霊魂学と修行の会 契山館 / 霊能力や超能力開発を目指すのではなく、霊的進歩向上を求める方へ
 これは契山館会員が個人的に作ったページです

■ 霊的神秘

以下は、契山館のサイト「霊をさぐる」からの転載です。

人間という霊的生命体には、物質の肉体や脳だけを調べていても決して分からない霊的部分があります。
 それは、物質的な科学では知ることはできません。知り得る可能性があるとすれば、霊的な知覚、もしくは、霊魂から直接聞くことだけです。いくら、「悟った」と言ってみても、霊魂に聞かずに肉体の脳が得る範囲の悟りでは、とても霊的真実を捉えているとは言えません。


 神秘主義などで言う「超越」も同じです。心の中でいかに至福を感じたと言っても、それは、表面意識という、魂のほんの一部にすぎない部分の感情なのです。潜在する無意識の領域とは表面意識よりももっとずっと深いのです。

 そのため、真の高級霊魂から、より正確な情報を受け取ること、それをおいて他に、人間という霊的生命体の神秘に迫る方法は見当たりません。
 西洋においても、日本においても、これまで霊魂からの通信が多数紹介されています。

 ですが、より高貴な霊魂から直接的な通信を得るためには、それにふさわしい霊媒が必要となります。つまり、そうした高級霊魂が霊的なパワーを使用し得るレベルの、高度に訓練された霊的な身体を持つ人間が必要とされるのです。

 世の中には、人格が立派であれば、高級な霊魂からの通信が取り得るのでは、と考えている方もいらっしゃいます。ですが、霊魂学ではそれを否定しています。なぜなら、人間の人格は表面意識の性質にすぎないからです。表面意識の性質に笑いが多かろうと、涙が多かろうと、その人の本質はそこには現れていないのです。そのような事よりも大切なのは、霊魂は肉体を持っていない、この点なのです。表面に現れた心は、しょせん、物質の脳によって表現される意識なのです。

 通常の霊魂は人間の幽体に、上級の高級霊魂は人間の霊体に、それぞれ作用して初めて、人間と接触することができるのです。
 つまり、真に高級な霊魂との通信は、霊媒の表面意識がそれを求めていることは大前提ではありますが、その次には、霊媒の霊的な身体が霊魂達の霊的なレベルに対応できていなければならない、という大変難しい問題があったのです。

 人格的に立派な方は世界中に大勢いらっしゃいます。これまで、霊媒として有名になった人達よりもずっと立派な方々が大勢いらっしゃるのではないでしょうか。
 日本でも、本当に偉い僧侶や、愛情豊かで偉業を成し遂げた方がたくさんいらっしゃいます。中には、霊的に敏感な方や直感の鋭い方、そうした霊媒的な感性を持つ人も一人や二人ではなく、いらっしゃったのではないでしょうか。
 それでも、そのような方々は、霊魂から通信を得て人間の霊的神秘を世に示すという事ができませんでした。
 なぜでしょう。もうお分かりかと思いますが、霊魂が使いやすい霊的な条件が揃っていなかったからなのです。この霊的な条件を満たす事を可能にする秘技、それこそが「神伝の法」なのです。

 そして、それによって得られた神秘の一端を、水波一郎師は、主宰する会の行事の中で折に触れ発表なさっています。こうした神秘は、霊魂方によれば、人々の準備に応じて発表することが望ましいということです。また、著書のようなまとまった形でないと、誤解を生みやすいとも言えます。

 ですから、私はこれまでに知り得た事の、ほんの一部しかここで発表することができません。
 それでも、皆さんに何らかの形でそうした神秘の一端でもご紹介できないものかと考えて、このページを作ろうとしています。

1.人類の誕生


 人類はなぜ地球に誕生したのでしょうか。科学によれば、生命が地上に現れてから長い年月を経て、多数の動植物が誕生し、それらが長い間に進化して今の人類になったとされています。

 これは本当に正しいのでしょうか。キリスト教ではそうは言いません。最初に神がアダムとエバ(イブ)を造り、その二人から今の人類が増えたと言っています。

 こうした話を信じる現代人はまずいません。ですが、本当に正しいのはどちらなのでしょうか。
 高級霊魂達は地上の人間はまだ真実を知らないと言っています。なぜかと言いますと、科学の言う進化の歴史は、物質の身体の歴史ではあっても、霊的生命体としての歴史ではないからです。

 物質の身体がどのように変化したとしても、霊魂としての人間の魂は人間のままなのです。
 たとえば、今後、人間の知能が異常に発達し、頭ばかりが発達して、手や足がなくなったとします。、それは確かに人間の進化ということになるでしょう。
 人間達はそれを記念して、自分達のことを新体人類などと名付けるかも知れません。ですが、私達の霊魂はやはり人間の霊魂のままかもしれないのです。
 実際、人間の身体が進化すると、霊魂としての意識の全体がどうなるかは私にはわかりません。ですが、人間という霊魂であることに変わりはありません。
 では、今の人間の身体の前の身体の時も、人間の魂が身体に入っていたのでしょうか。人類はまだ何も知らないのではないでしょうか。

 つまり、物質的な科学からいえば、人間の歴史は今の身体になってからの歴史なのでしょう。ですが、霊的生命体としての人間の歴史がいつ、どのように始まっているのかは、科学では解明できていないのです。

 霊魂学はこう言います。

 「人間の真の誕生、それは霊的生命体としての誕生であって、物質の身体の誕生ではない」

2.魂と霊魂


人は霊魂の世界の人間を、「霊」と呼んだり「霊魂」と呼んだりしています。ですが、霊魂学で言う「霊魂」という用語は、「人間の正体の意識の全体」というような意味で用いています。つまり、魂というものの更に本質にある実質というような意味と言えます。
 ですから、霊魂学で言う「霊魂」は大変難しく、初心者のためのホームページでは扱いにくいテーマです。
 そこで、このページではもっと簡単なテーマとして、魂の姿形について書いてみようと思います。
 魂というものは一体どんなものなのでしょうか。
 たとえば、魂は、人間の心臓にあるのでしょうか。それとも、頭にあるものなのでしょうか。
 実は霊魂学ではこの両方の考えを否定しています。つまり、魂というものは、物質ではないので、物質の肉体の一定の箇所にとどまっているようなものではないらしいのです。
 このような話になりますと、どんどん難しくなってしまいます。そこで、魂の姿形についてのみ考えてみることにします。
 実は、肉体がなくなっても、肉体と重なった霊魂の身体としての幽体があります。この幽体も肉体と同様、身体ですので、魂ではありません。とすれば、魂は、人間の体のような形はしていないのでした。
 その上、どうやら、高貴な霊的身体である「霊体」にも、肉体とは別な意識があるらしいのでした。
 つまり、人間の魂はあまりにも巨大、かつ複雑なので、その姿形に関しても、なかなか文字では表わせないのでした。

3.霊的身体


 霊的な身体は肉体と重なっている幽体ばかりではありません。更に高貴な身体もあります。  なぜかと言いますと、人間は死んで霊魂の世界に入ると、最初は幽体で生活する世界に入ります。ところが、更にずっと進歩すると、まさに霊魂として進化することになります。それが幽体としての死です。

 つまり、物質の世界で幽体を脱ぎ捨てたように、今度は更に高貴な身体を持って生活することになるのです。そのために、地上に生きているうちに、高貴な身体で生活するための身体が未発達ながらも育っているのです。
 もっとも、実際にそうした高貴な身体で生活する霊魂は、まさに神とか天使とか菩薩とか呼ぶにふさわしい高貴な霊魂方です。ですから、一般の人間には夢のまた夢のような話です。
 ですが、未発達ながらも、こうした高貴な身体を所持し得るのが、人間という霊魂の神秘なのです。
 実はこの高貴な身体を成長させないと、同じ次元の存在としての高貴な霊魂と交流することはできないのです。
 つまり、高貴な霊的身体を成長させる方法も知らずに、実在の上級の霊魂と、直接的に会話し得る人はいないのです。

 また、霊的身体はただ人格を立派にしても成長はしません。それはあくまでも身体なのですから。
 そのため、それを可能にするためには、そのための技法がいります。そして、その技法は、上級の霊魂でなければ示すことができません。ところが、上級の霊魂が人間を指導しようにも、そうした霊的身体を持つ人間はいません。だからこそ、これまで人類はそうした技法を知ることができなかったのです。
 それが現れるには、高貴な霊魂の皆さんの数千年にわたる計画が必要だったのです。

そして、今、ようやく、それが地上に現れたのです。

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