私と吉賀町長の呼び掛けに、吉賀町婦人会、高津川漁協、高津川森林組合、益田市も応えてくれて、「EM」(有用微生物群)を、家庭からも、川でも投入することが始まった。津和野町は以前から続けている。先日は益田ライオンズクラブも私を講演に呼び、EMを勉強している。

人間が手伝わなくても微生物たちの活動がよみがえり、川が本当に元気になるまで、人も手伝って“自然界のいとなみ”を取り戻そう。柿木村の30年のように・・・。



No.9

「生物多様性年」  一からやりなおす


 「生物多様性条約第10回締結国会議」が1018日から名古屋市で開催され、日本が議長国を務める今年は、おそらく各新聞社でも年頭から“生物多様性”という言葉を使う紙面が増えるだろう。

 「生物多様性条約」は、1992年にブラジルのリオデジャネイロで行われた「国連環境開発会議(地球サミット)」で、「国連気候変動枠組み条約」とともに採択され、168カ国が署名したもの。条約は93年に発効し、現在は191の国と地域が参加している。

 私はその92年のリオデジャネイロに、川の非政府組織(NGO)として参加し、現地でシンポジウムを組み立てた経験を持っている。

 日本ではほとんどの国民が知らないので残念なのだが、2007年にわが国の農水省は、「農林水産省生物多様性戦略のポイント」というものをひっそりと(国民にほとんど知られていないのだから、私にこういう風に書かれても仕方ない)発表している。書かれていることは、素晴らしすぎて信じられないほど、まともなこと。いわく。

 「農林水産業は、人間の共存に必要な食料や生活物資などを供給する不可欠な活動であるとともに、多くの生き物にとって、貴重な生息・生育環境の提供、特有の生態系の形成・維持など生物多様性に貢献」、「しかし、不適切な農薬・肥料の使用、経済性や効率を優先した農地・水路の整備、埋め立て等による藻場・干潟の減少など一部の農林水産業の活動が生物多様性に負の影響」と。

 驚くべきことに、そこに添えられている写真はなんと、諫早水門の閉じられている姿なのだ。

 戦後アメリカから移入した農薬を使う指導を農協に続けさせてきた農林水産省が、農薬の弊害を初めて“負の遺産”と認め、干潟などの埋め立てが生物の多様性を損ね、生存に必要な食料の獲得にとっては、かえってマイナスでもあったと認めているのだ。

 どうして、こんなことを、わが国は大声で言わないのだろう。また新聞諸紙も、それを今まで報道しなかったのだろう。

 この国には、「一からのやりなおし」がどうも必要な気がする。

 森と川と海との“つらなり”や“つながり”を問う「森里海連環学」が、今年こそ、そしてこれからこそ、必要な年になったと強く認識している。