紀三井山 護国院(紀三井寺)(きみいさん ごこくいん(きみいでら)) 

宗派:救世観音宗総本山 本尊:十一面観世音菩薩  開基:為光上人

本堂(県重文)                              縁起 

紀三井寺本堂紀三井寺は、今からおよそ1230年前昔、奈良朝時代、光仁天皇の宝亀元年AD770、唐僧・為光上人によって開基された霊刹です。
 為光上人は、伝教の志篤く、身の危険もいとわず、波荒き東シナ海を渡って中国
(当時の唐国)より到来されました。
 そして諸国を巡り、観音様の慈悲の光によって、人々の苦悩を救わんがため、仏法を弘められました。行脚の途次、たまたまこの地に至り、夜半名草山山頂あたりに霊光を観じられて翌日登山され、そこに千手観音様の尊像をご感得になりました。
 上人は、この地こそ観音慈悲の霊場、仏法弘通の勝地なりとお歓びになり、十一面観世音菩薩像を、自ら一刀三札のもとに刻み、一字を建立して安置されました。それが紀三井寺の起こりとされています。
 その後、歴代天皇の御幸があり、また後白河法皇が当山を勅願所と定められて以後隆盛を極め、鎌倉時代には止住する僧侶も五百人を越えたと伝えられています。江戸時代に入ると、紀州徳川家歴代藩主が頻繁に来山され
、「紀州祈祷大道場として尊這崇されました。
 正式には
「紀三井寺金剛宝寺護国院(きみいさんこんごうほうじごこくいん)」という当時の名称を知る人は少なく、全国に紀三井寺の名で知られていますが、この紀三井寺とは、紀州にある、三つの井戸が有るお寺ということで名付けられたといわれ、今も境内には、清浄水しょうじょうすい)、楊柳水ようりゅうすい)、吉祥水きっしょうすいの三井より清水がこんこんと湧き出して、年中絶えることがありません。紀三井寺の三井水は昭和60年3月、環境庁より日本名水百選に選ばれました
 西国三十三所観音霊場第2番目の札所である当寺は、観音信仰の隆盛に伴い、きびすを接する善男善女は数えるにいとまなく、ご宝前には日夜香煙の絶え間がありません。
 特に、ご本尊・十一面観世音菩薩様は、厄除・開運・良縁成就・安産・子授けにご霊験あらたかとされ、毎月十八日の観音様ご縁日を中心に、日参、月参りの篤信者でにぎわいます。
 春は、早咲きの名所として名高く、境内から景勝・和歌の浦をはじめ淡路島・四国も遠望出来る紀三井寺は観光地としても有名で、古来文人墨客にして杖引く人も多く、詩歌に、俳諧に、絵画にと、多くの筆の跡が遺されています。
 紀三井寺は以前、真言宗山階派の寺院でしたが、昭和26年に独立し現在は、山内・県下あわせて十二ヶ寺の末寺を擁する救世観音宗
ぐぜかんのんしゅうの総本山となっています。

本尊の「十一面観世音菩薩像」、「千手観音像」、それに本堂に安置されている、
「梵天・帝釈天立像」は何れも重要文化財に指定されている

長い階段(231段)   三井水(名水に指定されているが最近鳩の糞害により取消しか?)

紀三井寺231の階段   紀三井寺三井水   紀三井寺三井水 

境内案内                                  鐘楼(重文)

紀三井寺境内案内  紀三井寺鐘楼

楼門(重文)                             多宝塔(重文)

紀三井寺楼門      紀三井寺多宝塔 

三社権現              春子稲荷           開山堂

紀三井寺三社権現   紀三井寺春子稲荷 紀三井寺開山堂

近隣の見所      和歌山観光スポット

                 

アクセス    関連サイト(紀三井寺)  慈悲の道(法話・行事)

  
場所………〒641-0012 
和歌山県和歌山市紀三井寺1201
電話………073-444-1002
交通………JR紀勢本線(きのくに線)紀三井寺駅 下車約10分
車………国道42号線を斜めに東に入る
駐車場……有(約30台)
拝観時間…ご参拝だけなら6:00〜22:00(寺務取扱等は下記納経時間内)
納経時間…8:00〜17:00

              

バリヤーフリー状況

紀三井寺防災道路本堂までの防災道路(左図)

車椅子の人は裏門より入り
本堂前で下ろし途中の駐車場に
止めて下さい
トイレは駐車場近くにあるが
障害者用でないので別の場所で済ませましょう

景観・見所

231段の石段を登ると和歌浦湾が一望、その気分はまるで雲上人
三井水(吉祥水・清浄水・楊柳水)は、「名水百選」に選ばれている。
また、境内は関西一の早咲き桜として知られており、観桜の名所として名高く、
さくら百選にも選ばれている
紀の国屋文左衛門は親孝行であった。ある日母を背負って紀三井寺に参詣、
この坂を上ったが途中で草履の鼻緒が切れた。
そこに玉津島神社の宮司の娘が通りかかり、鼻緒をすげ替えたのが縁となり、
二人は結ばれたという。これが、この坂を「結縁坂」と呼ぶようになった