「お友達?」
「いいえ、家族よ!」



                 「リーサル・ウェポン4」















 バイクに乗った黒いコートと包帯の男なんて、世界中で一人しか存在しない
だろう。
「ダークマン!」
 パッと顔を輝かせて、ドライは彼の元へ駆け寄った。彼は久しぶりに彼女の
屈託のない笑顔を見たような気がした。
「あれ? それアタシのバイクじゃん」
「バイクはもう少し大切に扱うんだな」
 館の外で乗り捨ててあったバイクに乗って、彼はここに辿り着いた。バイク
には無数の銃弾が掠った跡が残っている。
「サンキュ」
 悪びれずに、彼女はダークマンの手からバイクを奪い取ろうとする。彼はや
れやれ、と独りごちてバイクから手を離した。
「――あの、モーラの兄さんは?」
 無言。
 それから彼は首を横に振った。
 ドライはやりきれない、という風にため息をついた。
 死人が多すぎる。


 しかし、モーラの方は彼等が予想していたより大人しくその事実を受け入れ
た。「そう」と短く呟いたきり、静かに顔を伏せた。
 しばしの沈黙。
「……帰るか」
 ダークマンがポツリと言い、ドライとカレンは一も二もなく賛成した。


                ***


 快適さとは些か掛け離れたワゴンの中で、モーラはしばしの回想に浸る。
 ――振り返ってみれば、兄妹として遊んだことなど数えるほどしかない。彼
はいつでも妹を護るために誰かと戦うことしか頭に無かった。それでも彼にと
ってはそれが精一杯の自分に対する愛情表現だったろうな、と思う。
 フリッツが人を殺してしまって、村を飛び出してからは、遊ぶどころではな
かった。生きる為に、復讐の為に必死だった。

 轟音。
 硝煙。
 震動。
 悲鳴。
 苦痛。
 暴力。
 血。

 わずかにあった思い出はそういうものにどんどん塗り潰されていく、そして
もしかすると、とわずかに期待を抱いていた新しい思い出には、もうフリッツ
はいないのだ。
 そしてこれからの自分の生きる世界に、思い出はない。
 母と、兄の幼い頃の顔が思い出されて、慌てて頭を振って回想を封印した。
 思い出に浸っていると、際限なく自分が壊れていく。
 そんな気がした。


「モーラ、疲れた?」
 ドライが心配そうな声をかけながら、モーラの肩を叩いた。
「う、ん……」
 古びたワゴン車の洗濯機のような揺れを感じながら、モーラは目を閉じる。
 ドライが着ていたジャケットを脱いでモーラに被せた。
 カレンはその光景を見て目を丸くし――次にドライに悟られないように、窓
の方を向いて微笑んだ。


                ***


 石鹸工場は変わらない静寂さと大量の埃と化学薬品の鼻につく匂いで出迎え
てくれた。力なく歩くモーラの肩をドライがしっかりと抱いて歩いた。そのし
っかりとした強固な眼差しはダークマンのからかいも、カレンの微笑みも否定
するような力強さが存在していた。
 我が家に辿り着くと、三人はそれぞれ思い思いの行動を取り始めた。
 モーラは疲労した躰が自分の意思とは無関係にどこかへ動いていくことに、
抗う必要はないと――極限まで達していた疲労が彼女から思考能力をほとんど
奪っていたこともあったが――判断した。
 ドライはモーラをしっかりと抱いて、二階の今まで自身が寝ていたベッドに
運ぼうと足を踏み出す。
 彼女をベッドにゆっくりと横たえる、埃を振り払ってから毛布をかぶせる。
 枕は固かったが、それは我慢してもらう他はあるまい。
 モーラはわずかに瞼を開いて、ほんのわずか微笑んでから瞼を閉じた。
 そしてその瞬間から、ドライの寝台はモーラの寝台になった。
 カレンはあまりにも旧過ぎるせいか、時折中に入ってあるものを台無しにし
てくれる冷蔵庫の中から注射器を取り出した。
 まあ問題は、モーラの血液を取りたいがベッドの前で油断なく目を光らせて
いるであろう番猫さんが黙ってその行動を許してくれるかどうかだが。
 それは相当困難な説得になりそうだった。


 ダークマンは迷わず自分の書斎――と言っても要するに無数の計算式が描か
れたメモ、黒板、床、机があるだけ――に直行して、ただ一つ余計な計算式を
書いていない黒いノートパソコンを起動させる。
 繋いであるMOドライブのランプが点灯すると、ダークマンはMOディスク
をポケットから取り出して机に放り出した。
 散らばるディスクは五枚。
 五枚の内、三枚のMOディスクは全て同じ形式のものだった、スケルトンタ
イプ、容量は2.3GB。ラベルが貼ってあるが、そこにはシンプルに「1」、
「2」、「3」とそれぞれナンバーが割り振られているだけ。
 残り二枚、それにはラベルが貼ってなかった。単に面倒臭くなったのか、は
たまた最初の三枚とは「別物」なのか。
 ダークマンはラベルの貼ってあるディスクの「1」をドライブに挿入した。
 しばらく待って認識されたディスクの中身を開く。
 中に入っていたファイルの名前を見てダークマンは顔をしかめた。
「――これは?」


                ***


 断絶していた世界に強制的に接続される。
 出来得るならば、このまま世界から隔絶されたまま生きていたかった。無論、
それは叶わない夢であることも分かっている。
 けれど、それでもモーラは眠り続けていたかった。
 ――現実は少しばかり、自分が生きていくには辛すぎるから。
 だから、夢を見続けていたい。
 そう願うのは、弱い証拠でしょうか? 神様。


                ***


 瞼を開くと、まず最初にモーラの眼に飛び込んできた光景は、椅子の背にも
たれかかりながら、眠りこけているドライの姿だった。穏やかに寝息を聞かせ
ながら、彼女はモーラのボディガードだと言わんばかりにドアの傍に椅子を立
てかけ、右手で拳銃を握っている。
 
 ――まさか、寝ている間ずっとこうしていたのだろうか。
 くすり、とモーラは笑った。
 それから現実への帰還をほんの少し残念に思い、同時に自分をここまで生き
伸びさせてくれたフリッツと、ダークマンと、そしてドライに感謝した。なぜ
って死んでいれば、そういう彼女たちへの感謝の気持ちも味わえなかっただろ
うから。
 窓の外を見る。ここに来た時はどうだったか――時間帯を覚えていない。だ
が太陽の痛さを感じなかったから夜だったかもしれない。
 となるとずいぶんと長い間眠っていたのだろう、窓の外からは柔らかな日光
が差し込んでいた。曇り空のせいか、光は弱く、ベッドまでは届いてないのは
幸いだった。
 ドライは無理な体勢にも関わらずよく眠っている。
 それは訓練の成果なのか、それとも単に特性なのか。まあ、どちらでもいい
ことだ、大切なのは彼女が躊躇いなく自分が眠るはずであったベッドにモーラ
を寝かせたことと、他のところで眠ることもせずにモーラの傍についていたこ
とだ。
 さて、と。モーラは考える、とりあえず言うべきことを言わないといけない
だろう。
「おはよう、ドライ」
 その言葉にパッとドライが目を見開く。周りを窺い、筋肉に力を篭める。
 それからまじまじとモーラを見つめる、たっぷり一分は見つめてから、よう
やく笑顔を見せた。
「おはよう、モーラ」


                ***


 嘆息。
「――やれやれ、何てこった」


                ***


 モーラが上半身を起こした。ドライは椅子から立ち上がると硬直した体を動
かした、関節部分がぱきんと折れるたびに気分が爽快になる。
 とは言え、それよりも先にシャワーを浴びたかったし、何よりも腹が空いて
いた。まずは空腹を満たすことから始めよう。
 ドライはモーラに声をかけた。
「体の調子はどう? 何か食べたいものはある? 食欲がないって言っても、
無理に食わせるからね!」
 モーラは苦笑いを浮かべた、それでは最早食べろ、と言っているようなもの
ではないか。
 しばらく考えた末に、モーラは頼んだ。
「スープ」
「スープ、だけ?」
「うん、スープだったら、それでいい」
 はぁ、とドライは呆れたように両肩を竦めた。
「今日はそれで許してあげるけど、明日からはそうはいかないからね!」
 モーラはベッドから身を起こした、体の調子は良いとも悪いともつかない。
 痛みは既にない、昨日は単に疲れ切ったというだけだったのだろう。
 彼女の体は普通の人間と違って「衰える」ということがまずない。
 しばらく体を動かしていれば、すぐにいつもの調子を取り戻せるはずだ。光
は苦手だが、少なくともドライの目を誤魔化せる程度には我慢できる。
 誤魔化す、か。
 モーラはため息をついた。
 そっちの方がより大きな問題だ。


 一階に降りると男が、カレンと会話を交わしていた。ドライは彼が見慣れて
はいたが、いささかいけすかない男だったことに気付いて顔をしかめる。ちな
みに彼の弟はいけすかないどころか、吸血鬼を除いた場合の、銃弾を撃ち込み
たい連中ベスト3にランクインしていた。
 男がドライに気付いて蝿がたかっていそうな手を振る、ドライは咄嗟にモー
ラを背後に隠した。
「よぉ」
「はぁ……ちょっとドライ! 台所に逃げる気?」
 ドライはモーラの手を引っ張って、彼の存在を無視しながら歩いていく。
「いいさ、嫌われているのは慣れてる」 
「だったらここに来るなと言いたいねアタシは。セス・ゲッコー」
 ややぼろきれへの道を踏み出し始めた黒いスーツを着たセス――ゲッコー兄
弟の長男。彼は表向きはニューヨークの情報屋を名乗っていた。
 表向きが情報屋なのだから、裏の仕事は押してしるべし。
 銀行強盗、カジノ強盗、宝石屋強盗、暗殺、代理喧嘩業、麻薬の運搬、おお
よそマフィアが染めていそうな事は何でもやりたい放題だった。
 中でもカジノ強盗は致命的だった、カジノを実質支配しているのは長年そこ
を根城にしているマフィアであることはほとんど常識である。
 そして、常識が通じない人間もいる。
 ゲッコー兄弟はそこをあっさりと襲い、客とガードマンに多数の死傷者を出
しながら大量の売上金をせしめた。当然マフィアは大激怒である。
 しかし、そんな彼等の苦境を救った組織があった。
 ――インフェルノ。
 アメリカ中に点在するマフィアのナンバー2、もしくはそれよりもっと下の
人間で構成されていたこの組織にとって、カジノを襲われて自分の組織の看板
の価値、すなわち現リーダーの価値が下がるのは歓迎すべき事柄だった。
 たれこみ屋によって警察より早くインフェルノに捕らえられた彼と弟に、マ
グワイアは言った。
「好きにするがいい、ただし、私が次に挙げる組織のカジノだけは襲わぬ事だ」
 セスは一も二もなく頷いた。


 こうして、ゲッコー兄弟とインフェルノの提携は成立した。


 この間ドライはゲッコー兄弟と何度か逢っている、弟が一方的にこちらに話
しかけ、ドライが邪険に振り払い、兄が謝罪しながら弟のケツを叩く。
 それだけの間柄だったが。
 インフェルノとゲッコー兄弟の関係は思っていた以上に長い期間良好だった。
「思っていた以上」というのはゲッコー兄弟がいずれ、何らかのトラブルを起
こすことはマフィアの人間なら、誰もが予測していたことだった。
 そして勿論、ゲッコー兄弟は彼等の期待を裏切らなかった。
 ついに組織の長に上り詰めたインフェルノのメンバーの娘をセスの弟が強姦
して殺害した時(父親は警察より早く現場にかけつけ、その場で夕食を吐いて
崩れ落ち、泣きながら娘の内臓を抱き締めた)、彼等の関係は終わりを告げた
のだった。
 兄は泣いて許しを乞う弟をしこたま殴りつけた。
 兄から彼への罰はそれで終わりだった。


「何の用だい?」
「世間話」
「嘘をつけ」
「本当さ」
 ドライはカレンに視線を送った。
 カレンはうんざりした、という風に肩を竦めた。
「少なくとも今までのところは本当よ、もう勘弁してよ、何でこの人と私が天
気の話をしなくちゃならない訳」
「君は美人だからな」
「口説いているつもりなら、時と場合と、何より人間を選ぶことね」
「ひどいな」
 誤魔化すように笑ってから、セスは煙草に火をつけた。
「此処を知っていたのかい?」
 ドライがセスに問うと、彼はにんまりと笑った。
「この街で俺が知らないことはない」
 惚けた顔で煙草を吹かす。
「嘘つきな、ホームレスのメフィストの情報を戴いているだけだろう」
 ニューヨーク地下に住む、伝説の知識人メフィスト。ニューヨークの表の支
配者がニューヨーク市長、裏の支配者がマフィアの面々、そして二つの観測者
にあたる男がホームレスの王、メフィストだ。
 ニューヨーク市警は無論のこと、まだ組織が健全であった頃のインフェルノ
すら手出しできなかった、通称“地底人達”(アンダーテイカーズ)。
 ホームレスやホームレスを擁護する団体の間に一大ネットワークを作り上げ
たメフィストには株価から隣人の夫婦喧嘩まで無数の情報が伝わっていた。
 セスの情報屋とやらは、単にメフィストから情報を買って、それを無知な連
中に高値で売りつけているだけだろう。
 ドライは腕を組んだ。
 まるで信用をしていない、という風に睨み付ける。
 実際、鼻持ちならぬ相手だ。
 吸血鬼相手に商売を繰り広げたって可笑しくないような男だ。
 そこまで考えて、ふと彼女は周りを見回した。
 妙だ。
「セス。アンタのいけ好かない弟はどうしたい?」
 劇的だった。
 さ、とセスの顔が怒色に染まったかと思うと、煙草をドライの眼前に突きつ
ける。
「俺の弟が、何かお前に関係あるってのか」
 怒るより先に戸惑いが彼女の胸に浮かんだ。
 煙草を突きつけた手が震えている。
 怒りと哀しみがごちゃ混ぜになった感情がセスの周りの誰彼構わず叩き付け
られた。
 気圧されて思わずドライとカレンが後ずさった。
 わずかばかりの静寂の後、セスが気まずそうに背中を向けた。
「邪魔をした」
 歩き出すセスをドライもカレンも止められなかったし、止めようとも思わな
かった、ただ
 無意識に机に拳を叩きつける、端に置かれていた紫外線投射器が震動でぐら
りと揺れ、床に落ちた。
「あ、ダメ!」
 カレンが叫び、セスが反射的に振り向く。その間に紫外線投射器は派手な音
を立てて床に転がる。


 ――そして同時にスイッチが入っていた。


 モーラの網膜に強烈な光が叩き込まれた。反射的に悲鳴を挙げて顔を両手で
抑えるが、その両手の甲に見る見る内に火脹れができあがる。
「いけない!」とカレンが叫び、駆け寄って投射器のスイッチを切った。

 ドライの目には悲鳴をあげるモーラも、投射器に駆け寄るカレンも酷くのろ
まに動いているようにしか見えなかった。
 世界が粘着質の空気に包まれたよう、手を動かそうとするがなかなか上手く
いかない。
 誰かが歩み寄ってくる。
 ドライは首を回して、セス・ゲッコーが懐からするりとサイレンサー付きの
拳銃を取り出したことを確かめた。
 無意識に手がするするとホルスターに伸びる、グリップをしっかりと握り締
めた、セスの目を見た。


 ――彼の瞳は赤黒い殺意に燃えていた。
 ――しかし、彼はこちらを向いてはいない。
 ――彼が向いているのは、もう一人の方だ。


 沈黙。
 そして。
 刹那――。


 互いの拳銃が互いの頭に狙いを定めていた。


「そこをどけ、ファントム」
「アンタこそ銃を下ろしな、セス・ゲッコー」


 互いが互いの行動を否定する。
 撃鉄は既に上がっていて、引き金を引いた瞬間どちらかが死ぬ手筈になって
いた。あるいは両方か。
 苦痛に呷くモーラをカレンが抱き起こしていた、火傷の様子を素早く看て、
とりあえずは生死に関わる状態でないことを見て安心する。
 しかし、こちらは。
「ちょっと二人とも!」
 しかし、彼等を止めるには空気が張り詰めすぎていた。二人が相手に叩き付
ける敵意・殺意と呼ぶべきもの――がカレンを圧倒した。
 止められない、と本能的に理解する。
 ――ダメだ、ペイトンを呼ばなくては!


「なぜ庇う?」
 セスが尋ねる。
「なぜって……」
「そいつは吸血鬼だぞ!」
 セスはドライを怒鳴りつける、唾が飛んだ。
「モーラは吸血鬼なんかじゃっ……!」
「嘘をつけ、今こいつはこの光を浴びてどうなった!」
 否定の言葉がドライに突き刺さった。
 ドライは沈黙を護る、彼女は迷いに囚われていた。あの紫外線は確かに吸血
鬼以外には効果がない、ということを彼女は知っていたからだ。
 ふざけてカレンの顔を照らしたことがあるから、それは間違いない。


 ――という事は。


 という事は――。


 モーラは、人間ではない……?


 ドライは急に、銃を突きつけられるのが怖くなった。
 カレンは冷凍庫から取り出してきた氷をモーラの顔と手に当てていた、彼女
があちこち動き回っている間も、二人は微動だにしない。
 いや、わずかながらドライが後ろに退がった。
 一歩、二歩。代わりにセスがゆっくりと前へ――モーラの元へ進み出る。
「もう一度言う、どけ」
「……」
 ドライが、力なくうなだれそうになった瞬間、モーラが微かに声を発した。
「……やめ……て……」
 ほんのわずかな囁きだったが、それはドライの今の迷いを叩き潰すに相応し
い音色をしていた。
 グリップを握り直し、眼前の凶悪な表情の男を睨みつける。
 一瞬だけ感じたあの恐怖は、もうどこにもない。
 あるものか。

「どけ」
 ジョン・マックレーンの格言を思い出した――「殺す時は躊躇うな」
 引き金にかけた指にゆっくり、ゆっくりと力が入り――。


「止めろ」
 二階から声がかかった。
 ドライは振り向けない。
 代わりに音を聞いた。一歩ごとに軋む階段、近づいてくる足音。
 わずかに匂う薬品の匂い――。
 銃を掴まれた、ドライの銃だけでなく、セスの銃も。
 強い力で両方の拳銃が無理矢理に降ろされた、気付いた時には周囲の緊迫し
ていた空気が弛緩し始めていた。
 ドライは、ようやく一息ついた。

「セス、お前に聞きたいことがある」
「俺もお前に聞きたいね、ダークマン。
 あの吸血鬼野郎はどういうことだ?」
 ダークマンはひょいと氷を当てられたモーラを見た。
「……二階に連れてってやれ」
 カレンが頷いて、モーラを抱え上げた。想像以上の軽さに驚きながら、カレ
ンはモーラを運んで行った。
 ドライは運ばれていくモーラを見て、次にダークマンを見た。ダークマンは
拳銃を押さえつけたが、セスは引き金から指を離した訳ではない。
 そしてダークマンは、武器を何も持ってはいなかった。
 わずかばかり迷ったが、ドライはダークマンの後ろにそっと立つことにした。
 ――腕を振り上げた瞬間、弾丸を叩き込んでやる。


                ***


「聞きたいのはこのディスクだ」
 懐からダークマンはラベルが貼られて無い方のMOディスクを取り出した。
「私はあの館で、五枚のディスクを見つけた。その内三枚は私の研究の内容が
丸ごと抜き取られていた――心当たりないか?」
「あるもんか」
「以前、誰も来ないようなこの区画に忍び込もうとしていたな」
「偶然さ――他に何かあるとでも?」
 セスは惚けた顔をして肩を竦めた。
「なぜ吸血鬼を憎む?」
 唐突な質問にサッ、とセスの顔色が変わった――平静を装った表情から滲み
出る赤黒い憎悪。ドライは不思議だった、吸血鬼を何故憎んでいるのだろう。
 ――死神とだって商売しそうな人間なのに。
「俺は人間だ、人間を襲う化物を憎むのは当然だろう?
 俺だって、正義の味方気分になりたいときだってある」
「今、子供を殺そうとしたのにか」
 ドライはダークマンの声がわずかにくぐもったことに気付いた。
 彼は今怒っている、とても。
「吸血鬼だ、外面がああでも中身はどうだか」
「ダンピィルだ」
 セスがきょとんとした表情を浮かべた、それはドライも同様だ。セスの浅薄
な知識にはダンピィルという単語自体が存在しなかったし、ドライはカレンが
恋人を、あるいは戦友を、あるいは兄のようにブレイドという吸血鬼と人間の
ハーフ――それをダンピィルと呼称したことを、漠然と覚えているだけだった。

「ダン――なんだって?」
「吸血鬼と人間のハーフだ」
 セスが顔を伏せて、とんとんと気まずそうに指で自身の頭を叩いた。
「つまり……吸血鬼じゃないってことか?」
「そうだ」
「けど、仲間みたいなもんだろ」
 セスは殺意にぎらついた顔を上げた。わずかばかり脱力していた拳銃を握る
手に再び力が篭る。
 ドライは彼の殺気を敏感に嗅ぎ取って、同じく右手に力を入れた。今度は腕
を振り上げる暇すら与えないつもりで。
 ダークマンは、そんな二人の殺気に気付いてないように呟いた。
「望まれなかったんだろう」
「望まれないって何がだ」
 セスが言う。
 はぁ、と物覚えの悪い生徒を前に、ダークマンはため息をついた。
「吸血鬼に家族愛があるとでも思ってたのか? ……お前が弟を愛したように」
 最後の台詞に、セスは劇的な反応を見せた。
 目を剥き、左手でダークマンの襟首を掴み、拳銃を突きつけながら吼えて、
彼を床に叩きつけた。
「――!」
 ドライの反応は少し遅れた。
 覆い被さったセスの頭に拳銃を突きつけ、言う。
「今すぐその拳銃を離せ、さもなきゃ頭を吹き飛ばす、掃除が面倒だけどな」
「黙ってろ売女」
 ところがダークマンは面倒臭そうにドライの拳銃をセスの頭から追いやった。
「セス、お前の弟は死んだか」
 電撃に打たれたようにセスは飛び上がった。
 表情がめまぐるしく移り変わる、疑念・憎悪・混乱・悲哀。色々な仮面を外
しては見せる、大道芸人のようだ、とドライは思った。
 セスは最後に疑念の表情を選択した。
「なぜ知ってる?」
「吸血鬼の娼婦はおしゃべりらしい」
 ポケットからダークマンは、ひしゃげたサングラスを取り出した。
 投げる。
 受け取ったセスは一目見てそれが何であるか理解したらしく、胸にそれを当
ててダークマンに感謝の表情を浮かべた。
「こいつは、弟の奴が」
 ダークマンは肩を竦めた。
「知ってるさ……お前の弟の持ち物だろう、持って行け」
「ああ、ありがとう、ありがとう!」
 先ほどの憎悪はどこへやら、だ。
 セスは顔をくしゃくしゃにしながら、ダークマンを抱き締めた。
 ドライがうぇぇ、と言いながら嫌悪の表情を浮かべる。
 ダークマンはやれやれ、と肩を竦めてからセスを引き剥がした。
「礼なら、メフィストに言うんだな。私は頼まれただけだ」
「ああ、アイツにか。くそっ、前に行った時は何も喋っちゃくれなかった」
「必要のない情報は渡さないのがアイツの流儀だ」
「お前には何で渡した」
「金が足りなかったので遣いを頼まれた」
 なるほど、とセスは頷いた。金が無ければ、代償に子供の使いを頼み込む。
 そういうやり方をメフィストは好んでいた。


 サングラスを大事そうにポケットにしまったセスに、ダークマンが尋ねる。
「義理は果たしたぞ、今度はお前の番だ」
「おいおい」
 肩を竦める。
「俺はただ」
「頼まれただけだな、誰にだ? 報酬がいくらかなんてことはどうでもいい。
 お前はこのディスクの重要性を知っているのか? 残り二枚のディスクの使
い道は?」
 矢継ぎ早に質問を浴びせ掛ける。セスはうんざりしたように頭を振った。
「悪いが何も知らねぇよ! ただ頼まれただけだ。
 金は前払い、ディスクは指定の情報屋経由で引き渡すこと。
 ディスクの使い道なんて俺が知るかよ!」
「大事な質問に答えてないな、誰に頼まれた?」
「名前は知らん、日本人だ……女だ、むしゃぶりつきたくなるような色気のあ
る声だったね。
 連絡は電話越し、ついさっきの事だ」
「なぜお前に連絡したんだろう」
「そりゃあ、お前――」
 慌ててセスは口を噤んだ。弟が殺されるまで、またもやインフェルノに仕事
を貰っていた(なぜ弟のことを許してくれたのか、吸血鬼になって心が広くな
ったのだろう、と兄弟は解釈していた)ことが知られるのは、彼にとって些か
不名誉なことだったので。
「ところでセス。ディスクをどうするつもりだったんだ?」
「ブッ壊すつもりだったさ……嫌がらせにな」
 あるいはどこかに売り飛ばすつもりだったのだろう。
 ダークマンは、そういう彼の抜け目の無さを“信頼”している。
 そして当然それは正しかった。


                ***


 セスがふらふらと去り、ダークマンがディスクの解析に没頭し始めると、ド
ライは二階に駆け上がった。彼女の部屋の前でうろうろしているカレンを捉ま
えて、モーラの具合を尋ねる。
「出てきてくれないのよ」
 カレンは困り果てた表情だった。
「あたしが何とかするから、カレン料理作ってて」
「料理? ……ええ、分かったわ。何とかしてあげて」
「分かってる」
 カレンは名残惜しそうに閉じられたドアを振り返りながら、一階へ降りてい
った。ドライはドアをノックした。
「入っていい?」
「……」
 沈黙。
 その沈黙に、どことなく否定の空気を読み取ったドライはそのままずるずる
とドアにもたれかかった。
 それから、後ろ手で再びドアをノックする。
「いるんだろ? モーラ」
「……っといて」
「――何だって?」
 モーラはドライと同じく、ドアに背中をもたれさせて蹲っていた。
 閉じたドアが境界線のように二人を切り離している。
 化物。
 人間。
 姿形は違わないのに、そういう区切りをつけている。
「放っておいて……」
「んー……」
 ドライは頭を掻いて、思案する。
 さて、どうやって説得したものか。
「ダンピィル……だっけ?」
「!」
「ダークマンから聞いた。片親が吸血鬼なんだっけ」
「……そうよ、私の父は……吸血鬼で、面白半分に母を孕ませたのよ。
 それで私が産まれた」
「そっか……分かるよ、そういうの」
 あっけらかんと、何のてらいもないようにドライは呟いた。
「分かるはずないでしょ!?」
「だって私の親父もそうだったもん、吸血鬼じゃないけどさ、産みたくて産ん
だんじゃなかったんだ」
「え――?」
 ドア越しに、彼女が息を呑むのが分かった。
 煙草を取り出して火をつける。
 ちょっと辛い回想になる。
 それでも続けなければならなかった。
「酷い親父だったよ。三歳の子供を本気で殴り飛ばすんだよ? 行儀が悪いか
らってスープを頭から被らされたりもしたね」
「……お母さん……は?」
「物心ついたときは、いなかった。だから、顔は覚えてないんだよね」
 紫煙が肺を侵食する、覚えてないと言いながらもドライは母親の顔を思い出
そうとした、刹那、彼女の顔が浮かんだ気がするが、それは朧のようにすぐに
消えた。
 代わりに、下卑た父親の顔が思い出されたので頭を振って吹き飛ばした。
 短くなった煙草を放り捨て、足で踏み消す。
「モーラ……母親は?」
「いたわ」
「優しかった?」
「うん……」
 それは良かった、とドライは言って二本目の煙草に火をつけた。
「家族は、もういないんだっけ?」
「うん、フリッツ……お兄ちゃんもいなくなっちゃったし」
「そっか」
 ドライは手を伸ばして、ドアのノブを回した。
 そしてわずかに開いた隙間から、手を差し出す。
「アタシももういないんだ、家族ってのは」
 父親はとうの前に行方知れず。十年は経っているのだ、酒に溺れて死んだか
さもなきゃ死ぬ手前だろう。
 モーラは差し出された手を見つめた。女らしい手とはとても言えない、傷だ
らけの手だ。
「アタシの家族になるかい? イエスなら手を握って欲しい、ノーならドアを
閉めて欲しい」
 彼女の声に、少し照れが混じっていたことに果たしてモーラは気付いたかど
うか。
 モーラは彼女の手を見た、それからドアを見た、最後にノブに手をかけ――。
 踏み止まった。
 ノブを握り締めたまま、母親の顔を思い出す。
 母親と、兄と、スープの味を思い出す。
 ――ダメ、私は誘惑に勝てない。
 もう一度、あのスープを味わえるのならば。


 モーラは震える手でドライの手を握った。
「キャル」
 ドライが言う。
「……キャル?」
「アタシの本当の名前、キャル・ディヴェンス」
 キャルはモーラの小さい手を握り返しながら言った。
「よろしく、モーラ」
「……よろ……しく……キャル」
 モーラの手は小さく、そしてきめ細かだったが冷たい――とキャルは思った。
 キャルの手は大きく、そして節くれだっていたけれど暖かい――とモーラは
思った。
 そしてモーラは久しぶりに、ハンターになってからは多分初めて、嬉しくて
涙を流した。





                            to be continued



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