2011年04月10日

山陰中央新報連載 自然に学ぶ"森里海連環学"のすすめNo.22

    ごみ少ない高津川 ―流域民の生き方映す―


私のニックネームは"あまご"。名付け親は、文学の師・故開高健(かいこう・たけし)さん。私の名の前後で"天子"となるのと、初めてお会いした日に、ずっとアマゴ釣りのことを楽しそうに話したからだそうだ。

アマゴは日本列島では、太平洋に注ぐ神奈川県酒匂(さかわ)川以西の川に棲む。酒匂川以東の太平洋側と日本海側の河川にはヤマメが棲んでいる。この棲み分けを調べたのは故今西錦司さん。京都大学で「文化人類学」を創設された方でもある。

同志社大学の1回生の時にアマゴ釣りを覚えた私は卒業後は就職せず、今西先生が会長を務められていた「ノータリンクラブ」という釣りクラブに所属して、紀伊半島などを渡り歩いていた。「釣りをする人間なんてものはみんなノータリンさ」ということらしいが、なぜか納得できる(笑)。

さて、一般的には3月1日が解禁日の渓流釣り。私の今年の初釣りは、ヤマメ狙いの高津川か、アマゴ狙いの高知県仁淀川。どちらか水況の申し分のない方に向かうことにしている。あなたは、どちらへ?

アマゴの体にはヤマメにはない朱点があり、ヒレがピンとしていて朱点が多すぎない。養殖アマゴではない特徴を持った天然アマゴを、私の釣りの師匠の大西満さんは「ベッピンさんのアマゴ」と呼んでおられた。そんなアマゴが釣れたとき、私は放流することにしている。その子孫がまた私と遊んでくれるかもしれないし、私以外の釣り人の竿(さお)も曲げてあげてくれればよいと思うからだ。

ところで、川にはそこに住む人々の生き方が映っているといつも思う。島根県の高津川は、全流域を通じて川にごみが少ない。流域の人々が川にごみをあまり捨てないのだろう。日本中の川を歩いてきたから私にはそれが分かる。ベストセラー「バカの壁」を書かれた養老孟司さんは、「島根には"お手入れの思想"というものがあるね」と感心されている。

昨年、高津川のある支流で集落から川へ降りる小路(こみち)があまりないところを発見した。今の私の興味は、それが「なぜなのか」ということを調査すること。こんなことをいろいろと考えながら釣っていると、アタリがあっても餌だけ取られたりする。それもまた、楽し。

春だ、渓(たに)へ行こう。"あまご"とヤマメの勝負やいかに。雪代の流れに乗って、「男前のヤマメ」が出てくれるかな?


2011年04月19日

山陰中央新報連載 自然に学ぶ"森里海連環学"のすすめNo.23

    総理からの電話 ―"森のエネルギー"と生きる―


3月21日に、菅直人総理から、私のケイタイへ電話があった。

3月11日の東日本大震災が起きてから18日まで1週間、総理は官邸に詰められ、歩いてたった3分の自宅、公邸には帰られなかったという。「1週間ぶりに公邸へ戻り、風呂に入ったんだ。毎日ほとんど寝てないけど、現地の人たちのことを思うと、あれもしてあげたい、これもしてあげたい、こうもしなければと、寝てはいられない。原発も大変。しかしこんな時に総理でいるのも、神様からのおぼしめしかもしれないと、頑張ってるから、安心して。それより、あなたにお願いがある。『今、林業からできること』というのをまとめて、官邸のFAXに毎日送ってくれないか」と。

翌日には、第一報をFAXした。「三陸バイオマスタウン構想」だ。

今回、津波の被害を受けた三陸海岸。ここで大きな被害を受けた一つに、「セイホク」などの製材所がある。もともと外材の輸入基地だった工場群だが、それを近年、林野庁が国産材のスギを加工するために造り替えてもらってきた。そこが、軒並みやられてしまったのだ。

現在、わが国では木材を乾燥させるのに重油を使っている。しかし、ごく少数だが、賢い会社は、岡山県の「銘建工業」のように、自社がつくる集成材の端材を使ってエネルギーとし、余ったエネルギーは、電力会社に売ったり、自社の暖房に使ったりしている。

東北で今回復興してゆく時に、そんな「木質バイオマス」使いを考えてはどうかという提案だった。

4月1日には、菅総理が官邸で記者会見し、東日本大震災の被災地再生の街づくり構想を発表されたが、その中には「植物やバイオマスを使った地域暖房を完備したエコタウン」が含まれていた。

私は2005年に「"緑の時代"をつくる」(旬報社刊)を上梓(じょうし)している。世界で一番木質バイオマスエネルギー使いのうまいオーストリアを視察してまとめたものだ。その時菅さんに差し上げたら、「私は日本植物党をつくろう」とおっしゃった。以来、"林業再生"を一緒に手掛けてきた。林野庁には政権交代後、「森林・林業再生プラン」をつくってもらっている。

与野党を問わず、そして国民も、これからは"自然エネルギー"を使ってゆくことをもっと考えるべきだ。日本列島は、500年向こうまでの活断層活動期に入っている。人間の手に負えない原子力や、限りある化石燃料に頼らない。いや、電力をもっと制限して使う日本になるべきではないか。

大きな犠牲が払われて、私たちの社会システムが問い直された。人工林というありがたい資源をたくさん持っている日本は、今こそ、"森のエネルギー"に頼ることを考えるべきだ。


2011年05月16日


山陰中央新報連載 自然に学ぶ"森里海連環学"のすすめNo.24

    国際森林年に想う ―「道のがっこう」開校します―


今年は、26年ぶりの国連の「国際森林年」である。私は、日本の委員の一人となった。

私たちの委員会では、テーマを二つにした。一つは、一般向けに、「森を歩く」。日本人の多くが意外と森を歩いていない。森林率は67.4%、世界第3位というのに、日本の森は日本人にあまり「愛されていない」ような気が私はしている。

それに比べると、ドイツでは多くの人が毎日森へ向かって歩く。都市の中にも、森と、森に至る小径(こみち)がある。産業革命時の19世紀にドイツは、「黒い森」と呼ばれるほど濃かった緑を、エネルギーとして使い果たしてしまった。ドイツ国内に今ある日本の人工林と同じ面積の1千万fの森は、すべて、それ以降に造られた人工林。なくしてしまった森を、反省を込めて100年をかけて復活させた歴史が、「森を大切にする民族」に、ドイツ人を育てたのかもしれないといつも想(おも)っている。

日本人が、特に子どもたちが、森を愛してくれる人間に育つように、今年日本は、「森を歩く」をテーマにしたのだろう。

もう一つのテーマは、「"森林・林業再生プラン"実行元年」。

私が事務局長を務め、養老孟司氏が委員長を、C.W.二コル氏が副委員長を務める「日本に健全な森をつくり直す委員会」の、「石油に頼らない―森林(もり)に生かされる日本になるために」という提言書がきっかけで2009年12月に生まれた"森林・林業再生プラン"は、「10年後には日本の森から今の倍の材が市場へ出せるようにする」という森林作業目標。これまでは「スギ1本と大根1本が同じ価格」と言われていたが、それは私たち日本人の"工夫"が足りなかったのと、第2次世界大戦後に大量に植えられた人工林が使いごろに育っていなかったからだったと明らかになった。

そこで。小さな面積の森林所有者をとりまとめ、森に、仕事がしやすい「作業道」を網の目のように張り巡らせるということをきちんとすれば利益が出るということを、私もお手伝いして、この5、6年広めてきた。

「森林・林業再生プラン」は、国家がそれを大規模に、きちんとやってゆくという宣言である。昨年は、林野庁内に「プラン」実行に向けて五つの委員会がつくられ、私は「路網・作業道委員会」の委員を務めた。その委員会で決めたことの一つが、写真のような幅2.5b、のり面1.5bの高さの、小さくて、丈夫な作業道造りに税金をつけることだった。

写真の作業道は、奈良県の岡橋清元(きよちか)氏がつけたもの。この岡橋さんと私はまもなく「道のがっこう」を、林野庁にも協力いただいて奈良県の吉野林業地で開校する。

急傾斜、多雨、多破砕帯。日本のスギ・ヒノキの名産地は条件が厳しい。そんなところへつける道を学ぶ人よ、きたれ!


2011年06月20日


山陰中央新報連載 自然に学ぶ"森里海連環学"のすすめNo.25

    木質バイオマス復興なるか ―顔晴(がんば)っぺ東北!―


宮城・岩手の被災地を、「日本に健全な森をつくり直す委員会」でお見舞いしてきた。

これらの三陸海岸は、明治29(1896)年、昭和8(1933)年、昭和35(1960)年にも、大津波でたくさんの人命を失ってきている。最後の昭和35年は現地での地震ではなく、遠く離れたチリでの大地震による津波が日本の太平洋沿岸に来襲すると考えず、津波警報を発令しなかった気象庁の失態である。

岩手県大船渡市三陸町吉浜地区では今回、1人の行方不明者で済んだ。明治時代の村長判断で、高台に住宅を移すということがしっかりなされていたからだ。

一方、全国の3割を生産していたという「セイホク」などの合板メーカーが被災された地を見てみると、海岸に造成された工業団地で、おそらく埋め立て地だろう。経済的な理由もあるかもしれないが、同じ場所に工場を再建されようとしている。三陸に住む人々は、リアス式海岸という、V字形で津波に襲われやすいが"海の幸"の授かり物があるこの地を捨てないという覚悟で住み続け、仕事を続けるという御覚悟なのだろう。

福島第1原発事故で浜岡原発を停止させた菅直人総理は、フランスでのサミットで、2020年代には、総電力に占める"自然エネルギー"の割合を少なくとも20%を超える水準まで拡大すると公約した。

林野庁ではそれを受けて、林業・木材産業・山村の復興と再生のために、"木質バイオマスエネルギー"モデルを提案している。

被災した合板や製紙工場が、木材の乾燥時には木の枝や皮を燃やす"木質バイオマスエネルギー"使用にかねてより転換(以前は重油を使う工場も多かった)していたことを生かし、乾燥時に出る熱や蒸気を地域に供給する「社会システム」を、水産加工会社や、温室ハウスを使うJAなどと話し合ってつくる"木質バイオマスエネルギー都市"構想だ。

私は、05年に、オーストリア政府の協力を得て、アイゼンカッペルという人口2千人の山里を見ている。森林率85%、人口が20年で23%減少した小さな村が、「地域集中熱供給システム」をつくったことで蘇(よみがえ)っている。

わが「日本に健全な森をつくり直す委員会」は09年に、「石油に頼らず、森林(もり)に生かされる日本になるために」を政府に提言している。

日本は、世界第3位の森林率、地熱、潮力、川を殺さない小水力、太陽光、風力によって生かされることを、もっとしっかりと考えておくべきだったのではないか。

「顔晴(がんば)っぺ!」と、東北人は自らこの漢字を使い始めた。日本人なら誰でも、いつか自分も地震に遭うことを考えて、しっかり生きよう。


2011年07月18日


山陰中央新報連載 自然に学ぶ"森里海連環学"のすすめNo.26

三つの勉強会と「鮎喰い」 ―「二地域居住」の実践も―


6月24日から3日間、島根県の高津川を舞台に三つの勉強会などを行い、3軒の店で"天然アユ(鮎)のフルコース"を食した。

24日は、林野庁から木材産業課長・渕上和之氏においでいただき、勉強会「高津川流域からもっとたくさんの材を出すために」を行った。

25日は、千葉から78歳の「日本不耕起栽培普及会」代表の岩澤信夫氏においでいただき、「"究極の田んぼ"不耕起栽培」講演会を開催し、吉賀町と益田市の5ヵ所の田んぼを見て回った。来年から両地域で「不耕起田んぼの市民農園」をつくる。

26日は、裏匹見峡に養老孟司さんにおいでいただき、広島市民を2台のバスで運び、みんなで「ゾウムシ」探しをした。養老さんは「現代にも"参勤交代"を」が持論。広島市内の自然の少ない環境に住む都会人も、月に1度ぐらいは匹見峡などの自然の中に出掛けたりして心身を健康にし、田舎にも災害時などに避難できる拠点をつくっておいてはいかがかという提案だ。

3人の講師に3晩、天然アユのフルコースを食べていただいた。吉賀町柿木村の「原田屋旅館」、料理屋「潮」、津和野町の「美加登家」。遠くから来ていただいたお礼に夏は「天然アユ」を食べてもらう。こんなことができるのが、本流にダムのない天然河川、天然アユの溯上(そじょう)する高津川の魅力。

それぞれの店に味わいがあり、工夫が凝らされている。「小さなぜいたく」を3人の講師にご相伴した。

高津川流域は、戦後の大造林が全国の他の山に比べて10年遅かった。そのため流域の森は今、35年生が多い。幸いなことに35年ぐらいで間伐がしっかりできると、残った木が良く育って良材となる。この流域の森に作業道を今しっかりつけて、人工林材が大量に使えるようになると、森林所有者さんにお金をたくさん返してあげることができる。林野庁の渕上さんは「森林・林業再生プラン」が林野庁によってつくられ「10年後には今の2倍の材が全国の山から出されることが目標になっている」ことを話してくれた。

「不耕起の田んぼ」づくりの岩澤さんは、鶏・牛糞(ふん)の入る有機農法よりも安心で、自然農なのに収量も多く、高値で売れている「不耕起米」づくりを、今後も指導してくださることになり、村ぐるみで30年「有機」を続けてきた柿木村に新しい希望を与えたと思う。

高津川流域では益田市、津和野町、吉賀町が県と一緒になってこんな勉強会をやっている。私はコーディネーターとして、お手伝いをするために大阪から通っている。

「現代の"参勤交代"」、「二地域居住」の実践者なのである。


2011年08月11日


山陰中央新報連載 自然に学ぶ"森里海連環学"のすすめNo.27

    再び「清流日本一」に! ―"森里海"の連環を取り戻そう―


2007年、08年の発表では連続して「日本一」になっていた高津川が今年、再び「清流日本一」に返り咲いた。

「日本一」になれなかった09年に、流域の島根県吉賀町の婦人会は、川の漁協、森林組合、行政と協力してEM(有用微生物群)団子を作り、川に投入するという活動を始めた。

EM使用は、以前より旧柿木村では有機農業から始まってきており、婦人たちは、風呂や台所からもEM活性液を投入していた。津和野町でも、婦人部が続けてきていた。

「再び、清流日本一を」は、この数年、高津川を愛する人々の共通の想(おも)いであった。「EM」については、理解ができない方もいらっしゃるようだが、「納豆」や「味噌(みそ)」を作るのと同様の自然界の力を結集させたものであり、マイナス作用があるとは思えないが、使い続けなければ、水質に変化を起こすほどの効果は出ないというものだ。

むしろ、婦人たちが吉賀町長の理解を得て活動を続け、それに流域の他の首長も理解を示して、川の水質の影響を一番受ける高津川漁協と、森から水を供給している高津川森林組合も協力して活動したというところが、「水質日本一」の称号を再び持ち得た理由の一つではないだろうか。

家庭から出される排水の中で、一番の汚染源は、実は「米のとぎ汁」。かなり環境への負荷が高い。ところが、このとぎ汁を栄養にしてEMを活性化させると、それまでの"悪玉"であるとぎ汁が、"善玉"に変身して水質を浄化するというのだ。

全国で「EM」を愛好する人々は、これを実際に自分で確かめて、水質浄化を進めてきた。台所からとぎ汁を出している主婦に「EM愛好者」が多いのは、こういう理由だ。

政治家として、婦人会を財政的に応援することを決断してくれた中谷勝吉賀町長に、私は敬意を表したい。

高津川流域では吉賀町、津和野町、益田市が、流域の森林関係者が私や養老孟司先生とつくる「清流高津川を育む木の家づくり協議会」と協力して、さまざまな活動を展開している。

今回の「日本一」奪還は、それらのみんなが他の団体とも協力して進めた"森里海の連環"を取り戻そうとするすべての活動が成し遂げたものであろう。


2011年09月19日


山陰中央新報連載 自然に学ぶ"森里海連環学"のすすめNo.28

    SEA TO SUMMIT ―高津川を遊びつくせ!―


「"SEA TO SUMMIT"in高津川」が今月23、24日の両日、島根県の高津川流域で開催される。

SEA(海)からSUMMT(山の頂)までの55`をカヌー、自転車、走りで駆けるこのイベントは、大阪が本社の世界的アウトドアウエアメーカー「モンベル」社の辰野勇会長が発案し、3年前から全国で始まった。

高津川河口から海へカヌーで漕(こ)ぎ出し、上流へ10`。次は自転車で35`。ブナ林の安蔵寺山ステージでは秋の訪れが始まっていることだろう。73チーム171人の選手が全国から出場する。

昨年は、大会後の抽選会でシーカヤック(カヌーの一種)をゲットした吉賀町役場チームは、今年はその艇で出場。益田市の福原慎太郎市長は2人乗りのカヌー。自転車は市長、安蔵寺登山は秘書が挑むそうだ。2人は完走できるだろうか?

このイベントは、「環境スポーツイベント」とされている。2003年に京都大学の提唱した"森里海連環学"を流域の益田市、津和野町、吉賀町で実践してきている高津川には最もふさわしい行事だろう。今年の環境シンポジウムのゲストには、吉賀町柿木村の「有機農業」を30年前から町職員として推進してきて、今はNPO法人「ゆうきびと」の代表である福原庄史さんも参加される。

「清流・日本一」の旗が、今年は各所で再びはためくと思うとうれしい。流域のみんなが高津川を自慢する最大の"晴れ舞台"となる。高津川漁協なども参加し、ブースを出す。

大会に選手としてエントリーしていない人でも、環境シンポジウムに参加したり、特別ブースでショッピングを楽しんだりできる。

森と川と海の"つらなり"や"つながり"を見ることを、あなたも秋の空の下でゆっくり楽しんでみてはいかが?

まだアユ釣りに忙しい私は、選手たちの走りを川から見るつもり。今年4年目となる漁協の「アユのための10月11日より"全川全面禁漁"」の成果で、2010年度の「アユ流下仔(し)魚数は29億匹」が確認された高津川。今年はどこの釣り場でもアユの数が大量に確認された。アユが多すぎて一匹一匹が大きくなれないうれしい悲鳴が漁協から上がるくらいたくさん溯上(そじょう)したので、川中がピカピカに掃除された。石に付くコケをアユが食べてくれるからだ。

本流にダムのない高津川の秋の風景を、選手の皆さんも、応援の市民の皆さんも満喫してほしい。

いざ、「清流・日本一」の高津川へ、あなたも!



2011年10月16日

お知らせ:国際森林年記念会議「"森林・林業再生"から見えてくる、日本の未来」

10月25日(火曜日)、日本経済新聞社と農林水産省との共催により、2011年国際森林年記念会議「"森林・林業再生"から見えてくる、日本の未来」が開催されます。

日本の国土の約7割が森林 ─わが国は世界第3位の森林率を誇ります。しかしこの森林資源を積極的に活用してこなかったため、日本の林業は衰退し、森林は荒廃しています。この国際森林年記念会議では、森林・林業の再生を通じ、震災からの復興に向けた新たな国づくりについて議論します。林業を通じた地域振興、森林からの創エネルギー、地球温暖化防止など、森林が持つ様々な可能性を国と企業の視点から探ります。
(尚、参加申し込みはすでに締め切られています)

日時:平成23年10月25日(火曜日)13時〜16時45分(12時30分開場)

会場:日経ホール(東京都 千代田区 大手町 1-3-7 日経ビル3階)

http://adnet.nikkei.co.jp/e/event.asp?e=00569

プログラム

13時〜13時05分 開会挨拶、来賓挨拶

<第一部> 13時05分〜14時55分

基調講演「サケが森をつくっていた。そしてカナダは林道を元に戻している」 C.W.ニコル氏(作家、国際森林年国内委員)

講演「世界のバイオマス市場」 レオ・シルンホーファー氏(オーストリア ポリテクニック社 代表)

事例報告

<第二部> 15時15分〜16時45分

パネルディスカッション「私たちが、森林(もり)に生かされて生きるために −東北をモデルに考える−」

コーディネーター:天野 礼子氏(作家、国際森林年国内委員)

パネリスト:

養老 孟司氏(東京大学名誉教授、国際森林年国内委員)
大久保 尚武氏(経団連自然保護協議会会長、国際森林年国内委員)
末松 広行氏(林野庁 林政部長)

お問い合わせ
 国際森林年記念会議 開催支援事務局
 Tel : 03-6436-4452       (受付時間 10:00〜18:00 土、日、祝日を除く)


2011年10月23日


山陰中央新報連載 自然に学ぶ"森里海連環学"のすすめNo.29

     耐震改修大勉強会―高知は山に家をつくる―


国土交通省住宅局の中に、「"木の家づくり"から林業再生を考える委員会」をつくっている。2009年12月に「森林・林業再生プラン」ができ、「10年後に木材自給率を今の倍以上の50%にする」ことが目標にされたが、林野庁の委員会では、その材の出口が考えられていなかったからだ。

この委員会は、養老孟司先生を委員長とし、私が委員長代理を務め、「耐震改修を進めること」、「二地域居住を進めること」をテーマにした。

そして、その活動の中から、今度は「"木の家"耐震改修推進会議」をつくっていった。今年1月17日に神戸では、阪神大震災から16年目のメモリアルとして、「耐震改修大勉強会in神戸」を開催して、1千人の大工・工務店・設計士・建築家の皆さんを集めた。

この10月9日には、その二回目として、南海地震が予想されている高知で、「耐震改修大勉強会in高知」を行い、「推進会議」の議長である養老先生や、日本一の地震学者で京都大学の前・総長であられる尾池和夫先生においでいただいて、600人を集めた。

この大会は、高知新聞社が主催し、高知県と高知市が共催。尾崎正直知事、岡崎誠也市長も、私が司会するパネルディスカッション「"二地域居住"(参勤交代)が高知を変える」に、「超かんたん無農薬有機農業」の著者である山下一穂さんと、木の家づくりの得意な建築家・渡辺興則さんとともに参加された。

養老先生の講演タイトルは、「現代にも"参勤交代"を!土佐人は、2つめの"木の家"を山につくるべし!」だった。

高知では、南海地震時に、南海と東海のプレートなどが連動すると、3b級の津波が来る予想がされている。「3・11東日本大震災」時のような大津波で人命が奪われないように、海辺や平野部の人々は、普段から「二地域居住」を実行して、山にも木の家をつくっておこうという提案だ。

東日本大震災でも分かったことの一つが、災害が起きると"流通"が止まり、食料も、そして水すらも、手に入れるのが難しくなること。山にも小さな"木の家"をつくり、その側に有機や無農薬農法の小さな菜園をつくり、そしてそこへ通ってゆくと、まず身体を動かすので健康になり、口に入るものも安心なものがつくれる。「すると、精神も健康になるよ」と、お医者様でもある養老先生はおっしゃるのだ。

これからの時代、「二地域居住」が日本中で、はやる気がする。しかし島根県吉賀町の中谷勝町長は、「その先に、"定住"がないといかん」とおっしゃる。もっともだ。では、そのようにみんなで動いてみよう。


(「耐震改修大勉強会in高知」資料集より)

養老先生はなぜ、現代に"参勤交代"を唱えるのか?

天野礼子("木の家"耐震改修推進会議 議長代理、作家)


「森林・林業再生プラン」の誕生。

 「日本に健全な森をつくり直す委員会」を、養老孟司先生を議長に、C・Wニコルさんを副議長に、京都大学の総長であられた尾池和夫先生にも御参画いただいて結成したのが、2008年7月でした。
 09年9月、新政権に私たちの提言書「石油に頼らず、森林(もり)に生かされる日本になるために」を提出すると、林野庁が3ヵ月後に「森林・林業再生プラン」をつくられました。10年後に、日本の山から今の2倍の量の材を出せる体制をつくるというもの。そして、5つの委員会が林野庁の中につくられ、私も委員となりましたが、林業における"川下"、すなわち、山から出てきた材をどう使っていくかを考えることはテーマになっていませんでした。
 そこで、国土交通省住宅局の中に、「"木の家づくり"から林業再生を考える委員会」をつくっていただき、養老先生に委員長を務めていただくことにしました。
 養老先生はかねてより、何冊もの著作の中で「現代にも"参勤交代"を」と説かれており、都市住民が田舎に「もうひとつの"木の家"」をつくっておくことを奨励されていたからです。

「"木の家"耐震改修推進会議」。

 国土交通省住宅局の委員会を進めていくうちに、「"耐震改修"をしっかりやることを国民運動にするべき」ということが議論されました。
 そこで私たち委員は、昨年9月1日の「関東大震災の日」に、前原誠司国土交通大臣(当時)と、皆川芳嗣林野庁長官のご同席を得て、今度は「"木の家"耐震改修推進会議」をつくったのです。
 今年の1月17日の「阪神大震災から16年目の日」には神戸で、「耐震改修大勉強会」を行いました。全国から大工さんや工務店、設計士さんが、1、000人も集まってくださいました。
 今回の大会は、その"高知版"なのです。「3・11震災」のあと、高知新聞社社長と高知県知事、高知市長が、「神戸のような大会を早く高知でも」と相談され、実現しました。
 南海大地震が予測されています。南海トラフに、東南海、東海が連動すると、大きな津波がやってくることが予想され、東日本大震災を見たあとでは、ともすれば人の心まで「縮こまって」しまいがちです。
 「しかし、土佐人は明るく"備えたい"ね」と、高知のお役人たちはおっしゃいました。それが、この大会のキーワードが「南海地震を"正しくこわがる"」とされた理由(わけ)でした。


現代にも"参勤交代"を。

 今大会では、『超かんたん無農薬有機農業』の著者、山下一穂さんを、知事、市長とのパネルディスカッションのお相手に選びました。「小さな木の家」づくりが得意の建築家、渡辺興則さんもご一緒していただきます。
 「クラインガルテン」という言葉をご存じですか?ドイツでは、産業革命が進むにつれ、大気が汚染され子どもたちの健康が心配されました。当時、ひとりのお医者さんが、「クラインガルテン(小さな庭)」活動を提唱され、「都市に住むドイツ国民なら誰でも、小さな庭を持ち、自分で耕し、そこに花か野菜か果樹を植え、庭の片隅に"小さな小屋"を建てる」というもので、200年以上続いている"緑"の政策です。
 ロシアでは「ダーチャ」。イギリスでは「アロットメントガーデン」。そんな"市民農園"を山間地につくり、そこへ海辺の人たちが週末に向かう。そうすることによって、次のような効果が期待できます。
 @来るべき大震災に備えて、災害時の避難地をつくっておける。
 A山間地に、その地域の材で「木の家」をつくることで、地域材の出口がつくれ、"木質バイオマスエネルギー社会"づくりに貢献できる。
 B「身体」を動かすことによって、「精神の健康」を取り戻すことができ、現代人に多い鬱(うつ)も解消する。
 私自身も、養老先生の「参勤交代論」を実践し、仁淀川の源流部に"木の家"を持って、大阪からアメゴやアユ釣りに通っています。海辺の高知の人も、「もうひとつの小さな"木の家"」を、山につくっておいてはいかがでしょうか。週末はそこに出かけて、有機農法で野菜作りをしておけば、災害時に「流通」が止まっても、自分の食べ物を自分で融通することができます。
 家が海辺にある人は、山にも木の小屋を持っておく。お役人言葉では「二地域居住」と舌をかみそうですが、海と山が近い高知なら、万一の場合の「安心・安全」を考えて、広めるべき政策だと思っています。


2011年11月20日


山陰中央新報連載 自然に学ぶ"森里海連環学"のすすめNo.30

     三賢人との対話―キーン先生“森の仲間”に―

ドナルド・キーン先生が日本国民となることを決意され、帰ってこられた。アメリカ人で、日本文学と日本文化の美しさを、世界への"懸け橋"として最も的確に紹介してくださった先生はこれまで、日本と母国を往復する生活をなさっていたが、今年の1月に東京で入院され、その時に「最後に過ごすのは日本」と考えられていたそうだ。

3月11日に三陸の津波の映像をアメリカで見られ、「日本国民を励ましたい」と思われて、日本国籍の取得を発表された。

「フクシマ」原発の爆発で、多くの外国人が日本から逃げ出した。その時、C.W.二コルさんは、「僕は、絶対逃げ出さない。僕は日本人だからね」とおっしゃった。

その後、キーン先生の日本国籍取得が発表された時に、喜んだのが二コルさん。二コルさんは2002年に、キーン先生との対談本「ボクが日本人になった理由(わけ)」を出版されている。イギリスのウェールズに生まれたニコルさんが1995年に日本人となられた理由(わけ)と、今回キーン先生が日本人になられた理由(わけ)は、同じではないだろうか。お二人とも、日本人はもっと自国の文化や自然を大切にしてほしいと考えておられると思う。

私と、ニコルさんは、キーン先生をニコルさんの長野県・黒姫山裾の「アファンの森」にお招きし、養老孟司さんと、キーン先生、ニコルさんの鼎談(ていだん)を計画しようと考えた。

養老さんを委員長、ニコルさんを副委員長、私が事務局長の「日本に健全な森をつくり直す委員会」が東日本大震災後の7月20日に首相官邸で菅直人総理(当時)に手渡した提言書「森林(もり)と自然エネルギーに生かされて生きる日本になるために」を、キーン先生にも理解していただきたいと願ったからだった。

10月31日に、お三方と私は小さな宿に集まり、翌11月1日に「アファンの森」を歩いた。あたたかな、風のない、晴れた日で、ニコルさんが26年かけて荒れていた二次林を見事に甦(よみがえ)らせた森は、さまざまな美しい色で、キーン先生をお迎えした。その森と周囲の山々を見られてキーン先生は「本当に美しい。ここに再び来られて、幸せです」と美しい日本語で話された(このとき、いつも美しい日本語で話すことを心掛けていない自分が恥ずかしくなったことを告白します)。

鼎談の司会は私が務め、およそ2時間を暖炉の前で過ごした。この模様は、2012年1月25日に中央公論社が出版する一冊となる。TBSも記録映像として収録してくださった。

最後にキーン先生に、「私たちの『日本に健全な森をつくり直す委員会』に入ってくださいませんか」とお尋ねしたところ、すぐさま返ってきたお返事は「はい、喜んで」であった。

「"森の仲間"キーン先生」が誕生した。


2011年12月18日


山陰中央新報連載 自然に学ぶ"森里海連環学"のすすめNo.31

     写真集「高津川」 ―大規模なダムがない?―

島根県の高津川の3度目の「清流日本一」のお祝いに、写真集「高津川」が出版された。

美しい写真は地元のフォトクラブ、落ち着いた文章は地元NPOの方々の執筆で、見て読んで楽しい一刊に仕上がっている。

ただし、2点だけ残念に思うことがある。発刊に努力された方々には、気を悪くされずに読んでほしい。

私は、2003年に「日本の名河川を歩く」(講談社+α新書)という一刊をつくるため高津川を初めて訪れた。

全国の天然アユが溯(さかのぼ)る河川を調べると91カ川しかなく、その中から10本の名川を選ぶため、10項目各5点ずつの採点をした。「ダムがない」「水質がよい」「川魚を食べる文化が残っている」などの10項目で、高津川は43点を取り、日本一になった。

まもなく、国土交通省も高津川を初めて、「水質日本一」としたが、私はこれには不服だった。私の採点では、高津川は、水質では5点満点のうち3点しか取れていない。いつ訪れても川面にはあぶくが浮いているし、夏は少々におうからだ。

しばらくすると、こんなことを聞かされた。「天野さんはダムはないと書いているが、支流の福川川の奥にはダムがある」。「うそだろう」と思った。私にダムがないと教えたのは、川の漁協関係者であり、その福川川がある吉賀町柿木村の行政マンであったからだ。福川川の上流へ行ってみると、47bの高さのダムがあった。私は、「日本の名河川を歩く」を廃刊にした。文章を書く者として、他人の言葉をうのみにして「ダムがない」ことに5点を入れ、この川を「日本一」に選んだことを恥じたからだ。

今、「高津川」という写真集には、こうある。「高津川は全国109カ所の1級河川のうち、大規模なダムのない、数少ない川の一つである」。これは違う。「ダムがない」と書きたいならば、「本流にはダムがない」と書けばよい。

しかし。「ダムがない」にこだわらなくても、高津川は名川である。

この流域には、「一つしかダムを造らせなかった人々が暮らしている」ことをこそ、誇るべきなのだ。

もう一つの残念は、近年は、養老孟司さんや私などが通い、「委員会」まで一緒につくっているのに、この誌面に登場させていないこと。

この本は、何のために作られ、どこに置かれるのか?もし、東京の島根県のアンテナショップなどに置かれるのなら「現代にも"参勤交代"を」と唱えて高津川に通ってくださっている養老先生のエッセーなどを載せていれば、「高津川に一度行ってみよう」と考える人が多いのではないか。

「そこに、ヨソ者、バカ者、若者の協力があること」が、近年の地域発展の要素だそうだ。4度目の「水質日本一」を祝う本を作られるときは、ぜひそれを思い出してほしい。

(写真集への問い合わせは益田地区広域市町村圏事務組合、電話0856(31)0226まで)


2012年1月4日


2012年、皆様のご多幸をお祈りします。

3.11震災後は毎日TVを見て、「自分に何ができるか」を考えていました。08年に養老先生とつくった「日本に健全な森をつくり直す委員会」としてのお見舞いを6月に林野庁の協力で実行。岩手県の吉浜地区に入ると、明治期以降の3度の大津波の教訓から、集落を高台に移していたのが功を奏し、被害者が出ていませんでした。その後、石巻に行くと、外材を輸入するため県などが埋め立て地に造った工業団地に入っていた「セイホク」で被害が甚大でした。

ニコルさんより、宮城県東松島市の「復興高台移転」に委員会として力を貸してほしいとの依頼があり、林野庁が菅直人前総理の支援で進めている「復興の中での木質バイオマスシティづくり」をここで進めればよいと思い、進めています。

09年に委員会が協力して林野庁がつくった「森林・林業再生プラン」の"川下"を考えるため、養老先生の「現代の"参勤交代"論」を「二地域居」政策として追求しようと、「島根県高津川流域の皆さまにお薦めしていた「総合特区」が、当選しました。

「関東大震災並みの大地震が来たら、日本人が鬱になって、また戦争に向かわないか?」が養老先生の心配事でした。「意外と早く来てしまった地震に加えての原発事故が日本人を賢くした」と、いつか思いたいものです。


2012年1月15日


山陰中央新報連載 自然に学ぶ"森里海連環学"のすすめNo.32

     総合特区に当選―「森里海連環」思想で

昨年12月22日に、今年4月から始まる国の事業・内閣府「総合特区」の当選事業体が発表され、島根県高津川流域の「益田地域広域市町村圏事務組合」(益田市、津和野町、吉賀町)が全国26カ所の一つに選ばれた。

「総合特区」とは、地域の包括的なチャレンジを、規制の緩和、税制と財政と金融措置による支援をして、効率のよい発展が地域でできることを目指すもの。

高津川では、京都大学が2003年より提唱している「森里海連環学」が総合特区を考える上で採用され、申請タイトルは「森里海連環高津川流域ふるさと構想」とされた。

私は06年にこの「森里海連環学」を高津川流域の皆さんにお伝えし、この連載のタイトルにもなっているし、同名のカルチャー教室も高津川流域で展開してきている。

そのご縁から昨年、「総合特区」が本年に誕生することをお教えして、このたび、見事当選したというわけだ。

高津川では、「総合特区」のこれからの5年を利用して、「林業再生」、「有機農業の拡大と、"二地域居住"から"定住"へ」、「河川の自然再生」などに取り組むことになっている。

08年より、「バカの壁」の著者、養老孟司先生にもご参画いただいて、流域で「清流高津川を育む木の家づくり協議会」を形成し、養老さんの持論「現代にも"参勤交代"を」を皆で実践してきた。最初は、"二地域"での往復でも、後には"定住"を。それによって都会人は、「健康」「精神の安定」「第2の木の家」を得ることができるというもの。

「特区」はその時、農地を転用して木の家を畑のそばに建てることを可能にしてくれる。

私は、「高津川型クラインガルテン」を提案している。ドイツが発祥の地の「クラインガルテン」(ドイツ語で「小さな庭」の意味)は、農林水産省が全国に造った箱物で、月に3万5千円くらいで借りられるが5年で出て行かされる。それよりは月に3万円くらいのローンを10年で組んで自分で高津川材で建ててはという提案だ。

全国から、「清流日本一」を3度も取った高津川を目指して老若男女が移住してきて、地元の大工さんに思い思いのクラインガルテン(小さな農地付きの小さな家)を建ててもらう。

高津川では「総合特区」を利用して5年間集中的に、日本中へ向かって"定住"を誘う。

そのうち私の家も、高津川流域に建つことであろう。


2012年2月28日


山陰中央新報連載 自然に学ぶ"森里海連環学"のすすめNo.33

     再生エネ立国の現状―デンマーク紀行

1月22日から、デンマークへ行ってきた。

世界規模で起こった1970年代の2回のオイルショックがあって、ヨーロッパはじめ世界各国は原発開発を進めた。その中で、九州とほぼ同じ面積のデンマークでも15個の原発計画が作られていたが、ロラン島に計画されたものに住民が強く反対し、国との話し合いのために、73年に委員会が設置された。

話し合いの結果、代替エネルギーとして「風力発電」が選ばれた。以来、デンマークからは原発計画が全くなくなった。

そのロラン島に行ってみると、島は、「風力」だけではなく、「R(リニューアル)水素」「畜産糞尿(ふんにょう)からのバイオガス」「藁(わら)を中心とするバイオマス(木質)」などの発電の開発先端都市になっていた。

また、サムソー島でも、同様にさまざまなエネルギー開発が行われ、田舎で起きている過疎問題の解決策として、「再生可能エネルギー開発立地」が提案されていた。

写真の男性は、69歳の農家。800fの農地と150fのブラックベリー畑を持っているが、300戸の人々に熱を配っている写真のボイラー施設の管理人を引き受けているほか、息子と一緒に、100戸の人々に熱を送る会社もつくっている。

その上、自分の家には大麦の穂を燃やすボイラーの熱を使うなどしているという。

「再生エネルギーは、もうかるよ」と誇らしげだった。

このヤンセンさんは、このボイラーを一人で管理していた。私がオーストリアやドイツで何度も見た事例もやはり、一人の男性が1日に一度見回りに行くくらいで管理がなされていて、何か問題が起これば、ヤンセンさんも言っていたが、ポケベル一つでボイラーに駆けつければほとんどトラブルは解消できるとのことであった。

この山陰中央新報社の連載を続けてきた島根県高津川流域では、これから5年の「総合特区」に当選していて、こういった「再生可能エネルギー」を考えてゆく上でこれまで障害となっていたさまざまな規制が緩和できるというチャンスも生まれている。

高津川流域の3市町の若い行政マンたちは、「木質バイオマス」「小水力」「太陽光」「鶏産糞尿(ふんにょう)からのバイオガス」を研究し始めている。産業界にも、それを共に考えようとしている人が増えつつある。

デンマークでは、過疎地の「生き残り策」として"再生可能エネルギー"が開発されていた。日本列島で人口減少が予測されている島根県が、若者を呼び込む策として"再生可能エネルギー"の開発を考えられないだろうか?

少子高齢化に向かうわが国の官僚が考え出した「総合特区」には、その使命もある。


2012年3月19日


山陰中央新報連載 自然に学ぶ"森里海連環学"のすすめNo.34

     何故、"森里海連環学"なのか ―文化教室で会いましょう―

フランスでは高校で、午前中は座学、午後は森へ行くというプログラムが試みられているそうだ。カナダでは医者たちが真剣に、「子どもたちに野外で学ぶことが足りない病」というのを研究しているという。

私がこの連載で紹介してきた「森里海連環学」は、2003年に京都大学で誕生した。ヒラメの研究者と、人工林の研究者竹内典之先生が、「21世紀は、20世紀が失ったものを取り戻す学問が必要」と考えられたのだ。

私は、島根県では高津川流域でこの学問を竹内先生と広めてきた(高知県では仁淀川流域で、そして北海道では紋別市でも)。

この連載に「自然に学ぶ」と付けたのは、森と川と海の連なりやつながりを取り戻すための学問こそ、自然の中で体感し、会得してもらいたいと考えたからだ。

里域に住む人間だけが、生物の中で唯一、他の多くの"いきもの"の命を20世紀に大量に奪った。それを21世紀も続ければ、人間だって、地球だって危ない。それを知ってもらうために、この「森里海連環学」の普及をお手伝いしてきた。

この連載は今回で終了しますが、高津川流域で始めたカルチャー教室「自然に学ぶ"森里海連環学"」は続けてゆきます。

これも当初2年間は山陰中央新報社にお世話になっていたものだが、昨年からは自分で主宰している。

本年度のメニューは4月天野礼子、5月養老孟司先生と安蔵寺山へ。6月以降も竹内先生やモンベル社の辰野勇会長といった多彩な顔ぶれで、「高津川をカヌーで下る」「私のつくる最新の作業道」「高津川に施したい"近自然工法"」などを予定している。

毎月、基本的には第4金曜日の夜に、益田市東町の「リンケンスクエアガーデン」で。野外でのバージョンは休日に。8月には私が釣ったアユで「天然アユ喰(く)いの夕べ」も計画します。

募集人員は先着50人。年間受講料は2万円。申し込みはファクス06(6397)7570天野、または、メールアドレスamago@cipherassociates.co.jpへ。

カルチャー教室で、読者の皆さんとの再会を果たしたいものです。