日録●太田代志朗●2016年 

10月30日(日) アクチュアルな文学評伝。
晴時々曇。風ひんやりとして1時間ウォーキング(7.200歩:約4.2Km)
文学に政治を持ちこめと、今どきの大学の文学講義では時にフランスのラップを大音響で流し、隣の教室から顰蹙をかっているといふ。
陣野俊史著『テロルの伝説 桐山襲烈伝』(河出書房新社)読む。

加藤順子の「ラノヴイア」「アルディラ」、その赤坂ディナーショーもいい。
だが、いや老いぼれはゐざさの柿の葉寿司でも食べていることにしやう。


10月29日(土) 望郷と不在の黙示録。
わが最後のセンチメンタルジャーニー。
東京で2週間。鎌倉・逗子で3日。伊豆・松崎~静岡~浜松で2週間。
そして京都で3~6カ月(この間、大阪・奈良・神戸を回る)
あとは夕焼けが美しい入り江の小さな部屋で波音をききながら存へる。
ーー望郷と不在の黙示録なりてよ。


10月28日(金) 昼過ぎより雨。冷え込む。
車にガソリン。セルフでなく宇佐美でやってくる。
ビバでアンのドッグフード(ユカヌバ10Kgシニア用)とサブリメントを買ふ。
冷たい雨にてかういう日は何をやっても気分が晴れない。
夕食におでん、焼酎お湯割り。日本シリーズ(広島:日ハム)なし。

国連「核兵器禁止」決議、被爆国日本は反対。
強行売国秘密交渉採決かTPPーー日本農業、食の安全・安心、医療、労働、金融に与える影響は甚大と。生活の安心を支えるために必要な年金や医療、介護などの社会保障制度への不安は依然として根強い。


10月27日(木) 落ち葉を踏んでジョギング&ウォーキング。
晴れ。木々が紅葉しはじめた。川辺の風におほられた落ち葉が舞っている。
桜並木をいくと葉をすでに落とした木や、葉がまだいっぱいゆれている木があり、それぞれの秋の表情をつたへてくれる。

なるほど近場のコースは満杯。ならば紅葉ドライブにと校友からのお誘い。
高井有一さんが26日、心不全のため亡くなった。84歳。「内向の世代」の作家は生涯かけて昭和を描きつづけたが、なぜか湘南の滋味深い日々のうつろいをまとめた一冊を読んだばかしだった。


10月25日(火) 敗者の戦後漂流ー午睡のあとで。
晴後曇。朝の明るく透明な日差しが昼過ぎから曇りしぐれる。
PCはきわめて順調、ウィルスバスタークラウドのバージョンアップ。

70~80年代、オーラな人々が時代をかけぬけていった。
首都はポストモダンの狂乱と祝祭の日々を演出していった。
世にいふ文化人たちとの対応からその高邁と卑屈、変幻する裏表のカオも面白かった。東京は熱く燃へ、最後の文学的季節を私はバブリーな音調とともに浮かれていた。

それにしても今さらの『唐牛伝 敗者の戦後漂流』でないが、全学連もブントも遠い霧の彼方になぜか哀愁をかかえて生きた男の漂流が気になる。享年47。その葬儀は1984年3月19日、東京・青山葬儀場で行われた。
元赤坂の事務所から駆けつけた葬儀告別式場のうしろにいると、大島渚が慌ただしくはいり、鮮やかな大漁のぼり旗がはためいていた。


10月24日(月) 晴天。秋の穏やかな一日。
過日会議で町へ出たついでに古本市をのぞいてきた。
神田古本まつり(今年は10月28日~11月6日)もこのところいっていないが、この100円コーナーに小川国夫(1927~2008)の本が並んでおり『青銅時代』『或る聖書』『漂泊の視界』『彼の故郷』『遊子随想』、装幀は栃折久美子、司修。そして大岡昇平『ハムレット日記』、『白秋全集ーー歌謡集』など思わず手にとっている。

確かに日本の小説界の空気や風土は激変してしまった。
電子書籍の趨勢について知る由もないが、紙の本に育てられてきた身は、紙の本が絶対だとおもっている。造本装幀が高感度よくなされ、用紙の温かい質感に活字が鮮やかに刻印され、はじめて痛切に言葉がつたはる。”透徹する文学”がずっしり、 本を詰め込んだキャリーバッグがこのうえなく重かった。

10月23日(日) 霜降。晴れ。
秋がいちだんと深まり朝霜が見られる頃、朝晩の冷え込みが厳しくなった。
朝の城址公園にサザンカが咲き、銀杏がいっぱい転がっている。
ひと仕事終へて肩から重たい荷をおろし、ほっとしている。
ーー鳥取で震度6弱の地震、多数の避難生活。札幌で雪。

「さいたまトリエンナーレ2016」(市民プロジェクト文化祭フェスタINさいたま)のテーマは”未来の発見”。当区も音楽、映画、演劇、人形、その他多彩なアート展が開かれているやうだが、今一つ町の盛り上がりも感じられずしっくりこない。
今年のノーベル文学賞に選ばれた米シンガー・ソングライターのボブ・ディランが沈黙を続けている。
障子を突き破った芥川賞作家・元都知事・腐敗の13年ーー脳梗塞の後遺症に悩み、金権隠匿逃亡で余生が見るもぶざまなかたちになった。


10月20日(木) 庭さきカヘェで。
晴れ。秋がふかまる日々、風がこころよく流れていく。
資料を整理し、なんともなくぼんやりしている。
シュメイギクやホトトギス揺れる午後、古民家風ガーデン・カフェでちょっとした打ち合わせ。

庭さきに日差しの翳りがうつろい、梁のある家の質感がやさしく身をつつんでくれる。
築100年、祖母が住んでいた家を改装したらしい。
庭伝いに時代の暮らしの物語がひっそりとただよふ。
わが京のミクロコスモスに通底する古城下の路地奥にゆったりした時間が過ぎていく。


10月19日(水) GTゴルフ会コンペで。
晴れ。鳳凰ゴルフ倶楽部西コースOUTを8時20分スタート。
恒例のコンペは8組22人参加(私事、文字通りのリベンジマッチでもある)
ドライバーは狭いフェアウェイながら何とかふりぬき方向性よくまとまった。それに比べ、やはりグリーン周りの寄せが今一つで、さらに2~4ヤードのパターが決まらない。ボールは僅かに外れて悔しく何度も転がった。

帰路のバス車中表彰式もなごやかにグロス83、88、92の強者に敬礼。
老プレヤーは54:49グロス103、H21にてGRS7位。


10月17日(月) 朝から雨。一にケンコー、二にゲンコー。
S院でマッサージ。終日書室にこもる。
夕4時ころより青空がのぞき、陽が明るく差す。

昨今週刊誌は滅多に読まない。それでもちょっとした待合せロビーなどにおいてあるのを手にすることがある。先日ある週刊誌の文藝コラムで三浦哲郎さん、石和鷹さん、立松和平さんのことなどが載っており、おもはず懐かしく故人のことをおもった。
声帯を失った石和さんが手持ちの白板に「一にケンコー、二にゲンコー」と書いたといふ。まさに原稿に向かふ作家魂、修羅場ならではのその言葉が身に染む秋である。

三浦哲郎さんとは東京・吉兆の茶室風のお座敷に上がり、お宅へもよく伺い、仙台へ一緒に旅行した。
井伏鱒二さんの前で、三浦さんは師匠に寄り添い、少年のやうにはにかんでいられた。
石和鷹、立松和平さんは福島泰樹の紹介で、根津や新宿でよく飲んだ。



10月16日(日) 秋日和、ほっこらした時の流れに。
晴れ。気分爽やかな秋日和の一日。
朝の静かな城址公園。老齢で少し歩くのをセーブしたアンと散歩。
サザンカが咲き、草叢に落ちたサワクルミの実を10個ほどひろってくる。

やまぶきまつり(第13回岩槻区民祭・文化公園)にゆくと、ことしも大いに賑っている。
久方に森脇さんご夫妻に会ふ。オーストラリア在住の娘さん一家(お孫さん3人で計5人)が来日、3週間 水いらずで一緒に過ごし一昨日帰国されたの由。B級グルメで好評の豆腐ラーメンを食べながらの弾はずむ。

中央公民館の文化祭で陶芸クラブでつくった家人が皿、水指など出品。
しかし、連れ合いの体調不良で予定のクルーズ旅行も不可能になった。何とか早く元気になってもらいたいとおもふ。秋の山里を歩き、美味な蕎麦。そして観月茶会。
ーー1本校正、そして編集整理雑務終へる。夜、満月煌々。


10月14日(金) ふかまる秋の日に。
ノーベル文学賞にボブ・ディラン受賞。その詩は強くうつたへてくる「新たな誌的表現の創造」(受賞理由)であり、反骨のシンガーソングライターは「時代や体制への糾弾に始まり、シュールな心象風景や関係性や朴訥な愛を歌っている」といふ。
またも村上春樹の落選が話題になっているが、時代が変わる。世界が動く。

福島泰樹の新歌集『哀悼』(皓星社)
その二十九歌集出版記念、短歌絶叫コンサート「哀悼」。
10月30日(日)吉祥寺「曼荼羅」で2時、6時開演。
ピアノ=永畑雅人、ドラム・パーカッション=石塚俊明。

・菊姫を飲みて朝まで乱声(らんじょう)の風の行方を誰にか告げむ
・月明に義のあかさざる若きをば叛きゆくはやめゆめのまぶたよ
・つひにゆくことばすずろにちるはなのきみがふぶきのちかひのあした


10月13日(木) 鳳凰ゴルフ倶楽部で。
西OUTを8時40分スタート。
曇空に時々薄陽が射し、ひんやりとして肌さむい1日。
山間特有のアップダウンのあるコースは広くなく、きびしい戦略と技量をせまられる。
よって、奥深いゴルフの楽しみを味わうことなく、ロストボール4個、3パットありで迷走


同伴プレヤ-はGT会の中里、大郷、及川さん。キャリアのないゴルファーとしては、またも苦戦のラウンドとなった。



10月11日(火) 朝夕冷え込む。曇り時々晴れ。
キャスターに書類・資料を一杯つめこみ浦和の関東図書で打合せ。
午後後2時よりコムナーレで埼玉文藝家集団の刊行委員会。来年5月発行の文藝叢書の原稿80本が集まった。ーー終って岡安仁義、北原立木、田中委左美氏らと飲む。燗酒に肴は秋刀魚の塩焼きと鮪の刺身、いささか酔ふ。夜半、月煌々。


10月09日(土) 雨で区民運動会が中止。
昨年につづき今年も天候不順で区民運動会が中止になる。
近隣交流をはかり、毎年楽しく参加しているが残念。夕方からその残念会があったが欠礼。スポーツの秋だが、台風や前線停滞で雨の日が多くいかやうにもならない。

立命館大学哲学同窓会が幹事(会計担当および元幹事長)の逝去で預金口座など通帳・印鑑所在の不明で混乱している。
予算も活動方針についてもはっきりしないといふ(さういへば、哲学50周年記念誌発刊についても、その会計報告がなかった)
京都を離れ哲学同窓会の体制などどうなっているのか知らない。
知らないできているのだが、哲学先輩の中小路宗隆氏(立命文学部校友会長、長岡天満宮名誉宮司)へ近況挨拶に一文したため投函。
中小路さんはRITSアートフォーラムのこと、また新作能『実朝』に関心を寄せられ1部引用、仕舞として観世会館で披露してくださった。


10月06日(木) 野田パブリックひばりコースで。
快晴。月例会(RTK=立命東部ライン校友会)は12時15分スタート。車で40分、お馴染のコースとなった河川敷6.280ヤード。

秋空が高く澄み、筑波山がくっきり見へる。
強い陽射しがまぶしく、しだいにボールが風にあほられていく。仲間と「楽しくやろう」とティショットにむかふ。

プレヤーたちの影が秋の時間のながれとともに、しっとりと長くなっていく。
コースメンテナンスされた芝生も心地よく、ピンフラッグが静かにゆれる。
風が冷たくなり、夕暮れまでフェアウェイを歩きつづけた。


10月03日(月) 雨が降ったり止んだりの1日。
猛烈な台風18号で沖縄本島が警戒区域にはいった。
年甲斐もない編集整理雑務のことで、あっといふまに時間が過ぎてしまふ。
こちらのことでづっと神経を尖らせていたが、最終段階にきて見通しもつく。
雨で運動不足。気分が塞ぐ。

夕方、アンの散歩の公園から車を走らせ、健康診断および心臓のクスリをもらいに井上動物病院に行くが臨時休診。せっかくきたのにと、ますます落ち込んでしまふ。
いかやうもなく気ぶっせいになれば友人に長電話、あるいは自転車に乗って走り周るのだといっていたのは、かのボードレリアンにして洛中生息の粋人だった。「憂鬱と理念」としてのパリ、京都、フィレツェへのあつい懐郷だった。

ロンドン帰りの田中寛からメール。添付原稿「わたしの中の高橋和巳」に感動、落涙。
夕食に湯豆腐、ぬる燗。


10月02日(日) 明るい陽射しの公園で。
朝の明るい陽射しにみちた公園は多くの人で賑っている。
青空に白い雲が流れ、久しぶりに陽を浴びほっとした気分。
アンも軽やかにグラウンド1周(明日は井上動物病で心臓のクスリ、爪を切ってもらおう)。
木陰でいつものラジオ体操に簡単なストレッチ、素振り。
1週間前に4時間打ち放し1000発で、皮が剥けた掌がやっと元にもどる。

乱雑した書斎の整理。もとの書棚に戻らぬ本がまだまだ散らばっている。
今朝の「東京新聞」文化欄”3冊の本”で、藤沢周氏が高橋和巳の『邪宗門』をとりあげている。「最初は庶民のための幸福を願って生まれた小さな親和的共同体が激変していく歴史を描いた」と。昨今、何かいいしれぬ政治の時代の不安感がよぎる。確かにそれは「人々の抱える不安が飽和状態にある時の危うさ」をいっている。

家人は花を活け、軸を変へ、茶碗をとりだし、お炭を洗っている。
夜、住宅自治会役員会。防災マニュアルづくりで紛糾。


10月01日(土)  名残月、風呂名残。そして時雨忌や。
はや10月となった。野辺の千草が咲き乱れる季節。
早朝の雨の小降りの公園をアンと散歩していると、銀杏の実が転がり金木犀の匂い。
サッカーやバレーボール試合で各チームの少年たちがたくさん集っている。

天候不順で晴れ間がすくなく、今年の秋はどうもすっきりしない。
真理子は原因不明の咳で3日間休校。見舞ひに好物のタルトのケーキ。
家人はメニエール病で通院中、運動不足でけふもHカイロプラクティック通い。

そんな中、当方の血圧135-78と快調。夕べもよく眠った。
気分よく「同調圧力も激励にかはして」とうそぶき、H氏に長電話。
「人生の無常とはなやぎを感じさせる安定した文章」とは何か。
いやこれもおのれの甘美なる業、孤独地獄のたたかいなればよ。

ーー秋がふかまる。秋しぐれではあるまいに前線の影響でよく降る。
それにしても、なにゆえに腰折れは武州小城下に住み侘びているのだらう。
畏友小坂郁夫よ、また広小路・清和院御門の紅葉が燃へだすころだ。
鬼怒川で湯三昧のKよ、伊豆帰りのTよ。それでは激突爽快なるラウンドに期待。

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