08 2007年7月4日  講演リストへ


磐城流域林業活性化センター 講演

「“林業再生”最後の挑戦」

 

天野  こんにちは。私は今53歳で、9月に54歳になります。昭和28年生まれです。同級生ぐらいの方が今日はたくさん来ていただいております。大体120人くらい今この会場にいらっしゃると思います。

先日6月6日に私は、近畿中国森林管理局、林野庁の7局のうちの一つが大阪にありますが、そこのホールをお借りして、民間人の私や、それから大橋慶三郎さんといって、林内の路網を57年もつくり続けている方や、それから今大変皆さんが研修に行かれている先であります京都府の日吉町森林組合の湯浅さん、この3名で呼びかけた勉強会をいたしました。「来たれ、志ある侍よ」というタイトルで、会場は超満員で、今日この会場よりももっと満員で、蒸し暑い部屋で、大変有意義な話し合いができました。

 私は今大阪に住んでおりますが、京都市北区鷹ヶ峰という北山杉のふるさとに生まれました。小学校の1年から6年まで、同じクラスの34名、1学年34名しかいない小さな小学校で育って、その後、町の中心部の同志社中学、同志社高校、同志社大学というふうに通うようになりました。そして、大学の1回生のとき、19歳のときに釣りが好きになって、ほとんど大学に行かないで、日本中の川、そして山里、そして海外の川なども歩きました。
 34歳の時に日本の真ん中にある長良川というところに河口ダム、河口堰というものができることになって、1988年に、私は生まれて初めての反対運動に踏み出しました。それは、一本の美しい長良川というものを守るためのものではなく、この国に本当にいつまでもたくさんのダムが要るのだろうか。私たちの国は四つの海に囲まれた緑の宝石のような、とっても美しい国だったと明治時代に外国の人たちがたくさん来た時は言ってくれました。でも、戦後の繁栄とともに私たちが失ったものは何だろうか、本当にまともな川がこの日本にあるのだろうか、あるいは山里は健康なのだろうかということが心配で、私の文学の師匠であります開高健という人をリーダーにして、私は日本の川を問う運動をしたのです。そして、1995年にその長良川河口堰というのは運用されたのですが、1997年に、今は私のお友達であります亀井静香さんが建設大臣の時に、河川法というものに「環境重視」と「住民対話」というものが入りました。そこで、私は「川の運動は大体これでよいのではないかな」と、自分自身思うようになったんです。

 そんなことから、建設省河川官僚の皆さんと私は、全国的な反対運動で対立したのです。いわゆる戦ってしまったのですが、近年は私は、自分の後半人生は戦わないで、みんなで日本の山と、川と、海と、連なるこの日本の山河を取り戻したいというふうに考えました。そして、今は林野官僚の皆さんと仲よくしております。今日皆さんに配られたこのチラシには、「アウトドアライター」の肩書きの後に、「新生産システム高知中央・東部アドバイザー」って書かれていますが、林政審議会の委員も今年の2月からやっております。皆さんのよくご存じの方では、1987年に勿来の署長であられました山田寿夫さん、この方が林野庁では「新流通・生産システム」を木材課長の時につくり、そして計画課長としては「新生産システム」をつくった方です。そして、つくった後、自分は九州森林管理局長になって去年は九州へ行かれていて、今年は北海道森林管理局長になられています。その山田さんを中心とした九州森林管理局の人たちのことを書いたのがこの「“林業再生”最後の挑戦」という、先ほど司会の大平さんから紹介していただいた本です。

 「“林業再生”最後の挑戦」、確かに刺激的なタイトルです。マスコミの方々に随分言われました。「随分刺激的なんですね」と。ええ、でも本当なんです。林業を再生するには最後のチャンスであり、もしここで日本は失敗したら、それが最後なんだ、林業はもう蘇ることはできないという意味で刺激的なタイトルにしておりますということを言っております。東京の林野庁の林政部の方々とか、それから先ほど紹介いたしましたように、近畿中国森林管理局の皆さんとも一緒に、いろんな勉強会をやっております。

 では、スライドをちょっと見ていただきたいと思います。多分ここにいらっしゃる皆さんは初めて見られるものではないかなと思います。私が2000年の秋に自分でカナダに行って撮ってきたものです。これは、カナダのブリティッシュコロンビア州の100トントラックです。ブリティッシュコロンビア州と言えば、皆さんもご存じの方が多いと思いますが、カナダで一番たくさん材を出している州で、カナダで一番熊が多く、カナダで一番サケが溯る川を持っている州でもあります。BC州と略していますね。100トントラックというのを日本では私は見たことなかったのですが、カナダにはあるんですね。このトラックが通る時は、私が乗っていた乗用車に無線で通信が入ってくるんです、このトラックから。もうすぐおれが通るからどいておくように、チビたちはどいておくようにって、乗用車はどくように言われるのですね。わき道に入ってこのトラックが通過していくのを小さな車たちは見て待っているんですね。そうすると、このトラックがブーンといって物すごいスピードで走っていきます。ここに人間が立っていたら、吹き飛ばされてしまいます。それで、どいておけと言われるんです。カナダは過去60年ぐらいと思いますが、このような100トントラックで山から材を出し、世界に材を送ってきた国です。今、その国でちょっと変化が起こっている、あるいは大きな変化かもしれませんが、そのことを今日は皆さんにお話ししたいと思います。

 次のスライドお願いします。この人は、ブリティッシュコロンビア州にあるビクトリア大学のトム・ライムヘンさんという教授です。この人は、木の幹に、銀色の棒のようなものを突っ込んでいますね。その手前にブルーの棒が絡んでますでしょう。あのブルーの棒をこの後この人はクリッ、クリッ、クリッと回すのです。そうすると、この木の年輪が取り出せるんです、木を殺さずに。何のために年輪を取り出しているかってことは次のスライドを見てください。はい、お願いします。

 皆さん、これは、サケの死骸です。まず、熊によって森の中にサケが運ばれて来ます。このサケのことをこの教授は研究しているのですが、ただサケのことを研究しているのではないのです。この人の研究は次のスライドでわかります。次、お願いします。

 はい、これです。先ほど彼が回そうとしていたブルーのクリッ、クリッ、クリッというのを回しまして、ぐうっと銀の棒を引き抜きますと、木の幹からあの太さの、その幹全体の年輪を取り出すことができるのです。これが、あの教授が研究しているものです。

 皆さん、先ほども言いましたよね、私が。100トントラックのあるBC州は、カナダの中で一番熊がたくさんいる州、そしてサケが一番カナダで溯がる州です。この教授は、森と熊とサケの関係を研究しています。この教授があるとき森の中の、森と川との間の河原に座っていました。そしたら、自分の後ろを熊たちが通過して、川へ行ってサケを捕ってきました。そして、そのサケを森の中に運んでいるのを見ました。カナダでは、熊は年間の自分の食糧の3分の2を、いろんなサケが川に溯がってくる40日間の間にとります。1匹の熊がサケを40日間で700匹食べます。40日間700匹ということは、1日17匹ぐらいのサケを熊が食べるわけです。その熊が食べた後、ほっ散らかしたのが先ほど1枚前のスライドだったんですね。このサケたちを熊たちが食べた後は、次に大きな動物たち、すなわちオオカミとか、あるいはテンとか、鳥とか、そういうものが食べて、そういう小さな動物が食べ残したものは最後はウジムシが食べてしまいます。そして、跡形なく森はまた静かになるのですね、ただサケのにおいだけを残して。

 ところが、残すのはサケのにおいだけではなかったのです。それがこの今見ていただいている2本の年輪のうちの一本です。写真の上の年輪と下の年輪は、同じ川の流域の、幅の違う箇所から採集された、同じ年齢の木です。わかりにくいかもしれませんが、上の木の年輪の方が下の木の年輪よりも、1年1年の年輪の幅が狭いです。ということは、1年1年の年輪の間に入っている栄養分が少ないというふうに考えられるわけです。それをこの教授は窒素15という安定同位性体と呼ばれる、どこにいても同じ形の窒素15の形をしているというもので調べました。先ほども言いましたように、カナダでは40日間のサケの溯がってくるシーズンにいろんなサケが溯がってきますよね。そのときに1頭の熊が700匹のシャケを食べるんですが、ちょっと皆さん思い描いてみてください、頭の中で。海があって、海から川をずっとサケがさかのぼってきます。そしたら、あるところに滝があります。滝があるとサケは溯れませんね。ですからこのトム・ライムヘンさんという教授は、滝より上の木と、滝より下流の木を調べました。しかも、川岸から両岸50メートルの木を全部調べたんですね。そうすると、海から滝までの間の川の両岸には、スライドでは下の幹です、年輪の幅が太い方の木に、いっぱい窒素15というものが含まれてました。そして、滝よりも上流の木には、窒素15というものが含まれておりませんでした。それはどういうことかというと、サケが自分の体で森に窒素15を運んでいたということなんですね。どうしてそういうことを言えるかというと、窒素15というものは本来は川にはあまり無く、海に多い成分だからなんです。この教授は何を証明したかというと、「サケが森をつくっていた」ということを証明したんです。すなわち、海から運ばれた成分がサケによって川の上流に運ばれて、川で熊がとったものが木の成分になっていたということを証明したんですね。これが実は、世界の近代科学者たちで地球上で唯一この教授だけ、要するに科学で、「海が森を育てていた」ということを証明できたわけです。しかし、実は私が、カナダのこのトム・ライムヘンさんと一緒に調査した時、トム・ライムヘンさんは言いました。「私たち近代科学はこんなことを証明するのに1世紀もかかったけれども、実はカナダの少数民族の物語の中には昔から、“海が森をつくっている”という言葉があったのだ」と。

 なぜ皆さんにこういう話を、あくびをしてる人もいるし、寝てる人もいるんですけど、どうしてこんなことをまず最初にお話ししたかというと、実は、私たちがこれまで1世紀の間、森や川や海をいろいろ変貌させてきましたけれども、大事なことはわかっていなかったということがこれでわかるのではないかなということなのです。近代科学と偉そうなもので百年やってきたのですが、実はそういったものに含まれてはいなかった「昔から人々が持っていた知恵」、「林業をやっていく知恵」とか、「山を守っていく知恵」とか、そういったものが実は一番大事なのではないかなということで、これを見ていただいたのでした。

 このことがわかったカナダで今こんなことが行われているというのが、次のスライドです。次、お願いします。皆さん、ここに“公共事業”がたくさん行われているのがわかりますか。だれかわかる人がいたら手を挙げてください。今、スライドを操作してくださっている方、どうですか。ここに公共事業が行われていますけれども、わかりますか。

 はい。「護岸工事をやったのではないか」という、賢そうな老人がいます。老人というと怒っている(笑)。はい、それは正解に近いのです。これはですね、護岸工事をやったというよりは、それに近いことが行われています。まず、一つ目の公共事業はこれです。森の木を切り倒して、川の中に差し入れました。すると、真っすぐだった川に変化が起こって、ここに瀬ができて、その下流に瀞場(とろ)ができています。それからもう一つ、川の中にも公共事業行われています。「それは、石」と言った人、正解です。この大岩です。この岩は、木材会社の労働組合の人たちが仕事の合間にヘリコプターで置いていってくれたものです。この川はあちら側が上流なんですが、先ほど言いましたように、100トントラックでカナダは60年ぐらい山から材を出してきました。森を伐ってきました。この川は今お話しした公共事業が行われる前はもう真っ平らになってしまっていて、昔あった岩は川の中に埋まってしまっているし、そして森も変化のない森だったのです。それをこういうふうに公共事業で蘇らせているのは、先ほどのトム・ライムヘンさんが証明した、「実はサケが森をつくっている」ということの大事さがわかったからなのです。サケが森をつくってくれている、「それじゃ、私たちもサケのために何かをやろう」と言って、木材会社の労働組合の人たちが、カナダの政府も金がないので、公共事業につぎ込むお金は自分たちがかわりに働いてやろうと言ってやってくれたのです。

 そのきっかけは、先ほどのトム・ライムヘンさんの研究で明らかになった時分に、カナダのブリティッシュコロンビア州で今の民主党のような党が選挙の時に、「私たちに投票してくれれば、私たちは環境によいことをする」というマニフェストを発表したんです。環境によいこととは何か、サケのためによいことをします、森のためによいことをします、熊のためによいことをしますと言ったのです。カナダの人の大好きなものは三つあって、一つ目は熊、それからサケ、森。これをカナダの人は好きなものですから、その野党のマニフェストに乗ってみんながその野党に投票しました。そしたら、ブリティッシュコロンビア州で政権交代が起こったのです。それで、その政権交代が起こった時に、その新しい政府は、この事業を始めたのです。けれども、今全世界そうですが、行政や政府にお金がありませんので、この事業をするための基金をどうやってつくったか、税金をどういうふうにつくったか。それはね、“切り株税”という税金をつくったのです。製材会社は1本1本の木を伐るときに税金を払いなさい、その税金でこういった公共事業をやりますよ。それは、サケに産卵に川に戻ってきてもらうためのものなので、結局は木材会社の方々の皆さんのためになるのですよという説明がなされて、そういう公共事業がされました。そうすると、木材会社の人たちは1本1本の木に税金、木を伐るときに税金がかかるんだと、よく考えて切ろうということになりましたので、あんまり木が伐られなくなりました。そして、労働組合は少し暇になったので、じゃヘリコプターで公共事業でも手伝ってあげようといって、このような事業が今カナダで行われ始めているというのが、私が2000年の秋に、カナダで見てきたものなのです。

 もう一枚同じようなものを見ていただきます。次、お願いします。これが最後のスライドですが、これはまた違う谷の同じように公共事業がされた小さな谷の現場です。石の大きさがちょっと小さいですけれど、これも人工的に自然を再生させて、ここはサケが長く産卵に溯ってこなかったのが産卵に溯がるようになりました。それが、結局は「サケの為ではなくって、森の為になっていた」ということを、ちょっとご紹介いたしました。                                   

 それでは、スライドはこれで終わります。

 今、私がこのようにカナダで見てきたのは2000年の秋でした。2000年の秋というのは日本ではどういう時だったかというと、実は、1025日に長野県に田中康夫知事が登場したという年です。私は、2000年に民主党で鳩山由紀夫さんが代表だった当時、鳩山さんに頼まれて、コンクリートのダムはもういらないという“緑のダム構想”というものをつくりました。「公共事業を国民の手に取り戻す委員会」というのを13名の研究者たちと組織して、“緑のダム構想”をつくったのです。それを田中康夫さんに送っておりました。すると、その翌年の2月、2001年の2月25日に彼が“脱・ダム宣言”というのを発表したというようなことになったのです。
 それで、私は田中さんが“脱・ダム宣言”を発表された時、私の役目はもう終わったと思いました。このように首長が“緑のダム”ってことを言い出したような世論が日本にもできたので、私は「次にしなければならない」ことをしようと思ったのです。次にしなければならないことは、森へ向かうことだったのです。きっかけは今お話ししたように、カナダに行ったことであり、また“緑のダム構想”をつくったことだったのですが、何がわかったかというと、実は川に対する世論はできたけれども、森に対する世論はできていない。山で、農業をしながら林業の現場を守っている方々の最低年齢が65歳に近づいているんじゃないか。今から10年間の間に林業を再生しなければ、我が国の林業はもう再生しないのじゃないかと、私は2000年に思ったのですね。それから私は、森に通い始めました。

 そしてその頃に、高知県の仁淀川というところにも通い始めました。高知県には日本で有名な四万十川というのがありますが、その四万十川よりも水質がきれいな、全国4位の水質になったこともある仁淀川というのがありまして、その仁淀川の源流の一つに池川町という、昔は林業で9,000人も住んでいたのですが、今は2,000人しか住んでいない、森林率97%、老人医療負担率が非常に高く、すべての財政が補助金でやっていかなければならないような究極の山村過疎地があります。そこに私は通い始めたのです。それで、その池川町の人たちと「“緑と清流”を再生する会」というのをつくりまして、その活動をずっと続けてきています。その究極の山村みたいなところに今私は家を借りていまして、その借りている家も林野庁と関わりがあって、実は林野庁の池川営林署があったところの官舎を借りてるんです。
 当初、私は2000年のときは林野庁の皆さんと親しくしてなかったので、そこの官舎のある前には川、周りにたくさん山があって、アマゴがたくさん釣れる、アユも釣れるというところが気に入って、そこを借りようとしたのですが、私の友人であるその営林署に勤める人が自分の上司に、今あそこの官舎が空いているので私の友人に貸してやりたいのだがどうだろうと言ったら、その方の上司が、おまえの友達って大規模林道に反対している天野礼子さんでしょ、あんな人に貸すわけにいきませんというふうに言われて断られました。すると、池川町の町長さんがどうしたかというと、2軒空いていた官舎を買っちゃったんです。官舎の半分はもう既に昔町が買っていて、低所得者住宅というのにしてたのです。木造の築35年の平屋です。残りの官舎の一軒に私は入りたいと言ったのですが、林野庁が貸してくださらないというので、その町長さんが話をつけて、2軒一緒に買っちゃって、1軒を貸してくれた。私は低所得者でもないし、住民でもないので、本来は借りられないのです。本来借りられない。どうしたか。その町長さんは条例を変えてしまいました。住民でもなく、低所得者でなくても、町長が貸していいと言った人には貸していいという条例にしてしまったんです。それで、そこに釣りや、それからこの最初の本、「“緑の時代”をつくる」という、森への最初の本、私はたくさん本を書いてますけども、この「“緑の時代”をつくる」っていう2005年に出した本が初めての森の本ですが、これをここで書きました。。そして、2番目の本が昨年の11月に出しましたこの「“林業再生”最後の挑戦」です。高知県では、本を書いたりとか、アユ釣りをしたり、アマゴ釣りをしたりしています。

 最初のこの「“緑の時代”をつくる」という本は何故つくったのかというと、これは木質バイオマスエネルギーのことを書いています。日本の、今皆さんご存じと思いますが、この1億2,000万人の人が住んでいる小さな列島、四つの海にぽっかりと浮かぶ「緑の宝石箱」のようなこの日本は、今2,500万ヘクタールの森を持っています。この67%もの森林率を持っているのは、世界でフィンランドに次いで2位です。そのような国の私たちが実は、二つ大きな間違いを犯しています。私が今年の2月に林政審議会の委員に公募いたしました時の提言というのを、ちょっと読んでみたいと思います。

 「林政審議会委員公募の提言。テーマは、林業及び木材産業の再生のために政府がなすべきこと。国産材の需要を拡大するために政府がなすべきこと。」というのが、テーマの作文です。

 「まず初めに、1兆円から、また今は1兆3,000億円にふえてしまっている林野庁の赤字を、政府が国民負担でゼロにすることを提案します。日本が今も曲がりなりにも67.1%という森林率を維持できていることが、これからはこの地球上でますます貴重なことになってくることを考えると、森林国にふさわしい施策を今こそ林野庁が中心となって打ち出すべきであり、そのためには今赤字削減のために進められつつある林野庁職員の削減策などは大急ぎで大転換するべきと考えるからです。我が国の森林率67.1%のうちの23.4%の自然林と自然度の高い二次林は、これからはより大切に維持し、18.7%の自然度の低い二次林はもっとよい森にするための検討が多面的にされる必要があり、25%を占める人工林は次のような視野を持って、森林国日本を再び「木文化」の繁栄する林業先進国とするために活用するべきです。私が1110日に上梓しました「“林業再生”最後の挑戦」にも書いたことですが、今日本林業にはピンチとチャンスの両方が同時に来ていると思います。日本の杉が世界で一番安いというピンチと、安いから使ってもらいやすいというチャンス、そして戦後に植えた人工林が使いごろになって大量にある、その上原油の値上げが外国からの船舶の船賃を上昇させているという重ねてのチャンスなのです。こうしたチャンスに一番必要なことは、急いで山から大量に人工林材を出せる“社会システム”を再構築することと考えます。それには、森林組合を猛スピードで鍛え直すことが求められるでしょう。我が国の森林所有形態のほとんどである地域の小規模森林所有者を取りまとめ、森を団地化させて、そこへ大橋慶三郎さん式の高密度路網を入れ、小さな道に合った小さな高性能機械を使って作業の能率をアップするという、「真っ当な林業作業をきちんとやる」ことを森林組合に教えるのです。全国の森林組合にそれに急ぎ取り組ませるためには、今はそういうことをやらなくては森林組合として食ってゆけないという状況を国が急ぎつくることが必要と考えます。現在新生産システムで11カ所にて取り組まれている森の団地化と高密度路網への助成を一般化し、それ以外の補助金はストップして(これが肝心と考えます)、全国の森林組合がどうしてもその二つに取り組まざるを得ない体制を国がつくるのです。我が国が、「使用する8割の材を外国から輸入している」、「木材の乾燥を石油で行っている」、「木の周りの材を産業廃棄物として処理している」森林国であるという情けない現状も、この二つに全国の森林組合や素材生産業者が急ぎ取り組むことによって急変させることが可能となると考えます。」という作文です。

 実は、あるところから聞いた話では、この私のさっき言った「これが肝心と考えます」というのをわざわざカッコに入れて書いたのが、委員を選ぶ人の間で随分話題になって、こんなことを書いてるやつを委員にしていいのかというのがあったらしいんです。その箇所をもう一度読みますと、「現在新生産システムで11カ所にて取り組まれている森の団地化と高密度路網への助成を一般化し、当分はそれ以外の補助金をストップして(これが肝心と考えます)、全国の森林組合がどうしてもその二つに取り組まざるを得ない体制を国がつくるのです」といううち、この「これが肝心と考えます」というのが、私はそれを特に言いたかったんですけども、選ぼうとした人たちの中ではこれが随分物議を醸し出したということだったようです(笑)。

 それで、私はこのことを言いたいために林政審議会の委員になりました。ということはどういうことかというと、私のやりたかったのは、委員になりたかったことではなく、法律を変えたかったことなんです。日本という国は大きな間違いを二つしていると私は先ほど皆様にお話をいたしました。大きな間違いの一つは、先ほどの作文にも書きましたように、木材の乾燥を私たちの国は化石燃料でやっています。化石燃料が燃えると二酸化炭素として出るのは皆さんもご存じですね。ほかの森林国は第1次オイルショックのときに石油乾燥をやめています。それを今だにやっているのは森林国では日本だけです。恥ずかしいことです。
 それだけではありません、恥ずかしいことは。もっと恥ずかしいことは、木の周りの材を中央のお役人がなぜだか産業廃棄物として決めてしまったために、今産廃業者にお金を払って持って行ってもらうということをやっている製材業者の方々もいらっしゃるということなんです。こういったことを国にやめていただくためには、我が国は優秀なる官僚国家で、どんなことも法律で決めたことをやっているわけです。だから、役人に間違いはないと役人の方々は言うわけです。じゃ、その政策を変えたければどうするか。それは法律を変えるしかないわけです。ですから、川においては1997年に、亀井静香建設大臣が河川法を変えて、曲がりなりにも「住民対話」とか「環境重視」ということがこれからの河川行政では最重要視されているわけです。林業で何か変えたいことがあれば、長良川の時のように反対運動して戦うか、林政審議会の委員になって法律を変えるしかないので、私は林政審議会の委員に応募をして、今委員をやっております。というような状況をつくったというわけです。

 何が言いたいかというと、皆さんも今日ここに集まっていただきましたが、私もそうですが、自分でこういうふうに世の中を変えたいと思ったら、自分で変えなければ誰も変えてくれないということなのです。私は昨日平子商店の方々と湯ノ岳でいろんなお話をしました。そこで希望を持ったことは後でお話ししますけれども、その時にちょっとお話ししたのですが、私は実は昨日、大観荘に泊めていただいて、8時半頃に寝ました。なぜかというと、今日皆さんとお話しする前に自分が発作を起こしてはいけないからなんです。私は左の脳に脳動静脈奇形という血管の奇形があって、それは10万人に1人ぐらいの難病で、こぶし大ぐらいに血管が絡まり合ってるんです。ところがですね、その血管の奇形は左脳のうしろの辺にあるのですが、そのあるところに言語中枢と思考中枢がかかっているものですから、奇病という意味では100万人ぐらいに1人の奇病です。例えば釣りをしていて、徳島県の吉野川で釣りをしていて、モーツァルトが聞こえてくるので何でかなあと思っていたら、それは幻聴で、実は自分は水に浮いていて、もうちょっとで水死するとこだったとか、そんなことがしょっちゅうあるもんですから、先ほど司会者の大平さんが言われた、「天野さんは違う日本を見て死にたいね」と言った、死にたいわけではなくて、せめて死ぬまでに違う日本を見たいと思って、自分の力で少しでも日本をよくしたいなと思っているということです。それで、今日皆さんに会う前に発作を起こしちゃいけないと思って、昨日は、いいちこの水割りを3杯ぐらいしか飲まないで我慢して8時半に寝ました。そしたら、結局3時半に起きてしまって、早く寝ても遅く寝ても一緒だったということがわかったという、笑い話でございます(笑)。

 さて、それでは肝心の「“林業再生”最後の挑戦」に入っていきたいと思います。先ほどもお話をいたしました、1976年に林野庁に入って、1987年に勿来の署長をやってらっしゃった林野庁の山田寿夫さんという方がこの本の前半部分の主人公です。山田さんは、先ほどもご紹介いたしましたように、木材課長のときに「新流通・加工生産システム」をつくり、計画課長のときに「新生産システム」というのをつくられました。私は先ほどお話ししたように、自分自身が“緑のダム構想”をつくったりとか、カナダに行って、カナダが政権交代によって今までと全く違う公共事業を作り始めた、それは実は森のための公共事業だったということを知ったものですから、その「新生産システム」ができた時に非常にうれしく思いました。そして、林野庁の中でも九州の森林管理局から変革が起こってきていることを、昨年この本に書きました。九州森林管理局の肥後さん、小原文悟さん、そういった部長クラスの方々が九州では作業道をつくり、そして改革をしようということを始められました。そのことを中心にこの本の前半3分の1ぐらいを書いたわけです。次の3分の1は、この本の表紙を見てください、皆さん。この表紙は、大橋慶三郎さんという人がつくった作業道の写真です。大橋慶三郎さんは、もうすぐ79歳になるのですが、昨年78歳のときに脳梗塞を起こしました。それが治って数カ月後に今度は、危ないハチ、私も1回おでこを刺されたことがある、スズメバチ。私はここを刺されました。あるとき京都大学演習林というところを歩いていたら、大きなスズメバチが来たので、自分の帽子でこうやって追い払ったんです。ああ、スズメバチはいなくなったと思って帽子を被ったら、中にスズメバチがいて、刺されました。スズメバチに刺されると死ぬ人もいるそうですけども、私は刺されてから4時間も山の中をうろうろして帰ってきてお医者さんに行って、こんなに腫れてるんですけどって言ったら、今ごろ来ても遅いよ、死ぬんだったらもっと前に死んでるよと言われたのです。でも、その大橋慶三郎さんは、去年脳梗塞になったのが春、そしてその秋にはスズメバチ50匹にも刺された。普通、1匹に刺されても死ぬのでしょ。それが、スズメバチの巣を踏んじゃって、50カ所も刺されたのに、その大橋慶三郎さんは死なないですね。これはすごい人なのですよ。このおじ様が57年間もつけ続けてきたのがこういう道なのです。要するに、林内に細かな、のり面が1.5メートルまで、幅が2メートルから2.5メートルの道をこの人は自分の山につくり続けてきて、自分の、元々は貧相だった山を物すごく植生の豊かな山にし、そして大きな径木の山にして豊かに暮らしている。自分がこういう道をつけるだけではいかんということで、この人の弟子は日本列島に多分200人くらいいると思います。この人の一番弟子が清光林業という奈良県の川上村にある17代も続いた山持ちさんの会社で、その会社が今一番上手に道をつけています。こういった道を、九州森林管理局から始まって、林野庁もつくり始めています。林野庁がお手本にしておりますのが、四国の四万十町の田辺さんの道なのですが、田辺さんの道もこの大橋慶三郎さんや大橋慶三郎さんの一門から見ると「まだまだだね」というふうに言われております。とにかくこの大橋さんというのは57年も道をつくってきたわけです。

 実は大橋さんだけではなくて、大橋さんくらいの程度までの道づくりの出来る方は日本列島に何人かしかいらっしゃいません。そういった方々は、個人の森林の所有者で、頑張って道をつくっては壊し、つくっては壊し、危ない目に遭いながらも自分の林内に道をずっとつくり続けることによって作業をしやすくしてきたわけです。そして、ちょっと小さ目の高性能の機械とこの道でずっと商売をしてきたんです。それで、林野庁は今何をしようとしているかというのは、林野庁もこの人たちの個人の所有者の技術の優れた人から学んで小規模な道を網の目のようにつけて、そして作業のコストカット化をしようとしているわけです。

 昨日、私が行きました湯ノ岳山荘のあたりで仕事をしていらっしゃる方々は、「安全の日」の勉強会で、林野庁から借りたDVDを見ていらっしゃったそうです。そういうふうに今は、道をつけることが、林野庁でも民間でも、流行り始めているということです。

 そして、民有林の方では、この、道をつけるということだけではなく、小規模森林所有者というものを取りまとめるということが大きな課題となっていることは、皆さんもご存じだと思います。道をつけ、そして小規模の森林所有者を取りまとめる。私が通っております高知県では、「森の工場づくり」というメニューがあります。今は高知県では、これまで橋やダムをつくってきた建設会社の方々でも、会社の定款に林業というものを加えれば、そういった小規模森林所有者の取りまとめをやることができるようになってきています。皆様の福島県でもそういったことがだんだん起こりつつあるというふうに、昨日聞きました。

 私は、この「“林業再生”最後の挑戦」に書きましたように、林業の改革というものについては、今言いましたように、一つは、道をつけること。二つ目は、民有林の場合は小さな森林所有者をまとめるということが、重要だと思っています。そして、今日私は皆さんにお話をしておりますけれども、私が書いたりしゃべったりしていることは、主に人をどう動かすかとか、人をどう変えるかというふうなお話をしております。私以外にも、私の友人で皆さんもよくご存じの京都の日吉町森林組合の湯浅参事は、仕事の仕方、作業の仕方や、それから小規模森林所有者の取りまとめの仕方などが専門分野で、彼は今全国の組合の研修を日吉町森林組合で受け入れています。もう一人の親しくしている方は、富士通総研の梶山主任研究員で、この方が皆さんもいろんなところでお話を聞いたりとか、インターネットで彼の書いた原稿を読んだことがあるかもしれません。ドイツと日本の林業の比較、あるいはヨーロッパと日本の林業、仕事の仕方の比較、なぜ日本では日平均の生産性が低いのかというようなことを理論的にお話しされております。私はその方々と分野が違いまして、私の専門分野は「人」です。「人」の話をしているわけです。

 その梶山さんと今年の3月にドイツに行ってきました。私は、ドイツはこれまでに林業の勉強では行ったことはなかったのですが、三、四回行っております。しかし、今回初めてドイツをきちんと勉強したと思いました。これまでは「川」のことを勉強しに、あるいは「公共事業」のことを勉強しにドイツに行ってたのですけども、今年はその梶山さんに誘われた時に、梶山さんに「何故ドイツが好きなんですか」って言ったら、「行ってみたらわかるよ、美しいじゃない。」って言われたんですね。それまで私はドイツは一般的には美しいと思っていたけど、どこが美しいのかなというのはあんまり考えないで歩いておりました。しかし、「行ってみたらわかるよ、美しいじゃない。」と言われて行ってみて、よく目を見開いて見てみましたら、なるほどドイツは美しかったです。町の家並みは統一されているし、高速道路から田舎道に入って行くのもするっと入って行きます。「街灯は電気が全部ついている」、「道々にコンビニがたくさんある」、「どこにでもペットボトルのお茶が売っている」という日本とは全然違います。森があって、ドイツの森は皆さん、すべて人工林で、天然林はもうないことはご存じですね。産業革命で黒い森を全部切り倒してしまったドイツはそれを反省して人工林をつくってきたわけです。きれいな森があって、教会があって、家並みが統一されていて、電線が全部道路の下に埋まっている。とてもきれいでした。そして、“林業”は生き生きとしてました、ドイツでは。

 皆さんにお配りしてるのは、「森林組合」という、私が今連載している森林組合連合会の広報誌です。私は、この連載を2年以上前から始めていますが、なぜ「森林組合」に書くようになったか。それは、森林組合の立て直しと、森林組合の皆さんの“志”の入れかえがなければ日本の林業は再生しないと思ったからなのです。私が通っている高知県の某、某と言っておきます、某森林組合にある時、朝の8時半に森林組合長さんと待ち合わせました。扉をあけてくれたのは森林組合長さんでした。今日はいつもより30分も早く出てきてあなたとお話をするといって組合長さんがおっしゃいました。8時半ですよ。普通の地方の役人だったらもう出てますよね、オフィスに。9時になったら森林組合の職員の方々が出てこられて、靴からスリッパに履きかえられて、お湯を沸かしてみんなでストーブの周りで十数人の方がコーヒーを飲んでいらっしゃいました。森林組合長さんは、その職員の方々が来る9時までの30分間、私に何を言ってたと思いますか。「うちの経営は苦しくて、もうやっていけないかもしれない。」どこがですか。コーヒーを飲んでいる人たちがですか、と私は思いました。そう言いたかったのですが、言いませんでした。なぜならば、そういった森林組合が全国にたくさんあることを知っていたからです。でも、私は、この森林組合の皆さんにどうにかなってもらわないと、あるいはどうにかしないと日本の、先ほども言いましたように、山里にいて農業をしながら森をまだ持っていてくれている人たちの最低年齢が65歳ぐらいになっているこの現状を変えることはできない。林野庁はさっさと5,000人体制にしてしまうし、これから平成22年までに政権交代でも起こらなければ、特殊法人になってしまい、林野庁はますます小さくなっていくんです。

 私は、6月6日の近畿中国森林管理局の勉強会の時に、4月16日に東京の林政部長たちと勉強会をした時のペーパーを読み上げました。そのペーパー、きょうは皆さんの前では読み上げませんでしたが、そのペーパーには何が書いてあったか。「林野庁を林野省にしよう」と、私は書いた。それを私が読み上げた時、林野庁の官僚の皆さんは恥ずかしそうに笑いました。本気にしてないんですよ、私が言っていることを。あるいは本気にしたいけれども、とてもそういう状況じゃないのでしょう、多分。この間、大臣が自殺なさいましたけど、そういったことを抱えていてはとてもそういう状況ではないのかもしれません。
 けれども、私は本気で林野庁を林野省にしようと考えているのです。それを笑ったら絶対現実にはなりません。ドン・キホーテという人がいたじゃないですか。一人でも風車に突進していくような人がいなければ、どこかに。それは本当にはならないのですよ。だって、そうじゃないですか。防衛庁だってあんなに小さかったのに、いつの間にか防衛省になっているのだから、あれは逆だと思うんですよ、私は。防衛庁を防衛省にするぐらいだったら、林野庁を林野省にしていればいい。そう思いません、皆さん。うなずいてらっしゃいます、女性が。女性は正直です。

 そのようなことで、私がドイツに行きまして見ましたものは、ドイツでは民有林も国有林も“フォレスター”と呼ばれる国の役人、州の役人もいつも頭で考えています、私たちの国の森林をどうするのかということを。こういうことを、私、日本の役人の方々はあんまり考える癖を持ってないのではないかなとドイツで思いました。ドイツでは、民有林のことも国有林のことも“フォレスター”がしっかりと考えています。そして、“フォレスター”と呼ばれる国や州の役人の方は、自分では素材生産をしません。ドイツの素材生産の方々は、昨日私が勉強させていただいた平子商店の人たちのように、小さな16名くらいの会社がほとんどです。その森林所有者をまとめる仕事はちゃんと地域の人々がやっていて、そして仕事は素材生産業者に出しています。その素材生産業者を地域の人たちと一緒に決めるのはフォレスターです。
 私は、ドイツのいろんなフォレスターに会ってこう聞きました。随分長いことこの村で、この州でフォレスターをなさってますが、15年ぐらい一つの地域を担当していて、皆さんの中に業者の皆さんから袖の下をもらったりするような人はいないのですかと。ドイツのフォレスターがあきれてもう口が、何かあきれて物も言えんというような、口をぽかーんとあけて、「何を言ってるんだ、この日本の女は」という顔をされました。そして、通訳の人が私に説明してくれました。ドイツでは幼稚園の子供が、男の子も女の子も、大きくなったら何になりたいと聞かれたら“フォレスター”言うんです、と。ドイツ語でも英語でもフォレスターなんです。森林官なんです。幼稚園の子供が最も尊敬しているのは、村長さんではなくてフォレスターなんです。私は、日本もこんなふうになってほしいなと思いました。フォレスターっていい言葉でしょ、皆さん。それが日本にはちゃんといないと、私は思うんです。

 そんなことを、ドイツに行って考えました。ドイツがそのようになったきっかけというのは、作業道整備がされたことがきっかけだったんです。皆さんにお配りしている中に、「森林組合」の2007年4月号と、5月号があります。ここをちょっと読んでみましょう。2007年5月号、「林業を支える仕組みがしっかりある」ということで、1行目ですね、2007年5月号、1行目、「ドイツに小規模森林所有者を取りまとめる組合が設立されたのは1970年代初めあたりが中心で、それは林道整備がきっかけであったというから、ようやく今小規模森林所有者の取りまとめや、それに伴って林内高密度路網の整備をやろうとしている我が国では、いわばドイツに35年遅れていることになる」と書いています。実際上そうだと思いました。今年行きましたのは3月でしたが、この前5月には菅直人さんが、私が行きましたところと同じところを、私が紹介した通訳に連れられて行きました。民主党は最近「林業再生プラン」というのを発表されましたが、こういったことが、党派を超えて、今は林業に政治家も目を向けるようになったというところであのような大臣が死んじゃうというような不幸があったのですが、それでもやっぱり私は、林野庁に林野省になってもらいたいという気持ちです。

 今日の参加者の皆さんは、素材生産会社の社長さん、それから県や市のお役人さん、それから近くの山の木で家をつくろうとしている工務店の皆さんがこんなにたくさん来ていただいているんですが、実は残念なことに、私が一番来て欲しいと思っていた山で仕事をしている素材生産の会社の現場で働いている人たちがこのシンポジウムには来てくださっておりません。1人だけ富永君という方が、平子商店から来ていただいているのですが、もっと多くのそんな方々に実は私は来ていただきたかったのです。日吉森林組合では一番最初に、20年前に森林組合改革をしたときに何をやったか。それは、今までは偉そうにしていた事務職と山で働いている人の権利を同じにしました。山で働く人は日給だったのですが、それを月給にして、同じように毎週1回全員で会議をする、そして同じ権利で組合改革をやっていくということをやったのです。ですから、きょうは県の幹部候補生のような方々がたくさん来ていただいていて、この方が中心に、多分この福島県で新しくつくられる森林環境税などを使っていくことを広めていかれるのだと思うのですが、私は一番重要なことは、「だれが山で木を出してくるか」ということだと思うのです。

 昨日、私はうれしかったのですけども、何度も同じ会社の名前を言って恐縮ですが、平子商店さんの、昨日山でお話を聞かせてくれた人たちは、1人を除いてすべてIターンの30代の方々でした。そして、その方々は大学を出てわざわざ林業に入ってきた人たちでした。同じような人々が、列島の何カ所かで生まれ始めています。徳島県の吉野川の支流にある剣山のふもとのウッドピアというところに若者たちが30名ぐらいいて、これがすべてIターンです。そのIターンの人たちに、ここにこんな小規模森林所有者がいるよと、連れて歩いてくれているおじさんの年齢が67歳でした。67歳ならまだあと10年は山を歩けます。その人たちが元気なこれからの10年の間に、65歳の人の頭の中にあった知恵を25歳から35歳、40歳のIターンの人に受け継いでもらうのです。それをやらなければだめなんです、日本は。そうではありませんか。山から材を出してくる人がいなければ、どんな「新流通システム」やどんな「新生産システム」があったって、木材の、“木の文化”のサプライチェーンはできません、皆さん。「だれが山からやるの」ということです。“木質バイオマス”にしたってそうです。山で木を伐る人がいて、今は林地で残しているものをできるだけ持ってきて、それを金にするシステムを考えるのが“木質バイオマス”で生きていく社会をつくることです。すなわち一番重要なことは、「社会システム」をきちんとつくり変えるということなのです。この近年、35年ぐらいか、あるいは40年と言っていいかもしれませんが、林業には「社会システム」がなくなっていたのではないでしょうか、皆さん。日本の教科書から「林業」という字が数年前まで数年間消えていたのはご存じですか。あるとき自民党の林業の関係の国会議員の人たちが日本の教科書を見て、「何だ、これは」と、林業という字が消えているじゃないかといって、林野庁におまえらしっかりせえよ、文部省に頼んでこいといって、文部省に言ってきたのでまた載るようになったのですが、ある時期本当に林業というページが、日本の小学校の教科書から消えていたのです。皆さん、そんなことでいいのですか。67%の森林率、フィンランドに次ぐ世界第2位ですよ。恥ずかしいですよ。どういうことかというと、社会システムを私たちは失っていた、社会システムを無くしてしまっていた、潰してしまっていたということではないでしょうか。これをしっかりつくることが皆さんの使命だと思うのです。そして、今日ここに集まってくれている人たちの多分仕事だと思うのですよ。

 先ほど私はおじさんって言った、あの方、まだお若いです。多分68歳か65歳ぐらいでしょうか。これから10年あの人がやってくれるんです。ここで私たちが行く道をあの方が教えてくださるんです。そういうことをですね、今山村にいる方にやってもらうということをやることが皆さんの仕事です。一つ、ケーススタディーとして、二つの森林組合の現状を紹介いたします。

 まず、資料の「森林組合」の2007年3月号、「日本の林業再生のお手本がここにある、石川県加賀森林組合の皆さん」というのをちょっと読んでみます。老眼鏡を持ってきてない人もいると思うので、私がお読みいたします。「石川県加賀森林組合の皆さん。集落ごとに林産組合が117もあって、それが自主運営されていて、加賀森林組合という組合員4,436人、人工林8,106ヘクタールの大組織が黒字経営で生き生きと生きて動いている。こんなことが日本中でできていたら、これまでの数十年のような林業界はなかっただろう。4月に白山森林組合と合併し、より大きくなる日本林業再生のお手本を取材した。2月25日午前10時、かが森林組合辰口地区大口集会所での白山森林組合との合併を4月に控えた地区座談会は、コンピューター画面に映された「加賀森林組合経営理念」を全員で大声で唱和することから始まった。「たまげた。これでは松下経営塾ではないか」というのが、私の率直な意見。「森林組合とは、地域ぐるみで適切な森林管理を行うための要となる組織である。また、森林所有者が安心して森林管理を託すことができる森林のプロでなくてはならない」とある。いい年をしたおじさんたちが目をきらきら光らせて、正座して、こぶしを握りしめ、大声で画面を読んでいる。私は涙がこぼれて画面がにじんでしまった。数日来、ここかが森林組合にやってきて伺う話は夢のようなことばかりだった。なぜって、ここには私の理想とする本物の森林経営があったからだ。私は19歳から大学をサボっては日本の川を年間100日ぐらい釣り歩いてきて今がある。日本の川を一番歩いている物書きだとの自負があるが、林業について勉強し始めたのは2000年ぐらいからだ。自分には19歳から川を見てきた右の目のほかに左目もあって、それはずっと山を見てきていたのだと最近わかった。」

 ということで、ちょっと飛ばしますが、その下の段いきます。「地区ごとに林産組合長さんを選び、その人物が本組合と組合員との間を取り持って、小規模森林所有者を取りまとめて、組合が事業をするということが可能になっているのだ。今ごろになってようやく全国で日本の林業再生を可能にするのは小規模森林所有者を取りまとめ、高密度路網をつけ、リーズナブルで使い勝手のよい中小機械を駆使して森林経営にとっても最も重要な生産性を上げることであると知られるようになったが、石川県の旧小松市森林組合はそんなことが昭和50年からできていたということなのだ。」

 これは簡単に言いますと、どういうことかというと、皆さん、この加賀森林組合では、集落ごとに林産組合というのが117もあって、それぞれの地域に林産組合長さんがいて、本来森林組合本部がやらなければならない地域の取りまとめをやっているのです。一番重要なことは、日本は森林所有形態が小規模なので、その人たちを一人一人説得して歩くのが難しいことです。そして、日本の森林組合はそのデータを全部持っているのに、そのことをやっていないという現実があります。
 ところが、この加賀森林組合は、集落ごとに林産組合というのをつくって、その林産組合長さんが自ら地域の人たちを説得して歩いているだけではなくて、その森林組合長さんは名誉職のようなもので、年間に2万円ぐらいしかもらってないのですけど、ものすごく頑張っているので、地域の人たち自身が林産組合長だけにやらせておくのではなくって、自分たちでまとめてるんですよ。
 要するに、本来森林組合本部がやらなければならないことを地域の所有者たちが自分たちで地域の所有を取りまとめているという、まことに便利なシステムがここはできているのです。これに私はたまげてしまった。林野庁の、私にここに行けと言ったのは近畿中国森林管理局の梅津署長なんですね。それで、私は帰ってきて、「すごいですね」と言ったら、「いや、あんなのは昔から私たちは知ってますよ」と言うので、私はまたそこで怒っちゃって、「知っているんだったらもっとどうして大声でこんなことをやっているところがあるって全国に言わないの」と言ったら、「いや、みんな知ってますよ」って言うんですけど、皆さん、知ってます?知らないですよね、こんなところがあるなんていうことは。それで、私は、今度8月25日に石川県の森林組合連合会の皆さんに話しに来いって言われてるんです。石川県というと、この「加賀森林組合」があるところなんです。そこで、私はこの次に話す時は、「加賀森林組合」をモデルに改革するお話をしますって、もうあらかじめ言ってあるのです。それがこれからするお話なのです。

 次はこの「森林組合」の2007年2月号というのを見てください。またちょっと読み上げますね。「山形県金山町の皆さん。明治11年に金山町を訪れたイギリス人女性イザベラ・バードは「日本奥地紀行」に、この里を、山頂までピラミッド型の杉の林で覆われたロマンチックな雰囲気の場所であるとし、喜んで数日間を過ごした。そのバード女史の見た100年前の町の景観を100年かけて取り戻そうと始まったのが、金山町住宅建築コンクール、今年はそれが30周年を迎える。イザベラ・バード女史は東北から北海道を歩いた時、行く先々で日本人から物珍しげな視線を浴び、宿を覗かれた。しかし、当時金山を治めていた町長は、集落中にこんなおふれを出した。『金山へ来たら休ませてやれ。』金山という集落は、恐らくそんなことを発想する知性の高い指導者に指導される住民たちが代々暮らしてきた地なのだろう。
 その指導者と縁の深い亡き岸英一町長は、昭和33年に北アメリカとヨーロッパを視察し、かの地では個々の住宅が町並みを構成していることの大切さに気づき、昭和38年に全町美化運動を開始した。昭和46年に町長に就任した次の代の岸宏一町長は、これからのまちづくりは長期的な展望を持ち、次の世代に残すものを我々がつくろうと発想した。折しも時代は高度成長期、昭和30年代から冬場に東京に出稼ぎに出ていた金山大工たちは、東京で知った新建材を使って家を建てたり修理をしていたが、四方を山で囲まれ、金山杉が名産品となるほど雨の多い、夏には湿度が高くなる金山町では、その新建材の壁がたちまち傷んでくるということを体験した。『やっぱり金山だど、しっくいと杉の板張りでねばだめだな』となった。これが岸宏一町長が2期目の昭和53年に金山町住宅建築コンクールを始めたいわれである。
 この30年間で町行政が町民の住宅改築や新築に出した補助金の合計額は2億円。それで7,000人の人口の金山町の住宅の3分の1が金山型住宅に変わった。建築現場で支払われた金額の合計は82億円、1軒に500万円以上の住宅の増改築に対して50万円が上限として助成される。助成率は10分の1だから、2億円なら20億円の仕事のはずだが、その合計が82億円というのは、住民が頑張って建ててきたことをあらわしている。やっぱりこの地はイザベラ・バードを休ませてやった知性を継承しているようである。
 金山型住宅とは、金山杉を使って金山大工が建てることが基本で、金山町町並み形成基準は、「町全体を風景としてとらえ、周囲の自然や歴史的資産が美しく見え、かつ住民が住みやすく、風景と町並みが調和する美しい町を形成する」を基本理念として、道路からの外壁の後退、建築物の規模、屋根や外壁や構造等の意匠、野外広告物や壁等や水路など建築物以外の工作物について細かく規定している。町中に美しい水がめぐる水路が張りめぐらされ、裏路地はどこまでも意地悪く点検して歩いてもごみ一つ落ちてなく、美しい花々が花壇や植え込みや鉢植えにあふれていて、ヨーロッパの美しい町並みを歩いているようだ。恐らく日本で一番美しい森の町なのではないだろうか。全国くまなく歩いているつもりの私の知る限り、日本一の折り紙は間違いないと思う。金山町では近年観光バスがやってきて、よその人たちが町中をぞろぞろ歩いている現象が起こり始めて、住民の間にそういった外部からの客を案内するボランティアも組織された。子供たちも学校教育で町並み保存の100年かけた運動やイザベラ・バード氏との歴史を学び、子供たちなりに町並み景観を考える仕組みもできつつあるようだ」と、書いております。

 このように、この金山町住宅建築コンクールというのが始まったのが昭和53年です。それからずっとこの建築コンクールを、30周年も続けてきたわけです。30年間で町の家並みが3分の1変わってしまったわけです。要するに、昔の金山杉と白い漆喰の、1ページ目にあるような、こういう建物が町の中にあふれているわけです。
 昨日、私は磐城で山に連れて行ってもらったり、海に連れていってもらったりする時に、この磐城というところは金山町のようになれるかなというふうに見てみました。点検しました。新建材の建物が大変多いです。皆さんは今何をつくらなければならないと思いますか。それは、今日はまだ少数しか来てくれていない山で仕事をしている若者、Iターン者をもっとたくさん入れて、素材生産業者の会社、県の役人、市の役人、そして近くの山の木で家をつくる工務店の皆さんが、木材チェーンというものをつくることじゃないですか。
 川上、川下という言葉がありますね。先ほど言った、私が一番強く言ったのは、山で誰が木を出すのですかです。その次は誰が製材をするのですか。誰が大工をするのですか。誰が家を売るのですか。これが全部できていなかったら、皆さんの林業はあり得ないわけですよ。皆さん、皆さんは木の家に住んでますか。林野庁の人に、ある大学教授の人が手を挙げてもらったことがあるそうなんです。皆さん、木の家に住んでますか。だれも手を挙げなかったそうなんです。皆さん自身が木の家に住んだり、皆さんの子供に木の家に住むことを勧めたり、親戚にそのことを勧めたりしなければ、林業の再生ってあり得ないのじゃないですか。
 もうすぐ選挙がありますが、選挙と一緒なんですよ。自分が自民党好きだったら、自分が入れていれば自民党は安泰だと思ってたらだめなんです。本当に自分が自民党が好きで、自民党にこれからもずっとやってもらおうと思ったら、自分の妻も説得し、友達も説得し、お母さんにも選挙へ行けと言う、ということをやらないといけない。それぞれが、公明党好きな人は公明党、共産党好きな人は共産党、民主党好きな人は民主党というように、自分自身の1票ではだめなのです。

 自分の周りの人が同じことをやることを、皆さんは林業なのだから、林業の世界でやることが必要なんですよ。自分の子供が、新建材の家を建てるのだったら、やめろと言って止める、それがまず皆さんのやることなのです。その前に自分の家を改築するときは木でやるというのがまずこれ基本ですけどね。そういうことをやろうと本当に思わなければ、林業なんて再生できないのです。それが「木材チェーンをつくる」ということなのです。

 私は、昨日お話を聞いた中で、今日来てくれる人の中にこの間、日吉森林組合に行ったお役人さんたちが二、三人来るかもしれないって言われたので、非常に期待をいたしました。この県か市のメニューか仕事で日吉森林組合に行った人いますか。はい、1人だけですね。あの方は私のスライドを世話することを頼まれたので今日来てくれたのです。でも、あの人と同じように日吉森林組合に行った人がいるのに、他の人は来ていないのです。なぜかというと、林業というものの予算が少なくなっているから、ほかの人は松くい虫の何たらに行かなあかん、きょうは何たらがあって、棚卸しだとかなんとか言ってみんな来ないのですよ。それではいけないのです。日吉森林組合に行ったならば、次は天野さんの話を聞きましょうということで積み重なっていくのですよ。そういう積み重なりがなければ“林業の再生”はないのです。で、今スライドをやってくれているあの方が、幾ら賢くたって、自分一人では日吉森林組合に行ったことは何にも広まっていきません。
 それが先ほど言ったような、例えば、今日冨永君が平子商店から来ていますが、昨日冨永君が私に質問をしました。「僕たちは一番何をしたらいいですか」っていうことを言われました。私は、「まず外のことを知ってください」って言いました。「例えば、私のこの本を読んでください」っと言って笑われたのですけど、「私は本を売りたいのではないんですよ」っと言ったら、彼は私の真意をわかってくれたのですが、要するに外の情報をとって、自分たちがどのぐらいの位置にいるかっていうことをまず知ることが大事だと思うんです。それで、そのことを私思っていましたら、その冨永君が、僕たちが一番知りたいのは自分たちはどのぐらいの技術を持っているのだろうか、どのぐらいの技術の高さにいるのだろうかということを知りたいとおっしゃったので、じゃ、社長に直訴をして、私が紹介をするから、吉野の清光林業に1週間研修に行ってきなさいと。そして、吉野と日吉森林組合は車にして3時間ぐらいの距離のところにあるから、両方で1週間でもいいし、2週間続けてでもいいから、とにかくあなたは行ってきなさいということを言ったのです。その間に社長は山で仕事しなさいと。社長は遊んでいないで、社長自身が冨永君と代わって仕事をすればいいということを言ったのです。

 そういうことをお話しした時に、冨永君以外にも6人の方からきのう現場でお話をお聞きしました。35歳の冨永君、53歳の芳賀君、29歳の能勢さん、27歳の風間さん、31歳の田中さん、この5人はIターン者でした。53歳の私と同じ年の芳賀さんという方だけがUターンだったのです。こういう高学歴の方々が林業に入ってきてくれるということは、林業に希望があるということではないでしょうか。私はそう思っているのです。
 そして、彼らが一番知りたかったと言っていることは何か。先ほど言いましたように、自分たちはどのぐらいの技術を持っているのだろうか。ということはどういうことかというと、自分たちが頑張ればこの地域の林業が再生できるのだろうかということを考えているのではないでしょうか。私はそう思いました。ものすごく希望を持ちました。そこで、すぐさま北海道森林管理局長の山田さんに電話をしました。「あなたがゴルフを教わったという平子さんが今ここにいて、6人の従業員が一緒にお話を聞かせてくれたのだけど、すごく希望を持てましたよ。山田さんがつくってくれた「新流通システム」、「新生産システム」、これがどんどん日本を改革していくのだということを私は今実感したのですよということを言いました。平子さんは、「おれはゴルフしか教えてないんだけどな」と、言いながら山田さんが自分に林業をやれよというふうに言ってくれたので現在の自分がいるんだ。本当は全国のいろんなゴルフ場に造成しに行くという仕事もあったのだけども、この地域で踏みとどまろうと思ってやってきたというような話をしてくれました。

 その6人の人たちに聞きました。ほかの素材生産業のところに入社しようと思ったことはないんですかって。「入社しようと思ったことはありまして、他社を受けに行きました。遠い島根県のある会社で入社試験をやるというので行ってみたら、15分面接されただけでした。その後平子商店に行ったら、まあ1週間来いやというふうに言ってもらえて、同じような年代のIターンの人がいて、ここで何か希望が持てそうだなと思ったのでここにしました。」と、言われました。先ほど紹介した徳島県の吉野川の支流のウッドピアというところも、私が今通っている高知県の仁淀川、前は池川町といっていたところと同じで、山村過疎地で2,000人しかいない村で、森林組合が潰れかけていました。それで、町長さんが森林組合の役員もしていたけれど、もうこりゃ森林組合はあかんわというので、第三セクターをつくって、ウッドピアと名付け、徳島県が主催した林業の人入ってきてくださいよという、徳島市内でやる、何というのですか、募集のところに出かけて行ったらしいのです。その募集にたくさんのIターンの人が応募してきたらしいです。その応募してきたIターンの人たちは、何カ所かに行ったらしく、なぜそのウッドピアにしたのですかと聞いたら、こういうふうに言われました。「私たちは何カ所か行きましたけども、何カ所かの集落に行ってみて言われたのは、あんたたち物好きに、こんなところに来るのかいっていうふうに山の人たちに、山に住んでいる人たちに言われました。でも、このウッドピアの町の人たちにはとても歓迎されて、来てね、来てね、絶対来てね、一緒に働こうねって言われました。そして、子供たちをここで育てたいと思いました。」と、そういうことなんです。要するに、もうこんなところによくも来るわねなんて言われたところにはやっぱり行かないんです。

 その後、私は数カ月後に和歌山県の日高川の中流にある美山町というところに行きました。美しい山の町って書くのですが、そこでも、森林組合がやっぱりIターンの人を入れてました。そこで同じことを言われたのです。美山町になぜ決めたのか。それは、「ここの人たちが来てほしいということが本気だなと思ったからなんです」と。「他のところにも何カ所も行ってみましたけれども、よくこんなところに来るわねって、子供をこんなところで育てて心配じゃないのって言われた。そんなこと言われてだれが行きますか」と言われました。

 そのように、私がなぜこんなことを言っているのかというと、一番重要なことは、その地域を再生するときに、その地域に住んでいない人たちの力を借りていくということが、これからの日本列島は重要なことだと思うのです。そのことをできるかできないかっていうことが一番重要で、そのときに一人の役人、私はすぐれた役人のことを能吏と呼ぶんです。「能力」の「能」と「通史」の「史」です、一人すぐれた能吏がいたって何もできないんです。先ほども言ったように、山から誰が材を出すのですか、それを誰が製材をするのですか、そしてもしも自分たちの予算だけで無ければ、林野庁から予算を持ってくる、それもアメのようにもらってくるのじゃなくて、ちゃんとムチの方ももらってくるのだと、そして自分たちからもちゃんと森林所有者に少しでも多くのお金を渡せるように、ただ補助金で、ただ新しい森林環境税で、また森林組合を甘やかして潰してしまうのではなく、いかに多くのお金を山に残してあげるかということを考える人、これが能吏というのです。私はそう思うのです。一番今重要なことは、自分たちで稼ぐという癖をつけることではないでしょうか。それが多分このかが森林組合の皆さんがやっていることなのだと私は思うんですよ。地域の森林所有者が自分たちで自らですよ、毎週のように会議をやっているわけです。このかが森林組合のところで一つ新しいことがあって、それが非常にうれしかったので、そこのところを読んでみましょう。この2007年3月号の加賀森林組合の10ページの上の段を読みます。2007年3月号、「石川県加賀森林組合の皆さん」という、10ページの4行目からです。

 「私がこの日お邪魔した辰口地区は、平成12年の合併で旧小松市森林組合と一緒にかが森林組合をつくった旧辰口町森林組合、この地区には13名の林産組合長さんがいらっしゃる。平成12年に合併してからここでは毎年50ヘクタール、7年間で350ヘクタールの集団間伐を実行してきた。合併をする以前、ここの人たちは旧小松市森林組合の組合員がうらやましかったのだそうだ。うちも小松のようにもうけたいと思うのは山を持っている人なら当然の思いだろう。自分の持ち山が間伐をしてやれず、ひょろひょろで真っ黒なら、だれもがそう思うのは当然だ。だから、合併すると猛スピードで小松式を取り入れ、毎年50ヘクタールというスピードで集団間伐に取り組んだのだ。街道沿いの山がどこも散髪したての男性の頭のようにすっきりとしていて、かが杉の一本一本がまるで両手を広げてえっへんと自慢げに立っているようだ。人々の目には力があり、賢い森林組合の指導のもとに農家林家が生き生きと林業に取り組んでいる姿がここにはある」と、書いております。

 これが、加賀森林組合なのですが、私はこの加賀森林組合の人々を含める8月25日の石川県森林組合連合会のその大会で、先ほど皆さんに説明しましたイザベラ・バードさんの話しの山形県金山町の話をするのです。加賀森林組合の人たちが次にするのは何ですか。それは30年かけて金山町の人が金山杉と白い漆喰の美しい家並みを取り返したように、自分たちの町もかが杉でやり直してみたらどうですかっていうケーススタディーをお話しするつもりなんですね。

 こういったようなことを私は皆さんにもやっていただきたいのです。そして、幸いにはここには私はこれだけの“侍”がいると見ております。私は、最初大平さんという、ここのいわき流域林業活性化センターの事務局長に呼ばれた時に、何故私は呼ばれたのかなと思いました。そして、ああ、ここには1人の“フォレスター”がいたと思ったのです。流域を見通して、この流域をどういうふうな森にしたいかということを考えている人が少なくとも1人いた。それが大平さんでした。そして、その人に山に連れて行ってと言ったら、その人が会わせてくれた6人がIターンのとても元気のある、意欲のある、勉強している素材生産会社に勤めている人たちだったんです。30歳で給料が17万円、私はもうちょっと上げたいと思います。なぜならば、その人たち一人一人にこの地域に森を持ってもらいたいからなのです。山を愛してくれているから林業に入ってきてくれたIターンの人たちに森を持たせてあげたいのです。せめて20万円か23万円くらいは給料が出るようにしたいのです。それはどうすればいいか。
 昨日私は一つ言いました。平子商店さんは国有林の仕事をしていますよねと。今、緑資源の問題もあって、全部入札ということになって、これからは大変厳しい競争になるかもしれないけれど、次にやることがあるのじゃないですか。それは、今林野庁では森林組合でなくても小規模森林所有者の取りまとめができるシステムをつくろうとしてます。高知県では県の森林部長さんが公共事業をやっている建設会社に、あなたところも会社の定款に林業を入れてやりなさいと言っているわけです。ですから、そういったことが福島でも起こっているからこそ、平子さんはその素人のような建設会社が山に来たら危ないと思うとおっしゃいました。でも、私は高知では、私の住んでいる97%の森林率の池川地域では、それは大丈夫だと思っているのです。なぜかというと、もともとは9,000人いた林業の町が今2,000人になっています。多くの人が外に出ていきましたが、残っている人たちの産業は公共事業になってしまっています。今、公共事業に光が当たらなくなっていて、不必要な公共事業は経済的な観点からもやめているわけです。そこに今林業の新しいチャンスが来ているわけでしょう。だれが素材生産をするのですかというところに、今までは地域で嫌々自分のふるさとをダムや道路や林道に変えていた働き手が、まだそこに60歳から65歳、70歳ぐらいで建設会社に勤めている、その人たちが働き手なのです。平子さんはそこの人たちと競争すればいいんです。もっといい仕事をもっとやろう、いろいろにやってみてもらいたいのです。

 それが私のドイツの2編目に書いておりますので、皆さん後でゆっくり見てほしいのですが、今、日本の新生産システムの11カ所のところでは、例えば大きな中国木材とか、銘建工業とかが進出しようとすることに対して血判状が出ていて、小さな素材生産業者の人たちが、大きな会社が出てきたら自分たちは食っていけない、また木材価格が高くなるので来てもらいたくないと言っています。でも、私はそれではだめだと思うのです。今、林業のチャンスが来ている時には、それらと要するに戦うのではなくて、違う方法で対抗する、それがドイツではできているということが私のこの2番目の特集にあるのでぜひ読んでください。35年前に林業改革が起こったドイツでは、いろんな合わせ技で小さな林業家が生きてきました。そして、小さな組合がみんなで大きなコンツェルンが出てくるところに対抗して、自分たちの社会システムをつくり上げて現在生き残っているのです。
 だから、そういう意味では、建設会社が今林業に出てくることは非常に脅威なんだけれども、自分たちがもっとよい仕事をして、自分たちこそ小さな森林所有者のことはわかっているんですよということをちゃんと言っていく。そして、もっともっと県を励まして、例えば、今林業だけでも500億円ぐらいの仕事が国からおりてこようとしてるのですが、皆さんもご存じのように、公共事業というのは国が3分の1、県が3分の1、地元が3分の1というのはこれは変わらない割合ですから、例えば、私の行っている高知などではだいぶ林野事業を返しているのです。こんなにはできませんと、地元負担分が出せないのでご遠慮しますといって国に返している部分があるのです。それらを返さないで、ちゃんと県の出す分、市の出す分が自分たちで返せるような、そういう仕事をするのです。それがすなわち道をつくることであり、コストを考えて仕事をすることであり、大きな機械を使わない、スイングヤーダーをやたらと買うのではなく、小さなしっかりした機械を使って、寸分もむだにしないで仕事をちゃんと効率よくやる、そして安全も確保する、自分たちも時間内でちゃんとしっかり仕事を終えてやるということができるはずなのです。
 ドイツやヨーロッパの国でできることが日本人にできないはずないじゃないですか。そうでしょう。日本は世界で一番勤勉な国なのですから。今までは私たちがそういうことができなかったけれども、そういうことをやろうという志がある人にはできる時代が今来ている。しかしながら、「“林業再生”最後の挑戦」とこの本に書きましたように、実は私たちに残された時間はそんなにない。林業に残されているのは、大平さんや先ほどのおじさんがあと10年ぐらい生きて元気で指導してくださるこの時間しかないのです。その間に30歳の人たちが40になります。40の人たちが今度はまた次なる30の人たちを育てていけば繋がっていくのです。こういう繋がりをつくることの最後のチャンスが今だと私は言っているのです。これが「“林業再生”最後の挑戦」という意味なのです。

 最初は笑われました。多くのところで「“林業再生”最後の挑戦」と言うと笑われたのですけど、今はもう笑われなくなりました。そのうち私が言っているように、林野庁が林野省になる日も遠くないと私は信じております。少なくとも自分が今までと違うことを一つやれば、そのことは現実になるけれども、自分が今までと同じことしかしていなければ、今と全く変わらない10年後しかないということですよ。
 今日来ていらっしゃる人が今と違うことを一つでもすれば、家族に理解をさせて自分たちの家は木の家をつくろうね、息子たちの家は木の家でつくろうね、リフォームをするときは新建材でつくるんじゃなくて、少なくともいわきの材でするんですよということを子供たちにも言ってほしい。そういったことを徹底できた時に、多分このいわきの林業の再生があるのではないかなと私は思います。

 最後に、林業再生の「鍵」と私が思っていることを幾つか言います。まず外へ目を開く、これは本を読んだり、コンピューターをのぞいたり、研修に行くこと。次は、現状を知ること。3番目、ちょっときついかもしれませんが、補助金に頼らないで自分たちが稼ぐということをしっかりすること。そのためには小規模森林所有者の取りまとめをするということは一番基本なんですということをしっかりと感じること。感じなければ何も始まりません。
 それから、もう少しすると選挙がありますね。政治家を育てることも自分の仕事だと思ってください。何党でもいいんです。とにかく選挙に行くこと。自分がちゃんと信じられる政治家を自分で育てることです。私は、先ほど言ったように、ある人物が好きで、その人を総理大臣にしようと思って林業の勉強をさせております。近年はずっと林業のことを私が余りにもうるさく言うものですから、最近ドイツに行って「林業再生プラン」というのをつくったようですけれども、そういう政党に限らず、自民党でもいいです。公明党も環境の勉強をよくしております。そういっただれでもいいですから、自分の信じていることを法律にしてくれる人を育ててください。法律を変える人は衆議院議員、参議院議員です。国会議員しか国の法律は変えられません。日本という国はとっても勤勉な国で、法律にかなったことしかやっておりません。ですから、私は自分で法律を変えようとしてきました。そのことが私は一番重要だと信じています。とにかく自分が動かなければ何も動かないと思っております。

 今日はどうもありがとうございました。(拍手)

司会  理事長の組合長さん、平子商店さんの社長さんには若干つらい話もあったかと思うのですが、応援ということでひとつ今後ともよろしくお願いしたいと思います。先生のお許しもいただいていますから、ここでこれを聞きたいとか確認したいこと、そういうことをお尋ねしたい方がいらっしゃればですね、どうぞ。どなたかいらっしゃいませんか。

木田  行政におります木田といいます。パワーあふれるお話ありがとうございました。先生、今度石川県に行くということを聞いたものですから、数年前、福井県の県職員の鋸谷茂さん、講演に呼びまして、鋸谷式間伐の指導、技術指導を受けました。これは切り捨て間伐ですので、道具も要らない、機械もチェーンソーのみでいいということで、ぜひ行かれたときに同じ間伐を福井県でやっているというんですが、こちら遠く、福島までその効果が聞こえてきません。これができればいわきの民有林の放置林も何か手を入れられるのではないかと常々思っています。ぜひ行った時に直に聞いてきて、何か雑誌にでも出してもらえればと思います。よろしくお願いします。

天野  はい、わかりました。勉強します。

司会 どうぞ。

鈴木  南会津から来ました農林事務所の鈴木と申します。2点ほど先生から貴重なお話をいただいて、さらに深く教えていただければと思う点があり、ご質問させていただきます。加賀森林組合の林産組合長、この林産組合長の待遇、組合での位置づけ、それから地区というのは、一般に大字単位くらいの、そのくらいの地区という意識でよろしいのかということが一つ。
 それから、もう一つは、私達はこの山の木を切って、それを使ってということなりますが、最終的にはやはり再造林に結びつけられる場所は結びつけていきたいというのもやっぱり一つ考えております。そういう再造林がうまく回転しているようなよい事例があったら教えていただきたいと思います。

司会  お願いします。

天野  林産組合の組合長の処遇は、先ほども言いましたように、ばらばらですが、年間に2万円とかですね、そのような名誉職というように考えてください。それから、今おっしゃったように、大体、字(あざ)ぐらいで1人ということですので、加賀森林組合の場合は何人でしたか、百何十人でしたかね、集落ごとです。集落ごとに林産組合が117もあって、それが自主運営されている。組合員が4,436人ですね。人工林が8,106ヘクタール、集落ごとです。

 3番目の再造林ですが、私も再造林が一番重要だと思っております。というのは、皆さん、今私や梶山さんや湯浅さんが何を林野庁に一番強く言っているかというとですね、「地域を歩いてみろ」と、「皆伐ものすごく進んでいるのを知っているのか」ということを言っております。というのは、例えば「新生産システム」を申請なさった住友林業さん、これ申請書に、「私たちは今後は国産材だけを使います」と書いてるのです、新生産システムを始めたら。多分この地域でということで、住林さんがやってらっしゃるのは四国連携という、愛媛県、徳島県、高知県ぐらいだったか、その辺の四国連携で住林さんが約束されてるんです。今まで住林さんのようないわゆる大きな大手メーカーさんが住宅をつくってきてくださいましたけども、こういった方々が使ってきたのが外材だったんです。外材が非常に乾燥もきちんとできている、それを大量に持ってこいといっても揃えられる社会システムができているというので便利なのでずっと外材が使われてきて、今の現在の日本の情けない現状があるわけですよ。それを使っていた大手メーカーさんに対して林野庁が声をかけたのが「新生産」であり、「新流通」なんです。

 ところが、その「新生産システム」が日本で11カ所しかまだ始まっていないわけでしょう。11カ所でようやく道をつけて、森林所有者を取りまとめるということのモデルが始まったのですけれども、ところが大手メーカーさんはもう先に流通の方を国産材でやると打ち出しちゃってるわけです。すると、皆さん、山元で起こっていることは、福島県ではどうか知りませんが、高知県や和歌山県や岡山県で起こっていることは、皆伐なのです。もう山を維持できないような人たちが、今なら住林が高い値で買ってくれるよ、今なら何々が、協和木材さんですか、高い値段で買ってくれるよといって、もう投げ売りしてるんです。投げ売りするような森林所有者というのは再造林をする力がないんですね。だから、そこが問題なのです。皆伐をしても再造林がしっかりされればいいんです。また、皆伐をしても再造林がされたところに鹿がいなければいいんです。だけど、そこに鹿がいるわけでしょう。それから、再造林もされないわけでしょう。そうすると、日本中で皆伐がされればどうなりますか。カナダの先ほど絵を見ていただきましたでしょう。60年もカナダでは木を切り尽くして、山から赤土が全部川に流れ込んだから、あんなふうに大岩をヘリコプターで持ってきたり、木を差し込まなければならないような川の公共事業をやらなければならなかったわけでしょう。今から全国で、大手メーカーさんが国産材を使いますといって、有頂天になって投げ売りするような山主ばっかりだったらどうなりますでしょうかということを一番私は心配をしています。で、実際上私は今、皆さん怒るかもしれないけど、林政審議会の中で一人である法律をつくろうとしております。それは、分収育林といえども皆伐は禁止するという法律です。そんなような法律も含めて、法律を変えなければいけないと思ってやっているというのが先ほどの話だったんです。いわゆる一番重要なことは、今の方がおっしゃった再造林だと思います。

司会  ありがとうございました。ほかにございますか。

鈴木  今の関連で、先生もご存じかと思いますが、秋田県に小野建築研究所というのがありまして、小野泰太郎さんという方、この人は山持ちだからこういう発想が出てくるんだろうと思いますが、山形県の鶴岡市に鶴岡の森再生事業というのを特区をとりまして、産直住宅といいますか、CMシステムというのですが、分離発注で地元の木で家をつくるという、公共の建物をつくっていくということなんですが、再生産がなかなか不可能というか、再造林が不可能なのは、森林所有者に木の値段が安いから返ってこないわけなんです。この新生産システムもすばらしいシステムですが、森林所有者に十分なお金が返ってこないんです。そこで、小野泰太郎さんは、再生産可能な単価、これ杉であれば大体2万2,000円に設定しまして、そのような値段でこれ単独随契、これも特別に特区をとって森林組合から購入して、それを所有者に返すというそういうシステムですね、これが鶴岡の森再生事業ということで取り組んだ事例があるんです。こういったシステムでないとなかなか再生産ができないのではないかと思うのですが、その辺についてどうでしょうか。

天野  同じような考え方を兵庫県では能口さんという人がやっております。この人は木材コーディネーターですが、この方が3人で事務所をやっていて、彼は木材コーディネーター、そしてもう一人の人はデザイナー、もう一人が何とかといってやってるんですが、この人たちも今の鶴岡の森再生システムと同じように、材価を特定して、それに賛同する人と一緒に家を建てるということをやっています。そのことを実際上可能にするには、今おっしゃったようなことの先にある、山からどれだけのコストをかけて出してこれるかということですよね。なるべくそれを安くする、山から出してくる材のコストを安くするには、やっぱりその仕事のシステムを変えることだと思うんです。それで、きのう冨永君に言ったのはですね、日吉森林組合に行きなさいということと、岡橋さんところの道づくりを見てきなさいということを言ったんですね。

 日吉森林組合と梶山さんと農林中金は今、仕事の作業のコストカットの実験をずっとやり続けています。去年の10月には日吉森林組合でそういう仕事のコストカットをどこまでできるのかということのシンポジウムもやりました。それで、そういったことを、今のおっしゃったこの鶴岡の森林再生システムと同じように全国でやり始めている事例を、いろいろネット上で見るだけではなく、例えばあなたが今回吉森林組合に行ったんだったら、じゃ、今度は冨永君と一緒に行ってみるとかですね、実際上仕事をやる人と改革の研究会をするのです。それも研究会というのは、大体日本では今まで研究会って口ばっかりでやってるのが多かったのですけども、私は今高知県の物部川流域の農業をやっている人たちと木質バイオマス研究会というのをやっているのですよ。それは、高知県には1万個もビニールハウスがあって、そこで重油をたいているのですが、その重油をたくのをやめて、山仕事の人たちと一緒に林地残材をバンドリングマシーンなどで持ってくるようなことを考えたらどうかということをやっているのですよね。だから、山の仕事をする人とすぐれた役人が今やっぱり一番初めにやることは、そういうコストカットの事例を自分たちの勉強の中でやることです。まずあなたがやることは、冨永君のところに行って一緒に仕事をしてみることだと私は思います。

司会  ありがとうございました。
 休みなしの2時間ということで、もちろん天野先生、あとはお聞きになっていただいた皆さん、お疲れですから閉じますが、事務局としても実はほっとしております。先ほど天野先生がおっしゃったように、これは繰り返しませんけれども、本当に大丈夫かなということで、実はその前の日電話したのはそんなようなことで電話しましてですね、きのうも実は先生と、焼酎3杯飲んだとおっしゃっていましたが、飲み過ぎて倒れたら困るなという気持ちもあったんですが、今日無事に、またふだんの会話とは違った非常に聞き通るお声でご講演いただきまして、ありがとうございました。
 以上をもちまして活性化セミナーを閉会させていただきます。ありがとうございました。重ねてお礼申し上げます。(拍手)