日録●太田代志朗●2025年 

5月13日(火) 晴天、薫風。
早朝に樹々の風に気持ちよくウォーキング3.000歩。
リハビリ、家人とスーパーへの買い物、小庭の水やり。
そして少しPCをうち資料を整理し転寝。埼玉の日没 18:39。


5月11日(日) 晴天。
明るい5月の陽光、小庭にユキノシタが咲きみだれている。
昼前の公園にいくと子どもたちがサッカーに興じている。
竹林がサワサワ揺れ、風が匂うように流れていく。
ウォーキング30分、右腰・脚をいたわり茫々。
大相撲五月場所はじまる。


5月10日(土) 京都・衣笠アートヴィレッジ。
立命館大は衣笠キャンパスに「デザイン・アート学部/デザイン・アート学研究科」を誕生。衣笠をアートとデジタル、伝統と革新が交差し、新たな表現が生まれる拠点として話題を呼ぶ。
50年を閲し、立命大にアートが開化誕生したのである。

思えば60年代、立命大・広小路キャンパスは安保紛争で狂奔し、さもしい民主平和のマルクス教条主義に犯され、自由な芸術・アートの色彩豊かな饗宴もかぎられていた。むろん美術部、演劇部、能楽部、囲碁将棋部、茶道部などあった。
そうしたなかで学内雑誌「広小路文学」を浅学は主宰編集、応募する学園新聞社主催の「末川賞」(選者・梅原猛、高橋和巳)も受賞にいたらなかった。「広小路文学」の予算審議で学芸本部にいくと「実践論を読んでいるか」といわれ興覚めした。
「広小路文学」のボックスには日本文学科の安森敏隆もたびたびやってきた。だが、彼は破滅的愉楽の文学論に辟易し、藤茂吉研究に専念し、「幻想派」の短歌結社を起こし、塚本邦雄の膝下で鮮烈に活動をはじめる。

後年、その安森敏隆は同志社女子大学教授となり、NHK介護短歌はじめ、「歌人・白川静」を論じ、短歌結社「ポトナム」の主宰になる。その「ポトナム」で立命大の1960年代の文学構造の経脈をまとめてくれている。

『一九六〇年に入学した私の身近な仲間だけとっても、「哲学科」の太田代志朗がいた。高橋和巳、梅原猛について、今は作家になっている。
「地理学科」に北尾勲がいた。吉野の歌人・前登志夫について歌人になった。
「中国文学科」には清水凱夫がいた。白川静ついてき第一の弟子になり、立命館大学の教授になり中国文学に残った。「日本文学科」には、上田博、國末泰平がいた。国際啄木学会の会長になり、芥川龍之介の研究者になった。皆、白川静先生に習った仲間である。鉄筆で一字一字綿密に書かれた先生のつくられた教科書を持ち、勉強したものである』(2004年6月『ポトナム』HP評論デビュー)


5月8日(木) 晴れ。
健康運動スクールで体操、筋力アップトレーニング1時間半。
足腰を動かし何とかやんわり発進、少し気分も晴れる。
歌誌「曠野」5月号は主宰の飛高敬「命ありて」十首。体調崩され年末入院。「復活のわが身」、「息吸って吐くは命の根源」、「あたらしき命いただき」と新たな渾身の境位をひらく。飛高さん、どうぞお元気で。

「甘ったれた小説を書くな。絶望のポーズを捨てよ」
と60年代学園新聞で一喝された。だが、恩師梅原猛は「太田代志朗は世にもむごい体験をした。三島由紀夫の言語文体は認めぬが、その太田代志朗の絢爛の修辞はここでは生かされている」と歌集『清かなる夜叉』をみとめてくださった。
むろん、ここには福島泰樹、持田鋼一郎、間村俊一の援けがあり、何より塚本邦雄は「新古今につらなるわが同士」と閲されたのだった。


5月6日(火) 立夏。
雨の一日、ひんやりとして肌寒い。
万巻の書が長い歳月のうちに整理され、生涯の伴侶たる残った1冊とは何か。
その一冊も何もなくも桃源にゆらめく。ーーさみだれや仏の花を捨てにでる(蕪村)


5月5日(月) こどもの日。
端午の節句ーー五月人形, こいのぼり、武者のぼり。
昼前の公園ウォーキング。竹林の脇の小径からぶらぶら40分。
大型連休をふるさとや行楽地で過ごした人たちのUターンラッシュ。


5月4日(日) みどりの日。
夕べはよく眠り、早朝起床。
ことしも小庵枝折戸をおおう青紅葉が映える。
風の流れにさわさわと葉擦れの音を立てる。

昼前に公園ウォーク30分。
左腰にまた痛みがはしり、ベンチでぼんやり。
五体がくずれてゆくようで、雉も鳴かずば撃たれまいか。
ーー5月、武州小庵にて生命燃焼の余燼なりや。


5月3日(土) 快晴。
晴れ、薫風に青葉若葉がひるがえる。
小庭に咲くテイカカヅラ、シラン、エビネ。
富士霊園へも行かず、端座黙然。
ことしの大宮薪能は「鉄輪」「清経」、薪の炎のゆらぎ。


5月2日(金) 雨。
肌寒い一日。雨が午後から激しく降る。
M病院泌尿器科で診察、シドロシンOD錠63日分。
五月雨ーーさみだれ。さみだれに濡れ、さみだれに散りゆくか。


5月1日(木) 皐月。夏切茶。
目に青葉、山ほととぎすの好季節になった。
初夏の陽気に風も爽やか、時が穏やかに流れる。
夏もちかずく八十八夜、新茶の季節のはじまりである。

”要支援”の世話にもなっていないが、遠出することもなくなった。
美術館や博物館、観劇やコンサート、映画館にも行かない。
お連れに誘てもろてあちゃこちゃいったのも懐かしい。
また断捨離を考えねばならぬが、書庫周辺は混濁したままになっている。
混濁したまま消えゆくや。家の近くの公園をウォーキング30分。 


日録サイト:2002年7月~2025年5月

WEBサイト「花月流伝」は2002年7月より開信。
掌篇、短歌、高橋和巳研究、書評、エッセイ、著書目録など
しかるにその大半がアップデート(更新)できず、鋭意検討中。

ネットワーク時代に迷走し、
それでも「純文学終焉」の荒野に、ロマンの夢の文法体系を構築する



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