日録●太田代志朗●2016年 |
06月29日(火) 小雨。午後、さいたま文学館にて会議。 刊行委員会の文藝誌編集発行、9月末締切現状レポート。 「埼玉の特性を生かした文学活動と会員相互の分野を超えた交流、ならびに全県的な文学新興」(埼玉文芸家集団)なる事業目的や天晴。 振り向いてやさしく、定住遊民の転調と憂愁などしらなくていい。 故松本鶴雄さん(文藝評論家1932~2016)の追悼会、発起人でないが謹んで出席しやう。 帰路、JR大宮エキュートの吉野のゐささの昆布巻さば寿司。 06月27日(月) 晴れた朝の公園をアンと散歩。 木陰に風が気持よく吹き抜けていく。 身体がだるく、S院でマッサージ。 誠実に向きあふも「文学のテロリズム」「文学の霊性」など読み飛ばし茫漠。 詩や小説のこと、音楽、美術、演劇のこと。すなはち「激しく愛することは美しい。しかし厳しく愛することは尊い」と。 英国のEU離脱で世界が騒然、参院選の盛り上がりもぶっ飛び円高と株安加速。 昨日は家人につき紫蘇の葉10束、南高梅15Kgに漬ける。 そして犬のシャンプー、小庭の竹斬りーー日光大納言羊羹を食べ昼寝。 夜7時より居住する住宅自治会役員会。8月の納涼盆踊り大会打ち合せ。 06月23日(木) エヴァンタイユゴルフクラブでーー雨後晴。 4ホールほど過ぎて雨が止み、暑い夏日になる。 手軽なプレー費はいいが、「変化の富んだフェアウェイのアンジェレーション」は、まさにトリッキーな丘陵コース。 「雨だろうが、風だろうが、文句を言っている暇はない」とう同伴の森脇、丸野、中西氏等のナイスショットを前にダボ及びトリプルペース。昼食バイキングを美味堪能し、バックナインに向かふがOB2発。グリーンも手強くオリンピックも絶望的なり(ああ、老兵はどれだけひそかに打ち込んできたのだったか)。 ホールを上がり風呂に入ってサッパリし、フーと大きく息をはく。 天候不順でまた小雨が降り出した帰路、車中談議弾む。 ”戦士たち”の面白さとやさしさ。ショットのたびに落胆したり、飛び上がってよろこんだり。次回こそ素晴らしい幸運の風が吹いてくれるだらう。 06月21日(火) 夏至。 昨日から各地が天候不安定で大雨だったが、一転して昼前から晴れ上がる。 外は明るいがまだ梅雨の真っただ中、パソコンに向かいデスクワーク。 夕方5.000歩ウォーキング。夕陽が森の向こうに6時50分沈んでいく。 一年中で一番昼がもっとも長く夜が短い(太陽と銀河の中心の間に地球が入る)夏至。 帰宅してひと風呂あび、”キリン氷結”でほろ酔い。肴に勘場蒲鉾。 ことしも卒川神社の三枝祭、鞍馬寺の竹伐が終わった。 06月17日(金) 夕べの雨が上がり朝から眩しい陽差し。 朝の公園をノロノロ歩きのアンとぶらぶら。今日は暑くなるのだらう。 木陰にアジサイ、クチナシ、ササユリ、ハンゲショウ。 『高橋和巳没後45周年記念論集』についてはまだまだ課題山積。 編集企画を共にすすめている田中寛氏からメール。 「いよいよスコットランドへ。夜行バスで13時間ほど北上し、インヴァネスから南下して漱石が訪れた足跡をたどる独歩行。漱石を慕い、寄り添うことで、小生の在英は心満たされ勇気づけられる。漱石に会いに行く、胸の高まりをおぼえます」。 06月16日(木) 重たい曇り空。アンの散歩。 朝の公園をぶらぶらしてくる。 老犬は朝夕の散歩も20分ほど、日がな眠っている。 キャバリア牝13.5歳、 フォルテコール錠(心不全や腎不全の治療薬)常用。 ここのところ急に老けこんできている。ガンバレ、安寿。 政治資金の私的流用問題の大騒動の裏で、巨悪がスピンされていった。 メディアリンチで”品格なき知性”とやらの東京都知事が辞職した。 06月13日(月) 樋口貞次様のご冥福をお祈り申し上げます。 樋口貞次翁がお亡くなりになっていた。 病院で4日ほど入院、静かに息を引き取ったといふ。 貧乏作家は鰻を喰え、温泉にいってゆったりしてこいとよく激励された。 戦争のこと、ソ連の厳しい抑留生活の一つ一つをよく聞かされた。 ご冥福をお祈り申し上げます。 梅雨の雨の1日。 後期高齢者市民検診(胃の内視鏡、肺ガン、大腸検査など)をY医院でうける。 胃カメラは2年振り、潰瘍のあとがあるだけで大事ないやうだ。 足腰が弱くなり、昨今は物忘れがひどくなっている。 こんなことじゃあと2、3年で引退かなと呟くや、ゴルフ仲間のM氏は「弱音をはくな。パーオンめざして、戦士たちは決して容赦しない」と。 心地良く風が流れ、出会いがあり、生きてることの喜び。 06月11日(土) ロンドンの田中寛とメール開通。 「花も咲き、風薫る最高の季節となりました。昨日は地方へ足をのばし、ノッティンガムの古城、詩人バイロンの過ごしたニューステッドアビ-などを見に行きました。万物の生命の息吹を感じます」。 梅雨の晴れ間にて蒸し暑い。午後、さいたま文学館で埼玉文藝家集団の総会。 組織・予算改革の断行。刊行委員会の事業報告。 二次会を失礼し大宮エキュートの吉野ゐざさの好物の鯖棒寿司を買い、駅前の焼き鳥屋でいっぱい。夜天に月おぼろ。井出彰氏に投函。 06月08日(水) 福島泰樹短歌絶叫コンサート「六月の雨」よ。 福島泰樹短歌絶叫コンサート=6月10日・吉祥寺曼荼羅。 「六月の雨ーー樺樺美智子、岸上大作57回忌追悼」 ・みな貧しく一途に激しゆきしかな岸上大作、樺美智子よ ・高橋和巳寺山修司春日井健わが弔いの五月ゆくべし 梅雨空が重たくも、時々薄陽がさす。 気ぶっせなままウォーキング5.500歩。ーー終日昏々。 ・紫陽花よ花もて背反(そむ)き老いたればすべなく醒めし雨の一日 ・遙かなる60年代叫びしを義といはなくにいかにありなむ 06月06日(月) 野田パブリック(ひばりコース)で。 關東は昨日梅雨入りした。 校友月例会は気軽に野田パブリックひばりコース、8時40分OUTスタート。河本、外岡諸氏の好プレーに圧倒されながら、今一つアプローチ・ショットがまとまらない。 いつもの仲間内のゴルフの楽しみ。 京都・広小路時代よりのガシンタレ共はおっとり穏和に構えなくていい。けたたましく明るく元気にやるべし。おにぎり頬張る休憩なしのスループレー。 勢ひ込んだドライバーが河川敷コースにスライスして1ペナと相成る。 06月05日(日) 辻井喬=堤清二について 絢爛の1970~80年代、セゾン文化がポストモダンの華麗な戦略を展開した。 そんな饗宴の中で、”実業と文学”の堤清二=辻井喬を眩しく眺めていた。 葛藤する時代の”絢爛と憂愁” セゾン文化をつくった「実業と文学」の深層 菅野昭正 編:粟津則雄・松本健一・山口昭男・小池一子 『辻井喬=堤清二 文化を創造する文化』(四六版 3月9日刊 平凡社) 06月03日(金) 言ふなかれ、君よ、わかれを 晴れ。朝の明るい陽射しにからっとしたこころよい風が流れる。 緑林のオゾンをいっぱい吸い込み五体が穏やかにいきいきとする。 木漏れ陽に小鳥がさえずっている。 午後、家人のお客さまで茶室が賑っている。 当方はデスクの仕事すすまづ、アンと見合わせしばし茫漠。 気分晴らしに家の近くの桜並木の小堤から川辺に出る。 元荒川は満水で悠々と流れ、葦の葉がおおいつくすやうに茂っている。 美しく刈られた芝生(20~30ヤード)でアプローチ練習。ひと汗かく。 宮田鞠栄著『忘れられた詩人の伝記ーー父・大木惇夫の軌跡』(中央公論新社 2015年4月刊)、一気に読む。哀惜と憎愛、実生活と詩作品の照合、鎮まりきった伝記。 ーー言ふなかれ、君よ、わかれを、 見よ、空と水うつところ 黙々と雲は行きゆけるを 06月01日(水) 水無月。褐色の論集を。 厳寒のロンドンより田中寛メール。 「ここ数日、西部のコーンウォール、デボン州を旅しておりました。 大聖堂、古城をめぐる旅路にも、さまざまな人々との出会いに心癒されます。 本来ならば文学関係のスポンサーが声をあげるべきなのでしょうが、今回、小生のような資格のものが、義憤に駆られて行動を起こすことに抵抗を示される向きも、周辺にはあろうかと存じます。その一方で、誰かが行動を起こさねば、という思いもございます」。 「高橋和巳没後45周年記念論集」(仮称)の基本構想がまとまる。 作家論、個別の作品論、時代背景論、人物論、比較作家論など、後代のためにも批評評論・研究を基調とし人物エッセイ、回顧録など。 哀愁の高橋和巳が飲めもせぬ身で盃を見つめながらわらっている。 おい、魚釣りにでもゆくか。旅に出て、また花札でもやって騒ぐか・・・・。 日本的ラディカリズムの心性とは、はたしてどういふことだったのか。 茫々の歳月に邪宗の門は軋み、遙かなる美の国が鬱然とかすむ。 そして、黄昏の橋に初夏の風が流れていく。 |
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