2009年04月01日

ダムが止まり、道路が止まる。4.25「無駄な公共事業見直しを実現する全国大会」へ。

3月31日の夕刊から4月1日の朝刊各紙では、国土交通省が全国で18路線の国道工事を凍結したことと、同じ国交省の河川局事業では、淀川水系大戸(だいど)川ダム計画が凍結されたことが発表されました。

「“動き出したら止まらない”という従来の道路建設の常識を覆した」と朝日は書きます。一方、同じ新聞紙上では、アメリカでオバマがクライスラーに、「30日以内にフィアットと提携合意しなければ追加支援には応じない」と最後通告をつきつけています。

日本はまだ、甘すぎるのではないでしょうか。これも同じ日の紙面では、国交省が各地の出先機関庁舎44カ所の新築・改築費用を、自治体には相談なく直轄事業負担金の中に含ませていたことも明らかになっています。

公共事業には、「ズブズブ」の部分があり、それが小沢の西松問題に見られるような政治資金となっているのは、もはやほとんどの国民の知るところとなっていますが・・・。

それでも、今道路を作ることで苦境にある建設会社を救うのだという首長たち。それが首長らの政治資金や選挙時の票となっているからでしょう。しかし、結局は自分たちに遠からずツケがまわってくるのだと、そろそろ地方自治体も住民も考えるべきではないでしょうか。

大戸川ダムでは、「凍結」と言われていますが、「本体工事は」と、わざわざ書かれていたりします。本体工事以外は進めることができるというわけです。また、知事が変わったら反古にされてしまうことは、長野の例を見てもわかります。

4月25日には、わが国の市民も、「無駄な公共事業見直しを実現する全国大会」なるものを開催します。さあここへ、どれだけの党首が駆けつけるでしょうか?

4月25日(土)14時〜16時
日本教育会館に、あなたも出掛けてみませんか。千代田区一ツ橋2−6−2


2009年04月28日

森をつくり直す?

4月13日に、第三回「日本に健全な森をつくり直す委員会」(俗称「養老委員会」)を東京で開催しました。この委員会は昨年7月に、養老孟司氏を委員長に、私が事務局を担当し、12人で立ち上げたものです。

森を自分でつくっている作家、C.W.ニコルさんと立松和平さん、そしてここ数年の“林業改革”の二本柱ともいえる、日吉町森林組合参事の湯浅勲さん(NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」に出演)や富士通総研主任研究員の梶山恵司さんも参加しています。

「森をつくり直す」とは、何故か?日本は第二次大戦後の復興時に大量の木を使い、その後に経済効率だけを考えて全国にスギ・ヒノキ・カラマツを大造林しました。これが使い頃なのに材価が低くて使えないという状態が長くあったのですが、私の近年の著作「“林業再生”最後の挑戦」(農文協)や「21世紀を森林(もり)の時代に」(北海道新聞社、養老孟司らと共著)にも書きましたように、@森林所有者を取りまとめるA高密度に作業道を入れるB仕事を効率よくする、などの改革が近年急ピッチで進んだことにより、使えるようになってきたのです。

しかし、このように「急ピッチ」で物を進める時は、どこかに「落とし穴」ができてしまうものです。

そこで私たちは「健全な森をつくり直す」をキーワードに集合して、会議を進めているのです。

企業や銀行が、「カーボンオフセット」や「CSR」のキーワードの元に全国で、自治体から働き掛けられて森を借りようとしています。自治体は、植林や間伐作業を地元の森林組合に下請けに出しています。

わが国の政府は、「京都議定書」に約束した二酸化炭素「マイナス6%」のうち「3.8%」を森林の間伐で賄おうとしており、その“公共事業”も森林組合に出されています。

しかし、両者の森の事業の多くは、「伐り捨て間伐」といって、間伐はするものの、伐った材のほとんどは森に捨てているという有り様です。「それを拾ってくる手間賃が出ない」というのが、そういう仕事をさせている自治体、している森林組合の言い分です。

「それがあかんのや。そんな公共事業が出んようにしないかん」。湯浅さんは、何故こう怒るのか?

今の日本に必要なものは、「林業」そのものの再生です。人工林を伐って、それが売れて、林業という業(なりわい)が回転してゆくように戻すことが急務なのに、安易な形で「ただ伐り捨てるだけの公共事業」が大量に出ると、森林組合はまた努力することを放置してしまうというわけです。私も、各地の事例を見て歩いてそう思います。

「森をつくり直す」というのは、この国にはまともな“森林計画”がなかったこと、ないことが明白になったからです。

しかしながら、私自身もこの二年間「林政審議会」の委員を務めてわかったことは、「森をつくり直す」には、大きなショック、例えば「政権交代」などというような、中央の官僚の皆さんの頭が今とは違う方向へ少しは向くようなことをしなければ無理ということでした。

5月23日・24日には、島根県、高津川流域で第四回会合を開催し、今年中には委員会の提言をまとめる方向です。委員ら(という私)が忙しすぎ、まだHPは立ち上げられていません。



2009年05月15日

日本に健全な森をつくり直す

 昨年7月に養老孟司氏らと結成した「日本に健全な森をつくり直す委員会」が各地で地元有志と行うシンポジウムの皮切りが、5月24日、鳥取県益田市での「清流高津川を育む“木の家づくり”協議会」との事業です。
多くの皆さんの参集をお待ちします。
http://www.pref.shimane.lg.jp/seibu_norin/news/21st_century_forest_times.html

「21世紀を森林(もり)の時代に」
 〜“清流日本一”の高津川から、木の家づくりをすすめるために〜

日時:平成21年5月24日(日)10:00〜16:30

場所:島根県芸術文化センター「グラントワ」

内容:
(午前)10:00〜11:30
開会挨拶 日本に健全な森をつくり直す委員会
来賓挨拶 内藤 邦男(林野庁長官)
基調講演 養老孟司(東京大学名誉教授)
事例紹介 井川成正(山口県下松市長)

(午後)12:30〜16:30
基調報告 竹内典之(京都大学名誉教授)
ケーススタディT 梶山恵司(富士通総研主任研究員)
ケーススタディU 湯浅 勲(京都府日吉町森林組合参事)
ケーススタディV 岡橋 清元(奈良県吉野「清光林業」17代当主)

パネルディスカッション
田村浩一(清流高津川を育む木の家づくり協議会会長、(株)リンケン代表)
前島和弘(島根県農林水産部林業課林政企画グループリーダー)
梶山恵司(富士通総研主任研究員)
湯浅 勲(京都府日吉町森林組合参事)
天野礼子(アウトドアライター)

来賓コメント 白山義久(京都大学フィールド科学教育研究センター長・教授)
閉会挨拶 下森博之(清流高津川を育む木の家づくり協議会副会長、高津川森林組合長)

参加料:無料

共催:清流高津川を育む“木の家づくり”協議会
   日本に健全な森をつくり直す委員会


2009年05月21日

稲を植えない“田植え”

高知県の仲間と「高知439国道有機協議会」活動を始め、3年目。
今年からは本山町の吉野川源流の棚田で“無農薬有機米”をつくることにしました。

田岡きよしさんという、町役場を課長補佐で辞めて農業に専従を決めた40代をリーダーに、5月16日(土)、64歳から2歳までの、高知市と香川県丸亀市の20人が集まりました。

田に緑の苗を植えると思って集まった面々がビックリ。「紙マルチ」といって、2週間ほどで水に溶ける黒い紙に、5百円玉大の稲が何粒か入っている透明のところがつくってある1.6m幅のロール紙を、田んぼに敷きつめてゆくだけというのです。
「再生紙マルチ水稲直播栽培技術」という手法で、これを田岡さんは2月13日の全国農業新聞で見つけました。

私たちは今年から田んぼをやろうと今年決めたので、無農薬有機稲作に必要だった「秋処理」というのができませんでした。田岡さんはそのため、「この手法でやってみよう」と提案してくれたのです。

詳しい当日の模様は、この棚田の活動を紹介しているブログが、「高知439国道有機協議会」のHPにあるので見てください。

香川県丸亀市で学習塾を営む越智広二こと“天狗”が美しい写真と一緒に展開しています。

http://www.439yuki.com



2009年06月04日

柿木村の斎藤君

島根県鹿足軍吉賀町柿木村。六日市町と合併して吉賀町となっても柿木村は、吉賀町柿木村として名を残しています。

この柿木村は30年前から有機農業に村を挙げて取り組んできたことで知られています。

この村の産業課に勤める31歳、斉藤慎吾君は、初めて会議で同席した時に、「僕が通う年寄りしかいない村の奥の人々を幸せにするには、山しかないところだから、林業しかないと思うのです。どうしたらその林業で儲かるようにできるか、考えとんのですが、なかなか知恵が出ません」と言っていました。

5月24日は、その斎藤君らと益田市で、「21世紀を森林(もり)の時代に」のシンポジウムを繰り広げ、養老先生を“人寄せパンダ”にした効果もあって、1000人の観客が午前中は集まりました。

午後は、京都府日吉町森林組合の湯浅参事(NHK「プロフェッショナル、仕事の流儀」に出演した)らが林業者へ向けた講演を集中させ、およそ半分の観客が残りました。(初めから「半分残ればよい」という目論見でした。)

斎藤君を初めとする、島根の山の将来を考えている県、市、町、村の若いお役人や周辺森林組合に所属する若者の中に、やる気のある人たちが出てきて、24日のシンポジウムだけでなく、22日も、23日も、25日もみんなで(養老氏も)山へ行き、議論と行動をしました。

湯浅さんは、「国から安易な公共事業として伐り捨て間伐などが“温暖化対策”として下りてくると、森林組合は本来の林業をきちんとやらんようになってしまう。これがアカンのや」とおっしゃる。

6月7日は、斎藤君ら島根の若者集団を連れて、その日吉町森林組合へ研修に入ります。こうした私の日吉行きは、もう十回近くになります。

湯浅さんは何を言っているか?知りたい方は著者の「“林業再生”最後の挑戦」(農文協)を読んでみてください。



2009年06月26日

高津川の男たちは、林業を再生できるか

「柿木村の斎藤君」(前回紹介)たち21才から55才までの8名を連れて、京都府日吉町森林組合と兵庫県の山田林業へ研修に行きました。

この男たちは全員が、I・Uターンでなく、地元生まれ、地元の森を見て育ってきた男たち。全国のこんな年齢のやる気のある男たちが、今までの地元の林業の常識を打ち破って新しい頭に切り替えられるかに、「日本林業の再生が成るかどうか」がかかっていると思っています。

いえ、富士通総研の主任研究員・梶山恵司さんに言わせると、「“林業再生”じゃなくて、戦後に植えていた木が育って、今これからようやく日本林業が初めて始まると考えればいい」と。

日吉町森林組合は、毎週月曜日に山行きの作業員と事務方が合同ミーティングを行い、毎日の作業後にも合同で報告をし合っています。“高津川チーム”にはまず、この月曜朝のミーティングから同席してもらいました。

島根県吉賀町の町職員、31歳の「斎藤君」。そして後輩の21才、糟谷通輔君は入町2年目。今年からは産業課に配属されて、山へ本格的に入るのは初めてです。

1日目の夜、食事をしながら日吉町森林組合参事の湯浅さんを囲むと、斎藤君らは「自分の目が今日一日で開かれた」ことを口々に語りましたが、糟谷君はまだ「違いがわかる」ところまではわからなかった様子。

ところが、若いというのは吸収も早いのでしょうか。2日目の日吉町の森での作業、3日目の山田林業での山田親子の大橋慶三郎式作業道を使っての「経営をよく考えた作業と道づくり」を見て、糟谷君の目は俄然輝き始めたのです。

最近、日吉町森林組合参事の湯浅さんがこんなことをおっしゃいます。「私は全国の組合へ行って教えていて、『みんなこんなことは知っているやろ』と思ってしゃべってきていたことを、若いみんなは知っていなかったことにようやく今ごろ気がつきました。森林組合の先輩方から当然教えられているべき『暗黙知(暗黙のうちに教えられている知識)』が、日本中の組合にこの数十年間なかったのです」。

私は、それは「日本林業が長く低迷していたこと」が原因と思いました。

一番若くて産業課に入って2年目の糟谷君、31才の斎藤君、48才の津和野町役人の桑原正勝さん、村上久富君、高津川森林組合からは斉藤巧治君、岡崎幹夫くん。素材生産業(株)リンケンの55才の赤松昭二さん、みんなを引率してきた県の林業普及員の大場寛文君。高津川流域のように森に生かされている町の男ならば当然持っているべき森の「暗黙知」を、やっぱりこの男(ひと)たちも持っていなかった。しかしたった三日間の2カ所の視察で、その「暗黙知」が彼ら8人の頭には入ったのです。

その彼らが7月7日には、視察の報告会を準備しています。ついてゆきたくても来ることができなかった(組合や上司から費用を出してもらえなかった)他の若者が聞きにくるでしょうか。

高津川の「林業再生」は、始まったばかり。
この男たちに果たして流域林業が再生できるでしょうか?乞う御期待!

PS.この旅行中に私がみんなに読むことを薦めた本が、高津川流域の林業にかかわる若者たちの間でいま読まれています。

「神去(かむさり)なあなあ日常」三浦しおん(徳間書店)。帯には「林業っておもしれえ〜」と書かれています。とてもおもしろく「山(林業)」を知ることができる本です。


2009年07月29日

野党と民主党へ提案しました

7月22日、解散の翌朝、民主党の菅直人代表代行、山田正彦衆議院議員に面会し一時間、林業政策について意見交換をしてきました。同行者は、富士通総研主任研究員の梶山恵司さん、法政大学教授の五十嵐敬喜さん。

「7月14日に林野庁長官になった島田泰助氏が、今の林野庁の“林業改革”の中心人物」であり、政権奪取後に「林野庁との話し合い」を持つことなどを提案し、日本林業の現状を梶山さんがレクチュアしました。

菅さん、山田さんら「農業と林業の再生」を考える議員らは一昨年、梶山さんに随行され、ドイツ林業を視察しています。

私は、この日とは別に、7月15日にも、鳩山民主党代表、菅さん、前原誠司民主党副代表、亀井静香国民新党代表代行あてに、以下のようなペーパーもFAXし、野党の衆議院選マニフェストに、「ダム撤去」と「グリーン・ニューディールな住宅政策」を加えるよう要請していました。

「公共事業」をただ減らすだけでなく、「必要な公共事業に金がまわるニッポン」になってほしいと思っているからです。

ところで、「柿木村の斎藤君」に様々な反応をいただきました。私のブログを読んでいる人もいるのだとわかった(笑)と共に、「山」には多くの人々が心配を寄せていることもよくよくわかりました。

皆さんのような方には、梶山さんが過去にどんなことを書かれてきたかなどを富士通総研のHPで調べていただいたり、彼の最新のレポート「林業再生は地域活性化のビジネスチャンス」(富士通総研広報誌「飛翔」2009年6月号)を読んでいただきたい。「梶山さんのおっしゃっていることは、私の知っている林業の現実とは正反対なのだが・・・」とおっしゃっていた方には特にお薦めします。

私の森林に関する三冊は、「“緑の時代”をつくる」(旬報社)、「“林業再生”最後の挑戦」(農文協)、「21世紀を森林(もり)の時代に」(北海道新聞社、養老孟司氏との共著)で、特に三冊目を読んでいただけると、「川のジャンヌダルク」と週刊現代が呼んだ私が、「なぜ今、森なのか」をわかっていただけます。

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・鳩山由紀夫民主党代表(2000年時も民主党代表)

・菅直人民主党代表代行(2000年時は幹事長)

・前原誠司民主党副代表(2000年当時、「公共事業を国民の手に取り戻す委員会」事務局を務めて下さりました)

・亀井静香国民新党代表代行(2000年時は自民党政調会長)


<政権交代のための衆議院選挙時のマニュフェスト追加お願い>

 皆様、都議会議員選挙の大勝利、おめでとう存じます。
 本日は、河川政策と、住宅および森林政策について、皆様のマニュフェストに追加をいただきたい2件についてお願いを申しあげます。

 <河川政策>  「“ダム撤去”をグリーン・ニューディールに」
 皆様にはすでに、別紙のような長良川救済DAYについての御賛同願いがお手元に届いていることと存じます。そこにも記しておりますが、オバマアメリカ大統領は、“ダム撤去”を「グリーン・ニューディール」の一つとされています。
 また日本でも、農水省が、自らが推進していた中海・宍道湖干拓事業の中心であった森山水門をこのたび、7億円の費用をかけて、撤去するに至っています。
 この背景には、同送しております農水省のHPにある「生物多様性戦略」があり、その戦略の1ページにはなんと、「生物多様性に負の影響を与えているもの」としての写真に、あの諫早水門が載せられているのです。

 皆様、2000年当時のことを思い起こしていただけませんか。天野は民主党稲見哲男の後援会長として6月の衆議院選を闘いました。
 当時、自民党の政調会長であられた亀井静香氏は選挙中、「民主党が公共事業を悪というが、公共事業は“富の配分”であり、必要なものである」とおっしゃっていました。
 選挙終了の翌日から、私はヨーロッパへ飛び、ドイツ、オーストリア、イギリスの公共事業を研修しました。
 帰国後、菅さん、鳩山さん、亀井さんの順にお会いいただき、二つのことをお伝えしました。
1、ヨーロッパでは、経済難から公共事業が止まっている
2、しかしその中でも“自然再生”には税金が投入されている

・菅さんは、「さもありなん」とおっしゃいました

・鳩山さんは「私は現場を持たないので、これからも私にそんな情報を伝えて下さる委員会をつくってほしい」とおっしゃり、五十嵐敬喜教授を座長に、「公共事業を国民の手に取り戻す委員会」を代表の諮問機関として作って下さり、前原さんをその事務局長として下さりました。11月1日に委員会が初めて出した答申が「緑のダム構想」で、これが民主党が今回のマニュフェストに二つのダムの中止を盛り込まれた」前提となっていると存じます。

・亀井さんには、民主党のお二人にはお話ししなかったことを話しました。「田中角栄氏の公共事業は“道路”と“ダム”だったが、亀井さんは“自然再生”を公共事業にしてほしい」と。すると亀井さんは「公共事業抜本見直し検討会」をつくられ、谷津義男氏を事務局とされ、「2000年末までに223の公共事業を止めてみせる」という大偉業をなされたのです。
そして、次の年末にできたのが、「自然再生推進法」でした。
 
 今民主党は「川辺川ダム」「八ッ場ダム」の中止をマニュフェストにされています。これは不要な公共事業の削減の大きなものです。
 しかし、景気はこのように底を打ち、やはり「必要な公共事業」で日本をまわすことは、重要なことではないでしょうか。
 「長良川河口堰撤去」「諫早水門撤去」「熊本県の前知事が計画していたのに現知事はやらないという“荒瀬ダム”撤去」来年2010年には「四万十川に唯一ある家地川堰の水利権更新」もあります。
 これらをみな、亀井さんがつくられていた「自然再生推進法」を改正して、公共事業として進めればどのくらい国民が喜び、建設業界も潤うでしょうか?
 「ダム撤去」を皆様の“新政権”がマニュフェストの一つにして下さることを、民主党、国民新党でお考えいただけないでしょうか?

 まもなく10月には、私が昨夏に養老孟司氏と設立した「日本に健全な森をつくり直す委員会」も、「森林政策」についての提言を取りまとめます。皆様の森林政策にお役立ていただきたいと念じ、作成中です。
 森林と川は一体と見て考えることを私は、1997年に亀井静香建設大臣が「河川法」を改正された折りに、菅直人氏に民主党より対抗法案を出していただき、「ヨーロッパの水系一体の治水」を雛型に提案しております。
 どうか皆様が、長良川河口堰のゲートが社会党大臣の手によって降ろされた1995年から、河川法改正の97年、2000年当時のことを思い返していただき、御一考いただけますよう、伏してお願い申し上げます。

なお、住宅および森林政策への提案は、私の友人で、「町の工務店ネット」の主宰者である小池一三氏の一文を同送させていただきます。

長良川河口堰建設に反対する会事務局長
公共事業チェックを求めるNGOの会事務局長
日本に健全な森をつくり直す委員会事務局
天野 礼子

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民主党マニュフェスト へのご提案
グリーン・ニューディールな住宅政策               

若者支援・家づくり推進制度(仮称)
――国産材を用いて、長期優良住宅を建設する


長期優良住宅推進法が、昨年秋に衆参両院共に全会一致で採択され、国交省から、本年2月26日にその建築基準が告知され、6月4日に施行された。
本提案は、高所得者層に傾斜する長期優良住宅を、国民各層に広く利用されるよう転換をはかるものであり、それにより、国民の住宅取得への意欲を高め、建築・林業の振興をはかり、よって日本版グリーン(環境にいい)・ニューディール(政策)の実現をはかるものである。

 日本の住宅政策は、公社・公団・公庫の三本柱で進められてきたが、現在、どれも構造転換の憂き目に遭っている。この「階層別対策」の頂点に位置づけられたのが「持ち家」であった。
都市で「戸建住宅」を新たに入手するのは困難を極めたが、郊外へと購入地を拡げることで実現をはかった人は少なくない。

しかし、建てられた住宅の平均寿命は30年に過ぎない。アメリカ55年、イギリス77年に比べて短く、スクラップ・アンド・ビルドを繰り返してきた。

それが日本社会の活力を生んできた一因ではあるが、40歳で「持ち家」を取得した人は70歳を迎えており、建替えられる条件を欠いている人が少なくない。
地震対策上、問題アリとされる住宅は、1981年の建築基準法以前の住宅とされる。それが全住宅の46%を占めており、建替え時期を迎えているが、住民の高齢化と相俟って困難視されている。このことは、都市部と周辺部で起こっているだけでなく、地方でも起こっていることである。

兵庫県南部地震による死者は6.433名を数えるが、この80%相当、約5000人は老朽家屋の下敷きによって亡くなっている。2000年の建築基準法改正に基づく耐震基準で建築されていれば、その死者は1/10で済んだとされる。因みに、この改正前の住宅は全住宅の94%を占めている。
地震列島の上に建てられる住宅は、大地震が起きる度に、その経験に学び、住宅を改造・更新することで被害を抑えてきた。

長期優良住宅による「耐震性能等級2」で建てると、震度7の地震の揺れで倒壊する被害発生率は7.9%とされる。2000年に改正された耐震基準では28%であった。

これから建てられる住宅は、十分な耐震基準を持ち、長寿命のものでなければならない。スクラップ・アンド・ビルドなあり方を転換させ、ストック社会の住宅を目指すものであるべきだ。

その意味で、長期優良住宅の重要性は言うを待たないが、それを政策として打ち出す以上、長期住宅ローンが必須条件である。住宅金融支援機構は、長期優良住宅の施行日に合わせて「フラット50」(50年ローン)を打ち出したが、すでに実施されている「フラット35s」(35年ローン)と比較すると800万円も余分に支払わなければならず、これでは利用者を見込めない。
50年ローンは、親子2代で払うローンである。「子孫に美田を残す」という日本人のあり方からすると、借金を子どもに残すのはどうかと思われる面もなくはないが、まともな家は、本来、そうして建てるものだということを社会化すれば、案外、受け入れられるのではなかろうか。

地球時代にあって、招来すべきはそうしたスローなあり方であり、負荷を一代で追うのではなく、多世代間に亙って負うことで、長く生き続ける建築を実現すべきである。

日本と同じ敗戦国であったドイツのアデナウアー首相は、戦後復興に際し「すべてを住宅建設に」というスローガンを掲げた。それは居住福祉を、社会政策とする考え方が根底にあったからである。そのとき、施策の一つとされたのが金利ゼロの100年ローンだった。ドイツ国民は、それに勇気を得て住宅建築に乗り出した。

高度経済成長期、日本国民は「がんばれば一軒の家が手に入るかも知れない」という夢を持つことができた。それが「中流社会」といわれる「階層」を生み出した。この「中流社会」が崩落し、「下流社会」に流れている昨今、その夢さえ失われているのが現状である。

今ほど国民が、将来に不安を感じている時代はないのかも知れない。雇用と収入、年金・医療・介護など、不安は増幅するばかりである。「中流社会」では、子どもを大学にやって、マイホームを手にすることが目標であり得たが、今の若い人は、そうした目標を持てなくなっている。

住宅は、家族の生活の拠点である。居住は福祉の基本である。そこが不安定な社会に幸福はない。住宅取得への夢を見失った社会は、社会そのもののエネルギーが失われて行く。殊に、若い層がそれを失うのが恐い。
閉塞した現況を打ち破るには、勇気を持って生活の根拠地となる家を建てることを、若い人に奨励することである。

2月26日の告知では、基準とされる建築面積は75平方メートル以上であれば可とした。これにより「小さな家」でも、長期優良住宅の仕様を守れば制度の適用を受けられる。
最初は「小さな家」でいい。空いた土地には木を植える。「安かろう悪かろう」ではなく、高品質で、エネルギー負荷が小さく、長寿命な家を建て、ムリなく、フラットに、2代かけて50年ローンで支払い、ゆっくり家を育てるのである。

むろん、この国には悩ましい土地問題が横たわっている。土地のある人はその土地に、ない人は週末住宅(クラインガルテン)を郊外に建てて「セルフ農業」に精を出し、月曜日には都市に働きに出る。老後は「終の棲家」になり、大地震が起こったら「疎開住宅」にすればいい。

 かのフランク・ロイド・ライトが、手ごろな価格で実現できるユーソニアン・ハウスを提唱した背景には、ルーズベルトによるニューデール政策があった。
 長期優良住宅の制度に、さらによき助成策が講じられるなら、それこそ日本版グリーン・ニューディールな政策となるのではなかろうか。
 構造材に、国産材を利用することを奨励すれば、グリーンな政策性を持ち、かつ景気を押し上げることは間違いない。

                         町の工務店ネット代表
                              小池 一三


町の工務店ネットとは
全国の地域工務店75社で構成されるネット(団体)。
国交省の長期優良住宅・先導的モデルの採択を受けている。
詳しくは、町の工務店ネットのwebサイト
「住まいネット新聞びお」 http://www.bionet.jp

代表/小池一三 プロフィール
1946年 京都市生まれ。パッシブソーラーの普及を寄与。その功績により、「愛・地球博」で「地球を愛する世界の100人」に選ばれる。「近くの山の木で家をつくる運動」や「森里海連環学」を提唱し、実践塾塾頭を務める(塾長は天野礼子)。また、住宅雑誌『チルチンびと』や『住む』の創刊に携わり、編集人を務める。【現職】町の工務店ネット代表/住まいネット新聞「びお」編集長/(有)小池創作所代表/NPO法人緑の列島ネットワーク名誉理事【主な著書・編集】『仕事の創造』(共著/岩波書店)/『いい工務店との家づくり』(共著/雲母書房)/『ムリなく住めるエコ住宅』(共著/泰文館)/『近くの山の木で家をつくる運動宣言』(文・起草/農文協)/『木の家に住むことを勉強する本』(編集人/農文協)/『すっぴんの木の家』(共著/海象社)/『働く家』(発売 農文協)など



2009年09月13日

柿木村斉藤君たち、その後

林業のことを心配している人が多いことが、あまり更新しない私のブログへも林業には反応があることでわかりました。

918日(金)には、林野庁記者クラブで私が事務局を務める「日本に健全な森をつくり直す委員会」(委員長 養老孟司、副委員長 C.W.ニコル、俗称「養老委員会」)が初めての提言を発表いたします。

私はその後も島根県吉賀町柿木村の斉藤君たちと、「山仕事ひきうけ隊」(という名称で、「山仕事をひきうけたい」と思ってくれる人を育ててゆくのです)の活動を続けています。

“水質日本一”に2年連続なった、延長81kmでダムのない天然河川、島根県高津川から「日本林業を再生してゆこう」という大志を持って、「山から材を安く出せる生産システムをまずつくろう」と考えているのです。

82526日には、大阪の81歳の「作業道づくり」の大家、大橋慶三郎さんの山を見学、そのまま奈良県吉野の清光林業へ走り、大橋さんの弟子を25年以上も続けている岡橋清元さんの山での作業道づくりを視察しました。

さかのぼる68日〜10日には同メンバーで、京都府日吉町森林組合と兵庫県の山田林業も視察しています。(私はこのように自分が「これ」と見込んだ人物たちには、どんどん現場を見てもらうために自分自身も何度も同じところへ同行しているのです。)

高津川の若者たちがまとめた二つの視察報告書を転載させていただきますので、読んでみてください。


  日吉町森林組合・山田林業等視察研修概要

  大橋式作業同減協会概要


2009年09月15日

祝・政権交代!“八ツ場ダム中止”と“ダム撤去”


国交省が、予定している入札をペンディングにするということが起こりました。政党がマニフェストに書き込み、政権が交代すれば何ができるかを国民は見たと思います。

今回民主党がマニフェストに書き込んでいた「川辺川ダムと八ツ場ダムの中止」は、大きな予算を減額できるという見た目の効果はありますが、実際にトータルすると、あまり減額ではないかもしれません。従って、経済効果だけでダム中止を見ては本質を見失います。

鳩山さんの「ダム中止」は、彼が2000年に私に依頼して「公共事業を国民の手に取り戻す委員会」を代表の特別諮問機関として発足させた時からの路線で、2000111日に、この委員会が作った報告書「緑のダム構想」を持参して川辺川現地入りをされた時に始まっています。

民主党はその委員会と共に、コンクリートのダムに依らず、「緑(森林)のダム」をつくって治水しようと決めたわけです。

「ダムに依らなくても治水はできる」「利水上もこれ以上の水資源は必要ないにもかかわらず、“多目的”と称してダム造りが続けられたのは、政官財癒着腐敗の図式にあった」「ダムによる自然破壊は、ダム造りが始まった頃に予想されていた被害に比べて大きすぎる」ことが、ダムが中止される理由です。

オバマ政権と民主党の今のところの違いは、日本の民主党はまだ従来の公共事業に代わる「グリーン・ニューディール(緑のたて直し策)」を提案できていないことです。

「ダム中止」では予算が減額するだけですが、「ダム撤去」なら、新たな公共事業が発生します。それがグリーン・ニューディールです。そしてその工事代金がどこから捻出できるかが問題でしょう。

社民党の福島党首は「軍事費の削減」に目をつけておられます。これも巨額です。アメリカの傘の下にいるのに今ほどの軍備をしているのは「アメリカに買わされているだけ」とも見えます。「グリーン・ニューディール」で、経済をまわしてゆく策を考えることが、日本民主党の急がれる仕事と思います。

私自身は、「軍事費を減額すれば、いろいろなことに使えるのに・・・」と思っている一人です。1018日には仲間たちと、以下のように「長良川救済DAY」という長良川河口堰撤去の提案を実行します。

 

「長良川河口堰撤去の金はどこから捻出するの?」

手厳しい「The JOURNAL」の視聴者からまたまたつっこまれそうですが、そんなことは政治家が考えるべきことでしょう。アメリカのオバマさんがやっていることが日本にできないとは思えません。

私自身が関わった事例では、四万十川に唯一ある家地川堰撤去のための1999年の運動時に、「ダムを撤去すれば天然アユが復活して、それだけでも年間36億円の経済効果が生じる」と科学的に試算されていました。                        

 

「2009.長良川救済DAY

政権交代、成立!

「長良川河口堰撤去が、日本版“グリーン・ニューディール”となる」

                                  

 アメリカでは、オバマ大統領の「グリーン・ニューディール」に、“ダム撤去”が含まれています。

 日本でも、“昭和の国引き”と若き日の竹下登が進めていた島根県中海の干拓が今春ようやく「中止」されて、干拓予定地を仕切っていた森山堤防が、28年ぶりに取り壊されて通水しました。

 これは、7億円をかけた農水省の“自然再生事業”です。

 来年2010年は、名古屋で「生物多様性条約締結国会議」が開催されますが、農水省はすでに「生物多様性戦略」を発表し、そこには「不適切な農薬・肥料の使用、経済性や効率性を優先した農地・水路の整備、埋め立て等による藻場、干潟の減少など一部の農林水産業の活動が生物多様性に“負の影響”を与えていた」と書かれており、なんとそこには、諫早水門閉め切りの写真が載せられています。長良川河口堰の次には、諫早水門の撤去をめざしましょう。正しく“公共事業”を使う事例を重ねるのです。

 

 長良川河口堰は、竹下サンが総理になった時に、金丸サンが田中角栄総理時代に建設大臣であった時の計画を再び動かして強引に完成させてしまった事業であったと今では知られている、「無駄な公共事業」の典型でした。金丸の金の延べ棒が発見された時、朝日新聞が大成建設と鹿島建設が金丸建設大臣を仲介にかつて、長良川河口堰について談合をしていたと報道していました。

 その河口堰が日本中の反対にもかかわらず完成し、社会党建設大臣の判断によって、1995年7月に閉じられてから、14年。長良川河口堰の反対運動が1988年に再燃してから21年目のこの秋、“政権交代”もなしとげられ、私たちは「死につつある長良川」を救うために、いよいよ結集します。

 

□主催 長良川河口堰建設に反対する会

□後援 公共事業チェック議員の会

    (財)WWFジャパン

「2009.長良川救済DAY」企画(案)

日時 2009年10月18日(日)13:00〜17:00

   (前日10月17日(土)には「水郷水都全国会議・桑名大会」が同地で開催されます)

□場所 三重県桑名市役所 5階大会議室(桑名市中央町)

@ 河口堰運用で、長良川は今?

・「死につつある長良川」  

  粕谷志郎(岐阜大学教授)                  

 ・「河口堰も木曽川導水路も、血税の無駄使い公共事業にすぎない」            

   武藤仁(「長良川に徳山ダムの水はいらない市民学習会」事務局長)

A “ダム撤去”がアメリカの「グリーン・ニューディール(やり直し策)」

 ・アメリカ 「“グリーン・ニューディール”としてのダム撤去」      

   アメリカン・リバース                         

B パネルディスカッション  

 「日本のダムの点検をどのように進めるか?」           

 今本博健(第1次「淀川流域委員会」委員長・京都大学名誉教授)

 宮本博司(第3次「淀川流域委員会」委員長・元河川官僚)

 沖 大幹(東京大学「生産技術研究所」教授)

 五十嵐敬喜(法政大学教授)

 進行役 

  天野礼子(「長良川河口堰建設に反対する会」事務局長・アウトドアライター)

                 

C 政治家のリレーコメント(交渉中)                           

・北川石松(元・環境庁長官)「長良川河口堰を撤去し、長良川を救済せよ!」           

・菅 直人(副総理・国家戦略局担当相)「民主党は“ダム撤去”をグリーン・ニューディールとする」

・田中康夫(「新党日本」代表)「“脱ダム”と“ダム撤去”が21世紀ニッポンの要求である」

・亀井静香(「国民新党」代表)「私がつくった“自然再生推進法”が河川をよみがえらせる」

 

D 全国河川からのリレー報告                               

 

<筆頭呼びかけ人>    北川石松(長良川河口堰建設に反対した元・環境庁長官)     

<実行委員長>      今本博健(第1次「淀川流域委員会」委員長・京都大学名誉教授)

<実行委員> 

五十嵐敬喜(法政大学教授・公共事業論) 

保母武彦(島根大学名誉教授・経済学)      

大熊孝(新潟大学名誉教授・河川工学)  

天野礼子(「長良川河口堰建設に反対する会」事務局長)

<呼びかけ人> 

C.Wニコル(作家)            

立松和平(作家)       

夢枕獏(文筆業) 

尾池和夫(財・国際高等研究所所長)   

近藤正臣(役者)       

辰野勇(株・モンベル会長)         

村上康成(絵本作家)                 

雁屋哲(「美味しんぼ」原作者)    

菅直人(民主党代表代行)       

志位和夫(日本共産党委員長) 

岡崎トミ子(参議院議員)

金田誠一(前・衆議院議員)        

福山哲郎(参議院議員)      

近藤昭一(衆議院議員)  

辻元清美(衆議院議員)              

保坂展人(前・衆議院議員)   

稲見哲男(衆議院議員)

鈴木英幸(元・自治労政治政策局長)  

塩原洋光(元・建設大臣野坂浩賢政務秘書官)         

福山真劫(「フォーラム平和・人権・環境」事務局長)         

山内克典(岐阜大学名誉教授)           

粕谷志郎(岐阜大学教授)   

千代延明憲(第2次・第3次淀川流域委員会委員)  

村瀬たけの            

大森恵(「長島・河口堰を考える会」代表)       

加藤良雄      

成田正人 (桑名市議会議員)    

堀敏弘   

高木久司(「長良川河口堰建設に反対する会・岐阜」代表)    


2009年11月6日

ついにダウン!918日からの日々


 1031日朝、高知県仁淀川源流の“水鳥庵(と呼んでいる自分の小屋)”で、ふと手を伸ばしたとたんに腰がギクリ。これが“ギックリ腰”ですか。今112日、布団にまだ寝ながらこの文章を推敲しています。

先回の発信は915日でした。それからの忙しい日々を振り返ってみます。多分、これが、ギックリ腰の要因なのでしょうから。

 918日。菅直人さんとの乾杯。

・「日本に健全な森をつくり直す委員会」の提言書を「林政記者クラブ」にて発表。発表者は養老孟司委員長と、C..ニコル副委員長。(後ろに、発表物を掲載しています)

・「養老先生の希望される時間には面会はできないが、大阪へ帰らず、五十嵐敬喜法政大学教授と一緒に会ってくれ」、菅直人さんからこんな電話をいただき、指定された場所に五十嵐さんと午後9時に行きました。

「今日、総理官邸の中に、まず国家戦略室をつくりました。次の国会で法制化されると“国会戦略局”になります。三人で、お祝いしたかったのです。ワインを空けましょう。何のお祝いかというと、これは天野礼子が起こした“市民革命”なのです。だってそうでしょ。あなたが、岐阜の社民連の事務局長の村瀬惣一さんが細々とやっていた「金丸の長良川河口堰」に反対する闘いに、1988年に火をつけ、国会の中に持ち込んで、1994年からは、日本に「日照権」を確立した辣腕弁護士の五十嵐さんも味方につけて、「長良川」を、“公共事業の悪しき図式”と闘う国民運動とした。

今、政権交代が成立して、見てごらんなさい。総理も「ダム反対」と言う、民主党や与党もそう言う、国土交通大臣も、あなたがずっと言い続けてきた「ダム反対」を言っているじゃありませんか。あなたは「建設省」という本丸をついに倒したのです。これが“市民革命”なんですよ。

私は、自分が“国家戦略室”を官邸内に作れたこの日に、誰よりも、あなた方と乾杯したかった。

ありがとう。天野さん、他の誰があなたをほめてくれなくても、僕は知っている。あなたの苦労を。死んだ村瀬さんも、喜んでくれているだろう。ちっぽけな“社民連”から出た私が、副総理になったことを・・・」。

何杯も乾杯を繰り返し、3本のワインがこの夜空きました。

 919日、島根県高津川へ。20日、最後のアユ釣り。21日、カルチャー教室「自然に学ぶ“森里海連環学in益田」。25日、「清流高津川を育む“木の家づくり”協議会」委員会。

 929日〜101日、対馬へ。

長崎県対馬の森林組合長が、「日本に健全な森をつくり直す委員会」と「京都大学“森里海連環学”」を来年1月に招くシンポジウムを行いたいと希望され、初めて対馬へ渡る。

かつては「対州桧(たいしょうひ)」というブランドがあった対馬からの“林業再生”をめざすための一歩です。

104日、高知にて京大のシンポ。

京都大学が仁淀川の森で「間伐をすると森にどのような変化が起こるか」を実験しています。私が顧問を務める「仁淀川の“緑と清流”を再生する会」と京大が、実験の途中経過を報告する共催シンポを行いました。

 10月6日、箱根“養山荘”から東京へ。

・「日本に健全な森をつくり直す委員会」の養老孟司委員長と、64銀行でつくる「「日本の森を守る地方銀行有志の会」の幹部銀行である四国銀行の青木泰章頭取に、養老先生の別荘で対談をしてもらいました。1116日に高知市で行うシンポジウムのための新聞全面広告作成。

・対談後、東京へ。林政の方針、決まる。

政権樹立後に農林水産副大臣となられた山田正彦氏に、梶山恵司さんと二人で面談。

・梶山さんが二年前の正月に、民主党「農業再生委員会」の菅さん、山田さんらをドイツ林業視察に連れ出して以来、その「農業再生委員会」は“林業再生”もテーマと持ってきています。

その縁からこのたび梶山さんは、内閣審議官となられ、菅さんの国家戦略室のメンバーに112日より入られることになりました。初めての山田副大臣と私ども、俗称「養老委員会」との「林野行政をどうするか」のミーティングがこの106日でした。詳しくは、「日本に健全な森をつくり直す委員会」のニュースレター「山おやじ三号」を参照ください。

107日、前原国土交通大臣に会う。

「町の工務店ネット」代表の小池一三氏より託された「若者よ、家を持とう!」という提案を、前原誠司国土交通大臣に手渡しました。詳しくはネット新聞「びお」を参照ください。

108日、9日。伊勢神宮へ。

「日本に健全な森をつくり直す委員会」の提言書を、伊勢神宮に奉納しました。

1010日、「朝市ファーマーズ」を取材。

名古屋の、地下なのに青空が見える市民広場で、有機農作物だけを販売する市場が毎週土曜に開かれているのを取材。

これまでに取材してきた有機農業をまとめて来年1月、朝日新聞社より「有機な人々」の一冊を出版します。

1011日〜13日、島根へ。

12日は、カルチャー教室「自然に学ぶ“森里海連環学”in 益田」で間伐体験講座。この朝には、流域の若者たちとつくる「山仕事ひきうけ隊」との会合も致しました。

13日は、益田翔陽高校で講演。

1015日、上京。養老さんと菅さん。

「有機な人々」に載せる対談を養老先生にお願いして、収録。

その後、国会へ向かい、1018日の「長良川救済DAY」に来られない前原国交大臣に代わり、菅副総理のビデオメッセージを会場で流すためにインタビューをさせてもらいました。

1016日、高知へ。

1116日の高知でのシンポの打ち合わせのため、飛行機で往復しました。

1017日、18日。長良川救済DAY

17日は「水郷水都全国会議in 桑名」が、18日は「長良川救済DAY」が、桑名市役所の5階大会議室で開催できました。

反対派の集会を、市役所の中でやったのは初めてでしたが、長良川河口堰のゲートを下ろした現地所長の宮本博司さんと「日本のダムの点検をどのように進めるか?」を同じ壇上で話し合う日が来るとは・・・。感無量。

宮本さんはパネルディスカッション時に、私の隣で、こう発言されました。

「今日、あれから(ゲートを下ろして)久しぶりに、一人で河口堰の上に立ち、こう思いました。『あの時、俺は、戦争に放り込まれていたんやな。天野さんと金丸さんなるものとの戦争の渦中に』と。公共事業を、“戦争”でやってはいけないんです。公共事業は、パブリック・ワークスなんですから」。

田中康夫さんが、1時から5時までゲストとして座っていてくれました。「皆さんの、“河口堰撤去”をグリーンニューディールにというメッセージを新政権は早く受けとめて、それを雇用対策とすべきだ」としんみり語ってくれました。菅さんのビデオメッセージは、そのあとに流しました。

菅さんは、「“植物で生きる”社会づくりを早くやろう」と語りました。

1030日、山田正彦農林副大臣に正式面会。

C.W.ニコル「日本に健全な森をつくり直す委員会」副委員長の手で正式に、農林水産副大臣山田正彦氏に「提言書」が手渡され、一般紙へ向けて「農政記者クラブ」で提言書を発表しました。

111日、高知へ。そしてギックリ腰に。

113日。

明日3日は、「高知439国道有機協議会」(事務局長・天野礼子)の活動をNHKが撮影します。

「日本一おいしいイタリアン」と称される山形県「アル・ケッチァーノ」シェフ奥田政行氏を招いての、高知の山下一穂の有機野菜と勝負させる食事会を、NHKが撮るのです。明日、パジェロを自分が運転して、空港に客を迎え、4時間の食事会の司会の間じゅう、立っていられるかなぁー。

 私の915日からの日々を書いてみました。こんな毎日の中で、「長良川河口堰のゲートを上げ、長良川を救済すること」や「林業再生」のために走りまわること」、「有機農業を広めること」に取り組んでいます。1988年から始めた「ダム反対」は、19歳から34歳まで年間百回以上、内外の川や湖や海を見てきて、日本のどこにも、「ダムができて幸せになった山村」がないことを実感したからでした。このブログの書き込みには「人命をこそ守れ」「知事は全員反対なんでしょ」のようなご意見がありますが、「ダム計画があるから堤防が強化されず、新潟水害では多くの死者が出て」います。私のつたない幾つかの著書でもお読みになれば、「ダムが水害をつくる」ことはおわかりいただけると思います。

 脳内に「脳動静脈奇形」を抱えながら、毎日走っています。

「たまには休め」と、神様がギックリ腰にしてくださったのに、またこのように仕事をしてしまいました。バカかなぁー。

 114日は、朝7時の高速バスに高知駅から乗り、高津川森林組合長と対馬森林組合長とに岡山県の「銘建工業」で合流。工場視察のあと、車で京都府「日吉町森林組合」へ。翌5日は奈良の吉野「清光林業」を、視察。

6日にようやく1週間ぶりに帰阪というスケジュールなのです。

 やっぱりバカでしょう。誰にも頼まれないのに、こんなに働いて。

 

2010年1月5日

総理官邸へ、が昨年の「仕事納め」

2009年の最後の仕事は、総理官邸へ1230日に出かけることでした。

「新成長戦略」を鳩山総理が記者発表されるというので、「町の工務店ネット」の小池一三氏と相談の上、24の展示物の一つに「四つの時代の住宅の断熱のちがい」をつくって並べたのです。他の発表物は、人間ロボットの「アシモ君」や村田製作所の「ムラタセイコちゃん」、ロケットや電気自動車といったハイテク先進技術ばかり。
鳩山総理はアシモ君と握手したりして、カメラ目線で笑ってみせます。

私たちの展示は、@「断熱化は、地球環境に負荷を掛けないで住宅の居住性能を向上させる技術」であり、Aエネルギーロスが大きい1980年の「省エネ基準」以前の住宅がまだ全住宅数の40パーセントを占めている日本では、近30年以内に“大地震”が来ることも予想されるのだから、「断熱の改新」と「耐震」をリフォームででもやっておくことが、国産材の出口にもなり、総理が命題とされる「CO225パーセント削減」にとっても役立つ、というもの。赤い服を着て私が立っていたので総理は立ち止まり、「来ていらっしゃったんだ」と挨拶してくださいましたが、展示物にはあまりピンとこない様子でした。

翌日は、読売は書かず、朝日は「つけ焼刃だ」と論評していました。「こんな先進技術は民主党政権以前からあったもので、何も目新しい“新成長戦略”ではないではないか」というのです。私も、そう思っていました。

私たちを官邸での展示に呼んだのは、菅さんの国家戦略室。私と一緒に「日本に健全な森をつくり直す委員会」(委員長 養老孟司)活動をしている前・富士通総研主任研究員の梶山恵司氏が、今は戦略室で内閣審議官を務め、林野庁と、「森林・林業再生プラン」と「第二次補正予算」を一緒に作っているのです。

菅さんは、「植物で生きる日本にしたい」とおっしゃり、当委員会は、「石油に頼らず森林(もり)に生かされる日本になるべき」と主張しています。森のために働くことを私は“森仕事”と称していますが、2009年はこのように官邸での“森仕事”で終わりました。

2010年の「仕事始め」は、明日16日に島根県庁へゆき、「森林・林業を見直すために」と称する勉強会を実行します。
梶山さんと林野庁がつくった「第二次補正予算」を使って、作業道を造ったり、“森林プランナー”を育てたりすることを今年は大いに進めようという勉強会です。

私はこんな勉強会を、112日には奈良県庁の方々と行います。

松江は、今夜から大雪のようです。

あなたは今年、“何仕事”をなさいますか?

官邸での発表について詳しくは小池氏の「町の工務店ネット」のネット新聞「びお」で、「もうひとつの成長戦略」を参照ください。

「びお」はこちら


2010年1月15日

山陰中央新報連載 自然に学ぶ“森里海連環学” No.

「生物多様性年」  一からやりなおす


「生物多様性条約第10回締結国会議」が1018日から名古屋市で開催され、日本が議長国を務める今年は、おそらく各新聞社でも年頭から“生物多様性”という言葉を使う紙面が増えるだろう。

「生物多様性条約」は、1992年にブラジルのリオデジャネイロで行われた「国連環境開発会議(地球サミット)」で、「国連気候変動枠組み条約」とともに採択され、168カ国が署名したもの。条約は93年に発効し、現在は191の国と地域が参加している。

私はその92年のリオデジャネイロに、川の非政府組織(NGO)として参加し、現地でシンポジウムを組み立てた経験を持っている。

日本ではほとんどの国民が知らないので残念なのだが、2007年にわが国の農水省は、「農林水産省生物多様性戦略のポイント」というものをひっそりと(国民にほとんど知られていないのだから、私にこういう風に書かれても仕方ない)発表している。書かれていることは、素晴らしすぎて信じられないほど、まともなこと。いわく。

「農林水産業は、人間の共存に必要な食料や生活物資などを供給する不可欠な活動であるとともに、多くの生き物にとって、貴重な生息・生育環境の提供、特有の生態系の形成・維持など生物多様性に貢献」、「しかし、不適切な農薬・肥料の使用、経済性や効率を優先した農地・水路の整備、埋め立て等による藻場・干潟の減少など一部の農林水産業の活動が生物多様性に負の影響」と。

驚くべきことに、そこに添えられている写真はなんと、諫早水門の閉じられている姿なのだ。

戦後アメリカから移入した農薬を使う指導を農協に続けさせてきた農林水産省が、農薬の弊害を初めて“負の遺産”と認め、干潟などの埋め立てが生物の多様性を損ね、生存に必要な食料の獲得にとっては、かえってマイナスでもあったと認めているのだ。

どうして、こんなことを、わが国は大声で言わないのだろう。また新聞諸紙も、それを今まで報道しなかったのだろう。

この国には、「一からのやりなおし」がどうも必要な気がする。
森と川と海との“つらなり”や“つながり”を問う「森里海連環学」が、今年こそ、そしてこれからこそ、必要な年になったと強く認識している。


2010年1月29日

私の“森仕事”

カゼをひいてノドをいためて、もう2週間近く。奈良県吉野山の「清光林業」、東吉野の「ポロBCSフォレスタリー事業部」、福井市の素材生産業者「ネイチャー6」の山や作業地をうろつきながら、島根県と奈良県の、県、山元、“川下”と称される建築家たちとの会合などを重ねる一ヶ月でした。

121日から24日は、長崎県対馬で、対馬森林組合と、「日本に健全な森をつくり直す委員会」、「“森里海連環学”実践塾」、「町の工務店ネット」が共催するシンポジウムを行い、天然林・人工林の二つの森へのツアーもニコルさんと行ってきました。

雪に吹雪かれたり、雨に濡れたり、風に吹かれたり、寒い目に逢ったりするので、カゼは治らないです。しかし、今は、ノドにタンがからんでいるので、もうすぐ治るかもしれません。

とはいえ、本日28日も、これから和歌山市へゆき、紀州林業会の総会で講演。29日は、関西空港から飛行機に乗って、東京へゆき、マンガ家の魚戸おさむ氏と、私が朝日新聞社から春に出版する「有機な人々」のための対談。

この夜は、ひさしぶりに、林野庁長官らとの会合(という名の飲み会)をセットしています。(もちろんワリカンです)

私は、こういった仕事を、“森仕事”と称しています。魚戸氏との29日の対談の方は、“畑仕事”でしょうか。

先日、私のブログへの書き込みで、ある方々が「美林づくりもよいが、川下を考えているのか」とおこごとでした。くやしーい!

対馬では、「“森里海連環学”実践塾」と「町の工務店ネット」が協働しました。この「実践塾」というのは、「OMソーラー協会」を立ち上げ、今は「町の工務店ネット」を主宰される小池一三氏が、私を塾長に、自分を塾頭にしてつくった、「工務店が賢くなって、施主さんと一緒に、流域材を使ってゆくことを進めてゆく」ための勉強会。

こんなことも、あんなこともやっているのに、私にブログを書く時間がないために、皆さんに十分な情報をお知らせできていないことに悩みを持っています。

対馬でのシンポは、小池一三氏の「町の工務店ネット」新聞“びお”に報告されています。

住まいネット新聞「びお」  http://www.bionet.jp/

書くことが好きな方は、筆まめな小池氏の“びお”も配信を受けられ、交流されるとよいと思います。

私は、今はペンよりも行動と、歩いたり走ったりしています。私の推薦で国家戦略室の一員となられた梶山恵司さんが林野庁とつくられた「森林・林業再生プラン」と「第二次補正予算」が、林野庁のHPには載っているので、これもご覧ください。

忙しくて、痩せるヒマがないのが私の一番の悩みです(笑)。


2010年2月5日

長良川河口堰も撤去!

心待ちにしていた“荒瀬ダム撤去”が、ようやく各紙に載った2月3日。私に愛知県岡崎市のKさんからメールが入りました。10月18日に桑名で私たちが開催した、長良川河口堰撤去を求めるための「長良川救済DAY」以降の私のHP「あまご便り」や、高野孟さんとのブログ集「The Journal」に、長良川河口堰についての私のコメントが載らないのはなぜか、という質問です。

「ダム撤去」は、私が政治のあやまりから運用されてしまった長良川河口堰のゲートを上げ、長良川を救済するために、アメリカのダムをつくってきた、「TVA」「開墾局」「陸軍工兵隊」に1995年に教えを受けて、日本に持ち帰ったキーワードです。

私には、「“ダム撤去”への道」(東京書籍)という、法政大学の五十嵐敬喜教授との共著があります。(読んでみてください)

2000年11月に、当時の民主党代表であった鳩山由紀夫氏と、同党ネクストキャビネット社会資本整備担当大臣である前原誠司氏は、私や五十嵐さんら「公共事業を国民の手に取り戻す委員会」(鳩山代表が9月につくった特別諮問機関)がつくった「緑のダム構想」を持って、熊本県球磨川に計画されている「川辺川ダム」の建設現地五木村入りをされました。

その後、当時の熊本県知事である潮谷義子さんが考えられたのが、自分を応援する自民党の手前は川辺川ダムに知事として「反対」といえないが、そのかわりに、同流域の荒瀬ダムを「撤去」しようというアイデアでした。

しかし、今、知事をされている蒲島さんは、知事就任後には「荒瀬ダムを撤去しない」と発表されていました。

それを、「撤去」に変身させたのは、前原誠司さんだと私は知っています。

それ故に、長良川河口堰撤去は、私が今これ以上の行動をとらなくても、今年は秋に名古屋で「生物多様性条約締結国会議」もあり、必ずや民主党の政治的課題に挙がると信じて、「あえて」動かずにいるということです。

「荒瀬ダム撤去」が進行すれば、2011年には水利権更新を迎える高知・四万十川本流の「家地川堰」も尾崎正直知事自らの「撤去」宣言があるかもしれません。

私が愛している「長良川」は、それらの流れの中で、必ず河口堰のゲートが上げられると確信しています。

今、この文章を、菅直人さんが10月18日の「長良川DAY」に寄せてくださったメッセージを録音したCDの前で書いています。

東京の友人、佐藤弘弥さんがこの録音をしてくれた後、私と菅さんを並ばせて

撮影してくれ、その写真がこのCDの表紙に使ってあるのです。

私は、これまで長良川のために闘って、亡くなっていった開高健師、村瀬惣一さん、恩田俊雄さんの写真が飾ってある仏壇に、このCDを10月19日から添えています。

いつか遠からぬ日に必ず、長良川河口堰のゲートを上げ、日本中の不要となったダムの撤去を、これらの亡き勇者に報告するつもりです。

Kさん、ありがとう。私はこれでも、考えているのです。


2010年2月24日

日本に健全な森をつくり直す委員会・ニュースレター 「山おやじ三号」NO.7 (2010.2.22)

   立松さんが言い遺したこと

立松和平さんが2010年2月8日に62歳で逝ってしまいました。私たち「養老委員会」には一編の彼のメッセージが残されました。2009年12月9日に、「"古事の森づくり"で列島を歩いて」というテーマで、私達が出版しようとしている本の編集者である戸矢晃一さんに立松和平さんへのインタビューを試みていただき、お二人がそれをまとめられた原稿です。まさかこれが、"立松和平"が私たちに残した遺言になるとは思いもしないことでした。立松さんは85歳くらいで往生すると御自分では考えておられたようなのです。

「日本林業は、"再生"するのではなくて、これから始まるのだ」。梶山恵司さんは、最近そうおっしゃいます。

確かに、今、地球を見まわすと、林業国として自動車産業よりも多くの雇用を林業から生み出し得ているドイツなどの西欧諸国は、1970年代に、全土に林業のための作業路網を張り巡らせていたり、「木材サプライチェーン」と呼ばれるような、林業の"川上"から"川下"までの輪(チェーン)が確立しています。日本をそれに比べると、森林率は世界第二位であり、他の技術では先進国であるにもかかわらず、「近代林業」においては30年近く遅れを取っていると見え、「日本林業はこれから始まる」は、戦後に植えた人工林が使い頃に成長した今、一つの見方だと思います。

しかし、立松和平が「古事の森づくり」で光を当てたものは何だったでしょうか。

私たちの"森の国ニッポン"には、千三百年も前からそこに建っている法隆寺が残されて伝承され、伊勢神宮は20年ごとに建て替えられて、「建築の技術が未来へ伝えられている」というすばらしい現実があります。立松さんはこれを知らせ、「誇りを持って日本林業を伝承してゆこう」と、日本人に提案されたように思います。

民間から梶山さんや湯浅さん、林野庁からは山田寿夫さんたちが"林業再生"にチャレンジして、今、新政権が「"林政"を一からやり直す」ことにチャレンジし始めようとしています。この二つのグループがまるで「時代の要請」のように出逢えたところに、日本林業と日本の森の"幸せ"があったと思えます。いえ、この「出逢い」は、偶然なのではなく、日本列島におわす神仏たちが私たちと未来のためにつくってくれたものにちがいないのです。

9月18日に菅直人さんに私たちの提言書を渡したことを立松和平さんにFAXで報告すると、すぐに一通の返信が私に返ってきて、そこにはこう書いてありました。

「日本に健全な森をつくり直す委員会」の一員であることに、誇りを持っています。
私をこの委員会に誘ってくれて、ありがとう。

こういった急速な改革時は、ともすれば小さな視点を見失いがちです。山元でいま生きている人達が、高齢であり、弱小であり、古い技術しか持っておらず、情報も届きにくいことに、国民全体が最大の気配りをしてゆくことを忘れないでほしい。

立松和平は、そう思いながら先に旅立ってしまったのではないかと私は考えています。梶山さんと、新政権と、林野庁には、くれぐれもそれを「心して」いただきたく存じます。

立松和平さんが残した「古事の森づくり」の精神を引き継いでゆくことを、皆様と共に立松さんの墓前に誓いたいと思います。


2010年2月27日

mont-bell広報誌「OUTWARD」連載 45号

森里海連環学のススメ Vol.1 「サケが、森をつくっていた」

 森の中に、何かが腐ったような異臭がただよっている。歩みを進めると、それが私の探していたものだとわかった。サケだ。ここはカナダのブリティッシュ・コロンビア州、クラッセ川。2002年、9月26日のことである。
 このサケは、クマが川で獲り、森へ運んだ。他のクマと争わないで食べるためだ。
 カナダでは、さまざまなサケの産卵シーズンの40日間に、クマが一年間の食糧の四分の三をサケで得(と)る。40日間でおよそ700匹のサケを、一頭のクマが食べるという。だから一本の川をテリトリーとしているたくさんのクマは、この時いっせいに川に出撃する。しかし隣のクマと争っていたのでは一日18匹のサケは獲れないし、食べられない。冬眠前の貴重な食糧獲得行動である。

 ビクトリア大学のトム・ライムヘン教授は、「サケとクマと森の関係」を調べていて、ある時に、クマが森へサケを運んでから食べることに気がついた。そこで彼は、こんなことを調べ始めた。サケ止めになっている滝がある川の、@滝までの両岸の森で、川岸から50メートル以内の木の年輪、A50メートル以遠の木の年輪、B滝の上流の森の木の年輪。すると、同じ樹齢同士でも@の年輪の幅だけがどれもAやBに比べて太く、そこには同位体元素「N15(窒素15)」が多量に存在していることがわかったのだ。「N15」は、海には多いが川や森には本来少ない窒素だ。それが@地域の木々の年輪に大量に含まれているのは何故か?

 読者はもうおわかりだろう。そう、サケの栄養分がこれらの年輪には含まれているのだ。クマが、川から森に運んだサケ。最初はクマが食べるが、おいしいところ(栄養価の多いところ)だけを食べて森へホッチャレする。すると下位の生物が次々とおすそわけにあずかる。オオカミ、キツネ、トリ...そして最後はウジ虫たちまで。

 私は、サケのまわりにたくさんの米つぶが散らばっているのを目にした。しかし米つぶが動くので目をこらしてみると、それはウジ虫たちだった。彼らが、木の年輪にサケの栄養を運んでいる張本人だろう。

 こんな調査に私を同行してくれたトム・ライムヘン教授は、C・Wニコルさんのカナダでの友人。ニコルさんが私に、「1995年に河口堰のゲートを降ろされてしまった長良川を救いたければ、カナダの森へ行って、トムに会っておいで」とすすめてくれたのだ。ニコルさんは、1989年12月に死んでしまったわが師・開高健から、「長良川と天野礼子を頼む」と遺言されて以来、私と兄妹のようにつきあってくれている男(ひと)だ。

 「サケが、森をつくっていた」ことが、この調査に同行してわかった。調査から帰ると、少数民族が昔から伝えてきた詩(うた)を教えられた。なんとそこには、「サーモンが森をつくっている」と謳われていた。

ライムヘン教授が同位体元素を使って近代科学でようやく明らかにできたことを、昔からサケやクマや森とつきあってきている人々はとっくに知っていたということなのだ。
州は、同国で一番たくさんの木材を世界へ輸出している木材基地だ。このことからも、サケと森の関係は深かったことがわかるではないか...。

 B・C州では、こんなことがわかったので、野党が1997年の選挙時に「森とサケとクマを大切にする」ことをマニフェストにして、政権交代が実現した。そして与党となった勢力は、「切り株税」をつくり、その税金を川の再生に充てるようにした。そうして行われたのが、森の木を川へ倒れ込ませたり、大岩をヘリコプターで運んで川中に置くこと。「N15」を自分の身体で海から森へ運ぶサケが森へ帰ってきやすいように、川に淵や瀬をつくり、サケが産卵床をつくりやすいようにする、"自然再生公共事業"だ。

 1988年には、北海道漁連の"海の母(か)さん"たちが森への植樹活動を始め、翌89年には気仙沼のカキ養殖業者らが「森は海の恋人」をキーワードに森への植樹活動を始めていたのは日本。

 私がカナダの森で2002年に知ったことは、「海も森の恋人」であり、「川はその仲人」だったということであった。
 この2年後の2004年に私は、京都大学の「森里海連環学」の誕生を知ることになる。そして森への「行動」も始めてゆくのである。(次号へつづく)


mont-bell広報誌「OUTWARD」連載 46号

森里海連環学のススメ Vol.2 「川から森へ」

 「サケが、森をつくっていた」ことをカナダの森で体験した二年後の2004年に私は、京都大学が一年前に"森里海連環学"という学問を提唱していたことを知った。
 ヒラメの研究者・田中克教授と、人工林の研究者の竹内典之教授が「20世紀の百年に研究者は、人間の手によって猛スピードで"森と川のつらなりやつながり"が破壊されてゆくことに手をこまねいていた。森の研究者は森だけ、海の研究者は海だけに閉じこもり、森と川と海に起こっている大変なことの解決法を考えようとしなかった。21世紀も同じことをしたら地球は持たない」と考え、森と川と海のつらなりやつながりを、里にいる人間が取り戻してゆく学問として発案したのだ。

 2004年11月にその学問を田中教授から聞かされると私は、高知新聞社に掛けあい翌春から「自然に学ぶ"森里海連環学"」というカルチャー教室を高知で持つことにした。それは今も続いていて4年目になっている。
 同じ名称のカルチャー教室を今年は、島根県益田市で山陰中央新報社とも開始した。「水質日本一」を二年連続して取った総延長81キロメートル、本流にダムのない高津川をもっと美しくしたいという人達と数年前から"森仕事"を始めているからだ。

 "森仕事"。森を元気にするさまざまな仕事を、私はこう呼んでいる。カナダで「サケが、森をつくっている」ことを知り、日本に"森里海連環学"が出現したことを知った時に私は、「もう声高にダム反対と叫ばなくてもよい時代に日本も入った」と思った。

 また私自身は、2000年に鳩山由紀夫さんが民主党代表であられたときに、彼のために諮問委員会「公共事業を国民の手に取り戻す委員会」を立ち上げ、『緑のダム構想』を一緒につくっていた(今、そのときに事務局長を引き受けていた前原誠司さんが新政権下で国土交通大臣となられ「ダム中止」に動いているのは、その時に約束したことを、鳩山総理も前原大臣も実行しているということなのだ)。

 私たちが『緑のダム構想』を発表した直後に、長野には田中康夫知事が誕生し、翌2001年2月に「"脱"ダム宣言」をぶっぱなしている。それで私は、「天野礼子の川での役目はもう終わってもいい」と思った。1988年からの長良川河口堰建設反対に象徴される日本の川をとりもどす運動は、立派に世論になっていたからだ。

 しかし一方で、森のために働いている人は少なかった。戦後大造林された人工林は手入れがされず、悲惨な状態。私は「自分には川を見ていた右目の他に左の目もあり、それは森を見て悲しんでいたのではないか」と次第に思うようになった。

 そして最初にとった行動は、「全国森林組合連合会」へ行って、「月刊広報誌に書かせて」と申し入れることだった。日本中の山里で一番元気のないのが森林組合だったが、その中でもがんばっている人達を次々と登場させ、まだがんばれていない人に「あなたもこの人達のようにがんばれる」と書いた。それを一昨年にまとめた一冊が、「"林業再生"最後の挑戦」(農文協)だ。

 昨年7月には、養老孟司さんを委員長、C・Wニコルさんを副委員長に「日本に健全な森をつくり直す委員会」を結成し、養老さんとは「21世紀を森林(もり)の時代に」(北海道新聞社)も上梓している。

 民主党の菅直人さんには、2年前にドイツ林業を視察してもらった。民主党が先日の選挙のマニフェストで「作業道づくり」を林業政策としたのは、その成果。日本の人工林に一番必要な仕事は、作業道をつくって森の木を安く市場に出してくること。それがマニフェストに書き込まれたのだ。

 今年の9月18日には、「日本に健全な森をつくり直す委員会」が提言書を菅直人副総理に手渡した。提言書のタイトルは「石油に頼らず、森林(もり)に生かされる日本になるために」で、そこにはこんなことを書き込んでいる。「これから50年、石油使用を毎年1パーセントずつ減らそう」「そのためにも現在の森林率くらいはこれからも維持してゆこう」「10年間で、年間5千万立方メートルの木材を生産できる体制をつくり上げ、林業を2兆円規模のわが国の基幹産業に立て直そう」。

 こんなことが私の"森仕事"である。私は、日本国民の一人一人が自分の"森仕事"や"川仕事"を持って行動することが、20世紀に壊してしまった"森と川と海のつながりやつらなり"をとりもどすことではないかと考えている。
 さて、あなたはどんな仕事をしますか?


2010年3月7日

二つの役所の委員会、始動する


林野庁では、"森林・林業再生プラン"が2009年12月につくられ、それに沿った五つの分野の委員会が発足しました。「森林・林業基本政策検討委員会」、「路網・作業システム検討委員会」、「森林組合改革・林業事業体育成検討委員会」、「人材育成検討委員会」、「国産材の加工・流通・利用検討委員会」です。

私は、一番最初2月1日に発足した、「路網・作業システム」の委員になりました。

路網の委員会が最初につくられ、すでに2回の会合を開いているのは、その仕事が、新政権の"林業再生"の中で最も急がれているからです。

日本では、1980年代に、「大規模林道」に対する猛烈な反対運動がありました。「林野庁の持つ天然林の中に大規格な林道をつくっていることが、大きな自然破壊になっている」と、知床半島の原生林では、反対する人々が木に抱きついて工事を止めさせ、それを朝日新聞社の本多勝一さんらが書いて、大きなニュースになりました。

大規模林道が造られたのは、林野庁が独立採算制を取っていた国有林経営の赤字を埋めるために、との理由でした。

しかし、「国有林」にできていた赤字は、後には3兆8千億円にもふくらんでしまったように、天然林内に残された貴重な木々を次々と伐っても、なくなるようなものではありませんでした。

本多勝一さんらは、「大規模林道を造る"公共事業"そのものが目的となってしまっている事業であり、問題である」と指摘されました。
当時、私も、そう思い、反対していました。

ところが、この問題は、思わぬところに、別の問題を生んでしまっていたことが、今ではわかります。
それは、私が森に向かい始めた2000年ぐらいに気がついたことです。

ある日、講演会で「人工林の間伐を進めよう」と話すと、お母さんに連れられてきていた小さな男の子が側に来て、「おばちゃん、木は切っちゃいけないんだよ」と言ったのです。

戦後に植えた人工林の間伐が進まなかったのは、林業界に間伐をする予算がなかったからであったと今ではわかりますが、実は"国民世論"もそれを後押ししなかったのは、「国有林」で行われていた「大規模林道」づくりへの批判が、国民に「木は伐っちゃいけない」と思わせていたからだったと思うのです。

そんな時代が数十年もあって、今の日本は、戦後の大造林期に植えた木が45年生くらいになり"使い頃"に育っているのに、それらの木を伐り出して使ってゆく「作業道」とその道を使いこなす「作業システム」がつくれていないという状況なのです。

そのために、「林業」を「日本の成長戦略」の一つと位置づけた新政権は、まず「路網・作業システム検討会」から、次々と五つの委員会を発足されているという事情なのです。


  国交省住宅局にも

もう一つ、私の属することになる新しい委員会は、国土交通省住宅局が3月15日に発足されるもので、「"木の家づくり"から林業再生を考える委員会」という名称です。

小さな予算しか持てない林野庁の「林業再生」を、住宅づくりの側からサポートしてゆくためにつくられ、養老孟司さんが委員長に就任されます。

林業の世界では、山元を"川上"、消費者に近いところを"川下"と呼んでいますが、この委員会は、"川下"を広げてゆく戦略を考えるものです。

林野庁に五つ、国交省に一つ。これらの委員会が「森林・林業再生プラン」を支え、日本林業を再生させてゆく仕事をします。

「今度は、官僚とは闘わないで、一緒に仕事をする」と決めた私。

85歳まで生きるつもりであった立松和平兄は、62歳で逝ってしまいました。

私自身の左脳には「脳動静脈奇形」という血管のこぶし大のからまりを、言語中枢と思考中枢の中間に持っています。この奇形はいつ血管が破裂するかわからないので、子供を生むことも医者からは禁じられてきました。

そのため、「いつ死んでも悔いのない生き方をしよう」と思って生きてきています。
"林業再生"へ、あと数年は、力を尽くしたいと思っています。日本の森が、間伐が進んで生き生きとし、林業が本格的な産業に育ったら、大好きな川に立ちこんで、アマゴやアユの相手だけをする毎日を過ごしたい。

そんな夢を持っているのです。



2010年3月13日

山陰中央新報連載 自然に学ぶ"森里海連環学" No.10

森林・林業再生

「森里海連環学」を2003年に京都大学で誕生させたのは、人工林研究者と、ヒラメの研究者。

その人工林研究者が、今は名誉教授となられた竹内典之(たけうち・みちゆき)先生。昨年より私や養老孟司先生と一緒に、「清流高津川が育む家づくり協議会」の委員として、高津川に通っておられる。

竹内先生と私は、高津川流域の県や市町で働く若手を募って、「フォレスター養成講座」を組織している。

ドイツなど林業先進国では、国にも、州にも、地方自治体にも、"フォレスター"と呼ばれる公務員がいて、地域の森林所有者の相談に乗っている。国の森林計画がまずあり、州(日本では都道府県)にも国と調整済みの計画があり、だから市町村はこうしようという計画がきちんとあって、それに基づいて、「あなたの森は、今回はこのように間伐をしましょう」と指導してくれるのだ。

日本でも、林野庁があり、森林組合があり、県などにも林業担当があって、様式としては、「フォレスター」はいないことはない。

しかしドイツでは、幼稚園で「将来どんな職業に就きたいか」と問うと、男女問わずほとんど全員が「フォレスター」と答えるのだという。子供にも尊敬され、知られているということだ。私は、これを聞いただけで、「日本には"フォレスター"はいない」と思ったものだ。

政権交代があって日本の林業は、林野庁と「国家戦略室(間もなく局になる)」が考えることになり、12月末に「森林・林業再生プラン」が発表された(林野庁のHPに掲載)。

長年わが国で林業が火の消えた状態にあったのは、戦後大造林したスギ、ヒノキが成長過程にあったことと、その木が育っている間は収入がなく、木材価値の低迷もあって、間伐など森の世話をする費用が出せないという事情であったからだった。

木材自給率20%、1800万立方bしか生産できていないわが国を、10年で自給率50%、5千万立法bが生産できる林業国にするという「再生プラン」。「日本版フォレスター」も養成するとされている。

高津川でも、こんなプランが発表される前から「フォレスター講座」ができている。流域の子供たちから尊敬される「森の番人」に育ってほしい。「我こそは!」と参加したい人は、いませんか?


2010年3月17日

mont-bell広報誌「OUTWARD」連載 47号

森里海連環学のススメ Vol.3 「そして、大地も」


 "森仕事"の次に私が取り組んだのは、"畑仕事"でした。

 釣りや執筆のための家を高知県仁淀川の源流・池川町(今は合併して仁淀川町になっている)に2002年から借りた私は、その町から車で東へ1時間の本山町に住む、就農8年目の山下一穂さんと親しくなりました。  

山下さんは「超かんたん・無農薬有機農法」という本を書いている有機農業者。二人の共通の趣味のアマゴ釣りが、結んでくれました。山下さんはフライマン。私は季節によって、エサ釣りやテンカラ釣りやフライフィッシングを使いわけます。私の方は、アマゴがその時期にいる水の層にふさわしい釣り方で狙うというわけです。  

山下さんと釣りに行き、野菜をいただいているうちに、山下さん以外の有機農業者がつくる無農薬野菜でそれまで抱いていた私のイメージは変わりました。「安全かも知れないけど、おいしくない」と思っていた無農薬有機野菜が、「おいしい」とわかったのです。  

これで私の「森・里・海」が、ほぼ完成することになってゆきます。私は山下さんと「高知439国道有機協議会」をつくり、自分がその事務局長をひきうけて、農林水産省の「有機農業モデルタウン」全国45地区の一つとしての活動を始めるに至るのです。

山下さんの無農薬有機野菜は、ほとんど虫喰いがなく、甘くておいしい。虫喰いがない秘密は、雑草を全部取ってしまわずに適度に残し、そこに害虫を食べてくれる"天敵"を呼びこむこと。春に、たわわに実った山下さんのキャベツ畑で私は、モンシロチョウの乱舞を毎年見ています。キャベツの虫喰いをつくるのは、モンシロチョウの子どもの青虫。その青虫がキャベツの葉っぱに噛み跡を残せていないのは、青虫が大量に生まれるキャベツの成長期にはアオガエルが畑の雑草の中にいて青虫を食べるからというのが、私がこの数年山下さんの畑を観察して得た推論です。  

キャベツが成長してしまってから生まれる青虫は、固くなってしまったキャベツを食べることができず、何かちがうエサ(たとえば、畑に残っている雑草?)を食べて成長し、モンシロチョウになって、自分が生まれたキャベツ畑を乱舞して、次代の子どもを残してゆくのではないでしょうか。  

甘さの秘密の方はどうやら、「超かんたん」と山下さんが称している、山下さん工夫の農法にあるのかもしれません。  

無農薬有機農法の農業者の多くは、落葉樹の葉やさまざまな有機物で堆肥をつくります。それには少なくとも一年くらいはかかるのが普通。また中には堆肥も全くなしの"自然農"と称する放ったらかしにちかい人もいます。  

山下さんの「超かんたん」とは、時間をかけて堆肥をつくらず、ソルゴーと呼ばれる緑肥を植え、それが背丈ほどにのびたらきざみ、畑にすきこんで、3ヶ月以上熟成させるというもの。しかし「超かんたん」と著書には口笛をふいている山下さんのマンガがありますが、これはウソ。  

山下一穂は、高知の"いごっそう"中のいごっそう。負けず嫌いで、人に見えないところで様々な努力や工夫をしていることを口に出さないだけなのです。(注 山下さんのホラを真に受けて「超かんたん」だと思ってまねしても、おいしくはできないかもしれないですよ。日々の努力を"楽しんでやる"人においしい野菜はできるのです)  

農林水産省は平成19年に、「生物多様性戦略」をHPに発表しました。  

そこには、これまで使われてきた農薬が、生物の多様性には"負の遺産"となっていることや、水路のコンクリート化、干潟の埋め立てなどの公共事業も同様に"負の遺産"をつくってきていたと書かれていました。私はこれを見て、腰を抜かすほど驚きました。なんとそこには、あの"ギロチン"と亡き筑紫哲也氏が呼んだ諫早水門が閉じられている写真が載せられていたからです。  

この翌年に農水省は初めて、有機農業に国家の予算を4億6千万円つけました。「有機農業」という言葉が使われ始めて、35年目の快挙でした。  

私と山下さんの「高知439国道有機協議会」は、この予算をゲットした45グループの1つなのです。


2010年3月26日

渓ひらく―“参勤交代”考


 
今年初めてのアマゴ釣りに3月21日(日)、高知県仁淀川の源流へ行ってきました。

アマゴは、日本列島の太平洋側、神奈川県酒匂(さかわ)川から西の、川の上流部を生息域とする渓流魚で、酒匂川から東や日本海側という列島の4分の3の水域の上流には、ヤマメが棲んでいます。かつて、京都大学で生態学を提唱された今西錦司さんらが、そんな「棲み分け」を調べられました。

私は、19歳、同志社大学の一回生の時にアマゴ釣りを始め、今西先生が会長をしておられた釣りクラブ「ノータリンクラブ」にも属して、チヌ、グレ、アユ、モロコなど四季の釣りを、34歳までは年間に百日ぐらい、34歳からは長良川河口堰反対運動を始めたので年間60日くらいの、川でのアマゴ・アユだけに限定して、56歳の現在も、3月から10月中旬までのほぼ毎週土・日と連休は、どこかの川で竿を出すという趣味を続けています。

3月20日(土)と21日(日)は、大陸からの黄砂が高知に吹き荒れていました。ようやく風が少しやんで竿が出せたのは21日の3時すぎ、1時間ほどで3尾のアマゴの顔を見ることができ、ようやく今年の「渓ひらく」という状況がつくれました。昨年の10月以来、5ヶ月ぶりの釣行です。

仁淀川の源流に、仁淀川町という人口7千人足らずの集落があり、そこに林野庁の旧官舎、木造平屋すきま風びゅうびゅうの一戸建てを借りて"水鳥庵"と名づけ、通っています。

この日釣った、夫と合わせて5尾のアマゴは、近くの居酒屋「大関」に持ち込んで、林野庁の職員だったテンカラ釣りの名手と食べました。私の釣った大型一匹は刺身、あとは塩焼き。この源流部は水がきれいなので、とてもおいしく、臭みが少しもないのが自慢です。


  "参勤交代"考

新大阪駅に近い自宅から、いつもなら5時間で行けるところが、行きは9時間、帰りは7時間。高速道路での事故渋滞が原因でした。減額化で、初心者も高速道路を走るようになったからでしょうか、軽自動車で追い越し車線をスロースピードで走り続けるなどの、高速道路マナーをよく理解できていない運転手もいるなと見えます。

私はこのような釣り場を、高知のほかにも島根県高津川など何カ所か持っていて、水況によって釣り場を選び、通っています。

養老孟司先生は、このような遊び方を、「現代の"参勤交代"」と呼ばれています。

3月15日には、国土交通省住宅局がつくった養老先生を委員長とする「"木の家づくり"から林業再生を考える委員会」の初会合があり、そこで養老先生はいつもの「参勤交代論」をお話しになりました。

都市に棲む生活者が時々は田舎へ行くことで、@鬱を解消するA災害時の棲家をつくっておくB食料もそこでつくる訓練をするC田舎に「第2の親類」をつくっておくD地域材で木の家をつくることで「林業再生」の一端を担うことができる、などの効用があると思えます。

もちろん、釣りをしている最中には、こんなことはひとかけらも考えていません。「あの石からアマゴがでるかな」との一念。私のモットーは「少なく釣って、多く楽しむ」。
夫からは「負け惜しみやろ」とからかわれていますが・・・。(笑)

でも、私が文学の師、亡き開高健さんからつけられたニックネームは、「あまご」。開高さんの「オーパ」でも私は、「天野あまご嬢」と紹介されています。いつもアマゴの話ばっかりしているのと、天野礼子の上と下を合わせると「天子(あまご)」というわけです。

長良川河口堰反対を一緒に始めてほしいと開高さんにいった時も、「やっぱり"あまご"やのう」とからかわれました。アマゴの降海魚サツキマスが現代においてもまだ絶滅せず残っていたのが、長良川だったからです。


2010年4月18日

山陰中央新報連載 自然に学ぶ"森里海連環学" No.11

アユ溯る―川の民英断実ったか


今年は既に2月23日に、高津川への天然アユ溯上(そじょう)が確認されている。

河口から数キロ上流の安富橋の毎年天然溯上を確認する地点で、5〜6グラム、体長は8〜10センチに見えるアユが、100匹ほど見え、漁協職員がカメラに収めたのだという。

高津川漁協でアユセンター長の田中誠二さんは「今年は例年より1カ月も早い遡上です。体長も、例年よりだいぶ大きい。雪が少なかったことも影響しているかもしれませんが、これが、反対はあってもここ2年間、10月11日から11月30日を『全川全面禁漁』にして、アユの産卵場も整備した効果が出て、最近は全く姿を消していた、『早期産卵アユ』が再現したものかどうか。アユを川から採取して耳石を検査し確かめてみたいのですが、あれから水が高くてアユをとれないのです」と、おっしゃる。

近年、「冷水病」という水温の急低下時に魚が大量死するウィルス性の病気がアユに出て、全国の川の漁協や釣り師を悩ましている。

東海大学海洋学部を卒業している田中さんは「昔の高津川の天然アユが持っていた"天然力"を取り戻させれば、風邪と一緒だから、冷水病のウィルスが体中に入っても、発病しなくなるのでは」と、考えた。

秋のアユの産卵期に、まず産卵場を人の手で整備し、アユが卵を産みやすくする。10月11日から11月30日の51日間は、落ちアユ漁もツガニ漁もやめて、アユたちが自由に産卵活動をし、卵が無事に育つまで見守る。

アユは1年魚。河口に住む人間たちは、春は溯(のぼ)ってゆく天然アユを見ているだけ。その代わり、下ってきた産卵後の落ちアユをいただき正月の雑煮のだしにするのは、日本全国の川の"冬の風物詩"とされてきた。

それを、「獲(と)るな」といい、同時期に産卵期を迎えているツガニの漁もアユのために禁止するのは、ずいぶん酷な話なのだ。

しかし、高津川の男たちは2年前、それを英断した。私はこの連載で既に一度、この男たちの英断を「川の民の英知」と書いた。

その「英断」が効いたのか、ただ、早い雪融けのせいなのか・・・。

今年、雪の量が少なかった高津川は夏、必ず大渇水する。そして水温の上昇も温暖化で高まるかもしれない。そのとき、たった2年の効果が挙がっていて、アユが冷水病の影響を少ししか受けず、夏を乗り切るか。

川の側に暮らす男なら、いや女でも、気にならないわけはない。高津川よ、天然アユよ、強く生きよ。"天然力"を取り戻すのだ。



2010年4月29日

昔の私で出ています


5月8日(土)の早朝、5:15〜35に、NHKが放送するアーカイブ(昔の放送の再放送)「森へ行こうよ」は、私が京都府美山町にある京都大学芦生演習林を歩く番組です。

今年になってNHKが私の昔の番組を放映するのは2度目で、最初の1本は「ミナト大阪ぬくもり訪ねて」という大阪湾周辺をレポートする番組でした。

当時よりも15kg以上はふとっている私から、この番組に出演している頃の「20年以上前のかわいいわたし」を想像しにくいようですが。

早起きの知人たちがNHKを見ていて私に気がつくのは、たいてい声を聞いて。

「天野礼子のダミ声に似ているな」と思いつつ、画像のかわいい女性を見ていると、字幕に「レポーター 天野礼子さん」と出て、驚くというのです。

失礼だよねぇー。プンプンプン!


2010年5月5日

ドイツへ行ってきます

新政権がつくった「森林・林業再生プラン」は、全国で8千万立方メートル使われている木材のうち、1千8百万立方メートルしか自国で生産できていないわが国が、10年後までには5千万立方メートルを生産できるようにしよう。戦後に植えてきた人工林が使い頃に育っているので、使えるように、小さな所有形態を取りまとめて、作業道を整備しやすくしたりしよう、というもの。

そのプランの中に、全国5ヵ所にドイツのフォレスターを招き、大型林業機械などで効率よく仕事ができるモデルをつくろうというものもあります。

日本はかつて明治維新時に、国会や憲法はイギリスから、治水はオランダから、林業はドイツから学んでいました。そのドイツに再び学ぶのは、ドイツが百年前には「経済効率一辺倒」の森づくりをしていたことを反省して、近年は「近自然林業」ともいうべき、自然と共生する林業をやってきているからだと、私は思っています。

ドイツでは、人工林をつくる時にも今は、天然の萌芽があればそれを尊重して、針葉樹(人工)と広葉樹(天然)の"複層(相)林"をつくっています。

いま私は、林野庁の「作業道」の委員会に属しているので、今回のドイツ見学では、作業道と、林道と、それを使う高性能林業機械やその仕事ぶりを見せてもらいます。1800メートルの高地のスイスにも足を延ばします。

同行するのは5名。京都大学からは名誉教授で人工林研究の竹内典之さん。2003年に、ヒラメの研究者と「森里海連環学」を提唱した人物。その弟子の長谷川尚史さんは准教授で、「作業道を使う仕事のシステム」の専門家。奈良県清光林業17代目の岡橋清元さんは、作業道を作り続けて30年。林野庁関係者では、2003年から「新流通・加工システム」と「新生産システム」を予算化してこられ、昨年からは「日本林道協会」の専務理事となられている山田寿夫さん。異色は、「ポロBCS」の高井洋一さん。この方は、私や竹内先生や岡橋さんが養老先生を囲んで2008年から活動している「日本に健全な森をつくり直す委員会」の新しいメンバーとして入られた方で、奈良県東吉野にある先祖代々の森を自分でも間伐してゆこうと考え始められた、アパレル関係会社の若き社長です。

山田さんは「林道は、これからもたくさん日本に必要です」と、おっしゃいます。私や竹内先生は、「まず、これまでつくられてきた林道に作業道をつないで増やしてゆくことが先決です」と、言っています。

いずれにしても、10年後までに今の約3倍近い材を山から出してくるには、様々に相当な努力をしなければなりません。

百年前のように、ドイツに学びますが、私のドイツ林業見学は、これで二度目です。

帰ってきたら、また報告しますね。


2010年5月21日

ヨーロッパ林業視察  パートT

5月7日から15日に、ドイツからスイスへと足をのばし、林業を見学してきました。これまでにも書いたように新政府下では林野庁が「森林・林業再生プラン」をつくり、そのメニューの中に、日本で5カ所、1カ所2億円をかけて、ドイツとオーストリアのフォレスター(森林官)を招いて指導を受けるというメニューが含まれています。

3月15日からおよそ1カ月間の日本訪問を終えたフォレスターたちを、ドイツに訪ねるのが、今回の旅の目的でした。

ドイツでも、そしてスイスでも、国や州に「フォレスター」と呼ばれる役人がいて、この人達が、国や州の森をどのように運営・維持してゆくかの「目標林型」をまずつくり、それに従って、地域の行政や、民有林所有者や、民間素材生産業者と協議しながら、その人達を指導しています。

日本にないのは、この体制だと思いました。

1、国、州が統一した目標林型を持っている。
2、フォレスターは、日本の役人のように2・3年では移動せず、十数年以上も同じ地域にいて、その地域の森の事情をすべて把握し、地方行政、民間所有者、業者を指導している。
3、その「フォレスター」を育てる仕組みがしっかりできている。

今回は、とりあえずの報告を、本日まず書きました。あと数回は報告を続けますので、ご意見がある方は、お寄せください


2010年6月6日

山陰中央新報連載 自然に学ぶ"森里海連環学"のすすめ  No.12

二つの委員会―森から日本再生願う


今、政府の二つの委員会に属している。一つは林野庁の「森林・林業再生プラン」を実践するための「作業道」の委員会。その委員会に属する奈良県清光林業第17代当主の岡橋清元さんや京都大学名誉教授の竹内典之先生ら5人とわたしは、5月7日から15日に、ドイツ、スイスを歴訪し、作業道やそれを使った「仕事のシステム」を勉強しにゆく。

日本には、これまで林野庁や自治体が造り続けていたがほとんど使われていなかった「林道」は無数にあるが、実際に木を伐(き)り出すときに必要な「作業道」はあまり造られてこなかった。

それを造るためには、小さな所有者たちをまとめなければならなかったからだ。ほとんどの県で、森林組合にその仕事ができていないという現実が横たわっていた。

昨年末に新政府がつくった「森林・林業再生プラン」は、その現実を変え、10年後までに年間5千万立方メートルの材を山から出せる「生産システム」をつくり上げようというもの。作業道造りは、その中で最も重要な課題なのである。

国土交通大臣に任命された、国交省住宅局の中に設置された「"木の家づくり"から林業再生を考える委員会」の方は、林業の"川下"といわれる住宅づくりの推進を考える。

山から材が出てきても、雇用不安や年金不安では、とても家を新築する気にはならない。しかし30年後までには確実に地震が日本列島各地を襲うことも予想されている。

その時までに"耐震型"や"省エネルギー型"に、古い住宅をリフォームしておく必要はある。若者がおじいちゃんと一緒に「50年ローン」でもそれに取り組めるように考えている。

また「"木の家づくり"から林業再生を考える委員会」の委員長に就任された養老孟司先生は、「現代の"参勤交代論"」を唱えられ、都市住居者が年に1カ月くらいは田舎を訪れ、自分の食物をつくる練習をしたり、災害時の避難小屋を木造でつくっておいたりすることも提案されている。

その養老先生を囲む、わたしが事務局長を務めている「日本に健全な森をつくり直す委員会」は、それらのことを書いた一冊を、このたび「石油に頼らない―森から始める日本再生」(北海道新聞社刊)として、出版した。



2010年6月14日

mont-bell広報誌「OUTWARD」連載 48号

森里海連環学のススメ Vol.4(最終回)

「日本林業を"再生"するために」

4月20日に銀座で、『石油に頼らない 森から始める日本再生』の出版記念パーティーを行いました。

この一冊は、私が事務局を務める「日本に健全な森をつくり直す委員会」の2008年7月発足当初からの行動と、その委員会が2009年9月18日に新政権に出した提言書『石油に頼らず、森林(もり)に生かされる日本になるために』を収めたものです。

先々号にも書きましたが、私たち「日本に健全な森をつくり直す委員会」は養老孟司先生を委員長に、C・W・ニコルさんを副委員長に、そして2月8日に逝ってしまわれた立松和平さんや、京都府日吉町森林組合参事の湯浅勲さんら12名で立ち上げて、今は16名の陣容。

「日本に健全な森をつくり直す」とは、世界第二位、国土の67.4パーセントに森林を持つ我が国が、今は「健全な森」を持ち得ていないと考えるからです。

国土のほぼ7割に森があっても、日本列島には「少しは誇れる自然林と自然度の高い二次林」は、23.4パーセントしかありません。
一方、25%を占める人工林は、木一本が大根一本と同じ価格でしか売れないという状態が長く続いてきていて、「日本林業の低迷」は日本中から、そして外国からも心配される状況でした。

しかし、その低迷は、「第二次世界大戦後の50年程前から植えてきた人工林がまだ成長期にあり、売り物にならなかったからだ」ということが、近年ようやく富士通総研の梶山恵司研究員から言われるようになっていました。
湯浅さんらの協力で、林野庁や「全国森林組合連合会」が、山から材を安く、コンスタントに出す"仕事のシステム"をきちんとつくり直すことで「林業を再生しよう」という動きがこの数年程はつくられてきていました。

昨年夏に「政権交代」を賭けた選挙が行われた時に、「日本に健全な森をつくり直す委員会」は、どちらの陣営が政権を取ってもわたそうと「提言書」を準備し、政権交代後に菅直人副総理に手渡しました。

菅さんはかつて私が2005年に『「緑の時代」をつくる』(旬報社)を出版し、「木質バイオマスエネルギー(木から生まれるエネルギー)を使うことを政治家として考えていただきたい」と進言した時に、「"植物に生かされる"を自分の政治テーマにしたい」といっておられたので、日吉町森林組合や、奈良県吉野の清光林業の作業道づくりや、ドイツ林業の視察にも行ってもらっていました。

「提言書」をお渡しした昨年9月18日は、そんな菅さんが内閣の中に「国家戦略室」をつくられた日でした。受けとった菅さんは、「"石油に頼らない"ですか、養老先生らしいね」とおっしゃり、「国家戦略室に推薦したい人物はいますか」とおたずねになりました。そこで私は梶山恵司さんの名を挙げ、梶山さんが11月1日に「内閣審議官国家戦略室担当」となられました。
それから12月30日までの2カ月の間で、「森林・林業再生プラン」という政策が、梶山さんと林野庁によってつくられました。

その「プラン」には今、こんな目標が掲げられています。

「10年間で、年間5千万立方メートルの木材生産ができる日本になる」。

現在わが国では、8千万立方メートルの木材が使用されていますが、自国で生産しているのは1千8百万立方メートルにすぎません。それを5千万立方メートルまで生産できる体制を、10年間でつくり上げるというのです。

こんな「森林・林業再生プラン」を実行するためにまずやらなければならないことは2つ。1つは、わが国の人工林の多くを占める小規模な森林の所有者をとりまとめて、仕事がしやすいまとまりのある森にすること。2つめは、そこに作業道をつけること。

これがきちんとできれば、日本の林業は「再生できる」と私は思っています。



2010年6月22日

日本林業について

「ヨーロッパ林業視察」を「パートT」だけで中断してしまいました。意見を寄せていただいた方と、今の「森林・林業再生プラン」の間に、あまりにも差があることに愕然としたからでした。

私には脳内に「脳動静脈奇形」という難病があり、いつも「残された時間を大切にしよう」という想いで生きています。またそのため、「失語症」に陥る可能性が高く、自分がコンピューターに頼っておかないためと、いつ死んでも幾人かの友人たちに私の仕事を受け継いでもらえるように、このブログを清文することや、政治家たちに文章を送ったりする時には、友人たちにコンピューター仕事を依頼しています。

そんな私からすれば、私のこのブログを読んで森を心配する方々が、「森林・林業再生プランとは、どういうものでしょう」とおっしゃるのは腑に落ちないのです。林野庁のHPを見れば、昨年の12月30日から載っているはずだから。

私が4度目のドイツ訪問に5月に出掛けたのは、私が事務局を務める「日本に健全な森をつくり直す委員会」(委員長養老孟司、副委員長C.W.ニコル)が昨年9月18日に菅直人副総理(当時)にお渡しした提言書「石油に頼らず、森林(もり)に生かされる日本になるために」がきっかけとなって12月30日にできた「森林・林業再生プラン」(そのいきさつは「石油に頼らない」(北海道新聞社より4月に出版している)に書いています)が、ドイツなどからフォレスターを呼んで、全国5ケ所で今年からやっている仕事が、少し心配なためでした。

そんなことを連載しようと考えて始めた「ヨーロッパ林業視察」報告だったのですが、ブログを読んでくださっている皆さんに理解してもらうには相当書かなければ無理とわかり、断念したというわけです。

皆さんがもっと情報を仕入れてくださる必要があります。たとえば「森林・林業再生プラン」をつくったのは、梶山恵司という人物で、この人は富士通総合研究所の主任研究員でしたが、9月18日に私が菅直人さんに推薦したことによって、11月2日に内閣審議官になられています。この人の最近のブログ連載は、日経BPオンラインでごらんになれます。

ブログの熱心な読者で「農家」だとおっしゃる本田勉さんは、「森林所有者とりまとめ」や「作業道づくり」は、農家の「集落営農」や「土地区画整備事業」と同じで、「危うくないか?」と心配されます。

そこは違うことを理解する必要があるのです。
日本の「山」から長い間収入が上がらなかったのは、「外材が入ったから」ではありません。「戦後植えた木が育っていなかったから」というのが、大きな理由です。

まだ45年生〜35年生くらいですから、高い値がつく木ではないのです。
しかし、それでもここ数十年、「山」で間伐が進まなかったのは事実です。それは「間伐」をする金が、小さな山の持ち主には出せなかったからです。

「森林組合」が、林野庁や県が出す「林道づくり」や「治山砂防ダムづくり」という"公共事業"に血道を上げず、小さな森林所有をまとめて、その森をしっかり間伐してあげる仕事をこれまでやっていれば、今の日本列島の、「どこもかしこも間伐がされていず」ガリー(雨の度に水が走って削られた山肌)状になってしまっているという状況にはなっていなかったのです。

建設省や運輸省の「ダム」や「空港」と同じように、林野庁は「大規模林道」「治山砂防ダム」という"公共事業"をばらまき、県や政治家はそれに依存して政治をすすめてきたという状況が、どこの山里にもあったというわけです。

そんな仕組みが国民にはもう見えていて、「政権交代」が起こったのではないでしょうか。

しかし「林業」は、そんな政治の仕組みが一番小さいので、「改革」が一番最後になったのだと私は見ています。

そして「川」の「ダム」を問うていた私が、「山」の「林業」を問うことにしたのは、「林業」を支援する「物書き」が少なく、「私も参戦しなければ間に合わない」と思ったからでした。

京都府南丹市日吉町森林組合参事の湯浅勲さんの各著書。梶山さんのブログ。私たち「日本に健全な森をつくり直す委員会」の「石油に頼らない」の一冊。林野庁のHPなどを一度よく読んでみられませんか。

この3、4年、湯浅さんや梶山さんや私、そして菅さんの民主党の森林政策も、"林業再生"のためにみんなで努力していることが理解していただけると思います。

皆さんの知識と今の現状が同じレベルになった時、私の「ヨーロッパ林業視察」は、また始められるかもしれません。

なお、「川下(かわしも)」対策も、私はしっかり進めているつもりです。国土交通省住宅局の中に「"木の家づくり"から林業再生を考える委員会」も、養老孟司氏を座長につくりました。
林野庁の「森林・林業再生プラン」のための五つの委員会も、この住宅局内の委員会も、両役所のHPをご覧になれば全内容がのぞけます。

「怒ったり、文句を言っているだけでは、森も世の中も変えることはできない」私はそう考えて、政府の委員会の中で、一番やかましく、正しいと思うことは絶対に譲らないで務めています。

一度傍聴にこられませんか、本田勉さん。KKIさん。梅光さん。ジェイソン君。太郎さん。



2010年7月4日

作業道

6月28日から30日の間、京都府日吉町森林組合で、合宿研修をしています。
研修を受けているのは、「大橋会」の面々。私や京都大学竹内典之名誉教授がお供でついてきています。

「大橋会」とは、林業作業道をつけて60年近くになる大橋慶三郎さんの教える、法(のり)高1.5m、幅2.5mの作業道をつけて林業経営をしてこられた全国の個人林業家の面々のこと。
この方々が、林野庁が選んだ「オペレーター」(作業道などをつける高性能機械を使える人)指導者48名のうちの8名に選ばれ、これからは、急傾斜地、多雨地域、多破砕帯地といった難度の高いところにつくる作業道の指導を引き受けたのです。

しかしこれらの8名は、これまでは自分の山に「壊れない道づくり」をしてきた方ではありますが、森林組合などの経営は体験されたことはありません。そのため、日吉町森林組合の参事であり、近年は全国の森林組合や(山の)素材生産業者のために、「森林所有者とりまとめ」や「作業の近代化」「組合の改革」などを指導してこられてきた湯浅勲さんから、様々なレクチュアを受けようというのです。

日本は工業技術などの「技術」は世界に誇れる高度なものを持っていますが、「林業は、ヨーロッパなどの林業先進国に比べて50年遅れている」と言われています。
戦後の復興時に使える木を伐ってしまい、その後は「保育の時代」であったということもあります。
近年はようやく、「すべてが外材のせい」といっていた状況から脱皮し、「保育の時代は終わった。いそぎ"近代林業"を確立しよう」といわれるようになってきました。

その時に重要なことが、「森林所有者」をとりまとめることによって、作業ができる「道」をつけ、小型の高性能な機械で効率の高い山仕事ができるようにすることです。

「大橋会」の人々はおよそ30年間、大橋慶三郎師からそんな技術を個人的に習ってきていた数少ない人々でしたが、昨年12月30日に『森林・林業再生プラン』ができたことがきっかけになって、自分たちの山のため以外にも、日本林業のために働こうと動き出したのです。

私自身は、今、林業改革の中心におられる内閣審議官の梶山恵司氏や、日吉町森林組合の湯浅参事、「大橋会」の岡橋清元氏(奈良県清光林業第17代当主)とは、2005年くらいから友人となり、全国の森林組合も取材して歩いてきています。全国森林組合連合会が発行する月刊誌「森林組合」には、それを2年以上も連載していました。

そんな中で知り合った「大橋会」の方々とこのような合宿を今回計画したのは、ようやく「林業再生」に本腰を入れることになったわが国ですが、私の耳にこのブログなども通して聞こえてくる小規模森林所有者の皆さんの声は、どれも悲鳴ばかりだからでした。

「何故、私がおこられなければならないのだろう」と思いながら、このブログに寄せられる皆さんの声を聞いています。
「お前は、森を持っていないから、そんなことがのんきに書けるのだろう」、そんなことを言われて、気持ちのよい人がいると思いますか。

問題は、「わが国の森には時間がない」ことです。一刻も早く、間伐の遅れた森に手を入れ、ここ数十年は収益の上がっていない森から利益を得るにはどうすればよいのかという情報を、全国民に知らせる必要があります。
「全国に700ある森林組合がまともに仕事をしていれば、今の現状はなかったのだ」と、怒ったり分析していても何も変わりません。
自分のまわりの森林組合が仕事をしてくれないなら、「仕事をしろ」「国の方針は新政権になって変わり、森林組合は"治山事業"と称する砂防ダムづくりなどの"公共事業"にうつつを抜かしていては生きていられない時代になったのだ」「俺の森の間伐をして、利益を上げろ」と、口々に皆さん自身が組合に言ってゆくべきなのです。

「大橋会」の8人は、動き出してくれました。60代に突入した方々が、これからは全国に、作業道づくりの指導者を育てに入られます。

「"山"は、ようやく動き出した」のです。
文句を言う相手は、私ではなく、あなたの地元の森林組合ですよ。

ドイツは、産業革命時にすべての森を伐り倒してエネルギーとして使い、森を失いました。今ある1千万ヘクタールの森は、その反省の下に百年という時間をかけて再生した人工林です。
百年かけて、「森を愛する国民」をつくり、1970年代に集中的に税金を投入して、作業道網群をつくり上げました。ベンツなどの自動車産業よりも、林業就業者は多く、林業は黒字産業です。

ドイツだけでなく、ヨーロッパの林業国はいずこも、林業が黒字なのです。

誰かがこんな情報を日本中に伝えなければならないとしたら、森を持っていない貧乏な私は、そんな"森仕事"を自分の仕事としようと決意したのです。私は、森のために自分が働くことを"森仕事"と称しています。あなたの"森仕事"は?



2010年7月13日

有機な人びと

朝日新聞社より、「有機な人びと」という単行本を出しました。
「"複合汚染"を、再び読む」。こんなタイトルを本当はつけたかったと、あとがきに書きました。

「レイチェル・カーソンの"沈黙の春"、有吉佐和子の"複合汚染"。一度は読んでいたそれらの本を再び読んで、勉強をしながら他人に伝えるという、いつもの自分の"走りながら書く"というスタイルを、有機農業でも始めることにしたのだ」と、帯の裏には書いています。

旧・新の有機農業に取り組む人々。巻頭では、養老先生と対談し、「玄米せんせいの弁当箱」をビッグコミックオリジナルに連載するマンガ家魚戸おさむさんにもインタビューしています。

「このような視点の一冊が、私の住む日本にあっても良いのでは、と考えたのです」とも書きました。

手にとっていただけると幸いです。

なお、森についてのご意見をお寄せいただいた方々。多くの人が、日本の森を心配していることがわかります。
百人いれば百論あり。それぞれの人が、愛する森を「もっと美しくあれ」と行動することが、今、この国には必要なのでしょう。

私は私のやり方で、あなたはあなたの・・・。




2010年7月17日


山陰中央新報連載 自然に学ぶ"森里海連環学"のすすめ No.13

      近自然工法を使おう―川を愛するならば


高津川の大支流、吉賀町柿木村から流入する福川川にある坂本頭水工のほとりに立つこのお二人は、東海大学の先輩と後輩。右の人物は、高津川漁協のアユセンター長の田中誠二さん、左は高知市からおいでいただいた「西日本科学技術研究所」の福留脩文所長。二人は、この頭首工の魚道を改修する相談をしている。

福留さんのことを、私やC.W.ニコルは「川のお医者様」と呼んでいる。「近自然工法」という手法で、コンクリート化してしまった自然を元にもどす仕事をされているからだ。

「近自然工法」はスイスに生まれ、それを福留さんが日本に持ち帰り、1991年からは建設省(現・国土交通省)河川局が、「多自然型川づくり」として採用してきた。

高津川は、二度も国土交通省の「水質日本一」を取ったのだが、私から見ると水質がイマイチ。本流にダムを造らせなかった代わりに、各所で電力や農業用水のために水が取られ過ぎているからだ。

また、この坂本頭首工や電力のための堰堤に造られてきたほとんどの魚道が、魚が溯(のぼ)れる機能を有していない。造った当時の技術者たちに自然への知識がなかったからだろう。

東海大学海洋学部に学んだ田中さんは、「アユがどこまでも溯ってくれると、水質は良くなります」とおっしゃる。そうなのだ。アユは石についたコケを食べて生きる。だから夏になると川はピカピカになる。古いコケもアユが食べてくれるからだ。

田中さんら漁協が福留先生に魚道を直してもらうには、地域に住む人達が「川を直したい」という総意を強く示す必要がある。

2003年に成立している「自然再生推進法」は、国、県、地元の負担が等分にあることが求められているからだ。ふるさとの川を再生するために、自分が払った税金を使う。こんな当り前のことのために、首長や行政が動くように働きかけることが、川やアユへの自分の愛情表現だと、真剣に考えてみませんか。

川には、住む人の心が映るといいます。高津川が大好きになって通い始めた私の目には、流域の男たちが少し"引っ込み思案"に見えます。愛するモノを本当に守ろうとする時には、普段は取らなかった行動もとる必要があるのでは。

あなたは、アユを愛していますか?川は?
皆さんの少しずつの行動が、川をよみがえらせますよ。


2010年8月9日

友釣り入門  アユとの知恵比べ

8月1日に、わたしがコーディネーターを務める文化教室「自然に学ぶ"森里海連環学"」(山陰中央新報社主催)では、高津川中流域の島根県津和野町日原で、「初心者友釣り講座」を行った。

高津川が、もっと美しく、もっと元気でいるためには、川の石についているコケを食べてくれるアユがたくさんいて、それが最上流まで溯上(そじょう)してくれる方がいい。夏に川の中がピカピカなのは、アユが石を掃除してくれるからだ。

アユの友釣りは、つりの中でも、人間とアユが"知恵くらべ"をする頭脳ゲーム。それを好む人は、アユの習性をよく研究し、常に川の状態をよく見る癖がついている。いわば"川のご意見番"ともいえる。

そんな釣り人が、若い人の間にも、釣りをしない人の間にも増えることは、近年、秋には51日間の全川全面禁漁に取り組み天然アユの回復に取り組んだり、堰堤(えんてい)の魚道の"近自然工法"による改造や、婦人会とともにEM(有用微生物)による水質浄化に取り組んだりしている高津川漁業協同組合を励ますことになるに違いないと考える。

わたしは、高知県の仁淀川では、友人たちと「リバーキーパーの会」をつくっている。仁淀川漁協を側面からサポートする有志の会で、川を愛し、川を心配する人なら誰でも入会でき、仁淀川漁協と会合を重ねて、漁協の若返りや、天然アユの産卵を手助けする活動である。

「自然に学ぶ"森里海連環学"」は、森と川と海のつながりや連なりを学び、それを取り戻してゆこうとする社会人学習。その中に今年は初めて「初心者友釣り教室」を入れてみた。

8月1日。快晴の猛暑日午後1時。13人の初心者が8人の指導者に教えられて同4時まで仕掛けの作り方、竿(さお)の持ち方、おとりアユのハナカンの通し方から竿でのアユの誘導までを教わった。

今年は、全国でアユが不漁。春先の野菜を高騰させた寒さが、全河川でアユを弱らせたり死亡させたりしたからだ。

それでも、当日釣れた人。釣れなかった人。その全員が「面白かった。またやりたい」と言ってくれた。

川遊びは楽しいよ。あなたも今年、友釣りに入門しませんか。アユはコケを食べるため、養殖よりも天然がおいしい魚の一番でもあるんですよ。


2010年8月19日

養老先生と、たちあげます

9月1日は、1923(大正12)年に関東大震災があった日で、「防災の日」となっています。

この日に、「"木の家"耐震改修推進会議(仮称)」を発会します。

私と養老孟司さんで2008年に発足させた「日本に健全な森をつくり直す委員会」は、09年9月に、新政権に提言書「石油に頼らず、森林(もり)に生かされる日本になるために」を手渡しました。それがきっかけになり林野庁が「森林・林業再生プラン」をつくり、「10年後には今の倍以上の材が山から出てくる日本にしよう」とプランされました。

しかし、「少子高齢化」、「雇用不安」の現状を考えると、山からそれだけの材が出ても、「誰が家を建てるの?」という疑問が生じます。

そこで国土交通省住宅局内に「"木の家づくり"から林業再生を考える委員会」というものがつくられました。

養老先生は、この委員会の委員長も務められ、私はその代行を仰せつかっています。

このたび私たち二名と、同じく国交省の委員会の委員である、「町の工務店ネット」代表の小池一三氏が、以下のように、「"木の家"耐震改修推進委員会」を立ち上げます。

養老先生は、「現代の"参勤交代論"」というのを提唱されています。

まもなく来るであろう大都市直下型地震や、日本人の鬱を大変心配され、「都市に住む人は、田舎と都市を行き来して、田舎に第二の家や、畑、第二の親類をつくっておけ」とおっしゃるのです。

日本は、五百年という長いスパンの地震活動期に突入したと言われ、近30年に関東・東海・南海での大地震が予測されています。

従って、「参勤交代」も必要だが、今住んでいる古い家の改修も急ぎやっておくべきとも思えます。

今回、その想いで9月1日に発足させるのが「"木の家"耐震改修推進会議(仮称)」なのです。

多くの皆さんのご参集を募ります。

以下の要項でお申し込みください。


「"木の家"耐震改修推進会議(仮称)」発会式 開催のご案内

業界横断型で進む「”木の家”耐震改修推進会議(仮称)」の設立準備が進んでいます。
その発会式が、防災の日の9月1日に、東京・有楽町の東京国際フォーラムで開催されいます。

プログラムは、次の通りです。

日時 平成22年9月1日(水)関東大震災の記念日・防災の日
午後3時?4時50分
場所 東京都千代田区丸の内3丁目5番1号
東京国際フォーラムG502号室
参加費 無料・要事前申込み(定員130名)
スケジュール 3:00 発会のことば
 
 
3:10
3:18
総理大臣メッセージ
来賓のあいさつ
  前原誠司国土交通大臣(予定)
  皆川芳嗣林野庁長官(予定)
3:25 基調講演/
養老孟司
(「"木の家"づくりから林業再生を考える委員会」委員長)
3:50 パネルディスカッション(司会進行/天野礼子)
 問題提起/目黒公郎(東京大学教授)(予定)
4:40 「"木の家"耐震改修推進会議(仮称)」による
〈共同アピール〉の発表
4:45 閉会のことば
4:50 閉会
申込み  >申込用紙ダウンロード
「"木の家"耐震改修推進会議(仮称)」準備室
FAX/053-476-1313
※申込用紙に記入の上、上記番号にご送信ください。

呼びかけ文
私たち三名は、国土交通省に設置された「”木の家”づくりから林業再生を考える委員会」に所属し、日本の“木の家” 復興と健全な森林の育成に取り組んでおります。
政府によって発表された「新成長戦略」(平成22年6月18日閣議決定)は、住宅に関して2020年までに非耐震化住宅を5%以内にする目標を打ち出し、林業再生に関しては木材自給率50%の達成を掲げました。「新成長戦略」では、この二つは別々のテーマとされておりますが、本来、この二つのテーマは不可分の関係にあるとみてよいと思われます。
倒壊が危険視される住宅は、今尚、全住宅の20%以上を占めております。
尊い人命と、今住む”木の家”の耐震改修を進めることは緊急・焦眉の課題です。そしてそれを、”林業再生”へと結びつけ、停滞する”木の家”復興の契機に致したいと存じます。それは「経済成長戦略?「元気な日本」復活のシナリオ」の面からも大変有効であり、それによって「町」と「山」両方の雇用の保持・創出に寄与することが出来ましょう。
これを積極的に推進するため、私たち3名は「”木の家”耐震改修推進会議(仮称)」を立ち上げることを発起し、諸団体の方々に結集いただきたく、別紙内容による発会式(会場/有楽町・東京国際フォーラムG502号室)を計画致しました。開催日は、非常に慌ただしい日程となりますが、防災の日である9月1日(水)に設定させていただきました。
広く住宅・林業団体ご参加いただき、共同・連携関係を深め合うことで、「”木の家”耐震改修」を、大河の如き流れに致したいと願うものです。当日は、推進会議の名において〈共同アピール〉を発表致したく準備しております。
尚、当日は、前原誠司国土交通大臣と皆川芳嗣林野庁長官にご臨席賜り、ご挨拶いただくよう進めております。奮ってご参加いただきますよう、まずはご案内申し上げます。

呼びかけ人
養老孟司 (「”木の家”づくりから林業再生を考える委員会」委員長)
天野礼子 (「”木の家”づくりから林業再生を考える委員会」委員長代行)
小池一三 (「”木の家”づくりから林業再生を考える委員会」委員)


2010年9月18日


山陰中央新報連載 自然に学ぶ"森里海連環学"のすすめ No.16

      高津川SEA TO SUMMIT―環境シンポ、ライブも

「サミット」は、世界の首脳が集まるものだが、頂上という意味である。

「高津川SEA TO SUMMIT」は、18日から19日にかけて海から頂を目指して繰り広げられるアウトドア環境イベント。高津川河口からカヌーで出発し10`。バイク(自転車)に乗り換えて35`。途中からはハイク(徒歩)で10`。ブナの森・安蔵寺山1236bの山頂(サミット)を目指す62組134人の強者(つわもの)ども。

アウトドアウエアメーカーのモンベルが呼び掛け、島根県や高津川流域の3市町の行政の若者たちが実行委員会をつくって、組み立ててきたものだ。

19日の62組のレースはもう締め切られているが、18日の「環境シンポジウム」と「南こうせつ環境ライブ」は、入場を募集中。

わたしとC.W.ニコルさんは、環境シンポジウムに、モンベル社辰野勇会長、海のカヌーイストの内田正洋さん、歌手の南こうせつさんと出演する。これは入場無料で、午後2時から益田市のグラントワ大ホール。

南こうせつさんは「ライブ」も同5時から同所でやってくださる。彼の「川よ甦(よみがえ)れ」という歌は、天野礼子作詞、こうせつ作曲、海と森を行き来する川魚たちを主人公に作った一曲だ。日本の川のために、彼が作ってくれたもので、当日もこの曲を中心としたライブとなる。入場料は2500円。ペアだと4千円。こうせつさんのライブでは異例のこの安さは、彼がこの日初めて見る高津川を、わたしの話だけで好きになってくれたからだ。

こうせつファンの県の行政マンが、わたしと一緒に口説き落とした。

こうせつさんは、自分でも妻と家庭菜園を九州でやっておられたから、今回は高津川中流域の吉賀町柿木村の、30年も有機農業に村ぐるみで取り組んでこられた人々に会い、畑を見るのを楽しみにしておられる。

いつも、「自分が自然に何か恩返しができないか」と思っている男(ひと)なのだ。

C.W.ニコル、南こうせつ、辰野勇、内田正洋。アウトドアマン・ウーマンたちには楽しみなメンツがそろう2日間。

沿道で35`を走り抜く選手のバイク(自転車)姿にハンカチを振ってみませんか?"おいちゃん"こうせつさんと、青春時代を唱(うた)うのも良し。

暑い夏に、それを暑く暑く楽しむのも、いいもんですよ。待っています。来たれ、高津川へ!


2010年11月1日


山陰中央新報連載 自然に学ぶ"森里海連環学"のすすめ No.17

      小屋付きの畑―欧州人の“参勤交代”

ロシアへ、9月27日からの3日間、ダーチャを見学に行ってきた。

ダーチャとは、ロシア国民の8割が持っているという小屋付きの畑。都市の集合住宅に住み、庭も畑も持たない人々が、健康のためや、自分の食べる野菜をつくるためのもの。

帝政時代からの歴史があり、「ダーチャ」とは「ダーチ(与える)」すなわちピョードル皇帝が家臣に与えたとの名に由縁するのだが、ゴルバチョフ時代の25年前につくられたものが多い。「ペレストロイカ(改革)」が行われ、ソ連からロシアへ移行した経済危機の時代は、このダーチャがあって、人々は自分の食べるジャガイモをつくることができたので生き延びることができたと言われている。

ロシアは、このダーチャ。ドイツはクラインガルテン。イギリスはアロットメントガーデン。

日本以外の各国では、都会で集合住宅2階以上に住む人々に対しては、政府が国民の健康のために、郊外に、小さな庭を、安く貸してくれる政策が取られている。

養老孟司先生は、「現代人も、参勤交代するべし」と唱えられている。わたしは、「それなら、ダーチャやクラインガルテン政策を、日本政府も執り、国民は自分の気に入った田舎を探して、居住するなり、2地域を行ったり来たりして住もう。木の小屋を造ったら、新政府の『森林・林業再生プラン』の出口戦略にもなる」と発言している。

10月17日、島根県吉賀町柿木村に国土交通省住宅局の「"木の家づくり"から林業再生を考える委員会」が訪れた。

山陰合同銀行の古瀬誠頭取や、県の松木公一農林水産部次長などが柿木体育館に集合して、「現代の"参勤交代"、"2地域居住"を高津川流域から実践してみよう」と議論した。

流域の、益田市長、津和野町長、吉賀町長も勢ぞろいして、日本中で問題となっている、「20世紀に都市に集中させすぎた人口を、21世紀にいかにして田舎へ帰すか」を話し合った。

フランスは、そんな政策を1980年代からとってきたため、総合自給率が今、122l。

少子高齢化に向かい金のなくなってきた日本は、そろそろ真剣に「輸入した物を食べる」生活を、改めた方がいい。


2010年11月18日


山陰中央新報連載 自然に学ぶ"森里海連環学"のすすめ No.18

      ドイツの「小さな庭」―健康増進政策の基本


ロシアに続いて、ドイツへは、10月21日からの5日間、クラインガルテンを見に行ってきた。

クラインガルテンは、「小さな庭」という意味。ドイツでは産業革命で空が汚れ、子どもたちの健康が心配されたときに、シュレーバーという医師が提唱して、都市の中につくられ、そこでは、野菜、果実、花をつくることが決められた(まじめなドイツ人らしいね)。

集合住宅の2階以上に住む国民には(移民でも)誰でも持つ権利があり、月に3千円くらいの負担で100坪(約330平方b)ぐらいの土地が借りられ、人々はそこに小さな小屋を建て、畑や庭をつくっている。都市住民の健康を考えての政策「市民農園」だ。都市の中に緑をつくる政策でもある。ドイツ全土に120万ユニットあり、利用者は300万人を越えている。

ラウベと呼ばれる小さな木の小屋には、泊まることは禁止されている(ドイツ人は何でも規則で決めるのが好きだね)。旨(うま)いビールを飲み過ぎて健康を害さないようにということだろうか(笑)。

ロシアやドイツに急ぎ行ってみたのは、これらの例が、養老孟司先生の提唱される「現代の"参勤交代"」、役人の皆さんの言葉で言うと「2地域居住」の例として参考にならないかと考えたからだった。

日本にも各地にすでに「クラインガルテン」の例はある。しかしそれらはどちらかというと「箱物」行政で、農林水産省の助成金で建てたしっかりとした住宅を別荘代わりに使っている人もいる。

国も、その助成金を頼りにクラインガルテンを造る自治体も、ドイツのように真剣に「国民の健康」を考えて制度化していないからだ。農地法の規制が強すぎることも障害になっている。

ドイツは、都市住民の健康を考えてクラインガルテン制度を200年続けてきた。ロシアは「ダーチャ」で、国民の健康と食糧生産をかなえている。フランスは1980年代から、都市に集中し過ぎた人口を田舎へ戻す政策をとったことによって、総合食料自給率122%を達成している。

島根県高津川地域では今、養老さんの提案の「現代の"参勤交代"」をみんなで考えつつある。都市から田舎への移住。安全な食料の自給。身体を動かして心身ともに健康になる。木の小屋をつくれば、流域材が使える。良いことずくめのように思えるが、いかが?




2010年12月23日


山陰中央新報連載 自然に学ぶ"森里海連環学"のすすめ No.19

      「二地域居住」モニターツアー ―田舎へ人を戻すため―


養老孟司さんが提唱し、島根県の高津川で「清流高津川を育む木の家づくり協議会」と流域自治体がその実現に向けて会議を重ねているのが、「現代の"参勤交代"」。官僚の皆さんの行政用語では「二地域居住」という。

都会に住む人が、休みの度に田舎に通ううちに、"終(つい)の棲(す)み家"を見つけ、いつかは定住する。フランスなどは1970年代から政府が、都市に集中し過ぎた人口を田舎に戻す政策をとってきたが、日本はそれが遅れ、しかも合併なんかしたものだから、田舎が疲弊してしまって、どうしようもないところまでいってしまっている。"限界集落"などという言葉は、哀(かな)しい。

養老さんを委員長にいただく高津川流域の委員会では、益田市が中心となって「二地域居住」への取り組みが進んでいる。

私も、12月1、2日は、益田市の5カ所の住民の地区座談会。3日から5日は、川崎市、高槻市、広島市からの「二地域居住モニターツアー」参加者23人との"弾丸ツアー"とも言うべき強行軍に同行した。

丸2日間で2回温泉泊し、益田市匹見町のわさび漬け体験、津和野町のIターン者との意見交換、同町の「森林計画づくり」の現場見学、高津川森林組合製材所の見学、津和野町の大皷谷稲成神社参拝、吉賀町柿木村の有機農園での野菜収穫、益田市の有機市民農園の見学、同市種地区の草餅作り体験、「赤雁の里」でのそば打ち体験、同市美都町での柚子(ゆず)収穫、同市真砂地区での豆腐作り、そして最後は、吉賀町柿木村に建築家の田村浩一さんが完成させたラウベ(ドイツのクラインガルテンに作られた小屋はこう呼ばれている)の見学。

35人乗りのバスに乗り、私はバスガールになって、高津川と益田川の流域と「二地域居住」を説明した。近年こんなに疲れた3日間はないと断言できるほどの強行軍ではあったが、私自身も3都市からのモニター客に説明することによって、大変勉強になった。

高津川や益田川の流域には、奥へ、そして辺鄙(へんぴ)な所へ行けば行くほど、小学校がなくなることになって住民が結集した種地区など、工夫を凝らして暮らしている人々に出会うことができた。

「二地域往復」か、「定住」かにこだわらず、都市に偏り過ぎた人口を田舎へ帰す政策を、政府も、都市からの住民を迎えたい田舎の自治体ももっと真剣に考えるべきだと、つくづく考えさせられた「モニターツアー」だった。


2011年1月5日

来たれ!「耐震改修大勉強会 in 神戸」へ


2008年7月に養老孟司先生と「日本に健全な森をつくり直す委員会」を立ち上げ、2009年9月18日に、副総理であった菅直人さんに委員会の提言書を渡したことから、現在進んでいる林野庁の改革、「森林・林業再生プラン」が始まりました。

自分自身も林野庁の「路網委員会」の委員を務め、新しい林政の一翼を担いましたが、"川下"政策の必要性を感じ、国土交通省住宅局に「"木の家づくり"から林業再生を考える委員会」をつくっていただき、委員となっています。この委員会から生まれたのが、この「"木の家"耐震改修推進会議」の活動で、多忙な養老孟司議長の代理を務めています。

2010年9月1日の「防災の日」(関東大震災不忘の日)に発足させたこの組織。

2011年1月17日には、阪神大震災より16年目を迎える神戸を舞台に、工務店さん、大工さんたちのための「大勉強会」を展開し、私自身は大会の責任者と第5分科会の司会も担当します。

詳しくは、公式ホームページ
 http://t95.jp/

をご参照ください。
参加者を募集しています。


2011年1月15日

学研の家庭菜園誌「野菜だより」から


ヨーロッパ家庭菜園レポート

  ロシア・ダーチャ〜ドイツ・クラインガルテン視察の旅

 ロシアでは国民の3分の2が持っているという庭つきのセカンドハウス"ダーチャ"。ドイツでは、都市の集合住宅の2階以上に住む国民なら誰でも、月3千円ほどの費用で借りることができる"クラインガルテン"。今年の野菜づくりが終わる直前に両国を訪問し、その様子をレポート。特にドイツでは有機農業を支援する投資の仕組みが生まれていたことがとても興味深かった。 

[ロシア] ダーチャ

養老孟司さんと私は、国土交通省住宅局内に「木の家づくり"から林業再生を考える委員会」をつくっている。養老師は「現代も参勤交代"すべき」とおっしゃる。来るべき地震に備えて避難地をつくる。石油が枯渇したときには流通が止まるから、自分で食糧をつくる訓練をしておく。身体を動かすことが現代病の鬱を解消する。田舎の畑に木の家をつくることが、地域材の出口になる。といった効用があるからだ。それならば事例としてロシアとドイツを見ようと視察した。

   ピョードル皇帝が家臣に土地を与えたのが始まり。
   スターリン、ゴルバチョフも食糧生産政策とした

ロシアはアムール川の河口、極東地域のハバロフスクへ。ダーチャは、ロシアの国民の8割が持っているという、庭つきのセカンドハウス。名前の由来は、帝政ロシアの17世紀に、ピョードル一世が家臣に土地をダーチ(与える)したことから。
ソビエト時代にはレーニンが食糧増産のためにダーチャを全土に作る計画を立てたが、実現できたのは戦後のスターリン時代で、今から45年前だった。


   畑の野菜を食べて経済難を乗りきった

9月28日に訪問した2か所は、25年前にゴルバチョフ大統領がペレストロイカ(改革)の一つとして全土につくった時のもの。ペレストロイカが失敗に終わり経済的に苦しかった時代も、人々はダーチャで野菜をつくって乗りきったといわれている。都市に近い広い遊休地にまとまってつくられている。

たとえばザンナさんは、電力をつくる部門の労働者団体がハバロフスクのアムール川の中州に造成した土地をもらい、畑を開墾し小屋を建ててから24年になる。同じ電力会社に勤めている娘さんは、10年前にプーチン大統領によってダーチャの権利売買が認められた時に、維持できなくなった父の友人から権利を買って、両親のダーチャの隣にあらたな畑と小屋をつくった。ザンナさんの堆肥箱は木組みで、日本のものとそっくり。「農薬は使わないのですか」とわざと聞いてみた。「自分たちが食べるものに、どうしてわざわざ毒である農薬を、買ってまで入れるの」と不思議な顔。

ダーチャコンテストに2回入賞しているアレクサンドルさんはチップを畑の中に敷いて、雑草が茂るのをセーブしていた。

「日本版ダーチャ」である日本各地のクラインガルテンでは有機農法を教えているところが少ないことを話すと、「日本人は自分の食べる物の安全をあまり気に掛けない国民なのかね」と笑われてしまった。

ロシアではダーチャが今、「安全な食糧を自分でつくる」ことを好む若い世代によって再評価されつつあるようだ。忙しい現代人は都市の中に生きることを選択したかわりに、再びダーチャに向かうということか。  

ハバロフスクには「ダーチャ協会」がある。そこには近年、日本人がツアーを組んで遊びに来ている。「よその国へ来て、観光といいながら労働を提供してくれるのはありがたいが、聞いてみると、日本では農地を借りたり、手に入れにくいようだね。もっと自分の国でダーチャがつくれるように政治家を動かせばいいのに」といわれた。

おっしゃるとおり。農地法の改正を政治に求めるといった行動"を私達は取るべきなのだ。「政治畑」も耕す必要がある。


[ドイツ] クラインガルテン

   産業革命時に子供たちの健康のために、
   一人の医師が「小さな庭」を提唱。
   今に続く・緑の都市政策"でもある

クラインガルテンは「小さな庭」の意味。シュレーバー博士という医者が提唱したので、シュレーバーガルテンとも呼ばれる。ドイツでは19世紀から、「クラインガルテンには、野菜か果実か花をつくらなければならない」という規則ができていた。  

都市の集合住宅の2階以上の部屋に住む国民には(移民でも)誰でも持つ権利があり、月に3千円くらいの費用で100坪くらいの土地が借りられ、人々はそこに畑や庭をつくり、手づくりの小屋を建てている。都市に住む国民の健康を考えての「緑の都市政策」が200年近くも続いているということだ。  

クラインガルテンについては本誌2009年秋号で廻谷さんが紹介しておられるので、今回私は、10月21日からのドイツ訪問で初めてキャッチした情報を二つ紹介したい。  

一つは、10月25日までに訪れたフライブルグやフランクフルトのいくつかのクラインガルテンで、韓国政府の視察団の写真とサインを見たこと。どうやら大統領就任と同時に首都の中に清流をよみがえらせたことで世界中のド肝を抜いた李明博大統領は、今度はクラインガルテンで「安全な食糧」を国民自らにつくらせ、「都市の緑化」まで狙っているように思える。それは今回クラインガルテンを訪れた視察団の質問が、有機農法に集中していたと聞いたからだ。  

ドイツでは、クラインガルテンでは有機農法が当たり前。ロシアのダーチニキ(ダーチャを持っている人)もドイツのガーテナー(クラインガルテンを持っている人)も、日本がそうでないのが意外そうだった。  

フランスが今、122パーセントもの総合食糧自給率を持っているのは、1970年代から都市に集中している人口を田舎に帰す政策がとられたからだ。  

日本政府が地方行政と各地でこれまで造ってきたクラインガルテンは、立派すぎる・箱物行政"。しかも、5年までしか借りられない。この現状を私たちは反省する必要があるだろう。


   有機農業への投資が 地域の自然を守る  

ドイツで得た二つめの情報はドイツで初めての、住民が投資する・有機農業ビジネスチェーン(輪)"ができていたことだった。

環境と大学の都市として世界に知られるドイツ南部、フライブルグの近郊にあるアイヒシュテッテン村を訪ねた。有機農業ビジネスを総合的に営む「地域財産会社ヒス社」。その一翼を担って,農作物を作ったり、販売をしている「有機農業有限会社フェルドマン社」を訪問し、畑ではヤニス・ツエントラーさんから話を聞いた。  

この会社は、バイオダイナミック農法を指導・推進する世界的組織「デメター」の承認を得て運営されている。ヒス社には、他にも、物流、ワイン製造、ケータリング、果樹園、酪農、レストラン、食肉・牛乳・チーズの製造を営む会社が加わっていて、それらがチェーン(輪)となって運営されている。  

そしてそれらは、有機農業を通じて、この地の地域財産をひとつにまとめて・地産地消"する役目を果たしている。この地域で、人の手が加わって「文化」となってきた自然や環境を、そのまま維持しつつ、それを持続的に利用するための役目を担っているといえるだろう。だから地域の人々はこの・チェーン"に投資して、自分たちの地域を守ることに力を貸しているのだ。

さらに、フライブルグに住む環境意識の高い市民たちがその後ろにはいて、アイヒシュテッテン村の人々の生き方を支持する・もっと大きな輪"も形成できているということだろう。  

自然有機農作物卸販売会社リンクリン社の代表、ウィルヘルム・リンクリン氏は教えてくれた。「この地の人々が有機農業で固まったのは、かつてここに原発が来ようとした時に人々が闘い、代替エネルギーについて考えたり、人間の身体によいものだけを口から入れるべきと考えたから。クラインガルテンで野菜を作ったことのある人は、手間に高いお金を払う。有機農法を優先する方向にむかいやすいね」、と。  

わが国にも、有機農業に投資するこのような・チェーン"の誕生が待たれる。