谷汲山 華厳寺たにぐみさん けごんじ   障害者トイレマーク     

宗派:天台宗 本尊:十一面観世音菩薩  開基:豊然上人、大口大領

山門                                        縁起  

華厳寺山門天台宗谷汲山華厳寺は、古記録、古今記等をひもといてみると、今から1200年前、桓武天皇(延暦17年)の創建となっています。
奥州白川郷の大口大領が京都において、大悲十一面観世音を深く悟り、護持して東下りの際、この谷汲に来て尊像が動かず、これは仏に縁のある土地であろうと、この地に精舎(僧侶が仏道を修行するところ)を造って安置しました。仏閣を建てるにあたり、一つの岩に穴をあけると油が湧くという奇瑞があり、この油を本尊の常夜燈に用いました。又、尊像に華厳経が書写されていた事から谷汲山華厳寺と呼ばれるようになりました。醍醐天皇はそのことをお聞きになり、勅願をされ、谷汲山の山号と華厳寺の扁額を賜わったといいます。
西国33巡礼の始まりは、大和の長谷寺、徳道上人といわれています。法華経に観世音菩薩は人々を救う為、33に姿を変えて現れるとあります。上人は閻魔大王より夢の中で、人々をさまざまの災いから救う為、33の観音霊場に広めるようお告げを受け、自らも巡礼の旅に出られました。 その後、花山法皇も観音霊場を巡幸になり、当山に参詣されました。それ以来、西国33ヵ所を巡拝する道俗は、当山をお詣りして巡礼の満願を表し、笈擢を奉納することが慣例となりました。又、花山法皇の先蹤(足跡)をお慕いするものともいわれています。その後、桓武元年(1330年)新田氏の一族堀口貞満が当山の巓にたてこもったので、仏閣僧房が兵火を受け、ただ本堂のみが残り、その後正中元年から文明7年迄2、3度兵火に罹い、まったくの荒廃に帰しましたが、薩摩国鹿児島の慈眼寺の住職道破拾穀上人が霊夢を感じて再建しました。
その後幾多の星霜を経て大破したので、明治8年豪泰法印が再建の願主となり、同12年現在のお堂が再建されています。本堂向拝の両柱に青銅で出来た鯉は、西国を旅した巡礼たちがこの鯉をなでてなめ、精進落ちの印にする奇習があります。

                          

境内案内

華厳寺境内案内

本堂                            満願堂

華厳寺本堂 華厳寺満願堂  

笈摺(おいずる)堂内           奥の院          精進落としの鯉 

華厳寺笈摺(おいずる)堂内  華厳寺奥の院  華厳寺精進落としの鯉

             

近隣の見所     観光案内(横蔵寺)         紅葉時の華厳寺

       華厳寺紅葉

アクセス       関連サイト(華厳寺)  慈悲の道(法話・行事)

場所………〒501-1311 
岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23
電話………0585-55-2033
交通………JR東海道本線大垣駅から近鉄養老線約25分 終点揖斐駅下車し、名阪近鉄バス谷汲山行きまたは横蔵行きで約25分 谷汲山下車。     JR東海道本線大垣駅下車 樽見鉄道37分 谷汲口駅下車、名阪近鉄バス谷汲山行き約8分 谷汲山下車。
駐車場……有(町営700台 日曜、祝日など有料)
拝観時間…8:00〜17:00
納経時間…8:00〜16:30

バリヤーフリー状況

山門近くに障害者用トイレがあります車椅子は階段があり不便です

景観・見所

ここが満願の寺。やはり独特の雰囲気がある。
笈摺堂、精進落としの鯉など西国巡礼をやっと終えた人だけが知る
喜びのしるしに満ちていて、観光参拝客らもその雰囲気に引き込まれる。
谷汲さんの名で親しまれ、桜や紅葉の名所でも知られている。