3 巡礼・遍路の精神修養、いやしへの効果
@ 巡礼をすると一体何が得られるか
* 自らの救済を願い、奇跡的に身体の病が癒えることもあった、それらが功徳、霊験として言い伝えられてきた。
* 生き場所を求めながらの巡礼にはとてつもない魅力と作用が秘められている。
* 不治の病を抱え死に場所を求めて遍路を続ける人もある。
* 物質的に恵まれた現在の日本では「癒し」の一環として、また「健康」のため
* 神仏の加護や縁結びなどの現世利益を祈る。
* 現代医学で治療不可能なら、運命を呪って生きるよりは狂信とさげすまれよう
が、ワラにもすがる思いで霊験を期待するほうがよいと思う人は多い。
* 当初は、とにかく足が痛いし辛いし苦しいことで頭がいっぱいであったが慣れ
てくると何の変哲もない物事がみずみずしく感じられたり、見慣れた雑草の花
も美しく見えたり、巡礼を無事に終えたときの達成感と満足感。
A 朱印は極楽往生のための保証書か
* 西国巡礼では、朱印は閻魔大王が授けた宝印とされすべて集めれば、それは極楽浄土へのパスポートとされた。
* キリスト教でいえば「免罪符」
* 朱印の授与とは、その札所そのものを神仏も含めて丸ごと分身を授与することにほかならない、それゆえ朱印は御守として扱われた。
* そもそも朱印とは朱(丹)の印肉で押した印のことで、礼を尽くした印と考えられてきた、「朱印状」「御朱印地」「朱印船」に見られるように執行力が強く、安堵の認証として用いられていた。すなわち朱印とは「保証」を与えるためのものだった。
B 精神修養、いやされる霊場と効果の薄い霊場の区別
* 区別はなく「本当の自分」や「新しい自分」を求める心の修行としての巡礼である。
* リストラや退職で「死んだ」心を現実逃避の時空間で人々や自然、神仏とふれあいがらゆっくりと癒し、再び現実の世界へと生き返らせ、喪失感を癒す。
* 奇跡が起こるとされる場所
神仏や聖者の間近へ赴き祈願することで、傷病の治癒や超能力の獲得、苦悩の解消などの霊験を得ようとする巡礼である人類が不思議な現象や物事に対して超自然性を意識した時点で神仏・聖者は誕生する。
* 精神的な原点がある場所
一族発祥の地や先祖の墓、自分の故郷、人の生き方を支える出来事が起きた始
原の地への巡礼である。聖地は強烈に想像力を喚起し、生きる気力を奮い立たせる。
* 美しい自然や優れた文化がある場所
天橋立や富士山などの風光明媚な土地、都や名所、旧跡を巡るリフレッシュの旅である。