この世で狩より楽しいことはない
 生命が盃に勢いよく湧きあふれる
 角笛の音をしとねに草原でひと眠り
 薮を抜け 沼を渡り 一頭の鹿を追う
 これぞ王者の喜び 真の男の夢
    「魔弾の射手」カール・マリア・フォン・ウェーバー



















「ローマ到着まであと十分!」
 機内放送からパイロットの緊張した声が聞こえてくる。窓の外からは既にロ
ーマの様子が見え始めていた。第三次世界大戦が始まっているような光景だっ
た、顔を顰める。
「いや」
 これこそが第三次世界大戦なのだ。だが今回の戦争は人間同士の戦いではな
く、相手が吸血鬼であるということと、このローマの戦争で全てに決着がつく
ということが非常に大きな相違点であるが。
「さて……」
 インテグラが葉巻を咥えながら、アーカードとセラスの前に立つ。
「私の命令が何か分かるか? セラス」
「えっ、はっはい、あのぅっ……見敵必殺?」
「その通りだセラス、アーカード。見敵必殺(サーチアンドデストロイ)だ。
 地上に纏わりつく不浄の虫どもを――」
 床下に葉巻を投げ捨て、踏み潰す。
「叩いて潰せ」
 アーカードはそれは楽しそうに頷いた。
「了解した」
「了解(ヤー)!」
 インテグラはその後ちらりと惣太を見た――が、何も言わずに別の方を見る。
 ――勝手にしろ、勝手に死ね、ということらしいな。
 惣太は自分の都合のいいように解釈した。できれば吸血鬼の群れに万歳突撃
してリァノーンもろとも死んでいるのが理想形ということだろう。だが彼女の
予測は絶対に裏切ってやる。
 ――とはいえ、よりによってヴァチカンだもんなぁ。
 惣太は少し泣きたくなるのを我慢した。拳に力を篭める、涙を零さないため
に上を向いて歩こうじゃないか。
「……惣太さん、どうしたんですか?」
 見るべきものは何もない天井に視線を向ける惣太にセラスが声をかけた。
「何でもないデス」
 ――……がんばろう。

 操縦席から悲鳴が聞こえたのはそんなちょっとした合間の時間帯だった。イ
ンテグラ、ウォルター、そしてベルナドットはくぐもった悲鳴を聞いただけに
過ぎなかったが、残りの吸血鬼三人は操縦席の中にいたパイロットが、
「何だ……なんなんだコレ!?」
 と言ってから、銃弾らしいものに胸を貫かれた音を確かに聞いていた。
「婦警!」
 インテグラが名前を呼ぶ。
 セラスが慌てて駆け寄り、渾身の力で操縦席への扉を開く。アーカードとウ
ォルターを除く全員が息を呑んだ。蜂の巣になったパイロットが三人、操縦席
に突っ伏している。
 惣太とウォルター、そしてアーカードが気付いた。操縦席の中をゆっくりと
漂っていた小さい小さい鉛の塊――弾丸に。それは扉が開いた途端、痙攣した
ように揺らめくのをピタリと止め、次の瞬間一直線に開かれた扉に突撃を行っ
た。当然、その弾丸の射線には扉を開いたセラスが在る。
「婦警……伏せろ」
 アーカードの声。ウォルターの操る鋼線がセラスの足に絡まり、彼が腕を振
るとセラスは悲鳴をあげて、実に無様な姿勢で倒れ込んだ。
 セラスの金髪を掠めて、客席に弾丸が乱入した。
「ベルナドット、伏せろ!」
 惣太がそう言って前面に進み出た、言うまでもなくベルナドットは転がって
座席の裏側に隠れている。
「このっ……」
 左手で掴もうと手を伸ばすが、突然弾丸は方向を曲げると惣太の掌をに孔を
穿ち、さらに天井に当たり、アーカードの背中を貫通した。
 一瞬、奈落の底に落ちたような衝撃が全員を襲う。蹲っていたベルナドット
が重要なことに気付いた。
 ――おい、いま誰が操縦してるんだ?
「ウォルター!」
 インテグラの叫びとほとんど同時にウォルターが操縦席へ突進する。遅れて
ベルナドットが続く。躰を起こして真っ直ぐ走るウォルターに比べ、機内を縦
横無尽に駆け巡る弾丸を恐れておっかなびっくりだった。
「それを頼むぞ、アーカード!」
 委細承知、と呟いてアーカードが腕を伸ばす。それに反応するように魔弾が
ピタリと宙空で静止した。

「有象無象の区別なく」
 輸送機ハーキュリーズから直下一千メートル、その女吸血鬼は空を見上げて
標的と、それから自分の弾丸――魔弾に囁いた。
「私の弾頭は容赦しないわ」

 突然、魔弾が加速した。急カーブを描いて掴もうとしたアーカードの腕をす
り抜け、彼の頬を貫いて咽喉から飛び出す。はっとセラスが気付いた時には、
魔弾はインテグラに真っ直ぐ向かっていた。
「インテグラ様!」
 悲鳴に似たセラスの叫びにウォルターが振り返る。
 不味い、と思った瞬間ウォルターの腕がほとんど無意識に動いた。極細の鋼
線が網を張るように魔弾に襲いかかる。
 だが、弾丸はウォルターが網を張るのをほんのわずか上回る速度で疾り、網
の目をくぐり抜けた。一瞬遅れて網が絞られるが魔弾を捉えたという感覚は得
られなかった。
「お嬢様!」
 ウォルターがいつもの冷静さをかなぐり捨てて狼狽する。セラスは咄嗟に困
り果てたときの癖で、アーカードを見た。頬を抉られているにも関わらず、ア
ーカードは、
「マ、マスター?」
 嗤っていた。

 インテグラは自身の眉間に真っ直ぐ向かってくる魔弾を睨み付けた。まるで
そうすれば魔弾の方がその軌道を逸らす、と言わんばかりに。
 ――覚悟はとうに決めている。やれるものならやってみろ。
「ならばミレニアムからの心からの贈り物、さしあげるわよ、王立国教騎士団
局長インテグラ・ファルブルケ・ウィンゲート・ヘルシング!」
 魔弾の射手(リップバーン)は嗤う。
 魔弾は狙い違わずインテグラの眉間に音速のスピードで激突する――
「なるほど、コツは掴めてきたぜ」
 寸前でタングステン鋼製の右拳と激突した。
 パン、と風船が針に刺されて破裂するように、リップバーンが弾丸に送って
いた意識が弾けた。
「魔弾を……止めた!?」
 驚愕する。
 茫然とする。
 絶対の自信を持っていた魔弾を、あの化物アーカードでも死神ウォルターで
もなく、ただの吸血鬼に行動を停止させられたことはリップバーンにとって衝
撃で、そして屈辱だった。
 だがリップバーンはもう少しその場にいた伊藤惣太という名前の吸血鬼に注
意を払っておくべきだった。そうすれば、彼女も彼が世界最強クラスの吸血鬼
の継嗣であるということが理解できたはずだ。
 機内を縦横無尽に暴れ回っていた魔弾は、今やただの鉛塊となった。惣太は
右腕をぶん、と振り回して感触を再確認する。異物の痛みは次第に肉体に溶け
込んでいて、それを違和感として表現することを止め出していた。
「イっ、イイインテグラ様! 大丈夫ですか!?」
「ああ、私は――」
 インテグラはちらりと惣太を見た。惣太は右腕の凄まじい威力に満足気な笑
いを浮かべている。
「ちっ……」
 舌打ち。アーカードならばともかく、王立国教騎士団とは無関係の吸血鬼に
助けられるとは、ある意味死ぬより屈辱だ。
 だが、屈辱を感じていても今はどうにもならない。そんなものは一切合財が
決着してからゆっくりと味わって身悶えすればいいのだ。
「礼を言う」
 素っ気無くインテグラが惣太に声をかけた。どうでもいい、というように惣
太は右腕を振った。今や違和感は完全に解消したようだ。
「いやなに」
 惣太は右腕を真っ直ぐ突き伸ばし、ゆっくりと曲げる。人工筋肉はわずかな
モーターの音すらしない。まるで金属の腕が当然であるかのように滑らかに彼
の意志に従って動く。
「こんな素敵な腕を貰ったお礼だよ」
「フン……」
 余りにも正直すぎる答えに、インテグラは我知らずわずかに笑みを浮かべた。
「インテグラ様! この機体、ローマまで持ちませぬ! 三人をあれに乗せま
す!」
 ――あれ?
 セラスと惣太は同時に声を発していた。乗り込む寸前に目に停まった改造さ
れた機体の外見を思い出す。
「そういうことだ。アーカード、セラス、それから伊藤惣太君。
 すぐにシルバーブリットに乗り込んでもらおう!」
 シルバーブリット、ライフル弾のような形状をしたそれは一種のロケットで
あると言える。強襲兵器として開発されたはずのそれは試作品が一機製造され
る寸前、根本的な欠陥に気付いて開発中止を余儀なくされた。
 乗員が死ぬのだ。
 文字通りロケットのように発射されるそれは、猛烈な重力を乗員の肉体にか
けながら飛ぶのだが、最終的な着地の際、地面に激突する訳にはいかないので、
乗り込んだ人間がブレーキング操作を行うことになる。
 だが、このブレーキ操作を重圧の中できる人間は一人もいなかった。いや、
正確には一人いたのだが彼はその任務の都合上、こんな派手な音と速度でブッ
飛ぶものを使うことはほとんど有り得ないことだったのだ。
 だが、このシルバーブリットについて聞きつけたアーカードとウォルターは
面白がって試作機を三体秘密裏に製造させた。
 ――まさか、使うことになるとは思わなかったがな。
 ウォルターは無線を耳に当てて、直ちに撤退する旨を知らせてゆっくりと右
方向に機体を滑らせる。
「発射準備をするぞ、傭兵! そこのスイッチ三つ、合図をしたら連続で切り
替えてくれ!」
「あいよ!」
 魔弾で穴の開いた風防に噛んだガムをくっつけながら、ベルナドットは妙に
真新しいスイッチ三つに手を掛ける。
「お嬢様! そちらの準備はよろしいですか?」
 まずセラスが折り畳んだハルコンネンにしがみつきながら、乗り込み、次に
惣太が乗り込んで扉を閉めた。閉める寸前に、インテグラに軽く頭を下げると、
彼女は頷いた。
 最後にアーカード。
 乗り込む際に、インテグラに軽い敬礼を行った。
「では――魔界に乗り込むとしよう」
「アーカード」
 アーカードの動きが止まる。インテグラは真っ直ぐ彼を抉るように見つめた。
「吸血鬼の神と万の吸血鬼が相手だぞ、全力で片っ端から思う存分殺し尽くせ」
 嗤い合った。
「了解した、我が主人!」
「ウォルター、準備はできたぞ!」
「了解! ベルナドット君! シルバーブリット、発射!」
「応!」
 スイッチを続けざまに切り替えた。一つ切り替えるたびに機体を揺らしてシ
ルバーブリットが空へ飛び出す。
「お嬢様! あの弾丸が再度やってくる前にすぐにここから離れます!
 座席にお座り下さい!」
 インテグラは頷いて、座席に座りベルトを締めた。それからしっかりと椅子
の肘かけを握り締め、先ほどから断続的に起こる衝撃に耐えた。
「こちらの魔弾も発射された、後はあの二人に託すしかあるまい……」
 いや、一人足そう。とにかく、今は有象無象の吸血鬼よりも吸血鬼の神(カ
イン)の殲滅が優先される。
 神を――その化物を滅ぼさねばヴァチカンどころか、英国、世界の危機なの
だ。いや、もう既にその兆候はとっくに始まっている。未だニューヨークは粘
ついたコールタールのように吸血鬼がくっついていて根絶することができず、
他の都市でも吸血鬼が出現したという情報がひっきりなしに届いている。
 王立国教騎士団の助力を乞う、と付け加えられて。
 ――もう限界なのだろう。
 インテグラはそう思った。主要マスコミは抑えられても、草の根レベルでは
既に吸血鬼が居ることを前提に情報を送信していた。ニューヨーク市長は責任
を取ってテレビの前で自分の頭に弾丸を送り込むことで決着をつけた――が、
その後で夜のニューヨークを元気に歩き回っていたのを目撃されている。
 中国では新興宗教団体が突如として武装蜂起、チャイニーズマフィアと手を
組んで暴れ回っている、ご多分に漏れず吸血鬼が一枚噛んでいるようだ。
 人間側も統制が取れないが、吸血鬼側も全く統制が取れていない。
 いや、連中は取れなくてもいいのか。カインが復活すれば、その時点で吸血
鬼が世界を支配するのだから、遠慮は無用だ。それよりも今の内に思い切って
行動に出て、他の連中を先んじておいた方がいい……そういう考えなのだろう。
 この戦争が終わった後、まだふんぞり返っていたのなら、その賭けのリスク
を思い知らせてやろう。己の血と魂という代価で。
 ウォルターが操縦席からやれやれ、という顔つきで客席まで戻ってきた。ど
うやら操縦はベルナドットに任せたらしい。
「どうやら持ち応えられそうです。
 近くの民間飛行場で、補修整備を依頼致しましょう」
「時間はどれほどかかる?」
「そうですな、ざっと……八時間はかかるでしょう」
「つまり、我々は戦線から完全に脱落するというわけだ」
「左様で、ですがアーカードと、それからセラス殿がおります」
「なあ、ウォルター」
 ガタガタと揺れる機体の中、ウォルターは平然とバランスを保って立ち尽く
していた。
「何でございましょう」
「我々は、カインに、吸血鬼の神に勝てるか?」
「インテグラ様、ご質問を返すようで恐縮ですが、アーカードがカインに敗北
するとお思いで?」
 インテグラは応じるように笑った。
「いや」
 ぐらり、とまた機体が揺れる。ベルナドットは「やれやれ」と呟きながら、
必死で言うことを聞かない操縦桿をなだめすかしていた。
「アーカードは紛れもない最強の不死者です。一体どうしてたかが神程度に負
けることがありましょうか? 勝ちます、必ず勝ちます。
 なぜならアレはヘルシング家が百年かけて作り上げた化物ですから!」


               ***


 魔弾の射手は直ちに二発目を愛用のマスケット銃に装填した。しかし、あの
時の一瞬の驚愕、一瞬の出遅れが響いた。見る見る内に輸送機が遠ざかる。
 だが、それでも彼等は魔弾の射程範囲だ。撃てば墜とせる危険地帯に王立国
教騎士団は留まっている。
 ――今度はあの吸血鬼にも気をつけよう。あの右腕は要注意だ。
 狙いを定め、引金をきりきりと絞っていく。が、標的から突然轟音と共に何
かが発射された。
「ミサイル?」
 だがしかし、ミサイルというには少し大きく、そして鈍重だ。ミサイルとい
うよりはロケットのようだった。それも有人用の大きさ。
 ゆっくりとリップバーンはマスケット銃の狙いを三つのロケットに移動させ
る。しかし待て、と再び彼女は狙いを輸送機に戻す。
 あれは単なるデコイかもしれない。こちらの魔弾を迷わせるために発射され
たのかも。
 そこまで考えて、ではなぜ自分、リップバーンという狙撃手がいることを知
っているはずもないのにデコイを持ち出してきたのか、という疑問が彼女の脳
に浮かんだ。
 となると、これはデコイではない! リップバーンは引金を引いた、飛び出
した魔弾は急上昇と螺旋回転を行いながら、ロケットに到達する。リップバー
ンは上から下、左から右と弾丸を貫通させようとした。だが、それも頑強な壁
面に阻まれる。
「……銀!?」
 表面を銀メッキ加工した上に、タングステン鋼が彼女の魔弾を遮った。いく
ら魔弾でも、いくら何発当てようとも中の何者かに到達するまで意味がない。
 火花が散る。悔し紛れに数十回以上もロケットに魔弾を叩き付けた。
「くそっ! このっ! 墜ちろ! 墜ちろ! 墜ち――」
 ロケットは轟音と共にリップバーンから約一キロは離れた建物の壁に突っ込
んだ、自分の願いが通じたのだろうか?
 一瞬そんなことを考えたリップバーンだが、すぐにそれを打ち消す。手応え
がなかった、猟士として磨き上げられた勘に頼るまでもなく、ロケットの中の
何者かが無事なのは明らかだ。

 だが、いつまでも篭っている訳にもいくまい。いずれ物音を聞きつけたミレ
ニアムかイノヴェルチの連中がロケットを発見するのは明らかだ。
 ――さあ出ておいで、蜂蜜を自慢するためには外へ飛び出さなければいけな
いのよ。
 リップバーンの両眼は一キロ離れたロケットを捉えていた。何かが飛び出し
てくるのをじっと待つ。だが、ロケットはピクリとも反応しない。
「……」
 持久戦になるか、と思った矢先にジープやバイクがロケットの元へ駆けつけ
てきた。ああ、ミレニアム。我等の愛すべき精鋭達だ。
 彼等はゆっくりと、そして慎重にロケットを包囲する。もちろん彼等の持つ
MP43は油断なくロケットに狙いを定めている。

 ミレニアム所属のドイツ武装親衛隊は空から降って来たロケットに興味深々
だった。恐らくは敵だろうが、それにしてもこんな珍妙なもので空から落ちて
くるとは酔狂も度が過ぎている。
 だのにロケットにいくら呼びかけても、いくらアサルトライフルを放っても
まるで応答がない。まるで卵が孵るのをじっと待っているように、そのロケッ
トは全く動かない。
 だが、外側から開くためのものであろう取っ手がある。やむを得ず、彼等は
それを使ってロケットの中の何かを解放することにした。
「……」
 ルガーP38を構えた禿の吸血鬼が、無言で首を振って二人の兵士を生贄に
捧げる。兵士達は恐る恐る近づいて取っ手を握り締めた。一人は開いた瞬間す
ぐにライフルを中に掃射できるように構える。
 二人は頷いてタイミングを測る。
 一人がロケットのドアを開け、もう一人が即座にMP43を掃射した。マズ
ルフラッシュと弾丸がロケットに当たって跳ねる音。弾倉を一個使い果たして、
すぐに再装填する。だが引き金は引かず、慎重に様子を窺う。
 人間ならば死んでいる。
 吸血鬼でも、呷き声くらいはあげるはずだ。例え声をあげなくとも、血の匂
いが漂い始めるはずだ、吸血鬼の死にきった血の、厭な匂いが。
 しかし、何もない。
 ロケットの中にあるのはただ真っ暗闇の空間だけだ。暗すぎて何も見えない。
 これがロケットならば計器類の一つや二つあるはずだが――。
「どうした?」
 上級将校である禿の吸血鬼が怪訝な顔をしている二人に問い質す、今にも一
生に一度しか見られないであろう儀式が始まることを考えると、気が落ち着か
なかった。
「一大エンタテイメントだ、米国のハリウッドなんぞ問題にならんぞ」
 少佐がそう言って全員を送り出したのだ、くそ、こんなものに構っている暇
は――。
 ない、と思考しようとした将校は刹那で意識が断絶した。
 突然真っ暗闇に覆われる。夜でも明るく見える私の目がどうしたことだ?
 意識があればそんなことを思ったに違いない。一番近くに居た上級将校と兵
士二人はロケットの中の闇に呑み込まれた。
「あ……」
 生き残った吸血鬼は誰もが呆然としていた。全てが一瞬で起こり、全てが一
瞬で終わったように思えた。
 だが、これから始まるのだ。
 ようやく彼等も気付いた、自分達は闇を見通せるにも関わらずなぜこのロケ
ットの中を視ることができなかったのだ? 正解は簡単で、ロケットの中に在
ったのは闇の色をした化物だったからだ。
 ――嗚呼、なんてこった。
 闇は見えても闇色の化物は視えない。
 闇がズルリと這い出て形を形成する。
「さて」
 闇が呟く。
 全員が思わず後退する。闇は尚も変化し続け、次第にヒトの形を成して行く。
「貴様」
「王立国教騎士団(ヘルシング)!」
「走狗!」
「アーカード!」
 アーカードはいつのまにか拳銃を握っていた。幾人かは彼よりも銃そのもの
に反応して咄嗟にライフルを構えたが、二丁の銃は恐ろしい音と共に彼等の頭
を、あるいは胴を、腕を、脚を、股間を、首を、ランチェスター大聖堂の銀十
字錫を溶解して作成した爆裂鉄鋼弾が木っ端微塵に吹き飛ばした。
 二挺の銃の弾丸があっという間に切れた。それでもまだ生き残っている吸血
鬼はいる。
「全く懲りない連中だ、だが素晴らしい連中だ。カインか、素敵じゃないか?
 では改めてお前達に問おう。儀式の場所はどこかね?」
 挑発的な言動に全員が吼えた。ただし、絶望的なものが混じっていたことは
想像に難くないだろう。MP43を、MG42を一斉に射撃する、だがすぐに
無駄だと悟った。
 撃った端から、目の前の吸血鬼は再生していく。
 アーカードが長く長く伸びた腕で一番遠くにいた兵士を掴んだ。
「おいで。さあ、こっちへおいで」
「ひっ!」
 慌てて背中を向け、じたばたともがく。他の兵士が駆け寄って腕を掴む。
「堪えろ!」
「ひっ、ひっ、ひっ、ひっ、ひっ、ひっ」
 掴まれた腕を兵士に残して吸血鬼はアーカードの両腕に絡みつかれ、包み込
まれ、それから引き裂かれた。躰が復活する余地もないほどバラバラにされて。
 混じっていた絶望が完全に彼等に浸透した。
「くそ! くそくそくそくそくそくそくそこの……化物めェ!!」
 パンツァーファストで吹き飛ばす、接近してナイフでズタズタに斬り刻む。
 手榴弾を一斉に投げつける。
 しかし、全ては徒労に終わる。チリチリという耳障りな音と共に肉片がすぐ
に集合し、何事もなかったかのように再生する。
「では、諸君。豚のように死ね」
 豚のような悲鳴をあげたかどうかは定かではないが、少なくとも確実なのは
至極あっさりと、そして静かにミレニアムの小隊は全滅した。
「なるほど、政府宮殿か」
 アーカードはすっかりいつもの姿を取り戻し、血の匂いを嗅ぎながら儀式の
準備が始まっているヴァチカンへと歩き出した。燃え盛るローマの街並みを愉
悦の表情で眺めながら。


                ***


 かちかちと白い歯と牙が打ち鳴らされる。リップバーン・ウィンクル中尉は
アーカードが兵士達を簡単に虐殺するのを目撃してしまっていた。魔弾を撃つ
暇すらなく、魔弾を撃つ勇気もなく。
 躰が震えた。
 怯えている。
 撃って、それで果たしてアーカードを殺せるのか。
 撃って、それで果たしてアーカードに殺されないのか。
 ――落ち着け。
 自分の異名を繰り返し繰り返し口に出す、魔弾の射手、ヴェアヴォルフ、戦
鬼の徒、エトセトラエトセトラ。ほんの少しだけ落ち着くことができた、だが
アーカードは既に虐殺の現場から立ち去ろうとしている。この魔弾なら追跡は
充分可能だが――。

 セラス・ヴィクトリアがハルコンネンの引き金を引いた。
 悪寒。
 銃口から飛び出した劣化ウラン弾は崩落したコンクリートを突き抜け、窓ガ
ラスを割り、リップバーンに襲いかかった。悪寒がした瞬間に転がるように立
っていた場所から離れたのが幸いした、空気を切り裂く弾丸はリップバーンの
背後の建物をさらに破壊した。
「外したッ!?」
 セラスは慌てて弾丸を装填し直す。だが、薬室から空薬莢を排除し、それか
ら装填するまでには恐ろしいまでのタイムラグが掛かる。その間にリップバー
ンはセラス・ヴィクトリアの姿を視認し、マスケット銃を構え、狙いを定める
余裕すら存在した。
 リップバーンは魔弾を発射する。セラスの放った劣化ウラン弾を遥かに越え
る速度でコンクリートの壁のひび割れや窓ガラスが割れてできた穴を通過しな
がら、路地裏を疾走する、樹木をバウンドするように飛び越える。
 距離にして約八百メートル離れたところにちらりと見えた人影に、魔弾は狙
い違わず迫っていた。もちろんセラスにも、それは分かっていた。
「う、うわわわわっ」
 慌てて影に隠れてやり過ごそうとするが、弾丸がカーブを描いているのを見
て、彼女は色を失った。隠れても無駄という事実が重たげにのしかかる。
(ど、どうし――)
 迫り来る魔弾に頭がパニックになる、だが同時にセラスの奥底で何かが蠢い
た。もぞり、と頭をもたげたそれはセラスの全神経に凄まじい爆発力をもたら
し、唇に引き攣るような嗤いを浮かび上がらせた。
 ハルコンネンを右肩に抱え、左手に弾薬箱を持ち、建物のドアを蹴り壊して
屋上に駆け上がる。魔弾もそれを追う、だがそれと同等かそれ以上の速さでセ
ラスは疾った。
 屋上へ飛び出すと、そのまま真っ直ぐ淵まで走って跳躍。別のビルに跳び移
ってそのまま更に走り、再び跳躍。
「ええいこの……鬱陶しい!」
 リップバーンが牙をギリギリと苛立たしげに擦り合わせる。魔弾のスピード
がさらに増した。それに気付いたセラスはとうとう覚悟したのか、古びたアパ
ートの屋根に昇ると、ハルコンネンと弾薬箱を今はもう使われて無いであろう
石造りの煙突に立てかけ、彼女自身は腰に差していたナイフを逆手に構える。

 リップバーンはそれを見て嘲笑う。

 魔弾がセラスの眉間に真っ直ぐ飛び込んでくる。セラスの視覚情報処理はフ
ルに稼動し、ナイフを持った右手には全神経が集中される。
 尚もセラスの嗤いは崩れなかった。
 ゆらりとセラスの上体が揺れ、右手のナイフが煌いた。金属と金属の弾ける
音、セラスの右肘に強烈な痺れが疾った。だが、休む間もなく弾かれた魔弾は
再度彼女に襲いかかる。
 セラスが吼えた。
 千メートル先のリップバーンも吼えた。
 魔弾が疾る、鋼刃が弾く、魔弾が疾る、鋼刃が弾く、魔弾が疾る、鋼刃が弾
く、魔弾が――下から突き上げるようにナイフをセラスの右手から弾いた。
 あ、と驚愕と絶望の入り混じった呷きがセラスの口から漏れる。だが、魔弾
はセラスの眉間を貫くこともなく、突然彼女の前から姿を消した。
「へ?」
 素っ頓狂な声。
 彼女の眉間を貫通して脳味噌を空にぶち撒けるはずだった魔弾は、まるで彼
女のことを忘却したかのようにあっという間に戻って行った。セラスは慌てて
ハルコンネンと弾薬箱を抱え(先ほどまで軽かったのに今はずっしりと重たか
った)、慌てて魔弾を追い始めた。

 リップバーンは両手でマスケット銃を抱きかかえて震えていた。魔弾を全速
力で自分の元へ引き戻す。今や彼女の目には彼の殺意の篭った瞳が、耳には彼
の荒い息遣いまでが届き始めていた。
 ――疾く来て! 私の魔弾よ、疾く!

 着地してから三分、伊藤惣太は猛烈な躰の痛みとすっかり狂ってしまった平
衡感覚を何とか取り戻そうと努力していた。
「ヒデぇ……あんまりだ……」
 そんなことを呟いて呷く。自分が乗ってきたこのロケット、発射されるなり
回転運動が加わったのだ、名前の通り弾丸(ブリット)のように。目が回り、
脳味噌は頭蓋骨の内部でぐらぐらと揺れ、久しく感じたことのなかった吐き気
を味わったのだ。
「ああ、畜生……うぇっ……二度と……こいつには乗らないぞ……」
 吐き気を堪えてそう呟いた時だった。銃声が耳に突き刺さった、それも拳銃
のような生半可な音ではなく、大砲か何かをぶっ放したような凄まじい音だ。
 痛む頭を抑えて、周りを見渡す。通りの向こう側の建物の窓に二脚をつけた
巨大なライフルをセラスが構えているのが見えた。
「……?」
「……!」
「……だ!?」
「何か落ちたぞ!」
 声と足音、恐らくローマに散開したイノヴェルチやミレニアムだろう。惣太
はそっとロケットから立ち去った。そう言えば、自分は銃器を持たされていな
かった。くそ、拳銃の一つくらい持たせてくれてもいいのに。
 そう思ったが、右腕の重みが一つだけ武器を持たせてくれたことを知らせて
くれた。伊藤惣太には、最強の盾がある。
「攻撃こそ最大の防御なり、だよな」
 多少の不安を感じつつも、惣太は取り合えずセラスの元へ行こうとする。だ
がセラスは突然窓からその姿を消した。怪訝に思って様子を窺っていると、窓
に黒い何かが飛び込んだ。何だ? 何が飛び込んだ?
 一瞬昆虫か何かだと惣太は思った、しかし弾丸の速度ですっ飛ぶ昆虫は少な
くとも無害とは言えないだろう。
 セラスは屋上に駆け昇っていた、そのまま建物から建物へと飛翔する。月下
の光の元、まるで彼女は狼のようだ。しかし彼女のすぐ後を黒い塊が追う。
 惣太はその黒い塊に自分の目の焦点を絞った。
「――弾丸?」
 ただの丸い鉛の塊だった、だがそれは間違いなくセラスを追跡している。
 つまり、あの弾丸を追跡させるようにしている奴がいる。人間――ではない
だろう、人間だとしても相当な力の持ち主だ。弾丸を念動力で操作する、それ
は惣太とてやろうと思えばできないことではないが――。
 惣太はビルの壁面を蜥蜴のように這い上がった、セラスは相変わらず建物の
屋根伝いに弾丸から逃れようとしている。しかし、弾丸は確実にセラスの背中
を追い続けていた。
 ――凄い。
 まずそう思った。小さな弾丸とは言え、それを自由自在にコントロールでき
ているということはその時点で図抜けた力を持っている。加えて、リァノーン
の継嗣である自分でも、そしてリァノーン――夜魔の森の女王といえども、あ
そこまで滑らかに弾丸を操ることが果たして可能だろうか。
 リァノーンを越える力の持ち主――あるいは、対象を特化しているのかもし
れない、ギーラッハが自分の剣で念動力を自在に操ることを覚えたように、操
作している吸血鬼は弾丸のみを操ることに特化したのではないだろうか。
 ――ともかくだ、操作している吸血鬼を探さなくては。
 屋上の一番高い給水塔にさらに昇り、周辺を索敵する。セラスを中心として
半径三百メートル、五百メートル、八百メートル――居た!
 黒いスーツの吸血鬼がライフルを構えている。だがその先、一キロに至るま
で標的らしい姿は――セラスを除いて――見えない。では彼女はなぜ構えてい
る? 撃った後にしても既に五秒以上は構え続けているのに弾丸の再装填すら
しないではないか。
 ――間違いない、アイツだ!
 もちろん、惣太は自分が間違えているかもしれないということも考えていた。
 彼女は単に違う標的を探し続けているだけで、あの弾丸を操作している訳で
はないのかもしれない。しかし半径一キロにめぼしい吸血鬼はいない。二キロ
に範囲を広げることは、さすがに惣太の眼でも不可能だった。
 ならば、確認するしかない。
 惣太はセラスを追う弾丸を視た、それからライフルを構えている吸血鬼を視
た。覚悟を準備する。
 ――よし、行くぞ!
 覚悟を完了する。
 惣太は勢い良く走り出した、忍び足どころかコンクリートの床に足跡がつき
そうな勢いで脇目も振らずに狙撃手に向かって突撃する。
 三百メートル進んだところで狙撃手がこちらを向いた。惣太は逆に眼をセラ
スに纏わりついていた弾丸の方に向ける。弾丸は動きを止めたかと思うと、急
激にこちらに方向を変えた。
「ビンゴか!」
 だが、推理が当たったということは同時に標的がセラスから自分に移ったこ
とを意味する。弾丸は凄まじく速く、自分の脳天を撃ち抜くまでおおよそ十秒
というところだ。
 伊藤惣太は跳躍する。
 ――俺の存在はとっくにバレている、気にすることはねぇ!
 伊藤惣太は、あらん限りの力を振り絞って吼えた。
 その声は、その絶叫はローマ中に届いたかどうかは定かではないが、少なく
とも確実に言えることが一つ。


 リップバーンは、震撼した。















                           to be continued






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