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「仁淀川 山と川と海の交流会」の概要

日 時:2004年3月14日(土) 13:00〜17:00
場 所:伊野町かんぽの宿

主 催:高知県・特定非営利活動法人仁淀川お宝探偵団
後 援:仁淀川流域交流会議


○講演
  天野礼子氏 「川に訊く」

 京都に生まれ、19歳、大学の一年生から釣りをはじめ、全国の川を歩いてきた。川だけでなく海辺や湖でも釣りをしてきた。
 一昨年に全国の天然アユの溯ぼる100の名河川を選ぼうという話があったが、全国で3万本の河川があるのに、天然アユの溯上する名河川は91河川しかなかった。
150年前、江戸の終わりに訪れた欧米人は、四つの海に浮かぶ美しい島国を見て驚いた。日本は、海の国、川の国、森の国であった。私は特に「川の国」であると思う。大昔は洪水などで暴れる存在だった川も、稲作とともに、人間の母とか、友という存在になってきた。
結局、91名川から40の河川を選んでつくったのが、昨年出版した「日本の名河川を歩く」というこの本だ。

 あの四万十川には5つのダムがあるが、日本の多くの人が、「ダムのない最後の清流」と思いこんでいる。4つは梼原川に、1つは本流にある家地川堰。流域の森林面積が日本で一番高いので、ダムがあっても清流を保っている。
その他の県内の一級河川では、物部川は渓谷型で、今は3つのダムがあるが、昔は一番きれいだったのではないか。野中兼山のつくった堰や水路が上手に使われてきたが、それとダムがあだになって、今は水がないために高知一哀れな川になっている。
仁淀川は、日本人がつきあってきた川の平均的なイメージの川であり、人間の営みのなかにある川、日本人の心の中に映る川である。
四万十川は、最後の清流と言われているのにという思いがあり、物部川には、もう汚くなっているのでという思いがあり、それが行動や危機感につながっている。しかし、仁淀川は、そういうこともなく危機感が少ないのではないか。
全国に3万本の川があり、そこに2700基くらいのダムがある。ダムは、水も溜めるが、砂も溜める。砂が流れないために、海岸がなくなり、藻場がなくなってきている。藻場は川の河口に集中している。そこに海の魚が集中して産卵に来る。それなのに、ダムが砂を運ばなくなってしまったので、世界一の海産物輸入国になっている。冷水病のアユなども多くなっている。日本中で海の魚、川の魚が少なくなってきている。これを危機と思っている。

流域のよみがえりは、川のことを考えるだけでなく、農業のことを一緒に考えることが大事だと考えている。有機農業の振興、食糧の自給を高知県ではこれからやっていこうとしていると見ている。
食料の輸出は、1位はアメリカ、2位がオランダである。中国の人口や経済の状況から、これからはアメリカから輸入することになる。そうするとアメリカの食糧が高くなる。世界中が今までのように輸入することが難しくなる。日本は、朝はパン、昼はそば・ラーメン、夜は和・洋・中いろいろな食べ物がある。そんな国は世界にない。世界一の食糧輸入国だ。国民年金も厚生年金ももらえないかもしれないのだから、このままを続けてゆけない。
食糧の自給に向けて、知事から農林水産部局に指示があり、そこから企画書が提出されたが、3年後を目処にやるというものであったために、1年目から取り組むようなものにするようにという指示が出されたと聞いた。素晴らしい。こうした取り組みを進めれば、高知の野菜を中国が欲しいという時代になるかもしれない。炭や木材がそうなっている。日本から中国へ輸出されている。

私も、仁淀川お宝探偵団の一員かもしれない。池川町岩丸に家を借りている。
これからは、現業、つまり、農業、林業、水産業などをもっとしっかりさせる必要がある。そのために、森から川、川から海に至る、自然を回復させる必要がある。
1990年、「森は海の恋人」という運動が始まった。フランスのロアール川の河口は牡蠣の産地だったが、そこの牡蠣がだめになったことから、ヨーロッパで最初にダムを撤去した。その「ロアール・ヴィ・バンテ」に視察に行った宮城県の牡蠣養殖業の人たちが、森に木を植えに行った運動だった。その前に、1988年には、北海道の海のおっかさんたちが、全道で山に木を植えた。しかし、頑張っている程の効果が自然のためにあがっているか疑問だ。川にあるダムのことに目をつぶっているからだ。
「森は海の恋人」とは全く逆の視点を、近年は勉強した。サケが何故川を溯っていたか、アユ、アマゴ(サツキマス)が何故川を溯ってきたか。
カナダのビクトリア大学のトム・ライムヘン教授がこのようなことを発表した。サケをクマが食べる、1頭が一秋に700匹食べるが、その量がクマの全食糧の3/4になる。クマは、一日に17匹のサケを捕らないと冬を生きられない。捕って、テリトリーにもどって食べるが、一番おいしい脳髄のあたりを食べると捨ててしまう。その周辺の木のサンプルを私も行って調査した。サケの溯る滝までの川岸から50m以内の木と、滝より上の木を調べると、サケの溯る滝までの木に、2.5倍の年輪の厚みがあった。これは何故かというと、サケが運んだ栄養だった。海にしかない窒素15というのがその正体だった。森に栄養を運ぶことは、神様が決めた「サケの使命」だったのだ。
これは、20世紀の科学者がようやく一人だけ分かったことだが、こんなことや、「森は海の恋人」だというのは、海の漁師や川の漁師なら世界中誰でも知っていたこと。
静岡県の大井川は32のダムで砂が止められ、砂浜が300mも失われた。昔は、洪水の時、100kmくらい上流の千頭(せんず:地名)から魚の卵が流れてくると言われていた。森から流れてくるミネラルが魚の栄養分になるということである。
森のよみがえり、川のよみがえり、海のよみがえりが必要だ。生きた龍、ヤマタノオロチは川のことだったが、今は日本中がミミズくらいの川になってしまっている。洪水時に森からの栄養が海に届くシステムのよみがえりが必要。

高知県は、全国から見たら、まず海。2番目が、男はいごっそう・女ははちきん。3番目がカツオということになるが、私から見ると、土佐は「川の国」。黒潮から立ち上る水蒸気が山に当たり、雨となり、川となる。それと「森の国」だと思う。
嶺北の有機無農薬農家の山下一穂さんのような方を支援する、そうした部署、研修システムをつくるということを橋本知事は最近おっしゃっている。高知県は自然のバランスが良い。自給自足に適している。そういう風土を活かしていこうということを橋本知事は宣言したと思う。
たとえば、山下さんの使うEMは、81種類の微生物を使っている。有機農法で使用するが、作物のためだけでなく、農薬づけになった農地を浄化するという作用もある。
森、川、海のよみがえりを完結できるのが高知。仁淀川に限らず、物部川も動き出している。四万十川では、1980年代から、宝酒造が支援しだすことで、流域が動き出した。高知は、自分が、自分が、が多いというが、宝酒造の支援金を好きに使っていいということで、流域の市町村長を順番に新聞で紹介していった。次の年はそうした一番の人がまとまったので四万十川は全国版になれた。四万十川の次は、仁淀川じゃ、物部川じゃ、そして、高知じゃ、になれば良い。

今回は、仁淀川お宝探偵団が正式に活動をはじめて、こうした集まりの第一回のゲストということで、光栄に思っている。
20世紀は近代科学の時代だったが、科学は直しながら良い方向にもっていくものである。欧米では、川を、真っ直ぐにしてきた治水から、ダムの撤去や再生にもっていっている。2002年に国土交通省が自然再生推進法という法律をつくったが、この事業をどう進めるか、それも“市民事業”。今日の私の2つ目の本「市民事業」に詳しく書いている。
四年前の二月に池川町に来た。池川町は特異な町で、人口は9000人から2000人くらいに減った、高知県一高齢率の高い町。4つの川があるが、山が急峻で、田は2町ほどしかなく、畑はお茶を作っている。19歳から年間100日くらい全国の川を歩いてきたが、池川の川は、全国の5本の指に入ると思った。水が濁っていたので、山の上の方で林道工事をしているのではないですかと言ったが、地元の人は、それまでは何故だろうかと考えていなかったようだ。見に行くと切り飛ばしという工法で、今は国土交通省ではできないことになっている工法だった。業者に申し入れをして改善してもらった。「緑と清流のまち」と言いながら、濁りの原因を見に行っていなかった。それから「池川の“緑と清流”を再生する会」をつくり、西日本科学技術研究所の福留さんなども呼んで勉強してきたが、そこでやってきた手法がまさに市民事業である。環境条例をつくり、近自然工法で狩山川の再生も手がけている。

20世紀の科学には、誤りも限界もあった。川では、1997年に河川法を改正したが、河川法ができて101年目の改正だった。その改正の中に、住民対話、環境重視の文言がようやく入った。 
“オランダモデル”について。オランダは、1000年の間、海とも川とも闘ってきた。ライン川の砂が河口にたまって、河口部は昔は土地が高かった。川をまっすぐにしたので川の方が高くなってしまい、堤防で囲ってきたが、洪水がよけい頻繁に起こるようにようになった。そこで、2005年にハーリングフリート河川堰をオープンにすることにするなど川と闘わない河川政策に大改革された。その際、一番手厳しいNGOに意見を求めた、これが“オランダモデル”と言われている。
明治になって、治山治水の要の、林業政策をドイツから、河川政策をオランダから学んでしまったことが間違いだった。日本はモンスーン国であり、雨がたくさん降る稲作の国。そうした国が、河川政策ではオランダの治水を学んだ。もう一つの間違いは、河川政策を中央管理にしたこと。その昔は、藩ごとに、川ごとに河川の管理をしていたのに。
 
2002年12月3日に自然再生推進法が成立し、数日後の12月10日に熊本県の潮谷義子知事が球磨川最下流のダム撤去を宣言した。7年間は水利権を継続するが、その間の発電による収入47億円によって荒瀬ダムを撤去することにしたのだ。
2000年夏にヨーロッパにゆき、帰国後に、菅直人さん、鳩山由紀夫さん、亀井静香さん、三人に同じ話をした。ヨーロッパでは、財政の観点から公共事業をやめている、その一方でお金がなくても自然を再生するという事業をしていると。
球磨川ではダム撤去を土建業の人たちが言い出した。時代はそういう時代になってきている。潮谷知事は、川辺川ダムを止めたかったので、荒瀬ダムを撤去することにしたと思う。同じ荒瀬ダムを撤去する時代に、それでも川辺川ダムを造りますかということだろう。
これからの時代は、市民が役人と一緒になって事業をやっていく時代である。「市民事業」の中にも書いているが、愛知県の高浜市の例を読んで欲しい。
今回だけでなく、流域の交流を続けて欲しい。物部川の人が来ているが、四万十川の人も入って、県内の川がつながる交流も続けていって欲しいと思う。
私も何年か後には高知県民になりたいと思っている。
今日は、川から見た話をさせていただいた。時代の流れを伝えるために「ダムの撤去」の話をしたが、そのキーワードにこだわらずに、「私たちは一度川に訊いてみることが必要だ」という主旨を話したかったと理解していただければ幸いである。

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