日録●太田代志朗●2024年 |
2月26日(月) 強風の1日。 朝から強い風がビュービュー吹く。 陽ざしがあっても北風が冷たい。小庭の植木鉢が2、3転がってしまう。 S歯科院で治療。K接骨院で整体マッサージ。 ホームページビルダーのサイト転送がトラブっている。 2月24日(土) 3日振りの晴れ。 夏日の暑さに閉口し、そうかと思えばが霙まじりに急に寒くなった。 体調がついてゆけぬまま、雨に閉じ込められていた。 それがきょうは一転し、青空に早春の陽ざしが降りそそぐ。 昼前に半醒半酔老人のウォーキング約1時間余、8.000歩。 薄くなった背、よろめく足どりに力が湧いてくる。 夜、寒月煌々。 東証史上最高値、34年ぶり更新。円安インフレでドルと暮らし富裕層と大企業。 そして、闇政治裏金パーティで逃げ切り阿漕な自民、迷走の欺瞞政権。 ーー大女優(81歳)が熱海のマンションで心筋梗塞で亡くなった。 2月20日(火) 春の馬車。 ・あかねさす春の馬車ゆく愛(かな)しみの白きシューズの行方しれづも ・かぎろひのゆめのいそぎに訪ひたるを16歳のなびく黒髪 ・老いたる父を赦せしやぬかづけばきみがうたはむ霧の比良坂 2月17日(土) 晴れ。日々是好日。 花の森が鎮かに芽をふこうとしている。 春のかすかな足音に耳をすます。 雑木林や竹藪の小径から川辺をぶらぶらしてくる。 福嶋亮大を集中的に読んでいる。 日本的創造の系譜、ネットワーク社会の文化論、平成デモクラシー文学論、日本近代文学と演劇的想像力など蒙をひらかれる。だけど、5、6ページ読み転寝している。 ネットワークが文学に大きな限界をつきつめた。ポストモダンやサブカルチャーのシステムに物語や記憶は分解した。文学の仕事が用済みになっている・・・。 家人の手作りの夕食にワインを少し飲む。 夜、BSフジ「輝き続ける高橋真梨子」、2時間スペシャル。ラストツアー初公開。 2月15日(木) 関東で春一番。 ぽかぽかと春の陽気18 ℃、昼から風が強まる。 散歩から家に戻ったら、いただいた枝いっぱいの梅。 家人が大甕、中甕に活け、部屋中が梅の匂いに満たされる。 わが国における生成AI運用が大きな議論になっている。 Windows11の無償アップデート提供のMicrosoft Copilot(コパイロット)がある。 たまたまこのCopilotで「太田代志朗」を検索すると、自動生成された文章がアップされる。 ただこの中で、なぜか老学をして「京都市文化財保護課所属で、庭園研究家」。加えて「花月流伝」により伝統の生け花師範ともあり。暇つぶしの流れで見ているが、何だ、このAI多言語対応は!? 苦笑、爆笑、呵々。 2月13日(火) 午後から温かく。 晴れ。雪のあとの連休(建国記念、振替休日)が終わる。 風の流れもこころよく、昼過ぎから季節はずれの温かさ。 今年は暖冬で、早くも鴈や白鳥が北へ旅立ったという。 「余寒の候」だが、気温も一気に変わる。 ウォーキングで家から久伊豆神社に詣で、城址公園と7.500歩。 花の森が鎮かにざわめきはじめている。 ーー老残に、また苦しい春がやってきた。 2月8日(木) 晴れ。 公園には雪が一部シャーベット状になって残っている。 ウォーク1時間余(6.300歩)&スクワット70回。 梅花が咲きはじめ、また痛切な季節が到来した。 「天晴、明月無片雲、庭梅花盛開、芬芳四散、家中無人、 一身徘徊、夜深帰寝所、燈髣髴、猶無付寝之心、更出南方見梅花之間」。 ーー『明月記』治承4年2月14日の条 2月6日(火) 雪。 朝食を終え、家の前の雪かきをする。 ちょっとしたことだが、腰と脚に力がかかる。 そして陽ざしも眩しく、長靴をはいて家をでる。 雪におおわれた城址公園を散策。 白銀の冴えた風景がひろがり、しーんとしている。 誰もいない園内がいつもとは別の世界になっている。 赤い橋のかかる菖蒲池をわたり、家からの往復で4.700歩なり。 2月4日(日) 立春。 暦の上では 春が始まるはずだが、朝の雨がやみどんより曇る。 明日にかけて雪になるよう。小庭の白梅が1輪、2輪咲き始める。 明け方、夢を見ていた。 悲しくて、つらい気分に襲われる。 夢の奥に白皙の39歳と、未だひねくれた老残がいた。 いや夢でなく、これが書ききれない小説なのだろうか。 2月2日(金) 松風の会。 晴れ。風なく穏やかな冬日和。 家人の茶会「松風の会」も10年目、立礼でのおもてなし。 ご婦人がたのささめき。季節感を大切にしたおもてなしの心も楽しむ。 手伝いに侘介椿繚乱の小庭や玄関周りに水撒き。 饒舌なるパラサイト系学者の哲学、歴史、創作、先端総合学術研究。 ポストモダンの枠組、そしてネットワークのハイパーリアリティの編成による文学の内容。古い集団言語を解体し慄くブンガク、文藝を嘉すか。呵々。 2月1日(木) 野田パブリック・ひばりコースで。 新年、初打ち、お互いの元気なことを慶ぶ。 静かにひろがるいつものフェアウェイが眩しい。 *右写真:晴天下のひばりコース、6.140Y。18H、P72。 1番322Y、P4をボギースタート。 それがしゃくり打ちになっていき、しだいに乱れていく。 そしてハーフを終え、空が重たく曇り、風が出てくる。 河川敷の平坦でやさしいコースが、急にキバを剥く。 風がビュービュー吹き荒れ、気温も下がる。 さて、強風の中のスループレー。 吐息まぎれに、誰も「中止」といわなかった。 ボールは風に流され距離もでず、左右に転がる。 悪戦苦闘に掌がしびれ、トラブルつづきでOB7発。 決死の18ホールに老骨がきしんだ。 ホールアウトし、また晴れあがり、風が鎮まる。 天晴れ、河本、前田、太田の3サム。 |
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日録●太田代志朗●2014年 |
1月31日(水) 1月尽。16℃で春の陽気。 正月明け早々につらいことが起こった。 能登半島地震、日航機と海保機の衝突事故。 また、政治とカネをめぐる裏金問題、解明改革なしに無法自民の高笑い。 確定申告の時期が近づき、こんな奴らに手籠めにされていられない。 そして企業連続爆破事件で50年逃げきった男が身を明かし、末期癌で死亡した。 ーー世界は傷つき、妙風吹く横丁に粉塵がよぎっていく。 冗漫な胡麻臭いパラサイト系学者のX(旧ツイッター)を笑いと哀しみでクリック。 老学の平穏な日常がどこにも着地できないでいる。 1月29日(月) 84歳誕生日。 晴れ。風なく13℃で温かく、青空が澄みわたっている。 誕生祝いに家人と老舗Uで鰻重などとびきりのご馳走。 腹一杯になり帰りの途中、好天下の川沿いの公園を二人で少し歩く。 紅梅が美しく咲きほこり、小さな春がひろがっている。 武州に永らえ、不粋なさかしらなりに己が命を明るく大切に生きる。 さればよ、小食多噛、小噴多笑、小欲多施ーー『健康訓』より。 1月28日(日) 9kmウォーキング。 晴れ。朝食を終えたところで地震がありビックリする。 東京湾を震源とするマグニチュード4.8。 好天に気持ちよく今日のウォーキングは2時間余。 岩槻文化公園から元荒川沿いに第六天神社~末田須賀堰を往復。 9キロ、14.500歩。 伊豆へ「サフィール踊り子」でゆく素敵なコースがある。 宿とともに予約しようと思っていたが、諸藩の事情で取りやめとする。 伊豆の光と風ーー幼い記憶の断片が今にして辛く、重くのしかかってくる。 ーー大相撲初場所(東京・両国国技館)は期待の琴の若が負け照の富士が優勝。 1月26日(金) 長寿を喜ぶ。 晴れ。風が吹き荒れていたが、ゴルフ打ち放しにでかける。 4時間打ち放題だが、疲れて2時間(150発)で引き上げてくる。 ドライバーは170Yしか飛ばなくなった。 あと3日で84歳、長寿健康をよろこび感謝。 元気に動ける身体を維持し、ようここまでやってきたと思う。 幼く追われるようにして自分をかかえ、好きなようにやってきた。 ただ昨今、言語感覚が褪せてきて、しきりに書くことの意力を失っている。 また読む本の文章がザラついたものばかしですぐ投げだす。 存在と時間、表現への情熱が”風月夢幻”の終の棲家に寒晒しになっていく。 家人は膝の人工関節手術後のリハビリも順調、茶道、園芸に余念がない。 倅一家も元気にやっているようだ。 夜、寒月煌々。ーー桃源の路地や今宵も牡丹鍋 1月24日(水) 今季最強の寒気。 当地はきょうも晴れ。起床6時50分、血圧140ー90。 朝日を浴び、”幸せホルモン”のセロトニンを取り込む。 公園ウォ-ク5.000歩。寒風が身にささるように冷たい。夜、寒月煌々。 ーー今季最強の寒気が流れ込み、日本海側では北陸や近畿北部など大雪。 名神高速・関ケ原では車が立ち往生になっている。 1月22日(月) ウォーキング8.000歩。 風もなく穏やかな公園、ウォーキング8.000歩。 年が明け少しながら日は長く、高くなった。 だが、明日から最強寒波到来のようだ。 冬籠り、寒月、木枯らしーー「桃源の路地」のささめき。 転寝にモーツァルトを聞く。たとえば「ピアノのためのソナタ」。 1月19日(金) 横浜の中華街、柱宮で。 晴れ。横浜の中華街、柱宮でランチ会。 東京にでてきて世話になった1氏など元気で何より。 編集出版、宣伝PR、マーケティングなどその戦術・戦略論が懐かしい。 私事ながら元赤阪の拠点はなく、知性消滅の条々、1968~1995年を総括することもなし。 茅ケ崎のスリーハンドレッドで、いまも活躍のWさんに乾杯。 料理はいづれも美味しく、楽しいひとときだった。 ーー久かたの都心(大宮~東京~横浜)の熱気と喧噪に皮膚感がヒリヒリ。 月餅や抹茶パイなど土産に、ほろ酔いで気持ちよく帰る。 1月17日(水) 防災とボランティアの日。 死者322人、2万8千棟の家屋が被害を受け、避難者は1.7万人を超える。 奥能登は壊滅状態ーー輪島から中学生250人、100キロ離れた市に集団避難。 阪神淡路大震災から29年、神戸から鎮魂の祷り。 関東は風なく穏やかな日和。 1月15日(月) 小正月。 昼過ぎ寒風にさらされて、少し歩いてくる。 ふく汁、寒梅ーー冬されに新しい感覚と力。 桜花狂乱。 今、亦も、因果の言説がたちあがる。 新作「夢幻能」は、これが最期の嵐や空に帰るらん。 流転に生じ桜花にまぎれ、シテ(山賊)は鬼女と逆巻くはてに没し消えていく。 1月11日(木) 鏡開き。 能登半島地震は避難の厳しい生活、救助活動が行われている。 関東は重たい雲におおわれ寒く、午後から晴れる。 公園ウォーク50分。身体がやや硬直しているが、とまれ軽快に歩をすすめる。 書室の窓辺のアンスリュームが可憐に咲きつづけている。 1月6日(金) 小寒。 二十四節気の「小寒」(しょうかん)」、「寒の入り」で 寒さが厳しくなる。 能登半島地震では倒壊した家屋、土砂崩れ、道路寸断、決死の救出活動。 余震(震度3)がつづき、電気・水道が通じず、凄まじい惨状に胸がふさがる。 波乱の幕開けの新年。関東は晴れ、風なく穏やかな一日。 本格始動する何ものもないが、そろそろのスタート。 知的・創造的ポテンシャルは低下しているが、まだ老衰はしていない(!?)。 小庭に水をまき、餅のカビをとり、風呂の水をとりかえる。 明日は七草粥、松飾りをはずすべく、だらだらしている。 1月2日(火) 能登地震(M7)。 倅一家と健やかに新年を祝う。 お節料理、雑煮。家族5人そろって食べる。 真理子はことし18歳、背も伸び、大きく成長した。 看護系の大学を希望、その予備試験もまじかになっているようだ。 (16歳で逝った明日香の書「希望の春」を床の間にかざる)。 能登地震(M7)は甚大な被害をもたらし、余震がつづいている。 壊滅的な被害で人命に関わる家屋倒壊、安否確認がつづく。 爆発音に油漏れの志賀原発、大丈夫なのか。 また、羽田空港で日本航空機が海保の航空機と衝突し炎上。 ーー年明け早々、災害や事故が頻発。 年明けから、どうしたものかと不安になる。 20124年1月元旦 申辰 明けましておめでとうございます。 新しい年が素晴らしい一年でありますよう 心よりよりお祈り申し上げます。 本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。 ** 老来たりて、憂しやこの世の浮き草に、やせめて語りや慰まん。 本年もささやかながら、当「日録」で日々の呟きを以て、埒もなき生存ツィート。 Xアプリでの多様なにコンテンツの投稿・発信はしていない。 |
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日録●太田代志朗●2023年 |
12月歳晩。ゆく年くる年。 2023年が終わる。 年をとると時間が早くどんどん過ぎていく1年だった。 あれをし、これもしたようだが、まだきに梅も咲きにおう。 小城下の陋屋に棲み40年余、呵々。 ・うたゝ寝や故人にあいぬ年の暮れ ・香をたき夢うちさめて去年の雪 ・髭剃りて老いざれ朝の寒椿。 12月26日(火) 師走の寒気。 師走の寒気が厳しいが、きょうも関東は晴天でからっとしている。 小庭の侘介椿が咲ききって何輪も落ち、蹲の周りが落花で紅色になっている。 昼前に家人とスーパーへ買い物。人の混雑に圧倒される。 NHK BSシネマに『秋刀魚の味』(小津安二郎 1963年)。 娘を嫁がせる老いと孤独、小津映画の集大成。 久しぶりに見て、戦後昭和の時代、人であるべきよすが。 映像に裏打ちされた台詞・言葉が切々と心にひびく。 12月22日(金) 冬至。 晴れ。冬至。一年で最も昼の時間が短くなる日。 あれこれして、気づけば外がもう真っ暗になっている。 2014年、甲辰。 年賀状じまいとするが数通、風月夢幻ーーT君に「不粋な茶数寄の行方知れず」。 K君に「”高台寺土井”における盛大な出版パーティ。みんな元気でしたね」と添え書き。 12月21日(木) 隅田川ぶらぶら。 晴れあがり、風が冷たい。 ひとり歩きで吾妻橋から両国に行き、永代橋へ。 いや永代橋へ向かおうと思ったが、気張ることもない。両国から引き返し、また隅田川テラスをぶらぶらしてくる。 雑司ヶ谷~銀座~元赤阪と長年の東京も今や縁がなくなった。 70、80年代、モーレツからビューティフルへ、いったいオレは生来の憂憤をかかえたまま何を芯にやっていたのか。都会は変貌し、”懐かしい昔の東京が残る町”といっても、老学のポケットには何もない。 うなぎ、どぜう、とんかつ、蕎麦をと食べたいが、混雑したところは寄りつかず敬遠。ーー気持ちよく疲れ、浅草から帰路の電車に乗る。 12月20日(水) 晴天。平穏な日々。 あと10日。老いを受け入れ日々大事に暮らしおり。 無為なる渡世を好きに生きるとの虚勢も、ただいま悪玉コレステロールに留意。 公園を気持ちよくぶらぶら、ウォーキング9.000歩。 戴いた美味しいフランス菓子、コートダジュール製のケーキ。 「みんな逝ってしまった、けれど文学は死なない」如きくだらぬ回想記。 気ままな書見あれこれ、『スターリンの図書室』(白水社)。 12月19日(火) 晴天。 ・春の雪につげざるわが急ぎ記す降りかかる夢の揺れるままに ・あからひく侘介椿咲きおれば生死涅槃にトランペットふく ・隠れ家的フレンチ店から帰って眠りのあとにしたためる遺書 ・口紅をそして真白いシューズを亡娘とゆかむ旅のカバンに ・小城下の通りわびしくわがたまゆらのヴィヴァルディ協奏曲 12月18日(月) 晴れ。 晴れ。冬の陽ざしががまぶしく、北風が冷たい。 昼前の公園をウォーキング70分、7.000歩。 夕食は鳥鍋、家人も元気になった。夜、しんしんと冷える。 ーーディープな京の奥路地に蕪村の句がうかぶ。 ・うづみ火やわがかくれ家も雪の中 12月16日(土) 晴れ。 歳末と思われぬ温かさ。小庭のツワブキがまだ一輪咲いている。 公園ウォーキング30分。腰の痛みもやわらぎ快適に歩く。 午後、来客あり、家人が立礼で薄茶を点てる。 若いお客さま、生活感にみちた話題いっぱい。 心を込めたお点前、ふれあう気持ちが優しくはずむ。 老生も実に久しぶりに正絹の着物で、お話に加えさせていただく。 長襦袢、羽織、白足袋、扇子、角帯もしっかりしめて。 12月14日(木) 晴れ。 まず窓拭きや玄関周りの掃除、不用品の整理。 過日うけたMRI(腰髄)検査結果は異常なしでひと安心。 AQUAの定期点検でオイル&タイヤの交換となる。 老骨のマッサージ&リハビリ、週1回の念入りな治療。 Xアカウントにみる**たちの擬態ぶった知見、言説に呵々大笑。 亡友と一緒に飲んだ絵瀬戸の盃、描かれた桜吹雪が叫ぶんだよ。 ポストモダン以後の哲学や文学、その構造の記号分からずギブアップ。 相次ぐ金権スキャンダル、派閥とカネに奢る奴らを吊るせ。 旧友を忍んで超高層のホテルのバーで飲むドライマティーニ。 読書会やら、雑談交流タイムを欠礼、モウ、ドナタハンモ堪忍エ。 高反発の本間ドライバー、凝りない老いぼれが望む飛距離アップ。 軽井沢全面ガラス張り別荘、建物・土地込み2.400万円とな。 短編・長編は書き流し連載の予定なく、なお夢巻の書を読むや。 そうよ、俺は幼く捨てられ、伊豆の港町の教会で祷る愛と罪に穢れ落ちたのだったのよ。 武州小城下に隠棲、風が枯木を吹き40年余、 いつもヴィヴァルディの協奏曲。 ふと立ち寄ったスーパーで買った巻き寿司が美味い。 4Kテレビ、日がなフルハイビジョンの映像を楽しむ。 そして、まったく理解できぬまま紐解くネットワーク社会の文化論。 ーーさなり、老生の不毛の日常を黙々とデータベースに打ち込む。 12月13日(水) 年の瀬。 晴れ、穏やかに空が澄みわたっている。 年の瀬、2013年が暮れてゆくーー「愚無事にくらし申候」や。 小庭の侘介椿が3、4輪、咲きはじめる。 小さな暗虹色の花びらが、静かにゆかしく語りかけてくる。 ーー侘介よあはや数寄なれ老いてしも 12月8日(金) MRI検査(腰部)。 晴れ。師走というに季節はずれの温かさ。 午後、M総合病院でMRI検査(腰髄)。寝台に寝て、大きな丸い筒状の中で30分。 ドッカン、プウフルルとやたらに大きな音がし、ずっと目をつむっていた。 帰りは街の通りから公園に入り、枯葉の散る途をぶらぶら歩いてくる。 ーー日が暮れ、早々に風呂。湯舟でゆっくり身体を温める。 12月6日(水) 野田パブリック:ひばりコースで。 スタートOUT:13時20分。気温がぐんぐん上がる。 猛暑の夏以来のプレー、1番テイショットから乱れる。 老体の衰えた筋力、クラブを振り切るより当ててゆく?! 飛ばなくても、正確なショットがでなくてもいい。 河川敷きの平坦なフェアウェイが、遠く広く美しくひろがる。 午後の9ホール、3.054Y(レギュラー)。 コースを歩くと、いろいろなものが胸の奥にひびく。 同伴校友メンバーと大いに話し、いつもの適度なダジャレ。 ホールアウト15時40分。陽が西に傾くが、なお強く眩しい。 疲れがどっとでるが、ラウンドしてきたことの実感が切々とわいてくる。 ーー帰路、16号線の往来が激しく、日が暮れていった。 12月5日(火) 曇天、寒い。BSに映画『日本沈没』。 重くたれこめた雲、雨は降るようで降らず、寒さがこたえる。 家から公園を突っ切り住宅地や小学校、神社、寺院を過ぎて歩いていく。 F院で腰の電気治療。リハビリを終え、またぶらぶら歩いて帰る。7.500歩なり。 BSプレミアムに『日本沈没』(1973:監督・森谷史郎 脚本・橋本忍)を見る。 半世紀たっているが、特殊撮影を駆使した迫力あるリアルな映像にあらためて感動。 いわずと知れた小松左京の大ベストセラー、TVで映画を見ながら「何があっても『日本沈没』2部は書かない」という小松さんのことに思いめぐらしていた。 ーー晩年、その小松さんは酒をよく飲んでいた。赤阪”千代新”のお座敷で芸者をあげた一席の時、「”対話”をやるかどうか、お前が考えろ」といわれたが、それはお世辞でも嬉しかった。 そして、この夏、4年かけて編纂が終わったデジタル全集に、小松さんの書いた「高橋和巳論」を掲載するか、どうか。小学館編集部と口角泡を飛ばしていたのだった。 12月4日(月) 晴れ。 昼前の公園ウォーク1時間余、8.200歩。 澄み切った空、枯葉きらめく樹々、ともかくノルマを課して歩いた。 横丁のざわめきも、小城下の歴史の迷走も関知せず、異客悠々。 松浦寿輝(1954~)の書を渦高く積みあげ一応読んだ。 退官記念講演『波打ち際に生きる』(羽鳥書店)の中の「著者自身によるコメント」などその研究と創作が明かされている。老学には及ばぬ畏れおおい世界であるが、小説『もののたはむれ』、『幽かに』、『花腐し』『あやめ』が印象に残り、また書評集は一気にせまる。下世話な文士気取りの菲才には関心ひく軽井沢・千ケ滝別荘をめぐるエッセイの一節もあった。 12月3日(日) 晴れ。ウォーキング7500歩。 寒くなったが、高気圧におおわれ、明るく澄み切っている。 公園にいくと、銀杏が鮮やかな色に染まっている。 ことしは夏の猛暑で、樹の色の変化の時期がずれている。 新たに購った大きな文字盤の万歩計、本日7.500歩なり。 目標8.000歩だが、少し疲れベンチに座っていた。 孫娘にXマスケーキを、町で評判の店に予約してくる。 さてもM君より激励のメール。 決行予定ーー戦線復帰でなく戦々恐々、よたれのハーフ3.000Yかや。 *当ホームページは再び新サイト更新・転送できず。 よって 「日録」は前月(2023年11月)サイトに掲載・転送としている。 12月1日(金) いよいよ師走。 師走、あと1カ月、いよいよ本年も押しせまった。 いったい何をしてきたのか、思うにあっという間の1年だった。 寒さが日に日にこたえるが、昼前から晴れ、穏やかになる。 小庵の隔月定例の「松風の会」で、「壺中日月長」のひととき。 冬籠りの静かな落ち着きを楽しむのもこれからで、至福の茶の一服。 |
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日録●太田代志朗●2023年 |
11月30日(木) 11月・霜月尽。 早朝に起きてから6時40分、2階のベランダの窓を明ける。 垣間見える公園の樹々の向こうに朝陽が眩しい。 深呼吸し、光をいっぱい浴びる。 WEBサイトの不具合で転送・設営の修理改善に手間がかかった。 しかも、今なお不安がぬぐいきれないまま、この「花月流伝」を書き込んでいる。 SNSでなく、かような思いにて、「上書き保存」から「サイト公開」へ。 日々の暮らしのインデックスを恥も外聞もなく遡上にあげた。 2、3日前、テレビがSF界の大御所(91歳)が最期の小説を書いて出版したことを報じていた。 また、人気の直木賞作家(73歳)の死を悼む女流作家の追悼文を、昨日の新聞で読んだ。 抑えた静かな文章で胸があつくなった。書く者の覚悟とその立ち位置をきびしくみつめていた。「無頼」とのいいようには臭みがあるが、「傷つきながら書け」と心しているようだった。 ーーいやそれとは別に、あれこれ賢しらな学際による表象文化論とやら、才気紛々の小説を引き寄せパラパラ読みもせず、朦朧の「時間と存在」の深みに乱れ憂き山鳥よ。 ーーさて、明日から12月。 11月28日(火) 晴天。 晴れて澄み切った初冬、明るい陽ざしにつつまれる。 リハビリ中の家人がお茶の稽古で小島宗鶴先生の草庵へでかける。 車を運転していくので心配したが、「大丈夫ですから」という。 落葉でうづまる公園をぶらぶら歩き、F院で腰部の電気治療&マッサージ。 夕方から風が冷たくなり、轟々と吹き荒れる。いよいよ関東も本格的な冬。 ええ年こいて、ついに健康NG。 一汁一菜を徹底、節食&運動(!?)。ムリのない食事療法、投薬。 たんぽぽのわすれ花あり道の霜ーーとまれ、静かにやって参りませう。 * 詩、評論、研究論文、小説ーー精力的な御仁の世界に圧倒される。 生と死、現実と虚構、光と影ーーその豊穣なる官能のポトス。 あてのない心の叫びにうずくまる。さて、老いぼれはもう何も書けない。 11月27日(月) 血糖値、コレステロール値高く。 朝は寒かったが、風なく晴れ穏やかな日和。 S総合病院(循環器内科)3カ月定期診察。 血液検査で悪玉のLDLコレステロール:160、血糖:138H。 G先生に「薬を飲んでないんですか」と注意され、ピタバスチン錠が増量となる。 夕5時過ぎ、日が暮れる。小城下の町、茫々。 夜、満月煌々。ーーからざけや急げ旅人冬の月 11月26日(日) 真冬の寒さの一日。 福田和也著『横丁の蕎麦屋を守ることであるーー保守再起動へ』(河出書房新社)を読む。 コロナ禍における食レポ(とんかつ、おでん、蕎麦、居酒屋、懐石など)で、それら老舗をめぐる日常こそが文化であり、国を支えることである。本のタイトルは保守本流・福田恒存の一説からの引用らしいが、当人の病みあがりも何のその、もっと食え、もっと書け。保守再起動のありようを誇り高く説く。 石原慎太郎、江藤淳に覚え高い士の治者の倫理によるご賢察である。 ーー老残もとんかつ、蕎麦。 そして、 京極スタンドの一杯。 11月25日(土) 空ッ風吹く町に。 強い冬型の気圧配置で気温が大きく下がり、朝の冷え込みが強まる。 人で混雑する浦和にでて駅前の古本宿を回るが、手にとるものまったく何もなし。 なぜか古代選集も美の光学も、物語の饗宴、言説の供犠、希望と確信のコードも。 帰路に大宮でゐざさの鯖寿司。思えば「憂国忌」だが、からっ風が町に吹いている。 * 振り返れば様々な歳月が浮かび上がる。 学生時代、京都から東京へ、就職、結婚、小城下の住居、愛娘の死、倅一家、ウォーキング、病院通い。 「生」を静かに見据え、「老い」を受け入れ、無骨に生きる。 11月23日(木) 勤労感謝の日。 澄み切った初冬の陽ざしに、紅葉が鮮やかに色めきたつ。 公園ウォーキング30分、重たい腰や脚をならす。 昨日は腰痛でF院整形外科の診察、薬にタリージェ錠5mg、ロキソプロフェンNa60mg。リハビリはいつもの電気治療。 穏やかな暮らしに何かと起こる。もらった鎮痛劇薬(?)のおかげで腰の痛みはひき、こんどは眠くてしようがないようになる。 ・何もかもあっけらかんと西日中 ・湯豆腐やいのちのはてのうすあかり ・灯籠のよるべなき身のなかりけりーー久保田万太郎 11月21日(火) 紅葉狩。 冷たい風も収まり、小春日和。穏やかな時の流れ。 窓障子、炭の香、隙間風、帰り花、山の湯、河豚鍋。 侘介の名に隠れ住み、また寂しいぞ宵灯り。 11月18日(土) 晴れ。 ホームページのアクセスカウント、本日を以て138.800。 ささやかな発信、ご覧いただき御礼申し上げます。 * プロファイルの余白に記す私事、甲斐なき夢の面影や。 SNSの情報の閲覧や発信ーーその熱狂のコンセプトもよそ眼に、 わがホームページにおける時代遅れの絶唱。 文学・思想・哲学・サブカルチャー。そして、幾夜寝覚の「あやしうこそものぐるほしけれ」と。 11月17日(金) 雨。 雨が瀟湘と降り、冷え込む。 寒くなり書室の窓辺に取り込んだ君子蘭、月下美人。 世はソーシャルメディイアでX(旧Twitter)はじめフェイスブック、インスタグラム、ユーチューブなどオンラインとオフラインが賑やかに混ざりあう。だが、老体のインターネットは専らパソコンで時事・スポーツ・文化・エンタメ・政治ニュース、検索はGOOGLEが何でも教えてくれる。執筆はWORDのMS明朝、14P(30字×20行)、文字を1ポイント大きくし執筆もはかどる。スマホは未だ使いこなせないが、XはPC”お気に入り”FOLLOW履歴から諸賢(研究、マスコミ、文藝評論家ら)のご高見を拝読、笑読。 尚、ホームページ「花月流伝」はサイト公開転送の不安感が伴いつつ更新発信中。 昨日はS総合病院(呼吸器内科)で3カ月定期診察。 喘息は小康状態で診療費:280円、薬代:8.850円也(3カ月分)。 過日の焼肉きんぐ食べ放題キングコースは倅たちに予約、注文お任せで、腹一杯になる。 京都の友人が次々に亡くなり、深紅葉が空しく舞っている夢ん中。 口切の小城下ーー仁清写しに点てる一服の風雅、秘して語らぬ花しぐれ。 家人の通院、リハビリ、買い物、家事などに協力、全快をねがっている。 さても、刊行記念パーティや懇親会は気が重く、身心的にも足が向かなくなった。 旅に出ること、美術館や芝居小屋に行くこと、人の交流も減っていく。 「ま、いいか」、「それがどうした」と、よろしくつぶやき呵々大笑。 ーー石川淳の『狂風記』読む。 11月13日(月) 東京に木枯らし1号。 晴れ。郵便局に手紙を出しにぶらぶら歩いて行く。 この町にはどこを捜しても、まったり過ごす粋なカフェがない。 路地を曲がったところの和菓子屋で、どら焼き&赤飯を買う。 気温下がり、師走並みの寒さに公園ウォーク50分。 口切は炉開きに行なわれ、茶人の正月。茶室をととのえる。 * ・肩に降る雪冷たくも歩みきて祷り愛(かな)しくわれの晩年 ・砲弾の街遁れなば血のにじむ手帖かゝげぬ地球(ほし)の彼方に ・小城下に流れ棲みつく異客なれ朝の髭剃り風に逐はれる ・昏みゆくわが「嵯峨日記」捨ておけば老いの寒さを語るなゆめ ・たとへば公侯爵夫人邸のマチネー(午後の集い)に遅れ持ちゆく百合の花束 ・月下の客に問うなかれ罪あらむ証すことなき愛も悪事も ・散骨の無料体験クルーズ終えトランペットふく夜明けのブルース ・さみなしに馬齢重ねてすべなきをうそぶきあそび風に狂じぬ 11月11日(土) 曇り、冷え込む。 朝からどんより曇り、風あり14℃。急に冷え込む。 関東の乾いた大地が暗くたれこめ、湿っぽく、重い。 急な気温の変化に身体がなれず鬱々粛々。 ーー夕食に水炊き。出羽鶴(地酒徳利)、ほろ酔いの3、4盃。 11月10日(金) 雨。 昼さがり、雨の公園ウォーク50分。 池辺で鴨たちが身をかがませてじっと雨にうたれている。 竹藪がさらさら揺れ、人の往来もなく寒さがしのびよる。 主を亡くし伽藍とした園芸の広大な温室。蔦がおおいからんだ小径。 傾いている庚申塔。白むくの犬がいなくなったあばら家。 ーー冷たい雨、冬時雨。時が流れ、ひとり異郷にありて異客となるや。 11月9日(木) 小春日和。 晩秋、初冬ーー異常な温かさで、木々が色づく。 「西田幾太郎全集」(岩波書店)の第1回配本は1978年10月9日。 東京へ出てきて10年、3K公団住宅の生活は火の車で、子どもは小学生の2人。なぜか哲学全集を予約購読、家の近くの書店の親父が毎月届けてくれた。定価2.800円、愚妻が顔をしかめて支払った。 「絶対矛盾でいい、何も自己同一せずともいい」とわめき、小説を書こう。書かねばならぬ。だが、モーレツからビューティフルの時代に咽び、風によろめき膝をかがめ、いつも疲れに疲れきっていた。 11月8日(水) 立冬。 晴れ。紅葉映え、温かく風なく山茶花が満開。 『大江健三郎』(「ユリイカ」7月臨時特別号)散読。 60年代、大江健三郎が文学のすべてであったが、その後まったく関心なく過ごしてきた。 書庫の「西田幾太郎全集」全19巻、8~10,15~19が欠巻なり。 ホームページ転送につき修正してもらったが、次々と問題発生。 「恐らくインターネットブラウザ(Microsoft Edge)側の設定が原因だと思われ、再度、調査必要」とのことで、最終確認になった。だが改善されず、ベースが問題だという。おいおい、修正費3万円は何だったのかね。 11月7日(火) 家人の茶稽古に。 晴れ。夕べの雨風で家の前に枯葉がいっぱい散乱している。 リハビリ中の家人が杖をつき、お茶の稽古に出るという。 介護しなければと、車に乗せて小島宗鶴先生の草庵に向かう。12㎞、40分。 煮えたぎる釜、一碗の茶、茶情一入ーー健気にやってくれればとねがう。 聖学院大学の際で雑木林が広がり、花の丘公苑があった。 11月6日(月) 阪神タイガース、日本一。 日本シリーズは阪神タイガースが優勝した。 1985年いらい38年ぶり、「アレ」は長い道のりだった。 寅ファン爆発、厳戒態勢の道頓堀に若者がつぎつぎに飛び込んだ。 38年前(1985)、阪神優勝の時、たまたま大阪にいて、その熱狂の渦に巻き込まれていた。 無敵のわれら、輝くわれらーー歓喜と昂奮に街が湧いた。 思えば、友人Kは同じ京都の大学だったが、アルバイトで学費を稼ぎ苦労して卒業。 大阪へ行くと、よく法善寺の酒場でもてなしてくれ、気勢をあげた。いわずとしれたタイガーズフアンのたまり場だった。 だが、そのKは神戸につくった中堅の宣伝広告会社が倒産し、にっちもさっちもゆかず自殺した。タイガース、六甲おろし、友人の死が重なってくる。 11月5日(日) 「澁澤龍彦の文学世界ーードラコニアの航海」。 さいたま文学館における生誕95執念周年企画展(12月3日まで)。 礒崎純一氏の著書『龍彦親王航海記 澁澤龍彦伝』は叡知を尽くした力作である。 だが、同氏の講演はもう終わっているという。もともとこの企画展はすでに埼玉美術館で数年前に行われている。人の命は無頼の沙汰よ。奴がれが目くじらたてて、桶川の文学館に足を伸ばすこともあるまいて。 わがエロティシズム、美と悪のサロンーー澁澤龍彦よ、永遠なれ。 11月4日(土) 夢の枯れすすき。 晴れ。陽ざしに向け五感をひらく。 だが、夕べの夢の枯れすすきがまだ揺れている。 世阿弥の能、利休の茶の湯、雪舟の墨絵ーー亡霊と死の陰がいろどる。 我孫子ゴルフクラブで90を切ったという若いK君は仕事が忙しいようだ。 ベンツで乗りつけ宍戸ヒルズカントリーに案内してくれたM君は、次会は茨城ゴルフ倶楽部だという。さて、名門コースに畏れをなしつつ素振り&ウォーク。ちょっと腰が痛い。身体硬く回らない。いよいよお手上げの時がきた。 11月3日(金) 文化の日。 風なくからりと晴れあがっている。 武州小城下には人形供養祭り、お茶会、鷹行列祭りと賑やかな行事。 その賑わう城址公園をぶらりとひと周りしてくる。 世界が戦争で引き裂かれる。 第5次中東戦争へ、核開発競争、地球温暖化、生成AIの大規模言語モデルの激震。 「ぼくは、星が輝き、雪が消え残った夜道を歩いていた・・・・」、老いぼれは横丁をくぐりぬけ、静かに小林秀雄の文庫本『無常という事』を紐解く。 *ホームページのサイト公開、更新、転送が相変わらずスムーズにできないでいる。 11月2日(木) 夜愁つもる。 ![]() 小家の夏椿も枯れ、葉をいっぱい落としている。 深まる秋の風情のやさしきを、夜愁つもる。 さて、外出先から家に帰り、玄関のカギが開かない。 家のなかに入れず悲嘆に暮れる。何とか2階によじ登り部屋に入り、籠城10時間、非常事態である。積水ホームに連絡相談すると、カギの汚れ、劣化でと取り換えねばという。愚老のカギの開け方の不注意もあるが、何とも情けなくあわてふためく。いろいろ予期せぬことが身辺に起こる。 A氏(T理化大名誉教授)が逝去された。 外出で頭部を打ち救急車で自宅に運ばれ、その後入院・治療中だった。葬儀は学識関連や銀行勤めの長男関連の弔問者でにぎわった。ご夫人は生け花師範で、その後の病状がはかばかしくない。 11月1日水) 霜月。インフルエンザ注射。 はや11月、晩秋から初冬へ立冬、小雪の季節。 日光など紅葉ざかり、多くの人でにぎわっているようだ。 F院でインフルエンザ予防注射。受け付けて待つこと1時間余。 いろいろな症状のシニアの方が廊下で診察を待っている。。 帰路、注射後の安静の身にて静かな公園のベンチでひと休みしてくる。 時がどんどん過ぎ、老いの寒さを感じさせる。 ーーウクライナ、ゴザの難民キャンプ攻撃、死者負傷者多数。 |
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